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	<title>transiency ～ ほんの、つかのま。</title>
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	<description>アジアの旅と写真のサイト。マレーシア、タイ、インドネシアの旅行記。東京をテーマにしたフォトエッセイ。</description>
	<pubDate>Sun, 06 May 2012 02:07:20 +0900</pubDate>
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		<title>旅行記 完／クアラ・ルンプール</title>
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		<pubDate>Mon, 29 Sep 2003 04:31:11 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>マレーシア編</category>

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		<description><![CDATA[　クアラ・ルンプール国際空港、午後6時55分。成田を発って、すでに9時間が経過している。
　空港内にあるエアポート・コーチ社のバス乗り場に座り込み、もう何度も小さな吐息をこぼしていた。高架電車スターラ...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　クアラ・ルンプール国際空港、午後6時55分。成田を発って、すでに9時間が経過している。

　空港内にあるエアポート・コーチ社のバス乗り場に座り込み、もう何度も小さな吐息をこぼしていた。高架電車スターラインの「Chan Sow Lin」という駅まで行こうと、そう心には決めていた。けれど、定刻を過ぎてもバスは姿を見せなかった。あと何分こうしていればいいのだろう。無事に乗り込めたとして、それがどれほどの道のりになるかも分からない。

　熱帯の粘りつくような暑さがじっとりと肌を包む。この感覚は実に６年ぶりだ。空には淡い琥珀色の光があふれ、その下に静まりかえった一本の通りがある。夜がすぐそこまで来ている。バスが着くころには街はすっかり闇に包まれているだろう。

　飛行機が空港に降り立ったのは午後４時半だった。機内で隣り合わせた日本人の女性に誘われて、そのままターミナルの喫煙所に向かった。降機の際、彼女にこう呼び止められていた。「あいにくマレーシアの小銭をたくさん持っているので、コーヒーをご馳走しますね」彼女はそんな言い方をした。負担をかけまいとする彼女の心遣いに気づいて、胸の中で何かがコトリと音を立てた。

　彼女はクアラ・ルンプールを経由して、これからインドのムンバイへ向かうという。ここはトランジットだった。彼女がRM（リンギット・マレーシア）の硬貨を持っていたのは、もう何度もこのルートでインドへ渡っていたからだった。

「インドへ行くでしょ。すると１日100円とか200円とか、そういう生活になるのね。そのまま日本に帰ってもいいんだけど、なんて言うのかな。帰りにクアラ・ルンプールに寄ってちゃんとしたホテル暮らしをしないと調子が狂っちゃうのよ」

「今回もクアラ・ルンプールへ？」

「うん、帰りに３日間。シャングリラってホテルでね、一日中ぽけーっとするの。身体中で思いっきりだらけるのよ」そう言って彼女は嬉しそうに笑った。

　彼女がインドに惹かれる理由はひとつだった。子供たちの輝く瞳。そのまなざしに出会うためにもう何度も足を運んでいるという。

「なんて言うのかな、とにかく心を掴まれるって言うか、愛しさを思い出すって言うか。もう私、この子たちのためになら何でも差し出せるっていつも思う。実際には何も差し出したりしないんだけど。でも、そうね、子供たちのまなざしだけで、もう私は生きていける。そんな気分になれるのよ」

　最愛の者を抱きしめるように彼女はことばをつないだ。その声をぼくはひとつひとつ丁寧に胸にしまった。子供たちを包む砂埃や街の匂いまでが、すぐそばに感じられるような気がした。

「やっぱり不思議なのね、なんだか」ふと、彼女は思い出したかのようにそう言って、ぼくの顔をまじまじと見つめた。彼女はインドについてではなく、今のこの状況に言及していた。

「不思議なのよやっぱり。こんなふうに声をかけたことなんてなかったんだけど。でもね、機内でずっとおしゃべりしてたじゃない？　それで、なんだか私、安心してぐっすり眠っちゃったじゃない？　いつもは不安になるのよ飛行機。ほんとはニガテだし、墜ちるんじゃないかってドキドキするんだけど。……ねえ、私イビキかいてなかった？」

「大丈夫ですよ。……聞こえないふりしてたから」

「やめてよ」彼女はもう一度、楽しそうに笑った。素敵な笑顔だった。彼女がインドの子供たちから元気をもらうように、きっと彼女の笑顔もまた多くの人たちを元気づけていくのだろう。たとえば今のぼくのように。

「ねえ聞いて。あなたにだったら私、話せるような気がする。どうして私がインドの子供たちに会いに行くか、そのほんとの理由」

　ぼくの目を見つめる彼女のまなざしを、まっすぐに見つめ返した。身の上も彼女が背負ってきたものもぼくは何ひとつ知らない。でも、彼女の瞳にそっと宿る光の熱をその時ぼくは感じ取ってしまった。まるでひとつの啓示のように。

「ごめんね」とぼくは小さな声で言った。「ごめんなさい。あなたの目を見ていたら分かってしまった。……その、本当の理由。根拠なんて何もないんだけど、でもきっと当たっていると思う」

　喫煙室はまるで巨大な燻製器のように煙っていた。わざわざ煙草を吸わなくとも副流煙だけで目的を果たせそうなくらいだった。彼女に手渡されたコーヒーを、ぼくは確かめるようにひとくちだけ口に含んだ。もう一度彼女に視線を向けたとき、彼女は小さく肩で息をして口元だけで静かに微笑んだ。

「そうね、そうだよね。きっとあなたの感じたことで正しいんだと思う。ねえ、どうしてだろう？　私たちつい数時間前に初めて会ったのに、どうして通じちゃうんだろう？　あなたといるとさっき会ったばかりって気がしないのよ。あなたの声を聞いてるとそんな気が全然しないのよ」

　彼女はそう言って手のひらで包んでいたコーヒーの紙カップにかすかに力を込めた。ほんの少しだけ楕円にひしゃげる紙カップの縁が何かの象徴のように思えた。マニキュアのほどこされていない彼女の白い指先を、ぼくはじっと見つめた。

「言ってみて、今あなたが感じたこと」彼女は、もう一度小さく微笑んで言った。「怒らないから。つらくなったりしないから。大丈夫よ、安心して。あなたが悪いわけじゃないのよ」

　小さく息を吐いた。こんなにも切ない沈黙を感じたのは、もしかしたら初めてのことだったかもしれない。今ぼくの感じたこと。それはもうほとんど確信に変わってしまっていた。部屋の隅でぼんやりと立ち尽くす彼女の姿までが目の前に浮かんでくるようだった。

「……お子さん、いくつだったの？」

　ぽつりと、そう声に出した。その途端、彼女の目にかすかな涙が浮かんだ。でもそれを彼女は必死に隠そうとした。あははは、と声に出して笑った。それから小さく首を振って、目を閉じてため息をこぼした。

「……死産だったの。でも、かわいい男の子だったのよ」

　壁にかけられた時計の針はまもなく６時半を指そうとしていた。ムンバイ行きの飛行機は午後７時半に発つ。搭乗手続きはすでに始まっていた。そのことをふたりともとっくに気付いていた。

「もう行きましょう？」

　ぼくはそう抱きすくめるように言った。彼女はまるで子供のようにこくりと頷くと、先にぼくのリュックを持ち上げて手渡してくれた。そのまなざしには慈しみにも似た深いぬくもりがあった。

　何も言わずにターミナルの中をしばらく歩いた。彼女は乗り継ぎのゲートへ、ぼくは入国手続きをするためにエアポート・シャトルの乗り場まで行かなければならなかった。

「見送ってもいい？　あなたを見送りたいの」彼女はぼくに言った。「あいにくもう何回もこの空港に来てるから、乗り場まで案内するわ」

　彼女が「あいにく」と言うたびに、その言い方の底にある優しさに気付いて胸が震えた。「つい数時間前に」そう言って笑う彼女のことばを、ぼくは自分自身のことばのように心の中で繰り返した。

「ねえ、私にもね、実は直感のようなものがあるの。……ぜんぜん信じてないでしょう？　でも、聞いて。私にも直感のようなものがあるの。あるってことにしておいてほしいの、今だけでも」

　別れ際、彼女はそんなふうに微笑んで言った。

「大丈夫よ、あなたならきっと素敵な旅ができる。大丈夫よ、絶対に大丈夫。でも90日間ってのはちょっと長すぎるかな？」

　ぼくはきちんと立ち止まって彼女の正面に立った。それから、さっき彼女がしたように小さくこくりと頷いて、その柔らかな笑顔にこう告げた。そのことばだけで全部伝わればいいのに、と思いながら。

「行ってきます」

「うん、行ってらっしゃい」

　手を振ることも、握手を交わすこともせずに我々は別れた。ターミナルを結ぶシャトルへと乗り込むとすぐに出発を知らせるアナウンスが響き、扉が音も立てずに閉まり始めた。

「さよなら」

　どちらともなく、そう口にしていた。アナウンスにかき消されながら、ふたつの声は宙を舞った。聞こえただろうかと、彼女はそんな表情を見せた。きっとぼくも同じような表情をしていたに違いない。でもその言葉は確かにお互いの耳に届いていた。

　勢いよく走り出すシャトルの窓から遠ざかる彼女の後ろ姿を見つめた。壊れそうなほどの細い背中。

　さよなら。

　旅のはじまりは、別れのことばだった。]]></content:encoded>
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		<title>カントリー・ロード／ウブド(9)</title>
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		<pubDate>Mon, 29 Sep 2003 04:30:36 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　あわただしく荷物を詰め込むと、部屋の片隅にリュックを残して宿を出た。顔なじみになったバリニーズや旅行者たちに、別れを告げるために。
　食堂のスタッフや裏道の小さな商店のおばあさん、道端にたむろするバ...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　あわただしく荷物を詰め込むと、部屋の片隅にリュックを残して宿を出た。顔なじみになったバリニーズや旅行者たちに、別れを告げるために。

　食堂のスタッフや裏道の小さな商店のおばあさん、道端にたむろするバイタクの青年たちにまで、もう一度ぼくは声をかけた。「これから空港へ向かいます。今まで、本当にありがとう」と。

　でも、そうやって実際に口に出してしまうと、それはどこか浮ついた科白のようにも思えた。いったい、だれが空港へ向かうというのか。……実感というものがあまりに希薄だった。

　食堂で一緒になって歌った旅行者たちの何人かとも、道すがらことばを交わすことができた。帰国を告げるぼくの声に、彼らはみな握手や抱擁やキスで応えてくれた。不意に滲む涙を、指先でぬぐってくれた婦人もいた。

　チェックアウトを済ませるために宿へと戻り、荷物を抱えてギターを担いだ。けれど出口へ差し掛かったところで、不意に何かが胸をかすめた。大切なものをすっかり忘れてしまっているかのような。

　荷物を再び床に下ろして部屋を振り返った。そして、忘れていたものが何であったかに気付いた。そうだった。ぼくはまだこの部屋にさよならを告げていない。宿のお母さんの手でいつも清潔に保たれていた、この小さな部屋に。

　ベッドを包む色鮮やかなバティック染めのシーツ。バスルームの白いタイル。竹で格子に編まれた壁や、使われることのなかった天井のファンの羽根。そういったひとつひとつをしっかりと瞳に焼きつけ、順番にさよならを告げた。そして、洗面台の鏡に映る自分自身の姿にも別れを告げたとき、これで、本当におしまいなのだと思った。　

　同じ宿に暮らしていたバリニーズの青年と日本人の女性。そしてもう一人、彼女の親友であるバンドゥン出身の女性とが、最後にぼくを見送ってくれた。本当の意味で心のすべてを預けられたのは、あるいは彼女たち３人だけだったのかもしれない。

　交差点のたもとで順番に抱き合った。きつく、力を込め、この温もりをずっと先まで覚えていられるように。「泣かないの」と日本人の女性が耳元でやさしく言った。「いつでも帰ってくればいいじゃない。みんなで、待ってるから」

　通りの脇に停められた四駆に乗り込み、傾きかけた太陽の光の中を空港へ向かった。運転してくれたのはこの土地で知り合ったバリニーズの青年だった。「無駄なお金は使わないほうがいいから」と彼は言った。ぼくが運転していけば済む話だから、と。

　シートに身を沈めて、車窓を流れる風景ばかりを眺めていた。青年は何度か、ぼくを元気付けようと話しかけてくれた。「また遊びにおいでよ。いつでも電話してくれてかまわない」。けれど、そのことばがぼくにとって何を意味するのかさえ、もうよく分からなかった。

　いったい、この車はどこへ行こうとしているのだろう。飛行機に乗って、いったいぼくは誰の国へ向かおうというのだろう。

　結局のところ、ぼくはそうやってでもこの別れを先延ばしにしたいと願っていた。帰りたくないわけでも、日本が恋しくないわけでもなく、ただこの場所に留まらなければと。

　車がハイウェイの直線を疾走しはじめた頃、カーラジオから聞き覚えのあるメロディが流れた。ゴスペル風にアレンジされたソウルフルな『カントリー・ロード』。クワイアマスターの女性が、うねるような歌声でメロディを高く天へとひっぱり上げていく。

　Country roads, take me home to the place I belong.
　West Virginia, Mountain Mama. Take me home, country roads.

　小さな声で一緒に歌った。道よ、ぼくをあの場所へ連れてっておくれ。ぼくの居場所、ぼくの故郷へ。

　でも、ここだってぼくの故郷なのかもしれない。そんなことを思った。

　……本当は、この星のどこにいたって。
]]></content:encoded>
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		<title>優しさに埋もれて／ウブド(8)</title>
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		<pubDate>Sun, 28 Sep 2003 04:25:18 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　旅が終わろうとしている。砂時計の砂が、音もなくさらさらと落ち切ってしまうかのように。
　いつもの店、いつもの空、いつもの顔ぶれ。
　ウブドという町に留まれば留まるほど、そんなふうに心で寄り添える物事...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　旅が終わろうとしている。砂時計の砂が、音もなくさらさらと落ち切ってしまうかのように。

　いつもの店、いつもの空、いつもの顔ぶれ。

　ウブドという町に留まれば留まるほど、そんなふうに心で寄り添える物事が増えていった。旅立つこと、留まること。その間にあるつかのまの安らぎに、こわばった心がほろほろとほどけていく。

　時おり、ふらりと足を伸ばしてプリ・ルキサン美術館へ出かけた。ひとりで食事に出た帰りや、買い物の途中で。

　誰かに呼び止められることも、はしゃぐこともない時間。それは、肌に触れる温もりと同じくらい大切にしたいものだった。

　もちろん訪れるたびに入館料が必要ではあった。最安値の食堂であれば料理が５皿ぐらい並ぶ程度の。絵画や彫刻に触れることが食事と比べて高いか安いかなんて、本当のところはよく分からなかった。でも、この静謐な空気は、きっと他の何物にも換えられないものだと思っていた。

　がらんとした展示室の中を何度も立ち止まりながら歩いた。自分の足音が少し遅れて天井から響く。

　ゆっくりと時間をかけ、カンヴァスに伸びるラインにきちんと向き合っていく。冷やりとした壁に手を触れ、そっと呼吸の音に耳を澄ませ、ひとつひとつの作品をなぞるように。

　その先から、かつてのバリの風が心を吹きそよいでいく。

　東西の棟をすっかり観てまわると、決まって中庭の木陰に腰をおろした。目の前に広がる緑濃き風景は、そのまま切り取って一枚の絵画にできてしまいそうなほどだ。


　蓮の葉の浮かぶ噴水を囲むようにして、熱帯の樹木がゆらりとこうべを垂れている。深紅に咲きこぼれるブーゲンビリア。椰子の葉擦れの音。名も知らぬ、赤い葉。

 [1]

　木洩れ陽に揺れる葉の影を、大切な思いを胸にしまうかのように見つめた。上空からかすかに小鳥の啼き声が聴こえ、遠くから、竹ガムランの軽やかなリズムが響く。

　午後の暑い時間の美術館には、あまり人影もない。通りから僅かに奥に入っただけなのに、ここはもう手のひらの箱庭のように四角く切り取られている。

　去来するのは、この旅のいくつかの場面と、いくつかの出会いと別れだった。こうしてひとりぼっちに戻るたびに、ここにいない誰かのことばかりが胸を突いた。

　ぼくを、ぎゅっと抱きしめてくれた人がいた。ぼくの旅立ちを泣きながら見送ってくれた人がいた。お互いに、上手にさよならを言えなかった相手。あえてさよならを選んでしまった人。そして、もうひとつの旅立ち。

　ぼくの旅が、終わろうとしている。

　プリ・ルキサン美術館の中庭にたたずみ、いつしか舞い散る木の葉のことを思い浮かべていた。必死になって掴み続けていた枝を手放して大地を目指す、その一葉の重みを。

　はらり、はらり。

　両目に、ふっと涙がにじんだ。それは温かで静かな涙だった。何もかも手放してしまえばいいのだと、そんなことを思った。手放してしまえ。ぼくが囚われていた記憶の鎖を、ぼく自身の手で。

　鎖の絡まりをほどこうとするのではなく、絡まったままで。

　大丈夫だよ、と自分自身に言った。それもまたひとつの姿として、胸に刻んでおけばいい。手放してしまったという、その記憶さえも残るのであれば。

　空で生まれた葉のひとひらが、今日もまた、どこかで新しい命の芽生えのために身を投げていく。はらりと、軽やかに両手を離して。それはもう悲しみではなかった。悲しみですらなかった。新しい始まりを信じようと願う、深い優しさに他ならなかった。

　足先が、舞い降りた木の葉たちの優しさに埋もれていく。そんな映像が胸のうちで静かに流れていった。旅が終わろうとしている。その事実を、まるで自然の摂理のようにしとやかに胸に描いた。

　あと一回、この太陽が西の空へ帰っていく頃、ぼくはこの島を離れる。

[1] http://www.transiency.com/images/86pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>さすらいの／ウブド(7)</title>
		<link>http://www.transiency.com/83</link>
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		<pubDate>Wed, 24 Sep 2003 04:01:34 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　馴染みになった食堂へ、時おりギターを担いで出かけた。不思議なことに、インドネシアの若者の多くはギターを弾くことができた。もちろん慣れというものに差はあったけれど、彼らはみな純粋に歌を愛することのでき...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　馴染みになった食堂へ、時おりギターを担いで出かけた。不思議なことに、インドネシアの若者の多くはギターを弾くことができた。もちろん慣れというものに差はあったけれど、彼らはみな純粋に歌を愛することのできる人間だった。

　注文を取ったり、調理をしたり、そういう合間にぼくのギターを手に取り、彼らはいつも気持ち良さそうに歌ってくれた。英語の曲もあれば、インドネシア語の曲も。知っている歌には一緒に口ずさみ、みんなでバックコーラスを入れたりもした。アップテンポにして弾いた『スタンド・バイ・ミー』で、食堂の他の旅行者たちも巻き込んでの大合唱になったりもした。

　ギターひとつで、こんなふうに何かを飛び越えていける。それはあの晩、あの場所で「からっ風」に教わったことだった。

　毎日のようにギターを担いでふらふらと町を歩いていたから、良くも悪くも声をかけられることが多かった。「ちょっと貸してよ」というお願いから、「何か歌ってくれ」というリクエスト。あるいは「いくらで売ってくれるんだ？」といった、いかにもインドネシア的な問いかけまで。

　食堂ですっかり声を嗄らした夜の帰り道、宿のすぐ手前のカフェから大きな声で呼び止められた。「寄ってけよ」と、自らギターを弾いていたバリニーズの青年は言った。オープン・エアの店内には、彼の仲間らしき数人の若者と、初老の旅行者たちが笑顔で酒を酌み交わしていた。

「日本人だろ？　なあ、そのギターで歌ってくれよ。なんでもいいさ。日本語の曲を聴かせてくれないか？」

　青年はそう言ってグラスを片手で持ち上げ、まぶしいぐらいの笑顔を見せた。そばにいた初老の旅行者たちも、続けて笑顔で乾杯の仕草をした。「何してんだよ、早く！」そう急かす彼らの顔には、どれも満ち足りた柔らかな笑顔があった。旅だ、と思った。こういう瞬間に全身で飛び込んでいける、その熱がすべて。

　促されるまま彼らの仲間入りをし、ギターをかき鳴らした。ほんの一瞬だけ迷ったけれど、結局、自分の曲だけを歌うことにした。作りためていたいくつかのラブソング。旅のさなかで生まれた、ささやかなブルース。きちんと歌詞を決めていない部分さえあったけれど、構うものかと、勢いに任せてメロディをつないだ。

　一息ついたとき、隣りにいた初老の旅行者のひとりが、立ち上がってぼくに手を差しだした。思わず、その手を力強く握り返すと、彼はまるで我が子にするかのようにぼくをぎゅっと抱きしめてくれた。「君の声が好きだ。日本語ってのは、実にいい」

　彼はステファンと言う名の写真家だった。「オランダから来たんだよ。そう、君と同じようにね」と子供のように無邪気に言った。深いしわの刻まれた目元には、包み込むような柔らかな光があった。

「ビールをご馳走させてくれないかな？」ステファンはにっこりと微笑むと、カウンターに向けて「ビンタンふたつ！」とインドネシア語で言った。

 [1]

　次の日も、また次の日も、ぼくはバンブー・カフェへ出かけては歌った。新曲が生まれるわけではなかったが、でもそうやって同じ曲を繰り返し歌ったことで、彼らもまたぼくのメロディを覚えてくれるようになっていた。

　日によって店の客に差はあったけれど、通いつめた数日のあいだ、必ずぼくを待ってくれている旅行者たちがいた。

　写真家のステファンを筆頭に、同じくオランダからやってきたという通称「ビッグ・ジョン」。単身ドイツからやってきていたマークという名の青年もまた、毎晩おなじ時刻に軽やかに登場した。けれど彼は、そのたびに隣りにいる女の子が違うことで、よく皆にからかわれた。彼は決まって恥ずかしそうにうつむき、すぐに女の子に謝った。女の子たちは誰一人として彼を責めることがなかった。言い訳をしない彼のことを、きっと、ぼくらもまた同じように好きだった。

　そして、いつでもぐでぐでに酔っ払っては、店の女の子を口説きはじめる陽気なフランス人と、全身タトゥーのいかついオーストラリア人。彼ら二人は、それでもなぜかいつも仲良くテーブルを囲んでいた。その奇妙な組み合わせは、見ていてどこかほっとする光景でさえあった。

　更に、ドレッド・ヘアを大きく束ね、いつもセクシーなドレスを身に着けたリナというチュニジアの女性と、ベルギー出身のご主人。彼らと共に旅をしているという、同じくセクシーなドレスをまとったブラジル出身のファティマという女性。彼女はいつも、そっとぼくの耳に口を近づけ、ハスキーな声でささやくように言葉を発した。

　どういう理由かは定かではなかったけれど、彼女たちふたりは、ぼくの歌を特に贔屓にしてくれた。

「ねえタイラ、あの歌を歌って」

 [2]

　曲がひと段落し、場がいくぶん落ち着きを取り戻すと、決まってファティマがそう耳元でささやいた。時にはリナまでが、ご主人が見ているにもかかわらず、身体にしなを作りながらぼくのひざに腰をおろしたりした。おもむろに両腕をぼくの首筋に絡め、彼女もまたファティマと同じようにそっとつぶやく。「ねえ、だめよ。私たちのためだけに歌ってくれないと」

　店のあちこちから、冷やかしの声が飛ぶ。女好きのフランス人が立ち上がり「どうなってんだ！？」と声を荒げる。それを、いかついオーストラリア人がむんずと制す。

　もちろんぼくはストレートだったが、それでもこんなふうにセクシーな美女ふたりにぴったりと身体を密着させられてしまうと、正直なところ、どうしていいのか分からなかった。ごく控えめに言っても、それはもう、ぼくの想像力をはるかに超えた異常事態だった。

　そんなふうに迫られるたびに、本当にもう、どうしていいのか途方に暮れた。ぼくは叱られた子供みたいにため息をついて、ポソポソとギターを弾き始め、なんとかその場を繕おうとさえした。なるべく周りの状況に気を取られまいと、最初から最後までずっと目を閉じたままで。

　そのあいだじゅうも、ファティマがぼくのひざをサワサワと撫でていたりする。リナの吐息が耳にかかることさえある。「だめだ、耐えろ！　目を開けるな！」と、まるで新手の拷問にかけられているような気分で、ぼくは必死に歌い続けた。

　ときどき、コードを間違えた。ふっと、物悲しい気分にさえなったりした。

　どうにか歌い終わると、決まってパチパチと小さな拍手が聞こえた。ファティマだ。それでもまだ、ぼくは目を開けることができない。そんなぼくの頬を、彼女は当然のようにやさしく両手で包み込む。「来る！」とぼくは思わず身を硬くする。それでもファティマは愛をささやくように、ハスキーな声でこう息を吐く。「Your voice is so sweet...」

　恐る恐る目を開けると、いつだってファティマの瞳はとろんとしている。そのたびに頭の中でサイレンがけたたましく鳴る。ぼくの頬を包む彼女の手のひらに、グッと力が入る。もちろん、いつだってぼくは抵抗する。いくらなんでも、そういう行為はぼくの常識の中にはない。たとえ何度くりかえされたとしても、それがぼくの常識にはなることはない。

　でも、結局、そんなわけで、抵抗むなしくぼくはファティマに唇を奪われている。日本人の感覚からすれば、それはかなり本格的なものでさえある。もしぼくが健全でうぶな中学生だったら、その場でおいおい泣き出しているかもしれない。もしくは卒倒して椅子から転げ落ちているかもしれない。もうそれは、ロマンチックなものでも何でもなかった。こういう窒息の仕方もあるのかと、そんなことさえ思うほどだった。

　それでも、こういったことをぜんぶ差し引いても、バンブー・カフェで過ごす時間は格別なものだった。歌うのに疲れると、ノートパソコンに取り込まれたステファンの写真を見ながら二人でずいぶんと語りあったりもした。ビッグ・ジョンのギターに合わせてジャンベを叩いたり、マークの奏でるジャズ・ギターに耳を澄ませたり、フランス人のへたっぴなシャンソンに合わせて、あえて皆で立ち上がって踊ったりもした。

　そこには、いつも笑い声があふれていた。事前にいくら申し合わせていたとしても、こんなふうに、この顔ぶれで同じ夜を過ごすことなど不可能に違いなかった。

　それは、旅だった。

　一度きりの光を放ちながら燃え尽きる、あの時の流れ星みたいに。


[1] http://www.transiency.com/images/84pl.jpg
[2] http://www.transiency.com/images/85pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>ぼくにできること／ウブド(6)</title>
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		<pubDate>Mon, 22 Sep 2003 03:47:11 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　彼女に声をかけられたのは、デウィ・シータ通りがハノマン通りにぶつかるＴ字路だった。インドネシア語で言う「sore」の時間。昼食には遅いし、かと言って夕食までにはまだずいぶんとある。背丈と同じぐらいの...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　彼女に声をかけられたのは、デウィ・シータ通りがハノマン通りにぶつかるＴ字路だった。インドネシア語で言う「sore」の時間。昼食には遅いし、かと言って夕食までにはまだずいぶんとある。背丈と同じぐらいの長さの影が、分身のように舗道に淡く伸びている。

　町に信号なんてなかったから、左右を交互に確かめながら、Ｔの字の縦棒へ向けて車道を横切ろうとしていた。午後の軽やかな風が頬を行き過ぎ、オートバイの撒き散らす鈍色の排気ガスがはぐれ雲のように路上でめくれていく。

「あ、あの、すみません」

　出しかけた足を引っ込めて振り返ると、大きな帽子をすっぽりと被った小柄な日本人の女性が立っていた。帽子に隠れて表情まではうまく見えなかったが、そう声をかけることだけでもう精一杯という雰囲気だった。

「あの、えっと……」

　彼女はそう言うと、一度だけぎゅっと唇を噛んだ。その躊躇いの底に横たわるものが何であるのか、もちろんぼくには分からなかった。ただ、彼女は今、何か大きな決意を胸にぼくに声をかけている。そのことだけは痛いぐらいに伝わった。

「大丈夫ですよ。落ち着いて」ぼくは笑いながら、わざとこんなことを言った。「そうですね。ひとまず、落ち着いて。一緒に、深呼吸してみますか？」

　彼女に、自分のペースを取り戻してほしいと思った。うつむきながら小さく呼吸を繰り返す目の前の彼女に、少しでもやわらいだ空気を届けてあげたかった。

「……すみません。少し、疲れちゃったんです。もう私、日本に帰るんです。明日の午後、空港に行きます。もうバスのチケットも取りました。もう、ほんとに、あと24時間ぐらいなんです」

　彼女は訥々とした口調で一生懸命にそう言った。ことばに、少しだけ東北の訛りがあった。方言の持つ温かなことばの連なりに、ふっと気持ちがほどけていった。

「どうぞ、ゆっくり話してください。大丈夫、大丈夫ですよ。」もう一度、今度は少し声のトーンを下げて彼女に言った。息をするたびに小さく上下する彼女の肩を、ぼくは凪いでいく海を見守るように見つめた。

「すみません。あの、でも、えっと……。いえ、すみません。あの……。私と一緒に、どこか、ごはん食べに行ってもらっても構わないですか？」

　やっとのことで、彼女はそうぼくに伝えることができた。思わず「頑張ったね」と声をかけてしまいそうになった。彼女のそんな一生懸命さに打たれ、胸の奥で何かが小さな音を立てた。

「ほんとは、もっと長くいるつもりだったんです。でも、つらくて、やっぱり、どうしてもだめで、それで帰国を10日も早めたんです」

「うん」とぼくはやさしく言った。「うん。……それが、明日なんだね？」

「……はい」

　彼女はまるで今すぐさよならを言うみたいに、ぽつりとそう返事をした。捨てられた仔犬みたいな、物悲しい声だった。

　それぞれにとっての旅があって、それぞれにとってのバリ島がある。そんな当たり前のことを、こうして彼女に声をかけられるまで、ぼくはずっと忘れていたような気がした。

「ゆっくり話しましょう？　どうぞ、ぼくでよかったら、何でも話してください。大丈夫ですよ。これでも、相鎚は200通りぐらい持ってるんです」

　また、そんなおちゃらけたことを言った。もしかしたら彼女は、こういう冗談はあまり好きではなかったのかもしれない。どうにか彼女に笑顔が戻ればと思ってはいたが、それは少し、性急な願いだったような気がした。

「ほんとに、すみません……。お店、私よく知らないんです。知らないのに、急に、こんなこと……。ほんとに、ほんとにすみません」

「からくない方がいいでしょう？」

　できるだけ彼女に負担をかけないように、そんなふうにちょっとだけ押し付けがましく訊いた。大丈夫だよ、店はぼくが選ぶ。美味しくなかったらぼくを責めればいい。そんなことを、心の中でそっとつぶやきながら。

「からくなくて、いろんなものが少しずつ食べられて、美味しい野菜スープがついて、きちんとデザートまでついて、しかもびっくりするぐらい安い。ね？　行ってみたくなるでしょう？」

「……ほんとに、ほんとにすみません。ありがとうございます」

　彼女は、まるで今にも泣き出してしまいそうな子供みたいだった。小さく何度か頷くと、彼女は初めて顔をあげてぼくの顔をまっすぐ見てくれた。恥ずかしそうに、でもなんとか笑顔を作ろうとする彼女のまなざしには、けれどもう、わずかに涙がにじんでいた。

　案内したのは、王宮から西に２本目に入ったカジェン通りと呼ばれるなだらかな坂道を、ずいぶんとのぼった先の店だった。ごく普通のバリニーズ・スタイルの家の、その２階の部分だけが小さなレストランになっていた。

　有機野菜だけを使い、ケミカルなものを極力排した味つけは、いつも口にやさしかった。ぼくの心の中だけで「隠れ家ごはん」と呼んでいた、とっておきの場所だった。

「ナシ・チャンプルっていう、お子様ランチみたいなのがあるんです」

「チャンプルって……」

「そう。沖縄のことばと同じ意味だと思う。インドネシア語だと、混ぜるとか、合わせるとか、そういう意味なんです」

「……私、それにします」

「ぼくもそれにするよ。って、実はこのお店だとナシ・チャンプルしか食べたことないんだけどね」

　そう笑いながら返すと、彼女は初めてにっこりと笑ってくれた。いい笑顔だと思った。大丈夫、その笑顔があれば大丈夫だよと、またぼくは声に出さずに心の中だけで言った。

 [1]

　料理が運ばれてくると、彼女は両手をひろげて「わあ！」と言った。「すごい。すごく美味しそう！」

　そんなふうに満面の笑みで喜んでくれる彼女の姿を、ぼくは自分のことのように嬉しく眺めていた。ひとつひとつのおかずを指差し「これは？　これって何て言うんですか？」と訊ねては笑顔を見せる彼女に、ぼくは丁寧にインドネシア語を付け加えて答えていった。

「……あの、実は私、ずっとオーストラリアにいたんです。ワーキング・ホリデーで、だいたい、１年半ぐらい」

　彼女は時おりフォークを持つ手を止め、ちいさなため息をこぼしながら話を聞かせてくれた。戸惑いながら、ことばを選びながら。それでも彼女の声は、さっきよりも随分と落ち着いたものになっていた。

「留学してた英会話スクールが終わって、それで、ほんとだったらまっすぐ帰国してもよかったんです。でも、ストップオーバーでバリ島にも寄れるって聞いて、３週間の予定で入ったんです」

「最初はクタっていうビーチに行って、そこで、すごく人が荒っぽくて疲れて。もうそれがすごく嫌になって、それからウブドに来て。でも、朝晩がものすごく寒くて、いきなり風邪ひいちゃって。しかも、お腹までこわしちゃって。ぜんぜん、ご飯が食べられないときもあって」

「でも、三日ぐらいで、ちょっとだけ良くなったから、いちど、ジャワ島のボロブドゥールっていう遺跡まで現地ツアーで行ったんです。２泊３日だったんですけど。でも、そしたらバスの中でカメラ盗まれて。カメラだけ別のカバンにしてたんですけど、撮り終わったフィルムもいっぱい一緒に入れてて、それごと、ぜんぶ」

「すごくショックで、また体調がおかしくなっちゃって、もう誰かと話したり、どこかへ行ったり、そういうのがつらくなっちゃったんです。知り合いもいないし、一緒にごはん食べるひともいないし、調子悪くても誰かが看病してくれるわけでもないし」

「もういやだって思うと、知らずに涙が出てきて。いつも、ずっと悲しくて。だから、まだ予定の半分ぐらいなんですけど、帰国を早めたんです。でも……」

　彼女は顔をあげてぼくをまっすぐ見つめると、また小さくうつむいて申し訳なさそうに言った。自分自身に言い聞かせるみたいに、でも、どうしても伝えなければと、そんな必死さを身にまといながら。

「でも、それじゃあんまりだって思ったんです。せっかく来たのに、そんなのひどすぎるって。だから、今までやったことないこと、やってみようって。できなかったこと、やってみようって。……だから、それで」

「……それで、ぼくに声をかけてくれたんだね？」

「……はい。でも、でも絶対だめだろうって思ってました。最後ぐらい、バリ島で誰かと一緒に楽しくごはんが食べたいだなんて。だって、そんなの都合良すぎるって思ってました」

　彼女の瞳に、またかすかな涙が浮かんだ。唇をかみしめ、懸命に涙をこらえる彼女の姿を、ぼくはただ何も言わずに見守っていた。きっと、その涙は前向きな涙だったのだろう。ぼく自身がこの旅の中で流したどの涙よりも、ずっと前向きで温かな涙だった。

「一緒に食べると、美味しいね」

　ぼくは、無意識のうちにそんなことを口にしていた。言ってしまったあとで、そのことばの持つやさしさや温もりに気付いて、少しだけ胸が苦しくなった。こうやって向かいあわせで食べる食事の美味しさや、柔らかな午後のぬくもりに、本当の意味で救われていたのはきっとこのぼく自身だった。

「……声、かけることができて、本当によかった。後悔してません。実は、何回か見かけたことがあったんです。だから、覚えていたんです。通りに座って地元の人たちと楽しそうにしゃべってるところとか、ニコニコしながらごはんを食べてるところとか。いつも楽しそうって思って、見てたんです。あんなふうにおしゃべりできたらいいなって。きっと私もこの場所が好きになれるのになって。だから、さっきあの道で見かけたとき、あの人だって思って、嬉しくて」

「ありがとう」と、ぼくは頷きながら彼女に言った。「声をかけてくれて、本当にありがとう。ぼくも嬉しかったよ」

　そう声に出してしまうと、もう彼女は涙をこらえることができなかった。

　ポロポロと大きな涙をこぼし、それでもまだどうにか笑顔を作ろうとする彼女の健気さが、強くぼくの胸を打った。彼女の中のまっすぐな何かを、ぼくはもしかしたら自分自身に重ねようとしていたのかもしれない。

「……明日、帰ります。でも、きっと、笑顔で帰れると思います。わがままにつきあってくれて、本当に、本当にありがとうございました。ここだけ違うバリ島です。少しだけ、バリ島が好きになれたように思います」

「元気でね。明日、元気に日本に帰ろうね」

　彼女はまた小さく頷くと、両方の指で子供みたいに涙を拭った。赤く目をはらしながら精一杯の笑顔を見せる彼女の姿を、まるで大切な一通の手紙のように、ぼくはそっと小さく折りたたんで胸の底にしまった。

「声かけて、ほんとに良かった。最後にひとつだけ、いい思い出ができました」彼女はまた涙をこぼしながら笑顔を見せ、小さく、ゆっくりと息を吐いた。

「ねえ？　これ、食べちゃいましょう？　きちんとデザートまで食べて、それからもう一回今のことばを言いましょう？」ぼくはまるで、これからの予定を決めるときのような弾んだ声で彼女に言った。

「……はい。まだ、途中ですもんね」

「そうそう。まだ、途中だもの。まだね、まだ終わってないから」

　時おり涙を拭いながら、それでも彼女はしっかりとフォークを動かして料理を口に運んだ。「……美味しい」と、何度か安堵のため息をつくように言った。

　彼女の笑顔を確かめてから、ぼくは秘密の作戦でも相談するかのように、小さな声でひそひそと彼女に言った。

「ところで、パパイヤって好き？　ここのデザート、ぎゅっとライムを搾ったパパイヤが出てくるんです」

「美味しそう。パパイヤって好きなんです。美味しいですよね？」

「しかもね、きちんとバナナの葉で編んだ器に入って出てくる。ちょっと素敵なんです」

「すごく楽しみ。早くこれ食べちゃわないと」

「はい、決まり！　あのですね、実はフルーツ全般ニガテなんですよ。だから、ぼくの分のパパイヤも食べてください」

「え？」

「あげます、全部」

「え？」

　笑いながら、ぼくはもう一度確かめるように彼女に言った。「ぜんぶ食べ終わってから、もう一回さっきのことばを聞かせてくださいね」

　彼女は本当に楽しそうに笑った。思わず片手を口にあて、にっこりと細めた両方の瞳は、ほとんど閉じてしまいそうなほどだった。

「ひとつだけ、いい思い出ができました。そして私は、二人分のパパイヤをぺろりと食べました」

　彼女に代わって、そうゆっくりと声に出した。彼女は大きく頷くと、満面の笑みを浮かべてぼくに訊いた。

「でも、どうしてパパイヤ嫌いなんですか？」

[1] http://www.transiency.com/images/83pl.jpg]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>空色のかなしみ／ウブド(5)</title>
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		<pubDate>Fri, 19 Sep 2003 03:44:17 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　５日前まで泊まっていた「Weni&#8217;s Bungalow」に再度チェックインして、すでに２日が過ぎていた。
　長旅の疲れが出ていたのか、ギリ・メノから戻って以来ほとんど何もしていなかった。...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　５日前まで泊まっていた「Weni's Bungalow」に再度チェックインして、すでに２日が過ぎていた。

　長旅の疲れが出ていたのか、ギリ・メノから戻って以来ほとんど何もしていなかった。朝10時頃にベッドを這い出し、ぐずぐずと宿の朝食を胃に収め、ラタンの長椅子に寝転んでは天井ばかりを見て過ごした。

　時おり、近くのネットカフェに足を運んでメールをチェックした。メールでは伝えられない思いがあると、絵はがきを買って宿のテーブルで書いた。夕暮れ時の町へ出て舗道の片隅にしゃがみ、空を眺め、浮かんでは消える思いに心をゆだねた。

　いつしか頭の中に時計の文字盤が浮かんだ。カチカチと秒針がひとつ動くたびに、過去と呼ばれる何かが心に積み上げられていく。そんな虚しいイメージを、ただ、どうすることもできずにいた。

　2002年10月のテロ以来、バリ島はどこも観光客の数がすっかり減ってしまっていた。実際に確かめたわけではなかったが、そんな話をたびたび耳にしていた。バリニーズからも、旅行者の口からも。

　死者200名以上の惨事となったあの事件は、まだ多くの痛みをこの島に残していた。記憶だけではない。肌を刺す現実の痛みとして。

　彼らの仕掛けた爆弾は、同時に、観光収入で成り立つこの島の生活基盤をも奪い去っていた。通りで見かけたバリニーズの青年のＴシャツには、こんな文字がプリントされていた。

「Don't be permitted the Terrorists win. Please support our BALI.（テロリストたちを断じて許すな。我々のバリを支えてくれないか。）」

　これが今、ぼくの目の前にあるバリだ。神々の島、南洋の楽園、バリ。

　ウブドの町でも物乞いの姿をよく見かけた。多くは子連れで、中には乳飲み子を抱えたまま立ち尽くす若い母親の姿もあった。子供たちはみな煤けたボロをまとっていた。ふわふわなはずの髪は汗と油でべっとりと絡み合い、無邪気に差し出される小さな手のひらはどれも切ないほどに泥まみれだった。

　彼らと出会うたびに、ぼくは言葉を失くす。道端にしゃがみ、ただ宙を彷徨うだけの小さな瞳にいったい何ができるだろう。そのまなざしを受け止めること以外に、ぼくには何もできない。

　楽園なんてどこにもない。あるのは、いつも現実だけだ。そしてそれは、スイッチを切れば消えてしまうようなものではなかった。

　旅が終わろうとしている。あと10日もせずにこの島を離れる。もう、どこにも行かない。どこにも留まらない。さよならはこの町で言う。

　誰のためではなく、自分自身のために。]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>落日の火照り 後編／ギリ・メノ(5)</title>
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		<pubDate>Sun, 14 Sep 2003 10:39:10 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[「俺の友達が、お前に何かしたのか？」
　ヨノは向かいの椅子に腰をおろし、もう一度確かめるように言った。小柄で華奢な青年ではあったが、その瞳にはどこか冷えた輝きがあった。
「たいしたことじゃない。ただ、...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[「俺の友達が、お前に何かしたのか？」

　ヨノは向かいの椅子に腰をおろし、もう一度確かめるように言った。小柄で華奢な青年ではあったが、その瞳にはどこか冷えた輝きがあった。

「たいしたことじゃない。ただ、ありがとうが聞きたかっただけだ」

　テーブルに置いたままのタバコをつまみあげ、ぼくはそっとフィルターをくわえた。触れた舌先にサッカリンの甘みが広がる。ため息がこぼれるのを隠したくて、すぐにマッチに手を伸ばした。ヨノが、不意にぼくの手を制す。視線をあげると、そこにはきつく唇を噛みしめるヨノの姿があった。

「この島に来るのは初めてなのか？」

　そう問いかける彼の声には奇妙な翳りが混ざっていた。理由は分からない。仲裁に入ったはずの彼の心の中には、今、別の何かが大きく渦巻いていた。

「２回目なんだ。最初は1997年の夏。初めての海外だった」

「俺たちが来る前のギリ・メノを知ってるのか。もっと、何もかも静かだっただろ？」

　搾り出すようにつぶやくと、彼はおもむろにマッチを手に取り、ぼくのために火を点けてくれた。何ひとつことばはなかったが、その仕草だけでもう充分な気がした。お互いの手のひらで炎を包むようにしてタバコに火を点けた。甘く香るクローブの煙が宙に浮かんだ。

　ヨノは、それから、ぽつりぽつりと自分のことを語り始めた。「以前は自分も同じ人間だったんだ。旅行者がみんな金に見えた。どうやって物をたかろうか、どうやって騙して金を巻き上げようか、そんなことばかり考えていたんだ」

　もしかしたらそれは、ある人にとっては「よくある話」で片付けられる程度の内容だったかもしれない。世界にはもっと不幸な人がいるし、もっとつらい立場の人だっているのだから、と。

　けれど、こうして目の前で語られるヨノの生い立ちに、ふと、何かが凍りついた。鋭角な氷が、心の深いところで透明な音を立てて砕けていった。

　彼の静かな語り口は、泣き叫ぶよりも、もっと悲痛なものだった。

　＊

　父親を事故で亡くし、立て続けに母を病気で亡くしたとき、ヨノはまだ14歳だった。「工事現場で足場が崩れて転落したんだ。父親は鉄骨で串刺しになってしまった。でも、本当につらいのは母親の方だった。父親が死んで、少しずつ狂ってしまった。何度も何度もナイフで自分の身体を切りつけてしまうんだ。つらかったよ。どうすることもできなかった」

　親類の助けを借りてどうにか中学校は卒業したものの、彼はすぐに働きに出ねばならなかった。せめて３つ下の妹の学費だけは稼がなければと、進学をあきらめた15歳の少年は心に誓ったという。

　はじめはバリ島の縫製工場で働いた。休みなしで朝８時から夜10時まで、少しの休憩を除いて働きづめだった。それで月給はわずか20万ルピア（約2,800円）だった。

　９ヶ月間それでも仕事を続けた。妹への仕送りを捻出するために彼に出来たのは、食事の回数を減らすことだった。育ち盛りの15歳は、そのころ２日で僅か１食しか物を口にすることができなかった。

　仕事場で倒れてしまったことが原因で、彼は工場を辞めざるをえなくなった。役に立たない、というのが解雇の理由だった。食べるものもなく、路上でうずくまるようにしてそれからの何日かを過ごした。

　もはや自力では立ち上がれなくなっていた時、文字通り彼を拾ってくれたのが、バリ島のクタ・ビーチで土産物を売りつける元締めの男だった。男のもとで何日かを過ごし、やがて、言われるままに、脅し文句としつこさを武器に法外な値段で土産物を売りつけることを覚えた。冷徹に拒絶を示した旅行者を、ナイフで切りつけさえもした。その日その日を、そうやって生きつないでいた。

「間違ってたんだ。本当にひどかった。でも、そうするしかなかった。本当はいくら土産物を売ったって、金にはならないんだ。ぜんぶ元締めの男に持ってかれてしまう。だから旅行者を襲ったんだ。日本人も何人か切った。あとは金を持ってそうな年寄りとか。何ひとつ相手はに落ち度がなくても、難癖つけて脅すんだ。そうやって金を奪えば元締めに渡さなくて済む。ぜんぶ、妹に送金できるんだ」

　けれど、それも長くは続かなかった。タバコを覚え、酒を覚え、挙句に彼は、マリファナに溺れていった。何度か、バッドに効いたマリファナで生死の境をさまよったことさえあったという。

　旅行者から奪った金を手に、次に彼が目指したのは首都ジャカルタだった。どうにか精密機械の下請工場に働き口を見つけたが、そこで待っていたのは目を覆うような差別だった。ロンボク島出身というだけで、何かにつけて冷遇された。賃金も驚くほど低くされ、押し付けられる仕事の量は他の従業員の倍だった。だれひとり親しく言葉を交わせる相手も見つけられないまま、物価の高いジャカルタで生き抜いていくには、18歳の少年には荷が重すぎた。

「ねえ」と、ヨノが思い出したかのように言葉を挟む。「見せたいものがあるんだ。もしよかったら、これから一緒に行かないか？　とっておきの場所なんだ」

　言われるまま、ぼくは自然に立ち上がっていた。いつのまにか、この青年のことを信じてもいいと思っていた。淡々と語る彼のその声に、なにか大切なものを見たような気がしたからだ。ぼくは無意識にこう答えていた。

「行くよ、もちろん」

　ヨノは初めて、ホッとしたような笑みを浮かべた。「悪いんだけど、もうちょっと話につきあってくれるか？　いや、話したいんだ。誰かに聞いてもらいたいって、ずっと思ってたんだ。おかしいな、なんでお前なんだろ？」

　ぼくは何も言わずに、右腕でヨノの肩をがっしりと抱いた。そして、ポンポンと小さくその肩を叩いて歩き出した。気にしなくていい。こんなぼくでいいのなら、何だって話してくれて構わない。

　西側の海岸へと続く砂の道を並んで歩いた。「案内できるようなものがこの島には何もない」。そう笑いながらも、彼は島の中ほどにある塩湖へ立ち寄ってくれた。並んで歩く足取りが、どこか軽くなっていく気がした。それは、ヨノにしても同じだったのかもしれない。

 [1]

　ジャカルタでの苦しい生活の中、妹の仕送りから残るわずかな金を必死に貯めて、彼はどうにかロンボク島へと戻ることができた。島を離れて３年後のことだった。

　彼の頭の中にあったのは、変わらず金を稼ぐことだけだった。どんなことをしてでも妹を高校へ行かせたい。そればかりを考えていた。そんな彼の願いの向かった先は、奇しくもロンボク・マフィアの一員になることだった。

　そう、彼はついこの間まで、あのバンサルの港で旅行者を脅すマフィアの一人だったのだ。

　旅行者を脅し、嘘の情報を教え、無理やりに支払わせた代金のコミッションで金を作った。アグレッシブだった、と彼は言った。「ただそこにいるだけで金を持った旅行者たちが次々に来るんだ。みんな金に見えた。あとは、毎日やることは同じ。脅して、金を巻き上げる。それだけだ」

　やがて、彼はもう一度マリファナに手を染めてしまう。吸う方ではなく、今度は売る方として。「いちばんよく買ってくれたのは日本人だった。誰ひとり値切りもしなかった。声をかけるとみんな嬉しそうに笑うんだ。男も女も、みんなマリファナが好きだったよ」

　２年ほど前のある日、彼は売人として現物を所持しているところを踏み込まれ、そのまま刑務所に収監された。絶望だった、と彼は言った。こめかみには、警官に蹴り上げられた深い傷跡が今も残っていた。

　それでも、刑務所にいる２年のあいだ、売人として稼いだ金で妹はなんとか高校を続けられていた。妹から届く手紙だけが希望だったと、ヨノははにかみながら笑う。出所を機に彼はすべてから足を洗った。できることなら、生まれ変わりたいとさえ。

　バンサルの港を離れてギリ・メノにたどり着き、ゲストハウスのスタッフとして、また、この小さな食堂のスタッフとして働きはじめた。それが今のヨノだ。

　シュノーケリングのガイドも始め、空いた時間で貝殻のアクセサリーを作っては売り、細々と生計を立てた。もちろん金は足りなかった。日に１度食事が取れればいい方だった。

　それでも、もうヨノは旅行者にたかり、金を脅し、何かをせびることをやめた。ヨノは言う。「君たちは休暇を楽しむために来ている。金をばらまくために来てるんじゃない。君たちは、この島全員にとって、大切なゲストなんだ」と。

　ヨノは今年で21歳だった。妹は18歳になり、まもなく高校を卒業するという。彼は誇らしげに笑う。「俺の家族は、もう妹だけなんだ。でもな、聞いてくれよ。あいつは俺と違って頭がいい。きっと、ちゃんとした仕事が見つかると思う。実は妹に言われてるんだ。卒業したら帰ってきてって。ふたりで一緒に暮らそうって」

　Everyday I try to change. I want to be a good person.

　ヨノの口癖だった。いい人間になりたい。前の自分には、もう二度と戻りたくない。

 [2]

　案内された先は、はるかバリ島を見渡せるギリ・メノの西海岸だった。

　目に付いた小さなカフェに席を取って、ふたりとも何も言わずに空を眺めた。オレンジ色に崩れていく夕陽が、打ち寄せる波の上を走り、すぐ目の前でキラキラと輝いていた。「とっておきの場所なんだ」と言ったヨノのことばを思った。この景色を彼はぼくに見せたかったのだ。そう思うと、熱いものがこみあげてきた。

　けれどもう、ぼくは何も言わなかった。バリ島の名峰アグン山の向こうに、おしまいの光が沈もうとしている。21歳のヨノ。これもまたひとつの現実だった。美しい珊瑚礁に囲まれたこの島に生きる一人の青年の姿だった。

　ぼくは、心の中で小さくこうつぶやいていた。

　ありがとう。

[1] http://www.transiency.com/images/81pl.jpg
[2] http://www.transiency.com/images/82pl.jpg]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>落日の火照り 前編／ギリ・メノ(4)</title>
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		<pubDate>Sun, 14 Sep 2003 07:50:09 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　一足先にバリ島へ戻る友人と、ビーチ沿いの小さなカフェで最後の食事をした。照りつける陽射しの中で熱々の自家製ピザを頬張り、よく冷えたビンタン・ビールをごくごくと飲んだ。
　ビールで旅を始め、ビールで旅...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　一足先にバリ島へ戻る友人と、ビーチ沿いの小さなカフェで最後の食事をした。照りつける陽射しの中で熱々の自家製ピザを頬張り、よく冷えたビンタン・ビールをごくごくと飲んだ。

　ビールで旅を始め、ビールで旅を締めくくる。

　我々にとって、その液体はもはやアルコール以上の何かだった。乾杯、と声に出してジョッキをぶつけると、自然に頬がゆるむ。そして、ビールを飲むこと自体が、ひとつの会話になる。乾杯って魔法の言葉みたいだと、心の中で思う。そう声を発するとき、誰だって等しく笑顔になれるのだから。

 [1]

　ヨノという名の青年と出会ったのは、そんな日の昼過ぎのことだった。

　太陽の光が柔らかく降りそそぐ浜辺を、ぼくはサンダルを手に裸足になって歩いていた。砕けた珊瑚で白く光る砂に、そっと足先をうずめ、ときおり小さな貝殻を拾ってはポケットにしまった。波の音以外に、何ひとつ鼓膜をふるわすものはなかった。浜辺にも海にも人の姿はなく、今、ぼくと世界だけがひっそりと息をしている。

　島へ渡る前に買った紙巻タバコのペーパーが底をついていたのを思い出し、少しだけ歩幅をゆるめた。あわよくばどこかで買えないものかと、そんなことを思いながら。

　なだらかにカーブを描く海岸線の先に、小さなあばら家が見えた。ひとまず、そこまで。そんなふうに目標を決めてしまうと、また砂浜に視線を落として珊瑚のかけらや貝殻を探した。終わりのない夏を、ひとつひとつ拾い集めるように。

　建物は小ぢんまりとした食堂になっていた。温かいジンジャーティーを飲みながら、ぼんやりと海の姿を眺めた。店は、まだ二十歳そこそこの青年がふたりで切り盛りしていた。

「ねえ、タバコ吸う？　吸うんだったら買ってくれないかな？」

　ひとりの青年が陽気にぼくに声をかけてくれた。ぼくも笑いながらことばを返す。「紙巻タバコのペーパーなんてあるかな？」「悪いね、ここにはないよ。だいいち、紙がない」。青年はまた、屈託のない笑顔で返す。

　言われるまま、フィルターの甘いインドネシア煙草「Surya」を一箱買った。日本ではガラムという名で知られているが、インドネシアではスーリヤと呼ばれることが多かった。きっと、サンスクリット語の「太陽」から来ているのだろう。

 [2]

　代金を払い、テーブルに戻って封を切った。クローブの甘い薫りが鼻をつく。一本をくわえ、持っていたマッチで火を点けようとしたところで、青年はあっけらかんとした声で言った。「俺にもくれよ。さっきからタバコ吸いたかったんだ」

　青年は買ったばかりのぼくの煙草へ当然のごとく手を伸ばすと、たちまち一本を耳に差し、更に一本を抜き取って口にくわえた。「なあ、火だよ。早く点けてくれよ」

　ある意味でそれは、インドネシアではよくある光景だった。これまでも何度となく同じような場面に遭遇していたし、そのたびに気持ちの熱が下がる空虚さも味わっていた。ぼくはため息を押し殺してマッチを擦り、彼のタバコを点けてやった。青年はありがとうも何も言わず、ただうまそうに煙を吐き出してさっさとその場を離れていった。

「なあ、ちょっと待てよ」ぼくは彼の背中に向かって、なるべく穏やかに声をかけた。「こういう時は、やっぱりありがとうって言うんもんじゃないか？　なんだか、ちょっと寂しかったな」

　けれど、そう声に出しながら、同時に彼が返してくるだろうことばがすっかり予想できていた。「だって俺たち、友達だろ？」と。それは、こう問いかけるたびに彼らが決まって返してくることばだった。

「気にすんなよ、だって友達じゃないか。それにお前は金持ちだろ？　俺は違う。金のあるお前がタバコを買って、それを俺がもらっただけだ。おかしくないだろ？」

　なんてむちゃくちゃな理屈なのかと、ため息まじりに思う。いったい、それのどこが友達だと言うのだろう。

　もちろん、ここは彼らの国であってぼくの国ではなかった。ここにあるのは彼らの暮らしであって、ぼくの暮らしではなかった。そんな明白な事実に、ふと、やりきれない思いを感じる。まるで、あとからやってくる灼けた肌の火照りのように。

「でも、そうは思えないんだよ。悪いけど」

　ぼくはまた、ゆっくりと彼にことばをかける。「ぼくの友達はみんなありがとうって言える。それが、人として最低限のルールなんだ。友達だからって、そのルールを無視しちゃいけない。なあ、そうは思わないか？」

「言ってる意味がよく分かんないんだけど。じゃ、何？　俺が今ありがとうって言えばそれでいいのか？　だったら何回でも言ってやるぜ。ありがとな、ありがとさん」

「そうじゃないんだよ。ただ言えばいいってことじゃない。頼むよ、分かるだろ？　ぼくが言ってるのは気持ちの方なんだ。ことばじゃなくて、心の方なんだ」

「なあ、いいか。おまえは金持ちなんだろ？　現にこうしてインドネシアに来てるじゃないか。飛行機に乗る金だって持ってる。俺には無理だね。飛行機なんて一生乗れっこない。日本になんて行けるわけないんだよ。貧乏な俺がお前からタバコをもらって何がいけないって言うんだ？」

「それ、本気で言ってるのか？」

「だから、ありがとうって言ってほしけりゃ何回だって言ってやるさ。俺には金がないんだ。少しぐらいもらったっていいじゃないか。なんでそんなことで文句言われなきゃならない？　それこそ意味が分からないぜ」

　その時、ぼくらのやりとりを聞いていたもう一人の青年が、ゆっくりと近づいてテーブルの向かいに静かに腰をおろした。「俺の友達が、お前に何かしたのか？」

　そんなふうにして、ヨノは静かに語り始めたのだ。

[1] http://www.transiency.com/images/76pl.jpg
[2] http://www.transiency.com/images/80pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>あの先に／ギリ・メノ(3)</title>
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		<pubDate>Sat, 13 Sep 2003 07:24:34 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　美しいという言葉では言い足りない。悲しい、という言葉なのかもしれない。
　霧雨から一夜明けたギリ・メノは、天いっぱいに魚鱗を撒き散らしたかのような眩い光の中にあった。まぶたをきつく閉じていても太陽の...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　美しいという言葉では言い足りない。悲しい、という言葉なのかもしれない。

　霧雨から一夜明けたギリ・メノは、天いっぱいに魚鱗を撒き散らしたかのような眩い光の中にあった。まぶたをきつく閉じていても太陽の輪郭がくっきりと分かる。こんな経験は、後にも先にもこれがはじめてだった。

 [1]

　サングラスやら読みかけの小説やらをかばんに詰め込み、迷わず海へと駆け出した。荷物も脱いだＴシャツも砂浜に放り投げて、波打ち際から滑り込むように光の雫の中へ。

　つかのま、ぼくは青く透き通った宝石の中に閉じ込められてしまう。柔らかな水が抱きすくめるように全身を包み、海のささやきがくぐもった声となって両耳を塞ぐ。

　ほんのひとかきかふたかきで、すぐに生きた珊瑚たちの広がりに出会うことができた。あまりにも美しい光と影のバランスで、珊瑚たちはまるで駆け寄るわが子を抱きとめるように、両手をいっぱいに広げている。

　ブクブクと息を吐き出しながら、できるだけゆっくりとそのふところへ泳いでいく。

　白砂と岩と珊瑚から成る色鮮やかな海底は、あたかも俯瞰した大地のように果てしない。まるで空と大地と海の、その海の中に、もうひとつ空と大地があるようだ。ぼくはその空を渡る一羽の鳥になる。水を蹴り、波をかわし、岩肌を滑るように水の中の風を切る。

　珊瑚のすぐそばで、あるいは岩と岩との隙間で、ぼくは容易に小さな熱帯魚たちの営みを目にする。黄色く丸い魚がいて、瑠璃色に光る魚がいて、メダカほどの大きさの青い輝きが、目の前でパッと弾けていく。

 [2]

　水中メガネだけの素潜りに続いて、ボートを一艘チャーターしてシュノーケリングにも出かけた。友人もまた、今頃どこかもっと深い場所でこの水の空を飛んでいるだろう。ダイビングのライセンスを持つ彼は、午前と午後、それぞれ１本ずつダイブを入れていた。

　昼過ぎに声を交わしたとき、友人はその海のあまりの美しさに、かえって言葉が少なくなっていた。静かな興奮が、遠くから響く鐘の音のように、そっと潮風を伝っていった。それは、こちらにも共鳴してしまうほど確かな響きだった。

　たった一人を乗せたアウトリガーは、それでも時間をかけてたっぷりとシュノーケリングポイントを回った。テーブル珊瑚たちの集う場所や、餌付けのポイント、そして海亀に出会える沖へ。最初は耳抜きに少しばかり手間取ったが、慣れてしまえばシュノーケリングも快適なものだった。

　鼻をつまみ、息を吐き出しながら水深４～５ｍのところまで一気に降りてゆく。水圧が徐々に肺にかかり、鼓膜に響く音の違いが明確になる。そしてまた、新たな浮遊感が全身を包む。充分に太陽の光の届く水底を、フィンの推進力を借りてなぞるように進んでいく。

　海の中のあまりの色鮮やかさに、何度となくことばを失くす。それは起源やら進化やらといった大仰なくくりで捉えた世界観ではなくて、もっとシンプルに、この瞬間ぼくも魚たちも同時に生きている事実への深い感動だった。

　生きている、ということ。

　その喜びを、ぼくは羊水にくるまれた胎児のように全身で味わっていた。一体この安らぎは何なのだろう。どこからか海の深くで響くざわめきが、まるで自分の心臓の鼓動のように胸を打った。

　全身の力を抜いて、自らの浮力に任せて空へと戻った。差し込む太陽の陽射しが喝采のように水中を跳ね回っている。そして、どこからかそんな自分を眺めているもうひとりの自分に気がつく。まるで、新たな誕生をそっと見守るかのように。

　あの先に光がある。はかなく散る一瞬のきらめき、そのものの姿で。

[1] http://www.transiency.com/images/78pl.jpg
[2] http://www.transiency.com/images/79pl.jpg]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>潮騒ギター／ギリ・メノ(2)</title>
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		<pubDate>Fri, 12 Sep 2003 07:15:51 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　４時半のパブリック・ボートまで待つつもりだったが、結局、他の旅行者たちと話し合い、総勢５人でボートをチャーターすることに決めた。マフィアたちに囲まれている状況が不快だったし、何より精神衛生上よろしく...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　４時半のパブリック・ボートまで待つつもりだったが、結局、他の旅行者たちと話し合い、総勢５人でボートをチャーターすることに決めた。マフィアたちに囲まれている状況が不快だったし、何より精神衛生上よろしくない。我々はガマン大会に来たわけではなかった。さっさと島へ渡ってしまおうと、そう結論を出した。

　ボートをシェアしたのはオーストラリアからの旅行者だった。男性ひとり、女性ふたりという構成で旅をしていた。恋人同士で旅に出ている旅行者には何度も出会っていたが、こういう取り合わせはあまり見かけたことがなかった。きっと仲の良い友人同士なのだろう。

　羨ましいな、と正直に思った。こんなふうに性差を飛び越えられたら、どんなに素敵だろう。もしかしたら、もっと多くの大切なものに気付けるかもしれない。

　一人Rp.15.000（約220円）でチャーターしたボートは、降りしきる雨の中を進んだ。それでもいったん海へ出てしまうと、我々５人の顔には安堵の表情が浮かんだ。出し抜けに、友人がバックパックからウィスキーを取り出して笑う。

「……じゃ、さっそく！」「だね、飲まなきゃね」

　もう何度も思ったことではあったが、ぼくは友人のこういう心持ちが好きだった。タイ航空の機内で出される小さなグラスまで取り出し、我々は交互にウィスキーをあおった。そんなふたりの飲兵衛に、船上は呆れた笑いに包まれる。

　ボートは両脇に竹の浮きが取り付けてあるものだった。エンジンには「YAMAHA」と書かれている。どうだか、とやっぱりぼくは思う。またどうせ「ヤムマハ」か何かにちがいない。

　アウトリガーと呼ばれるこの種の船体は、インドネシア発祥なのだと聞いた。彼らの祖先は、両側に竹を取り付けた小船で、はるかマダガスカルまでたどり着いたという。

　けれど今、21世紀初頭の我々はそんな「いわれ」に思いを馳せる余裕もなく、木の葉のように揺られながらギリ・メノを目指していた。

　うねる波が驚くほど近くに迫り、時おり目線と海面が水平になったりもする。怖いかと訊かれれば、確かに怖い。泳ぐのは無理だ、とやけになって思う。ウィスキーをあおりながら、そんな大海の流れに身を任せた。

　雨脚がさっきよりも強くなった。島の姿は近くに見えてはいたが、まだ着岸するまでには至らなかった。船頭の呼びかけで、後部に陣取っていた彼らは船首の方向へと移りはじめた。

　バケツリレーのように荷物が船首へ運ばれていく。友人とぼくとで、その仲立ちをする。最初にアングースという名の青年が移動し、続けてキャロライン、最後にジュリエット。

　ウィスキーを飲んだことで気が大きくなっていたのか、荷物を青年に手渡したその手で、今度は彼女たちの手を取った。冗談めかして、「あなたもどうぞ」と。不安定なボートの上でふらつきながら、彼女たちは大きな笑みを浮かべながらぼくの右手をぎゅっと握り締めた。また、船上が笑いに包まれる。

　すっかり移動が終わったあとで、友人がぽつりとぼくにつぶやく。「やらしいな、まったく」と。そのことばの裏にあるかすかな嫉妬に気付いて、思わず笑いが込み上げてくる。「柔らかな手だったよ、ふたりとも」と、ぼくはわざとそう答えたりする。

　ひとまず宿を決めて荷物を降ろした。

　雨はまだ、かすかに降り続いている。当初の予定通りにはいかなかったが、無事に島へ渡れたことへの安心感が心を埋め尽くした。友人は、さっそく明日のダイビングの予約を入れに出かけた。軽やかな足取りの彼の背中を見送りながら、ぼくはコテージのデッキチェアに横になって日記の続きを書きとめたりした。

　ビーチ沿いのレストランに出かけて祝杯をあげた。嬉しいことに、ビールは凍えるほどよく冷やされていた。魚のグリルを頼み、シーフードのカレーを分け合い、テンペのフライをつまんでは、グラスをぶつけて笑いあった。うまい、とお互いに何度も声に出して言った。夕闇に沈んだ海から、おだやかな潮のざわめきが聴こえてくる。夜風が、ビールで火照った肌に心地よい。

「大丈夫だよ、明日はきっと晴れる」そう、ぼくはぽつりと友人につぶやく。

「なんで？」

「前もそうだった。啓がいるから、明日は晴れる」

「乾杯！」

　我々はまた、グラスをぶつけてビールを喉に落とす。これ以上、いったい何を望めばいいのだろう。

　宿に戻ってからもビールを飲んだ。帰り際に立ち寄った商店でよく冷えたのを４本買い、キャッサバ・チップスの小袋をひとつ。コテージのベランダにぺたりと腰を下ろして、終わりのない笑い話に興じた。

 [1]

　ギターを手に、小さな声で歌った。あいにく彼のリクエストに応えることは出来なかったが、それでも思いつく限りの歌を順番に。

　「似合うなあ、旅って感じやん」

　友人は笑いながら、またビールに手を伸ばす。ぼくも曲の合間にビールやウィスキーを口に含んで喉を潤す。

　本当に、旅って感じやんと思う。いや、もっと素朴で、もっときらきらしているかもしれない。そう、夏休みみたいだ。時間はたっぷりある。そして、我々には期限のついた宿題なんて何ひとつないのだ。

　大丈夫だよ、きっと明日は晴れる。もう一度、ぼくは心の中でそうつぶやく。啓がいるから、明日は晴れる、と。

　夜風が、椰子の葉擦れを誘って通り過ぎていった。夜の静けさが、一層その濃さを増していく。背中から波の音が聴こえる。永遠みたいに、甘く、確かな手触りで。

　ぼくはふたたび目を閉じて、指先で弾くようにしてギターの弦を鳴らす。

[1] http://www.transiency.com/images/75pl.jpg]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>マフィアと宝石／ギリ・メノ(1)</title>
		<link>http://www.transiency.com/76</link>
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		<pubDate>Fri, 12 Sep 2003 03:52:23 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　ロンボク島、ギリ・メノ。珊瑚礁の中に浮かぶ外周わずか２kmほどの島。我々は今日、ウブドからこの島を目指す。
　島嶼国家インドネシアには、実に１万３千余もの島があると聞く。東西幅はアメリカ大陸に匹敵し...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　ロンボク島、ギリ・メノ。珊瑚礁の中に浮かぶ外周わずか２kmほどの島。我々は今日、ウブドからこの島を目指す。

　島嶼国家インドネシアには、実に１万３千余もの島があると聞く。東西幅はアメリカ大陸に匹敵し、気候区も熱帯雨林気候、サバナ気候、温暖湿潤気候と様々だ。そして、このバリ島の東に暮らす人々は、ジャワともスマトラともルーツを異にする民族だという。ササッ人。自らをそう呼ぶ彼らは、ぼくらと同じ蒙古斑を持つモンゴロイド系だ。

　朝７時、バリ島ウブドからギリ・メノへと向かった。空にはまだ昨夜の霧雨がかすかに残っていたが、それも徐々に収まりつつあった。東の空の低い部分に、控えめな晴れ間が顔を覗かせている。

　数日前、友人を見送った夜から天気が崩れ始め、それからずっと冷たい雨が続いていた。そして今、彼に合わせるように上空を覆った雨雲が東へ立ち去ろうとしていた。不思議なものだ。友人は快晴を持ち去り、快晴を届けてくれる。頼むよ、持ち帰らないでくれよと、ぼくは心の中でひそかに抗議をする。

　とはいえ、ツキは今こちら側にあるだろう。ギリ・メノへ着く頃には、目も眩むような陽射しが我々を迎えてくれるはずだ。

　ギリ・メノへ向かうには、まずロンボク島へ渡らなければならなかった。事前に教わったルートによれば、ウブドから港町パダンバイまではバス。続けて高速フェリーでロンボク島のレンバルまで、更にバスに乗りかえて島の北部バンサルの港を目指す。

　浜からは沖合いに浮かぶ３つの小島が見えるはずだ。西から順にギリ・トゥラワンガン、ギリ・メノ、ギリ・アイル。我々が向かうのは真ん中のギリ・メノ。珊瑚礁に囲まれた、とっておきの小さな島。

 [1]

　けれど、ことがそう簡単には運ばないのがインドネシアだった。高速フェリーのあまりの揺れにも閉口したが、問題はもっと人的なものだった。経験上、時間通りにすべてが流れるとは思っていなかったが、ウブドの旅行代理店で聞いた情報とのあまりの格差に、深いため息ばかりがこぼれた。

　高速フェリーならギリ・メノまで５時間。我々はそんなことばに惹かれてチケットを買ったはずだった。数日前、ロンボク海峡で同じフェリーが転覆して犠牲者まで出ていたが、それでも決意が揺らぐことはなかった。

　もう一度、胸に描いていたプランを思い出す。朝７時に出発したとして、多少の遅れはあっても午後の早い時間にはビーチで祝杯をあげられるだろう。美しい海と、よく冷えたビール。

　しかし、時計はすでに午後１時を回っていた。我々は沖に浮かぶ島々を見渡せるバンサルの港で、すっかり足止めを食っていた。

　そして、あろうことか、ここはロンボク・マフィアたちの巣窟だった。

　ウブドで発券されたジョイントチケットには、バンサル港からのパブリック・ボートの代金も含まれていた。けれど、ふたを開けてみれば、そんなことにはこれっぽっちもなっていなかった。確かにパブリック・ボートはある。午後４時半に１本だけ。そして、その便が１日に出る唯一のものだという。

　話が違う。誰だってそう思う。第一、そんな時間のパブリック・ボートに乗るために、わざわざ早起きをして高速フェリーに乗る人間なんているわけがない。あまりの理不尽さに腹が立った。そして、ぐるりと周りを取り囲み、乱暴に何度もテーブルを叩いては大声でわめきたてるマフィアたちに、感情が大きく渦を巻いた。

「どうしても島に渡りたいのなら、今すぐボートをチャーターしろ」

　彼らの言い分は、要するにそれだけのことだった。代金のバックマージンが彼らの資金になっていることは容易に想像できた。何も知らない旅行者たちを脅し、ボートをチャーターさせ、彼らは今日のメシにありつく。

　何度か、異議を唱えてみる。「おかしい、決定的に間違ってる、パブリック・ボートがないはずがないじゃないか」と。けれど、こうした話し合いをすること自体が無駄だった。何かひとつでもことばを発すると、彼らは力任せにテーブルを叩き、脅し文句を浴びせた。もう一度、ことばを返す。椅子が蹴られ、テーブルが大きな音を立てて跳ねあがる。どこまで行ってもその繰り返しだった。

　友人はもう、目を閉じて首を横に振るだけだった。そもそも相手にすらしていない。そうだ、分かっている。彼らの挑発に乗ってはいけない。けれど、反吐のような現実に対して、ぼくは感情を閉じ込めておくことができない。

「怒鳴るなよ、おかしいものはおかしいんだ。余計に金を払う理由なんてどこにもないじゃないか」

　そう、きっぱりと彼らに伝える。また、マフィアのひとりがテーブルを蹴り飛ばす。他の誰かがぼくに向かって脅迫めいたセリフを吐き捨てる。困ったことに、こういうときに限ってインドネシア語がすんなりと理解できてしまう。

「殺す？　そうかよ、だったら今すぐ殺してみろよ！」

　そう心の中でムキになって思う。まるで子供の喧嘩だ。けれど、そんな幼い自分が心の片隅で確かに顔を覗かせている。やめろ、とぼくの中の何かがブレーキを踏む。にもかかわらず、同時に「行け！」という無鉄砲な叫び声を、確かな手触りで感じ取ってしまう。

　大きく、息を吐いた。そして、ぎゅっと固く握り締めていた両方のこぶしを、ぼくはゆっくりとほどいていく。

　結局、我々は４時半まで待つという姿勢をとることに決めた。「ボートをチャーターする」という行為を受け入れるわけにはいかなかったからだ。ぼくはカメラを手に船着場を離れ、友人は友人で、散歩でもしてくるよとぽつりと言った。

　バンサルの寂れた浜をひとり歩いた。ささくれ立った感情は海に流してしまえと、誰かが耳元でそうつぶやく。上空にはまだ重く湿った鈍色の雲が垂れ込めている。カメラを構えてはみるが、撮りたいものがどこにも見当たらない。

　ふと、民家の軒先から甲高い子供の声で呼び止められた。振り向くと、彼女たちは恥ずかしそうに「ハロー」と笑いかけ、もじもじと身体を寄せ合ったりしている。きっと、本当にぼくが立ち止まるとは思ってもみなかったのだろう。「やあ」と笑顔で応じて歩き出すと、彼女たちは「わっ、本当に来ちゃう。どうしよう」といった表情を見せた。

 [2]

　「多様性の中の統一」というスローガンを掲げるインドネシアは、3000以上もの部族語を容認しながら、公用語としてのインドネシア語を学校で教えている。おそらく、彼女たちも普段はササッ語でおしゃべりをしているのだろう。

　だからなのか、向かいに腰掛けてインドネシア語で話をしてみると、彼女たちの使う単語の数に、ぼくも追いついてきているのが分かった。時折、言葉をさがす彼女たちに向かって、思わず単語を教えてしまったりもする。文脈の、次の流れの予測がつく。それは、これまでで初めての感覚だった。ぼくのインドネシア語が、またひとつ向上した証なのかもしれない。

　彼女たちの姿を写真に収め、その場でデジカメの小さなモニターに映してふたりに見せた。ふたりはそれを奪うように両手に抱えると、何度も覗き込んでは、照れの混じった声で無邪気に笑った。たまらなく可愛らしい。そして、荒れた気持ちがこんなにもあっさりほどけてしまう自分に気がつき、可笑しくなる。

　元気でね、もう行くねと、そんなことばをかけて立ち上がった。歩き出してからしばらくたっても、背後からはまだ彼女たちの笑い声が聴こえた。うしろを振り返ると、また彼女たちは「わっ」と叫び声をあげ、その場でぴょんぴょんと跳びはねながらはしゃいだ笑みをこぼした。小さな手で懸命に手をふる仕草に、ぼくも大きく手を振って応えた。

　心に、何かがまっすぐと突き刺さる。チクリ。それはかすかな痛みを伴って、まるで風船が弾けるみたいにぼくの中の何かを壊していく。

　小さく息を吐いて、少しだけ胸を張って帰りの道を歩いた。マフィアたちはまだ、きっとあの場所にいるのだろう。空にはまだ雨雲が垂れ込めている。さっさと島に渡りたい。でも、いつになったら渡れるのだろう。先が思いやられる。ギリ・メノは、本当に我々を歓迎してくれるのだろうか。

　でも、そんなことよりも。

　そう、ぼくは心でつぶやいてみる。そんなことよりも、彼女たちは本当にきれいな瞳をしていた。透き通るぐらいに、何もかも貫けるぐらいに。

　それでもう、充分じゃないか。

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[2] http://www.transiency.com/images/77pl.jpg]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>ヤツが来る！／ウブド(4)</title>
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		<pubDate>Wed, 10 Sep 2003 03:27:02 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　週末、まじでバリに再度行くかも。水曜中に結論出す。
　行くなら空港出迎え頼む。
　福太郎で食おう。
　＊
　そんなメールを受け取ったのは、友人がバンコクへ戻って３日後のことだった。水曜中に結論？　そ...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　週末、まじでバリに再度行くかも。水曜中に結論出す。
　行くなら空港出迎え頼む。
　福太郎で食おう。

　＊

　そんなメールを受け取ったのは、友人がバンコクへ戻って３日後のことだった。水曜中に結論？　そう思って、モニターの右下の時計表示にポインターを合わせてみる。水曜って、おい、今日じゃないか。こんなにも短いスパンでバリ島を再訪しようとする友人に、笑いが止まらなかった。

　お気楽な、それでもテンションの高いメールをいくつか交わし、出迎えの手はずを確認した。けれど、話題の中心はいつのまにか『福太郎』という名の日本料理屋になっていた。バリ島各地に展開し、政府観光局から「レストラン格付け」初の金賞を受賞したこともある店だ。

　日本料理屋だけに、ざる蕎麦やすき焼き鍋なども揃ってはいたが、我々のお目当ては寿司だった。バリ島の鮮やかなビーチに、新鮮な魚介。そして、きっちりと冷えたビール。行き交うメールには「海、ウニ、海、ウニ」という、うわごとのような文字が乱れていた。

　週末の午後、友人の到着にあわせて空港行きのシャトルバスに乗った。ウブドからは１時間半ほどだった。

　バスのシートに沈みながら坂口安吾の『白痴』を読み進めた。デカダンという、危うく美しい香りを感じながら。そしてふと、これから起こる出来事に思いをめぐらせて、可笑しさが込み上げてきた。バカ言っちゃいけないよ、デカダンよりもウニだ、ウニ、と。

　まだ陽の高い時分にングラ・ライ空港で落ち合った。数日前に別れたばかりだったが、その時よりも明確な意志が友人の眼差しには溢れていた。

　会話もそこそこに、彼の持参した「福太郎パンフレット」をめくってレギャン店へと電話を入れた。予約も何も入れてはいなかったが、意気込みだけは十分すぎるほどだった。応対に出たスタッフはたどたどしい日本語で、こう言葉を返す。「ダイジョブですが、いまクルマ出てますから時間かかります」。

　そんな返答に我々が出した結論はひとつだった。待てない、自力で行く。

　こういう種類の潔さが、ぼくらはお互いに好きだった。

　目に付いた空港タクシーに飛び乗り、はやる気持ちを抑えながら店へと向かった。新鮮な魚介と冷えたビールへの妄想は、タクシーの中で既にはちきれんばかりになっていた。我々の異様なほどの盛り上がりに、運転士も気を利かせてくれたのかもしれない。福太郎レギャン店へは15分ほどで着いた。ものすごい勢いで、タクシーは軽くスピンしながら店へ横付けした。

　日本の居酒屋にありそうな座敷に通され、満面の笑みを浮かべてメニューを開いた。「いらしゃませー」とおしぼりを届けに来たバリニーズの店員は、これまた居酒屋の店員のような作務衣姿だった。思いのほかよく似合っている。思わず、頬が緩む。

　写真つきで並ぶ料理の数々を見ているだけで、口中に唾がたまった。「落ち着け、落ち着け」と、ふたりで互いにことばを掛け合いながら、とりあえず魚、という点で一致を見た。

　手始めによりどりのにぎりを10貫に、船盛りのようなシーフードサラダ、伊勢海老がまるまる１尾入った味噌汁。

　そして、メニューの飲み物の欄に列記されたあの銘柄に、すべての意識が集中する。ごくり、と喉が鳴る。恋焦がれていたのだ。我々は申し合わせたように顔を見合わせ、店員に向かって威勢良く叫ぶ。

「ヱビスビール！」

　次から次へと運ばれる料理は、どれも新鮮でとろけるようだった。イカが、甘い。海老も甘い。にぎりのアジもコハダも、マグロもナマズも。

　そう、ナマズのにぎりがとりわけ大ヒットだった。

　アナゴの代用と言ってしまったら、心底ナマズに申し訳ない。さっと白蒸しにしたナマズに、甘辛く香ばしいタレがたっぷり。濃厚な味わいと、ほっくりととろけるナマズの白身。口の中で寿司飯と溶け合い、出てくるのは愉悦のため息ばかりだった。

　そして、ヱビスビールをごくり。止まらない。あまりの美味しさに、身悶えそうになる。

　大いに飲み、大いに食べた。あいにくウニの軍艦巻きは見当たらなかったが、我々にはナマズ寿司があった。笑みをこぼしながら更ににぎりを注文し、シーフードサラダを追加し、熱々のコロッケまで頼んだ。ビールを飲み干したあとは枡付きの冷酒をちびりちびりとやり、また、ナマズのにぎりにため息をこぼす。

 [1]

　長旅のおかげか胃が小さくなっていたぼくは、既に限界に達していた。しかし見るからに細身の友人は、それでもまだ食べ足りないようだった。いや、明らかに限界に達していただろう。けれど、目が食べたいと訴える。

　「みぶやん、コレいいな、コレ」

　差し出されたページには、見るからにこってりと煮込まれた「牛丼」の写真が載せられていた。

　店を出たときには、ふたりともあまりの満腹さにのけぞってしまうほどだった。午後のまっすぐな陽射しの下で、すっかりほろ酔いになった我々は、それでも食べたばかりのナマズ寿司にすでに追慕の念を表明していた。

　レギャン通りから更にタクシーを拾い、ウブドまで向かった。タクシーのわずかな振動が心地良かった。至福の時、というものはかくも簡単に訪れるものなのかと、ひとり悦に入った。隣りを見ると、友人はすでに深い眠りの中にあった。

　夕闇に沈むサッカー場の脇で降り、その足で旅行代理店へと向かった。明日の早朝に発つギリメノ行きのチケットを購入するためだ。もう、今日はこれで何ひとつすることがなくなった。夕食だって要らない。いや、もう既に明日の朝食の分まで食べてしまった。そんな気分だった。

　泊まっていた部屋は都合の良いことに２ベッドだった。既に、あと二日分払ってしまっていたが、その代金で友人を泊めることで話がまとまった。

　「朝ごはんはどうするの？」と宿のお母さんに訊かれたが、バスの時間が早朝ということもあって遠慮した。そんなことをしたら朝５時ぐらいから働かせてしまうことになる。それが彼女の仕事だから、というシビアな意見には耳を塞いだ。彼女を労わってあげたい気分でいっぱいだったからだ。

　バンコク土産のスコッチウィスキーをなめながら部屋の前でのんびりと過ごした。小さな音でギターを弾き、パラパラと本をめくり、風の音に耳を澄ませながら。

　ラタンの長椅子の上では、友人が気持ちよさそうに寝息を立てていた。いくら熱帯の島とはいえ、夜はいささか冷える。半袖で眠ったら間違いなく風邪を引いてしまうだろう。

「なあ、寒いよ、風邪ひくよ」

　しばらく経ったあとで、試しにそう呟いてみた。自分でも、あまり熱意というものが感じられない声だった。

　ぴくり、と友人は身体を震わせ、おもむろに両手で自分の身体を包み始める。「ははは、寒いんだ、寒いんだろ？」と、思わず声に出して笑ってしまう。やがて、彼は胎児のように身体をちぢこませ、長椅子の上で小さく震えはじめる。けれど、一向に目覚める気配はない。

　ふと、ばかげたことを思って可笑しくなる。「なるほどね、世の中には、ヤツのこういう部分を可愛いって感じる女性もいるんだろうな」と。

　もう一杯、ウィスキーをグラスに注いだ。なんだかな、最初に会ったときは大学生だったのにな。ぼくは手にしたグラスを、ウィスキーのボトルにコツンとぶつけた。乾杯。

　でもな、でも、そんなことよりも、やっぱりお前、風邪ひくぞ。

　片目でちらりと友人を見ながら、琥珀色の液体をひと息に喉へ落とす。熱い、と思う。今、ぼくの喉だけが、灼けるように熱い。

　友人は、まだ小さく震えている。

[1] http://www.transiency.com/images/73pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>からっぽ／ウブド(3)</title>
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		<pubDate>Tue, 09 Sep 2003 02:45:05 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　数枚のはがきをしたため、町を歩き、目に付いたネットカフェでメールのチェックをした。何通かのメールに返事を書き終えてしまうと、あとは頬杖をつきながらニュースサイトを開いて、ぼんやりと冷夏の日本を思い浮...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　数枚のはがきをしたため、町を歩き、目に付いたネットカフェでメールのチェックをした。何通かのメールに返事を書き終えてしまうと、あとは頬杖をつきながらニュースサイトを開いて、ぼんやりと冷夏の日本を思い浮かべたりした。

　歩いたり、文字を目で追ったりするのに疲れると、部屋に戻ってギターを弾いた。小さな音で、まるで自分自身に問い掛けるように。

　ことばが生まれる瞬間をじっと待ちながら、まるで立方体の岩からノミと金槌で彫像を取り出すように曲を書いた。旅に出て最初の１曲だった。

　今日は満月の夜だと聞いた。けれど、空は錆青磁色の雲に覆われ、薄い綿のような霧雨が音もなく降り続いていた。

　＊

「WENI'S Bungalow」というサッカー場に程近い宿で過ごして、もう３日目だった。宿に部屋は３棟しかなく、ぼくが泊まっていたのは、いちばん簡素な部屋だった。不潔、というわけでは決してない。むしろ、唖然としてしまうほど部屋には掃除が行き届いていた。

　宿のお母さんは通称「クリーン・クイーン」と呼ばれていた。キレイ好き女王。その思いは、泊まっている人間に対しても変わらなかった。何度かぼくも叱られた。サンダルを乱暴に脱ぎ捨てていたり、タバコの灰を落としたりして。

　もちろん部屋をきれいに使ってさえいれば何の問題もなかった。

　朝食のジャッフルやパンケーキはびっくりするほど美味しかったし、何より、相場の半額程度でホットシャワーを使うことができたのだ。

　連泊を条件にみっちり交渉をした成果だったが、それでも、ここまで大幅な値引きに応じてくれたのはこのお母さんだけだった。最初は大声でやりあい、やがて他の客人に知られないようにと、ふたりで部屋の影に隠れてこそこそと声をひそめた。

　提示した金額で落ち着いたとき、お母さんは「やれやれ」という顔をした。「まったく困ったもんだ」と。でも、その表情がなぜかとても愛らしく、思わず抱き寄せて頬にキスをしてしまった。思い切り腕をぶたれた。そんな仕草が、よけいに可愛いかった。

　＊

　向かいの部屋には、日本語の堪能なアメリカ人女性と、関西弁の堪能な日本人女性が一緒に泊まっていた。初めて顔を合わせたとき、関西弁の女性は笑いながら言った。「なんやおもろい兄ちゃん来たなあ。えっらい剣幕で交渉してはったけど、安うなったん？」と。

「ちょっとうるさかったですか？」

　ぼくは少しだけしょんぼりして答えた。「安くなったんですけど、でも、１週間ここ。それも決定」

　開いていた扉からひょいと顔をのぞかせ、続けて日本語の堪能なアメリカ人女性が言った。「よ、どもども、よろしくな！」その声はさっぱりと爽やかなものだった。

「そや、忘れてたわ、まいどまいど！」関西弁の彼女も陽気に手を挙げると、ガハハと笑った。

　ここ数日、ほとんど彼女たちと過ごしていた。何度も連れ立って食事に行き、買い物に行き、王宮横のステージへレゴンダンスを観に行ったりもした。よく笑い、よく食べ、よく飲んだ。

　関西弁の女性は何かとおすそ分けをくれた。スナック菓子からピーナツから、かぶりついたあとのパンまで。「食べな食べな」と彼女はいつも陽気に笑った。

「あのね、あんまり親切にされると懐くよ」

「えーよー、なら連れて帰るわ。タイラお持ち帰り」

「いや、持ち帰んないでよ」

「嫌か？」

「イヤだ」

「なら飴ちゃん返せ、今あげた飴ちゃん」

「ムリ。がりがり噛んじゃったもん」

「おもろないな、おばちゃんかまってや」

「まだおばちゃんじゃないでしょう」

「そか？　まだいけるか？」

「ある一部の層には、たまらないんじゃないでしょうか？」

「なぐるか」

「なぐるな。って、もうなぐってんじゃんか！」

　酒豪と呼ぶにふさわしいアメリカ人の女性とも、さしで朝５時まで飲んだりもした。テーブルの脇でごろりと寝転がりながら、「Tigar Stout」というインドネシアの黒ビールを数本ずつ空け、アラックのボトルをふたりで１本。

　彼女がすでに日本で16年ほど暮らしていることを聞いた。能登半島の先の「珠洲」という町だ。私の話す日本語は「珠洲弁」なんだと彼女は笑った。

　＊

　３棟のうちの最後の１棟には、日本人女性とバリの青年が暮らしていた。

　部屋に荷物を下ろして挨拶をしにいくと、彼女は満面の笑みを浮かべてこう言ってくれた。「くんとか、さんとか、そんなの要らないよね？　タイラって呼ぶから、よろしくね」。

　こんなふうに一瞬で何かを飛び越えてくれたことが嬉しかった。もう一度「よろしくね」と差し出された手のひらを、ぼくは慌てて握りかえした。なんてきれいな笑顔なんだろう。そう思った。

　＊

　金曜の夜、彼女と暮らしているバリの青年のライブがあり、モンキーフォレスト通りの「Putra Bar」という店まで出かけた。先に行ってるという彼女のもとへ、ぼくら３人も早めに食事を済ませて向かった。

　バンドは主にレゲエを演奏した。彼は、ボーカルの横で黒のストラトキャスターを弾いていた。時折、目が合うと照れくさそうに笑い返してくれる。バーカウンターでビンタンビールの小さなボトルを買い、片手に持ちながら、彼らの鳴らすビートに身体をゆだねた。

　彼らの演奏は、きっと、たぶん、必ずしも技巧的というわけではなかった。時折ベースが走るし、キーボードが他の楽器の音を消してしまうこともあった。

　でも、なぜだろう。ずっと温かかった。始まったころにはまばらだった客も、演奏が進むにつれて増えていった。音楽に合わせて、みな、思い思いのステップを踏んだ。フロアで身体を揺らしながら、何人かの旅行者ともことばを交わした。めちゃくちゃなステップで、それでも手をつないだり、おしりをぶつけられたりしながら。

　音楽がひと段落ついた頃には、身体中に不思議なほど爽快な汗をかいていた。連れ立ってやって来た彼女たちも、汗をかきながらステップを踏み、豪快に笑い、はしゃいでいた。目が合うと、互いに駆け寄ってボトルをガチャリとぶつけて笑顔になった。

　帰り道、３人でコンビニエンスストアに立ち寄り、またしてもアルコールをごっそり買った。「近道してくか」と提案した珠洲の女性に従い、ビニール袋を抱えながらサッカー場を横切った。細かな雨が降り始めていたが、力強いビートに高揚した身体には心地よかった。

　そして、三人揃ってしっかりとグランドのぬかるみにはまり、くるぶしから下を泥だらけにした。

「誰や、近道なんて言うたの」

「行こうって言っただろ」

「タイラ、お前か？　お前だろ」

「なんでぼくのせいなんだよ」

「かぶっとけ、かぶっとけ」

「なんで？」

「つべこべ言うな」

「言うよ、言うだろ普通」

　いつもの、そんな言い合いですら優しかった。

　＊

　今朝、昼前に彼女たちは宿を離れていった。これからクタビーチへ立ち寄り、あと数日のうちに帰国するという。部屋の前で、ぼくらは大きな荷物を抱えた彼女たちを見送った。

　不意に、関西弁の彼女にぎゅっとハグをされた。「楽しかったわ、ありがとな。ほな、タイラも気つけて」そう声を掛ける彼女の温もりに、改めて彼女の存在の大きさに気付いた。この数日の間に、いったいぼくは彼女からどれほどの温かみをもらったのだろう。

　珠洲の彼女とも握手を交わした。「じゃな、ありがとな」そうあっさりと声にはするものの、瞳にはかすかに光るものがあった。彼女の中に同居するナイーブで繊細なものに気づいて、ふと涙が零れ落ちそうになった。「元気でね」と言ったぼくのことばは、もううまく声にならなかった。

　彼女たちの去った部屋の前に残され、バリの青年と暮らす彼女と、声を揃えてこうつぶやいていた。「さびしいね、さびしいよ」

　それは取り出して目の前に差し出せるほどの寂しさだった。

　自分の部屋に戻り、ベッドに横になって目を閉じた。さまざまな場面が「Putra Bar」の照明のようにぐるぐると回った。思い思いにステップを踏み、身体をぶつけあい、笑いあった時間が。

　空っぽになった向かいの部屋から、ガタゴトと掃除をする音が聴こえた。でもそれは、ぼくの内側から響く音みたいだった。]]></content:encoded>
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		<title>そばにいるから／ウブド(2)</title>
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		<pubDate>Mon, 08 Sep 2003 19:55:01 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　重いリュックとギターを担ぎながら、２時間ほどウブドの町をさまよった。とにかく、今日の宿を決めなければと。
　頭ではそう分かっていたが、気持ちはずいぶん前に萎えてしまっていた。何ひとつ手につかない。歩...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　重いリュックとギターを担ぎながら、２時間ほどウブドの町をさまよった。とにかく、今日の宿を決めなければと。

　頭ではそう分かっていたが、気持ちはずいぶん前に萎えてしまっていた。何ひとつ手につかない。歩き回ることの意味さえ見失い、気がつくと、路肩に腰を下ろして膝を抱えていた。

　何度も、何度もかき消そうと思った。でも駄目だった。頭に浮かぶのは、どれもが７年前の景色ばかりだった。

　土煙の舞う小径も消えた。川のせせらぎも鳥達のさえずりも消え、足繁く通った小さな雑貨屋も消えた。世話になったツアーデスクは跡形もなく、Ｔシャツを買った店は更地になっていた。

　のどかだった舗道は無慈悲に拡張され、今は小洒落たカフェが立ち並ぶばかりだ。

　あの夏、ぼくは22歳だった。何も知らず、何をも恐れず、ただ若さだけを頼りに旅を続けていたのだ。

　たどたどしく、それでも小さな自負を持ってインドネシア語を操り、ほんの少しの金額をめぐって、やっきになって店員と渡り合ったりもした。生まれて初めて日々を記したのもあの旅だった。

　いくつかの後悔があり、いくつかの償いがあり、いくつかの別れも。

 [1]

　リュックを背負い直し、改めて小さなため息をついた。ずっと、ここでこうしてはいられない。とにかく、歩き出さなければ。

　歩き続けることで何かを振り切れればいい。たとえそれがどんなスピードであっても。

　行き当たりばったりにゲストハウスに飛び込み、値段を訊ねて回った。何軒かで同じ事を繰り返して相場を頭に入れてしまうと、あとは値引きの交渉にあたった。

　１泊の値段を聞き出し、こちらから連泊した場合の金額を提示する。その値段に呆れてどこかへ行ってしまう宿主も一人ではなかった。ボスに聞いてくると言い残し、そのまま戻ってこないスタッフもいた。

　結局、15軒以上のゲストハウスを回った。

　そんな必要などまったくなかったのに、次から次へとゲストハウスに飛び込み、口汚く罵り、やり場のない喪失感を彼らにぶつけた。何のための値段交渉かさえ分からなかった。自分をすっかり見失ってしまっていたのだ。

　口をつく言葉は粗雑になり、嫌悪の眼差しには感情を剥き出しにし、いつしか「俺はゲストだ、物乞いじゃない」とまで口走っていた。最低だった。でも、そんな自分の汚らしさに気付くことすらできなかった。

　一軒のゲストハウスで、そんなぼくを受け止めてくれた人がいた。彼女は、もうすでに70歳を過ぎた品の良い婦人だった。スタッフと一緒に空き部屋を見て回り、値段交渉のために大声で捲くし立てていると、部屋の前に出てきた彼女は笑顔でこう言った。

「ギターを持って旅をしているのね？」

　ぼくは言いかけていたインドネシア語を飲み込み、彼女を見つめた。

「孫と一緒にオーストラリアから来てるのよ。あなたはどちらから？」

　そう言葉を続ける婦人の眼差しは、なぜか、慈しむように深く穏やかなものだった。

「あなた、もしよかったら、ここに泊まってくださらない？　ギターを聴きたいわ。きっと、あなたの声だから、優しい歌が似合うと思うのよ」

　ぶっきらぼうにインドネシア語を吐き出すぼくの声を、婦人はそんなふうに言った。

「ずいぶん日に灼けてるわね？　長く旅をしてたのかしら？」

　何ひとつ返す言葉が見つからなかった。ただ、ぼくの中の何かが大きく揺らぎ、音を立てて崩れていった。荒れ狂う海辺の景色が、ふと凪いでしまったかのように。

「悪いね、一泊８万ルピア（約1,120円）なんだ。ディスカウントはできないよ」

　スタッフは間隙を突いて、にっこりと笑いながらそう繰り返した。それは、値引交渉が不発に終わったことを示す笑顔であり、同時に、この状況に対する許しの笑顔であるように思えた。
　
「ごめんなさい」

　ぼくはスタッフに言った。「ごめんなさい。自分のことしか考えてなかった。大声を出してしまって、本当にごめんなさい」

　スタッフは何も言わずにぼくの肩を抱くと、耳元で小さくこんなことを言った。「あの人とおしゃべりするんだったら、まだここにいてもいいよ。いつでも遊びに来ていいからね」

　振り向くと、婦人の横には、はにかんだ笑顔を向けるお孫さんの姿があった。「ハロー」と小さく手を挙げる少女のしぐさに、もう一度、深い悔いを覚えた。本当に、ぼくは何をやっているのだろう。

　婦人はそんなぼくに、もう一度やさしく声を掛けてくれた。

「あなたの笑顔って最高よ。見てるだけで幸せな気分になるわ。さあどうぞ、こちらでゆっくり休んでちょうだい」

　婦人は満面の笑みを浮かべ、空いていた椅子を勧めてくれた。

「きっと、疲れているんでしょう？　それとも何かつらいことでもあったのかしら？　でも、もう大丈夫よ。落ちついて。私たちがそばにいるわ」

　小さく頷くと、両目から涙が溢れた。

[1] http://www.transiency.com/images/72pl.jpg]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>あの場所へ／ウブド(1)</title>
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		<pubDate>Mon, 08 Sep 2003 09:24:24 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　今朝もまた、近くの食堂でライスといくつかの副菜を包んでもらった。
　魚の煮付け、ナンカと呼ばれる果実のスパイス煮、茹でたインゲン、蒸し焼きのチキン、豚肉の甘辛煮、小魚のフレーク、揚げテンペ、２種類の...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　今朝もまた、近くの食堂でライスといくつかの副菜を包んでもらった。

　魚の煮付け、ナンカと呼ばれる果実のスパイス煮、茹でたインゲン、蒸し焼きのチキン、豚肉の甘辛煮、小魚のフレーク、揚げテンペ、２種類のサンバル・ソース、山盛りライス。

　思春期の女の子だったらこれだけで３食分ぐらいはあるかもしれない。値段は、わずかにRp.7,000（≒84円）。

 [1]

　店のおかみさんは油紙でそれらを円錐形にくるみ、パチパチとホッチキスで留めてくれた。ビン入りの甘い紅茶を１本追加して、たっぷりの氷と一緒にビニール袋に移し替えてもらう。結わえた輪ゴムの隙間からストローを刺す。

　ささやかだけれど、優雅な朝食。宿に戻って包みを開ける瞬間が待ち遠しい。右手が、早く食べたいとぼくを急かす。

　＊

　熱いシャワーに打たれると身体中から海の香りが立った。強い陽射しにすっかり痛んだ髪にたっぷりのシャンプーをなじませ、子供みたいにぐずぐずと洗った。日に灼けた肌の上に塊になった泡がポトリと落ちる。

　バリだ、と思う。空の色や風の匂い、すれ違う人々のまなざし、そして、こんな瞬間にも。

　濡れた髪を乾かしながら、さて、これからどうしようかと思う。友人はもうバンコクの町を歩いているだろう。ぼくも自分の旅へ戻らなければならない。壁に立てかけたギターを手に取り、ふと、残りの日数のことを思う。あと３週間とちょっと。

　まるで、旅そのものが返却日を気にしながら読み進める図書館の本のようだった。

　昨夜、ギターを抱えてブノアの町を歩いた。ヌサ・ドゥアのように敷居が高いわけでもなく、かといって安宿街のような荒っぽさもないこの町を、ぼくは少しずつ好きになり始めていた。出会う人とのやりとりが丸みを帯びている。最初に笑顔がある。そして、陽気な言葉たち。そんな柔らかさがぼくを甘く包んでくれた。

　小ぢんまりとした土産物屋の前で、例によって声を掛けられた。道端でタトゥーの図案を広げていた青年と、土産物屋の店員であろう二十歳そこそこの女性に。二人は仲睦まじく寄り添いながら、舗道の脇に座っておしゃべりをしていた。

　青年は、エリックと言った。タンクトップから伸びる筋肉質の腕には、所狭しとタトゥーが彫られている。女性はカデという名前の大学生だった。きっと２番目か６番目なのだろう。

　バリニーズの名は、一般に４種類しかない。長子から順に「ワヤン」「マデ（カデ）」「ニョマン（コマン）」「クトゥ」と続き、５番目はまた「ワヤン」に戻る。

「エリックは何番目なの？」

「ニョマンだよ。３番目」そうぶっきらぼうに答えるエリックの笑顔には、けれど、子供のような無邪気さがあった。

　しばらくの間、彼らに混ざっておしゃべりをした。カデは大学で日本語を学んでいた。日本のドラマや音楽が好きだと言った。難しいけど、いつか話せるようになりたい、と。

　彼女に言われるまま、持っていたギターで「TRUE LOVE」を歌った。コードをきちんと覚えていたわけではなかったが、それでも、自然に通して歌うことができた。

「この曲、日本のドラマの主題歌だったでしょう？　わたし、大好きなの」

「よく知ってるね。これ、すごく売れたんだよ。なにせ、cinta asli（真実の愛）だもの」

　ぼくに歌に合わせて、カデも探り探りメロディを口ずさんだ。少しの照れの混ざった子供のような声で。そんなぼくらを見ていたエリックが、意を決したように口を挟む。

「ねえタイラ、その曲、ぼくに教えてくれないかな？　だって、タイラがいなくなったら困る。これから先、誰が彼女に歌ってあげたらいい？」

　思わず、頬が緩む。カデを見ると、恥ずかしそうにうつむき、もじもじと指先をもてあそんでいる。「もちろん」とぼくは言った。エリックの肩を抱いて大きく揺すりながら。

　タトゥーの図案の裏にローマ字で歌詞を書き、その上にコードネームを記した。フレーズごとにギターを弾き、指の押さえ方を教え、エリックがたどたどしく繰り返していく。一進一退。でも、そんなやりとりを嬉しい気持ちでぼくは見守った。上手に弾けた部分に、カデがメロディを乗せていく。

　夜風のそよぐ海辺の町で、誰かの笑顔のためにギターを練習すること。その思いが嬉しかった。

　＊

　荷物を抱え、チェックアウトの手続きをした。行き先は芸術の町、ウブド。この旅の、いわば最終目的地だった。1997年の夏、妻と最初に出会った場所であり、その時もまた旅のゴールに据えていた町だ。

　エリックは昨夜、ぼくにこう言ってくれていた。「一緒にウブドへ行こう。ぼくのバイクでよかったらそこまで送っていくよ。そう、ギターのお返しにね」

　それはあまりに長い道のりだった。空港からのシャトルバスでさえ１時間以上かかる。彼の優しさが嬉しくはあったが、正直、申し訳なさのほうが先に立った。でも、その思いはエリックの次の言葉で打ち消された。

「実はウブドって行ったことないんだ。道、分からない。だから一緒に道を尋ねながら行こうよ。タイラ、インドネシア語できるよね？」

　そんな言い方が嬉しかった。ぼくの知っているウブド、エリックの知らないウブド。一緒に行ってみようかと、心に決めた。

　昨夜の土産物屋の前で待ち合わせ、いつもの重たいリュックにギターを背負った格好でバイクに跨った。

　エリックも緊張していたのだろう。出発の前に、ひとまず彼の暮らす部屋へ向かい、そこで、景気付けに自家製のアラックをあおった。アルコール度数50度は下らないその液体を、二人でコップ１杯ずつ一気に飲み干した。

　喉が焼ける。酔いが一気に回る。まだ、時計は10時を回ったばかりだというのに。

　無理やりにテンションを上げて、二人でウブドを目指した。エリックもぼくも明らかに酔っていた。カーブのたびに、車線を変更するたびに、バイクがぐらりと傾いてしまう。まったく、危険極まりない。

　わけもなく大声で喚声を上げ、何度か路肩にバイクを停めては二人で笑い転げた。途中、州都デンパサールへ向かうまっすぐの道では、恐ろしくなるほどのスピードで疾走した。走りながらエリックに声を掛けると、彼は声を裏返しながらこう叫んだ。「もう120キロも出てる。タイラ、怖いよ！」と。

　しっかりと道に迷いながら、それでも３時間ばかりでウブドの町へ着いた。かつての記憶を頼りに町を見回していたが、結局、この地がウブドだと確信できたのは、ジャラン・ハノマン（ハノマン通り）という名前を耳にしたことだった。通りの名前以外に、ぼくの記憶を裏付けるものはなかった。

　そこはまるで、初めて訪れる場所でさえあった。

　目に付いたレストランの脇にバイクを停め、何も言わずにエリックと抱き合った。この喜びは、そうすることでしか伝えられない種類のものだった。エリックもまた、その筋肉質の腕でがっちりとぼくの背中を抱えた。

「ありがとう」

　最初にそう言ったのはエリックの方だった。「楽しかった。本当にありがとう。ぼくら、最高の友達だよ」と。

 [2]

　エリックを見送り、すっかり様変わりしたウブドの町を歩いた。歩けば歩くほど、記憶があいまいになっていった。

　かつては小さな路地の一本まで頭に入っていたはずだった。あの角を曲がれば、この路地を進めば、と。けれど、歩を進めるたびに、次から次へと見慣れぬ町並みが目の前に現れていった。

　手探りのまま、サッカー場の前の道を左に折れた。示された看板にはジャラン・ゴータマとある。違う、舗装なんてされていなかったはずだ。もっと木々が生い茂っていたはずだし、わき道に反れれば、谷底の小川まで下っていけたはずだ。

　目に飛び込んだ看板の文字に気持ちが揺れた。DEWA WARUNG（デワ食堂）。

　見覚えのある文字の連なりに、一瞬にして記憶が蘇る。覚えている。当時ここはウブドで最安値の食堂だった。

　オーナーのデワさんに随分とお世話になった。あの夏、スラバヤのバスターミナルで偶然に彼と出会い、初めてバリを訪れるぼくをこの地まで連れて行ってくれたのだ。ぼくのためにミニバスを１台チャーターしてくれ、知り合いの画家の家をホームステイ先として紹介してくれさえしたのだ。

　でも、何かが違う。

　違和感を覚えながら、それでも食堂に入って一休みをした。そして、店員の青年に疑問をぶつけた。「この店、いつからここにあるの？　前は、そう、７年前はジャラン・スグリワにあったよね？　隣りにはアリットさんていう女性の画家がいて……」

　言ってしまってから、なぜか悲しい気持ちになった。ぼくはいったい何を期待してこの町へ来たのだろう。何を探しにこの場所を目指したと言うのだろう。もう、変わってしまったのだ。終わってしまったのだ。あのきらめきなど、どこを探しても無い。いまさら、ぼくはこの場所で何を。

　苦い薬のように、ぼくはそんな思いをひと息に飲み込んだ。

　蒸したライスに、豆の葉を塩揉みしただけの素朴なバリニーズ料理を選び、生のレモンジュースを頼んだ。ふと、向かいの通りを眺めて、また、ぼくは言葉を失ってしまう。

　バンコクの友人とビールを飲んだ店さえ、そこには無かった。あるのは、バラック小屋のような寂れた雑貨屋だけだった。

[1] http://www.transiency.com/images/71pl.jpg
[2] http://www.transiency.com/images/70pl.jpg]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>変わらぬもの／タンジュン・ブノア(2)</title>
		<link>http://www.transiency.com/71</link>
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		<pubDate>Sun, 07 Sep 2003 05:14:00 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　空港からダイレクトに友人の泊まっているホテルへ向かうつもりだったが、ここで大きな失態に気付いた。ホテル名と、電話番号を控えた紙を紛失していたのだ。
　リュックのポケットをあちこち探ったが、どうにも見...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　空港からダイレクトに友人の泊まっているホテルへ向かうつもりだったが、ここで大きな失態に気付いた。ホテル名と、電話番号を控えた紙を紛失していたのだ。

　リュックのポケットをあちこち探ったが、どうにも見つからない。あいまいな記憶だけを頼りに、それでもタクシーに飛び乗ってヌサ・ドゥア方面へ走ってもらった。運転士と話をしつつ、これからの予定を慌てて組み直しながら。

　ヌサ・ドゥアはバリ島の中でも有数のリゾートホテルの立ち並ぶエリアだった。

　いくらリゾートとはいえ、それなりにドレスコードだってあるだろう。小汚いリュックにサンダルにジーンズ、肩に担いだギター。とてもじゃないけれど、こんな恰好で立ち寄る場所ではない。いや、ぼく自身、そんな姿で出向きたくはなかった。

　運転士に事情を話し、ひとまず近場の安宿を教わることにした。シャワーを浴び、せめて髭だけでも剃っていこう。もちろん、ギターなんて必要ない。出掛けるなら、きちんと襟付きのシャツがいい。

　ヌサ・ドゥアの北に続くタンジュン・ブノアという地区になら、そこそこのホテルがあると教えてくれた。「日本人には人気みたいだよ」という宿へ直行してもらうことにした。実際はどこでもよかった。ひとまず、この長い移動をリセットできさえすれば。

　宿の前にタクシーを待たせたまま、部屋の確認もそこそこにチェックインを済ませ、歩きながら衣服を脱いでシャワーを浴び、髭を剃り、からだを拭きながら下着を身につけ、一番シックだと思われる藍色の和柄のシャツを着込んで鍵を閉めた。

　小走りにタクシーへ戻って時計を見ると、ここまでで、空港に降り立ってから僅かに２０分の出来事だった。頑張り過ぎだ。信じられない。これじゃまるで、時間に追われる日本人みたいじゃないか。

　さて、とぼくは運転士に改めて問いかける。「さて、運転士さん。ぼくはどこへ行けばよいのでしょう？」と。

　そんな言い方に運転士は声をあげて笑う。「ヌサ・ドゥアだろ？　ホテル、たくさんあるよ」

　記憶をたどり、おぼろげな単語の数々をつなげたりバラバラにしたりしながら、しばらく曖昧なやりとりを続けた。

「運転士さん、今から言う単語で何か気付いたら、なんでもいいから言ってもらえますか？」

　そんな断りを入れてから、ぼくは、口からでまかせに思いついた単語を並べた。メディナ、メディア、バリア、エリア、ファリア。

「兄ちゃん。それ、メリア・バリじゃないの？」

「そう？」

「そうそう、メリア・バリ。ヌサ・ドゥアにあるよ」

「そこかな？」

「あはは、知らないよ。まあでも、行ってみる？」

「メリア……。いや、メリアか？　違う気がするんだけどな」

 [1]

　結果から言えば、それでビンゴだった。間違いなく友人はそこに泊まっていたし、間違いなく、彼はすでに外出した後だった。

　あまりに流暢な日本語を話すバリ人のフロント係は、２ミリぐらい眉をひそめ、申し訳なさそうにこんなことを言った。「ワタクシの記憶をたどりますと、お客様は７時15分ごろ、タクシーにて外出なさいました。ご夕食ではなかろうかと思われますが」と。

　彼に会えなかったことよりも、目の前のバリ人の口から「ワタクシの記憶をたどりますと」なんてことばが出てきたことに、すっかり心を奪われてしまった。すごい、こんなこと、日本人でも言わない。

　勧められるまま、ロビーでしばらく待つことにした。併設されたバーに行ってビンタン・ビールの小瓶を注文し、エントランスから聴こえるジェゴグ（竹ガムラン）の生演奏に身を委ねながら。

　気持ちが、ようやくバリ島に馴染んできたようだった。ここはスマトラではない。南国のリゾートホテルなのだ。運ばれてきたビールをひとくち飲み、ふうと小さく息を吐いた。

　ほんの１時間ほど、そんなふうに過ごした。「まさか、すぐに戻ってくるわけはないだろう」。それが、ロビーでのんびりとビールを飲みながら導き出した結論だった。ぼくだったら絶対に夜中まで遊びまわってしまう。すぐには戻らない。

　もう一度フロントへ出向き、部屋番号と電話番号を再確認した。それから一言だけ簡単にメッセージを書き残し、ついでにトラベラーズチェックを両替し、タクシーを呼んでもらって宿へ戻った。なんという一日だったのだろうと、少しだけ首をかしげながら。

　＊

　近くの屋台へ出かけ、ナシ・ゴレン（焼き飯）とアイスティーで簡単な夕食を取った。夜風に吹かれながら相席した地元の青年たちとおしゃべりをし、何度か大声で笑い、握手をし、手を振って別れた。バリだ、と改めて思った。

　宿のテラスでまたビンタン・ビールを飲みながら、ギターを弾いて歌った。山崎まさよしの「One more time, one more chance」。小さな声で、音をひとつひとつ確かめるように。

　歌うのに疲れると、グラスに残ったビールをなめるように飲みながら、目を閉じて深呼吸をした。耳を澄ますと海辺を渡る潮風の音が聴こえた。椰子の葉擦れの音、遠吠えをする犬たちの声、どこからか漏れるラジオの音。

　そして、確かに聴こえるもうひとつの音が、ぼくの鼓膜を揺さぶっていく。

　７年前と同じだ。やっぱり、あの音が聴こえる。幻聴ではない。その音は確かにそこにあって、ぼくの耳をひっかいていく。

　呼吸の音。それは、地面の奥底から地鳴りのように響く、低い、くぐもった誰かの呼吸の音だ。

　同じだ。やっぱり、ぼくの耳には聴こえてくる。

　神々の島、バリ。

　＊

　翌朝、宿の近くのWARTEL（電話屋）から友人の部屋へ電話をかけた。朝９時前という判断の難しい時間帯ではあったが、幸いにも連絡をつけることができた。安眠を叩き起こすという最高のかたちで。

　昨晩、友人がホテルへ戻ったのは深夜１時過ぎとのことだった。実に彼らしい。思わず頬がゆるむ。そして彼もまた、きっと朝９時ぐらいまでには電話が来るだろうと予想していたという。お互いに行動が読めてしまっている。まったく、おかしなものだと二人で笑った。

　海水パンツと水中メガネをカバンに詰め込み、宿の前でタクシーを拾った。

　砂州のように伸びるブノアの町を南へひた走る。運転士に声を掛け、両方の窓を全開にする。潮の香りを含んだ宝石の島の風がシャツの袖口から入り込み、身体中を駆け抜けてゆく。空にはすでに、パラセイリングのパラシュートがふわりと浮かんでいる。

 [2]

　昨日と同じロビーのソファに沈みこみ、色鮮やかな花々で飾られたホテルのエントランスをぼんやりと眺める。陽射しが、均質な光の帯となって地上へと降りそそぐ。

　ふと思い出して、日本語の堪能なバリ人のフロント係に軽く目配せをする。営業的な、と言い切ってしまうことさえ躊躇われるほどの大きな笑顔を、まっすぐに返してくれる。ピース、と心の中で思う。

「うわっ、怪しいなー」

　ぼくを見つけた彼は第一声でそう言った。残念ながら、その気持ちは分からないでもなかった。旅がぼくを無国籍に変えてしまっていたからだ。

　客観的事実を素直に認めつつ、それでも、こんな言い訳を彼に返す。「いや、これでも一応シックにまとめたつもりなんだけど」と。

　ホテルのプライベートビーチに臆面もなく足を踏み入れ、友人の帰国便ギリギリまで夢中になって遊んだ。リゾートを愉しむというよりも、ぼくらのそれは、浜辺で大はしゃぎをする子供たちの夏休みだった。あの昂揚感と、たっぷりの陽射しと、どこまでも続く水平線。

　ただひとつ違うのは、今のぼくらの傍らには、常にビールがあるということだった。

　再会してすぐにバンコク土産のピータンをあてに缶ビールを２本ずつ空けた。勢いのついたところでビーチへ出かけ、更にビールを２本ずつ。うち１本は浅瀬にぷかぷかと浮かびながら。ときおり、アテとして海水を舐めたりしながら。

　空港内のカフェでもまた、インドネシア納豆のテンペのフライをつまみにビンタンビールの大瓶を２本ずつ空けた。これだけ飲んでも、まだ午後４時という時間だった。いったい朝から何リットルのビールを飲んだというのだろう。

　出会いというものは実に不思議なものだった。オニオンリングをつまみにバリ島でビールを飲んだのは、もう７年も前のことなのだ。

　変わってしまったものも確かにあるだろう。そこに何かを留めておくことなど、まだ今のぼくらにはできない。いや、時間は振り返ることなく、事務的に前を目指すだけなのだ。

　Time has changed.

　変わらないのは、友情と、ビールの量だけだ。

　……乾杯！

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[2] http://www.transiency.com/images/69pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>聴こえる／タンジュン・ブノア(1)</title>
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		<pubDate>Sat, 06 Sep 2003 04:10:44 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　州都パダンから一気にバリ島へと向かう。とは言え、実際にはパダン－バリ間に直通の空路はなかった。ジャカルタ、スラバヤの２都市を経由し、時差をひとつ飛び越える。
　閑散としたターミナルビルの中に、人影は...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　州都パダンから一気にバリ島へと向かう。とは言え、実際にはパダン－バリ間に直通の空路はなかった。ジャカルタ、スラバヤの２都市を経由し、時差をひとつ飛び越える。

　閑散としたターミナルビルの中に、人影は数えるほどしかなかった。長距離バスの待合所にでもありそうなベンチが、間の抜けたくぼみを見せて並んでいる。リュックを枕に、横になりながら搭乗のアナウンスを待った。

　目を閉じると、いくつかの場面が脳裏をかすめていった。言えなかったことば、抱きとめられなかった温もり。そして今、ぼくはまた新たな場所へ向かおうとしている。

　寝転がるのに飽きると、売店へ行ってミネラルウォーターを買った。自然に「おはよう」という言葉が口を突いて出る。売り子の青年は頷きながら、ほんの少しはにかんだ笑顔を浮かべてくれた。その場で封を開け、半分ほどをひと息に飲んだ。安堵のため息をひとつ。

　フライトが遅れている。

　モニターに表示されるインフォメーションは、２テンポぐらい遅れて最新の情報に更新された。８時発だった便は、いきなり15分の遅れ。どうだか、と半笑いになって思う。きっと、15分で済むわけがない。

　ブキティンギを離れる前、パサール・アタスの古道具屋でギターを買っていた。常々、どこかのタイミングで楽器を買いたいと思っていたからだ。トレンガヌでも、クラビでも。ウクレレがあれば、それを買おうかとも。

「メイド・イン・アメリカとメイド・イン・インドネシア、どっちにする？」古道具屋の店主はおかしそうに笑って言った。「音は、まあ、たぶんあんまり変わらないと思うけど」

　示された２本のギターをそれぞれ手に取って試した。前者の方はふつうに音が出る。ギターだ。後者の方はびっくりするぐらいに低音が軽い。ギターか？　イコライザーで低音をカットしたようなカシャカシャと安っぽい音色に、ボール紙のようにヤワな筐体。

「な？　あんまり変わらないだろ？」店主はそれでも得意気にそう繰り返す。「そうだね、どっちも弦が６本あるもんね。」そんな出来の悪い冗談を言うぼくに、店主はきちんと大笑いで応えてくれる。

「ギターはやっぱり弦が６本じゃないとな。」「じゃあ、ここにあるギターは全部６本弦？」「まあね、当たり前さ。」

　こんなやりとりを、ずっと続けていたいとさえ思う。

　結局、メイド・イン・インドネシアの方に決めた。値段はアメリカ製の５分の１だった。Rp88,000（約1,100円）。本当に、冗談みたいな値段。

　手にしたそれを、もう一度隅々まで調べてみる。大丈夫、弦は６本ある。ギターホールの中には、製品名とロットナンバーが記されている。そして、「YAMMAHA SEN-SEN」と書かれたシールが一枚。

　「ヤマハ？」と思う。いや、違う。ヤムマハだ。「Ｍ」がひとつ多いのだ。

　人の気配のないターミナルのベンチに腰を下ろし、小さな音でヤムマハ・ギターを弾いた。イーグルスの「Desperado」を、アルペジオで。壊れかけたラジカセから流れる、擦り切れたテープみたいな音しか出ない。

　でも、そんなカサカサの音色がかえってよかった。今のぼくには、それでちょうどよかった。

 [1]

　搭乗手続きを済ませ、15分、ではなく、予想通り45分の遅れでジャカルタ行きに乗った。ボーイング737というマンダラ航空の旅客機は、実に小ぢんまりとした可愛らしいものだった。

　エコノミークラスでチケットを買ったはずだったが、用意されたシートはビジネスのものだった。

　とはいえ、特にエコノミーと差があるわけではない。機内食も変わらないし、特別なサービスがあるわけでも。シートの間隔が広めにとってあるだけだ。両足を伸ばすと、つま先がかろうじて前の座席に触れる程度の。

　ジャカルタ、スカルノ・ハッタ国際空港へは午前11時少し前に着いた。次のスラバヤ経由バリ島行きは、午後１時45分。３時間ほどの余裕があったから、一度市街地へ出るのもいいかもしれなかった。

　しかし、７年前の記憶を思い出してすぐにやめた。バスで片道45分ほどかかってしまう。これではきっと何もできないだろう。あきらめて、ターミナル内の隅の床に陣取り、ふたたびリュックを枕に寝て過ごした。

　何事もスムーズに運ばないのがインドネシアだった。

　ここでもまた、搭乗時間をいくら過ぎてもアナウンスが鳴らなかった。地上係員たちに目を向けても、何やら楽しそうに談笑しているだけだ。

　おそるおそる彼女たちに声をかけて事情を訊いた。

「整備が遅れてるんじゃないかしら？」「パダンでも遅れたでしょ？　だからかも」「実は私たちにもよく分からないのよ」

　悪びれるわけでもなく、彼女たちはあっけらかんとそう返す。埒が明かない。そして、こんな応対に腹を立てる気持ちすらぼくにはない。

　結局、飛行機は「ほんの２時間ほど」の遅れでジャカルタを発った。たいしたことじゃない。だって、ほんの２時間なのだから。

 [2]

　スラバヤへは午後５時過ぎに到着し、乗客の入れ替えや機内清掃が行われた後、改めてバリ島へと向かった。最後のフライトはわずか30分で済み、現地時刻午後７時30分、晴れてングラ・ライ空港へ到着。

　友人に事前にメールで伝えていた時刻よりも、実に２時間近くも遅れていた。

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[2] http://www.transiency.com/images/67pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>そこまでの空／パダン</title>
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		<pubDate>Fri, 05 Sep 2003 03:45:34 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　パダンに滞在する目的はトランジットだった。明日の朝、８時のジャカルタ行きの飛行機に乗る。空港へは遅くとも１時間前には着いていたい。今日一晩だけ、どこか近場に泊まれさえすればよかった。
　ちっぽけなリ...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　パダンに滞在する目的はトランジットだった。明日の朝、８時のジャカルタ行きの飛行機に乗る。空港へは遅くとも１時間前には着いていたい。今日一晩だけ、どこか近場に泊まれさえすればよかった。

　ちっぽけなリュックサックに安物のギター、ジーンズ、サンダル、色褪せたシャツ。そんな格好でブキティンギの町を発った。この場所へたどり着いたときと同じ、アウルクニンのバスターミナルから。

　ミニバスの狭いシートで身を折るようにして、パダンまでの道のりを過ごした。脳裏には生徒たちの笑顔ばかりが浮かんだ。視線を窓の外に向け、流れ去る景色を見つめた。町が、スピードに溶けて色を失くす。

　あやふやな陽炎の揺らぎの中に、届かない願いをいくつも放った。唇が震えている。その悲しみを、今はまだどうすることもできない。

　もう歩き出してしまった。そう何度も自分に言い聞かせた。子どもたちの指先を離れた風船は、凍えながら天へと消える。もう二度と、あの腕の中へは戻れない。

　ゆるやかなカーブの続く坂道をしばらく走ったのち、バスは何の前触れもなく路肩に停車した。窓から見える商店の看板には、すでにパダンの文字が染め抜かれている。運転士はシートから身を乗り出すようにして、ピンポイントでぼくに叫ぶ。

「ここで少し待っててくれるかい？　アンクル・ジャックのゲストハウスでいいんだろう？」

　ブキティンギを離れるとき、生徒のひとりがしきりに運転士と話をしていた。「あの日本人をターミナルの手前で降ろしてあげて。アンクル・ジャックの宿の近くでいいんだ」

　早朝の便に乗るぼくのために、彼らは前日から手近な宿をいろいろとあたってくれていた。市街地より、もっと手前のビーチのほうが空港からは近い。Pasir Jambak（砂の束）という名のビーチに一軒だけゲストハウスがあるという。アンクル・ジャック。パダンについて何の情報も持たないぼくに、彼らはそう力強く教えてくれた。

　運転士はクラクションを何度か鳴らし、すれ違う他の路線バスに合図を送った。どうやらぼくをここで降ろし、もっと近くまで行くバスへ乗りかえさせようとしているらしい。リュックを背負い、右肩にギターを担いだ格好で、バスを降りて前方に回った。クラクションを鳴らす運転士のまなざしを見つめ、通り過ぎるクルマの列を眺め、もう一度、運転士の横顔を見つめた。

　やがて、クラクションに応じた一台のミニバスが減速し、反対の車線にぴたりと停まった。いくつかの単語が飛び交い、歩み寄った運転士はちらりとぼくを振り返ってから、数枚の紙幣を車掌に手渡した。

「もう払ったから大丈夫だよ。じゃ、こっちのバスに乗り換えて」運転士は手招きをしながら、そう白い歯を見せて言った。

　メダンと同じ窮屈なミニバスに揺られ、さらに10分ほどの距離を走った。車掌に示された路地の入り口で降り、足元に荷物を並べて小さく息をこぼした。しばらく、遠ざかるバスの後ろ姿を見ていた。

 [1]

　ゲストハウスまではこの路地をひたすら歩けばいいという。車掌から、そんなふうに教わっていた。「どれくらいかかるかな？」「さあ、行ったことないからね」「ここで合ってるんだよね？」「Pasir Jambak だろ？　合ってるよ」

　どれくらいの距離かも分からないまま、ひとまず路地を進んだ。崩れかけた商店がぽつりぽつりと並び、やがて、スラムとも住宅地とも呼べない雑多な家並みが現れた。脇の畑ではアヒルたちがせわしなく走り回り、上半身裸の子供たちが、棒切れを手に何やら地面を叩いている。どこにも海の気配はなかった。

　どこまで歩いていけばいいのか見当もつかなかったが、途中から、幸運にも地元の青年のバイクに乗せてもらうことができた。リュックを背負って歩いているぼくに何かを感じ取ってくれたのだろう。青年は人懐こい笑顔を浮かべ、何度も何度も「乗りなよ」と言った。

「アンクル・ジャック、歩いて行ける距離かな？」

　そう問いかける僕に、彼はいたずらっぽい目でこんなことを言った。「途中であきらめなければね。どこまでだって歩いていけるよ」

　そんな言い方がおかしくて、嬉しくて、何度目かのやりとりのあと、素直に彼の厚意に甘えることにしたのだ。「ごめん。実はあきらめ早いんだよ」と。

　片方を後ろ手に支え、もう片方の手でギターを担ぎながらシートに跨った。不安定な姿勢のぼくには構わず、むしろ面白がるようにして、青年は軽快に砂利道を疾走した。

　スピードが上がるたびにギターが風にあおられ、身体ごと後方へ持っていかれそうになった。危ない、と本能が警告を出す。けれど、どこかでそのスリルを楽しんでいた。懐かしかったのかもしれない。無茶をすることばかりに夢中になっていた少年の日の記憶。頬を切る鋭角の風は、あの時の風に似ていた。

「ねえ、さっき、どこまでだって歩いていけるって言ったよね？」

「そうだよ。前に進むために足がある」

「だったら、どうして君は歩かない？」

「え？」

「バイク。ガソリンが無くなったら、どこにも行けないよ」

　面白いようにバウンドを繰り返す悪路の上を、大声で言葉を交わしながら進んだ。いつでも青年は楽しそうに笑った。

　時折、すれ違う人たちから声を掛けられたりもした。きっとギターを背負った姿が滑稽に映ったのだろう。中には指をさして笑う姿さえあった。照れくささとは裏腹に、その大きな笑顔に救われている自分がいた。

「確かにね。ガソリンがなきゃどこにも行けない」

「アクセルを踏むために足があるってこと？」

「ある意味でね。いや、だから君に声を掛けたんだよ」

「だから？」

「そう、ガソリン無くなったら押して歩かなきゃいけないだろ？　でも、ふたりだったら押すのも楽だ。ふたりで押しながら歩いて行けばいい」

　何度も何度も声に出して笑った。まるで幼馴染みと過ごしているみたいだった。

　＊

　ゲストハウスは椰子の林のなかにひっそりと建っていた。アンクル・ジャック。この砂浜で唯一の宿だ。左に食堂を兼ねた母屋があり、右にはゲスト用のコテージが何棟か並んでいる。中央には屋根のついた小さなカウンターバーがあり、テーブルセットに、ささやかなファイヤーピットまでしつらえてある。

　チェックインを済ませ、シャワーを浴びて汗を流した。水を口に含むと、かすかに海の匂いがした。しばらく、目を閉じたまま水に打たれた。耳をふさぐ水の音が、平衡感覚をあいまいにしていく。

　浮遊した一瞬の連なりのなかで、そっと、一滴の涙をこぼした。たったひとつぶだけ、泣くことを自分に許した。

　濡れた髪のまま、夕暮れ間近の砂浜へ出かけた。見渡す限り人影はなく、一匹の赤茶けた犬だけが、潮の名残りを懐かしむように歩き回っていた。

 [2]

　曇り空の下、海が練り色の波をなびかせながら砂に消える。傾いた陽射しが雲の隙間を縫って降り注ぎ、地上に、のろまな夕暮れの影を落とす。

　打ち寄せられた流木に腰掛け、しばらく、海の姿と光の帯を見ていた。潮の香りを抱きしめた風が、包む込むようにぼくの肌を撫でていく。

　そんな一匙の砂
　世界が黄土色に変わる
　遊び方も
　あり方も知らない
　一匙の砂
　内側に流れる
　さらさら
　地平線に流れて
　あの先にいる誰かより
　あなたの輪郭になりたい

　そんな一編の詩を思い出していた。南半球の、夕暮れの、誰もいない砂浜で。

　ずいぶんと遠くまで来てしまった。満足に歩けもしなかったのに、ふとした拍子に何かにつまづき、そのまま前のめりに走り出してしまったみたいだった。

　足取りは今も縺れたままだ。上手になんて歩けやしない。いつだってつまづきながら生きていくしかなかった。へとへとに疲れ、何もかもに嫌気がさし、意味のない悪態をついて、自信を失くし、でも、それでもまだ。

　海を照らす淡い緋色の光の、そのずっと向こう側に、ぼくはいくつもの思いを飛ばした。

　ふと、頭の片隅で何かがパチンと弾けた。かすかな痛みを伴ったそれは、やがて、ひとつの朧気な予感へと形を変えた。

　今日かもしれない。今日が、最後なのかもしれない。

　予感が、少しずつ確かな輪郭を取り始めていく。旅と呼ばれるあの手触りは、今日で最後かもしれない。その痛みをこの場所にうずめるために、ここまで旅を続けてきたのかもしれない。

　この旅のどこでも感じなかった、そんな緩やかな終わりの感覚を、ぼくはひとりきりの砂浜で強く感じていた。

　そこまでの空
　細かく千切った私を
　両手でばら蒔いている
　確かめるように
　私　両手でばら蒔いてゆく

　足先をさらう砂粒を両手ですくった。湿り気を帯びた黄土色の砂は、握りしめると、あいまいなかたちに崩れて、手のひらからこぼれていった。

　潮の遠鳴りに耳を澄ます。夕焼けが雲の向こうに霞んでいく。濡れた髪が耳に触れる。ことばをつかみ取れない。光が海に沈んでいく。潮風が頬を撫でる。

　遠くで、犬の鳴き声が聴こえる。

[1] http://www.transiency.com/images/65pl.jpg
[2] http://www.transiency.com/images/58pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>さよなら／ブキティンギ(8)</title>
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		<pubDate>Thu, 04 Sep 2003 05:46:27 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　朝、サラート（礼拝）の呼びかけの声で目を覚ました。
　学校の向かいには小さなモスクがあり、日に５回、板ガラスの窓の隙間からアザーンの澄んだ歌声が流れた。アッラー・アクバル、アッラー・アクバル（アッラ...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　朝、サラート（礼拝）の呼びかけの声で目を覚ました。

　学校の向かいには小さなモスクがあり、日に５回、板ガラスの窓の隙間からアザーンの澄んだ歌声が流れた。アッラー・アクバル、アッラー・アクバル（アッラーは偉大なり）。

　今日、これから起こるすべてのことは、どれもみなここでの最後の出来事になる。授業も、議論も、彼らとのおだやかな語らいも。

　暁のアザーンを聴きながら、薄明かりの中で身支度をした。頬にかみそりを当て、歯を磨き、震えるほどの寒さの中での水浴。濡れたタオルを窓辺に広げ、代わりに乾いたＴシャツや下着をリュックに詰め込む。

　教室の裏の、８畳ほどの小部屋。奥に簡素なバスルームがあり、その間にキッチンの名残の細長い空間がある。

　この部屋でずいぶんと長い時間を過ごした。授業準備も、日記をつけるのも、ギターを弾くのも、全部この部屋だった。朝食も、時には夕食もこの部屋で食べた。近くの食堂でライスと副菜をひとまとめに包んでもらったり、ベーカリーでドーナツと豆乳を買っては、部屋で本を読みながら齧ったりもした。

　今朝もまた、馴染みになったグランド脇の屋台で焼き飯を包んでもらい、並びの店で豆腐に野菜をはさんだ惣菜と、緑豆のフライを買った。別のスタンドで温かなミルクティーをビニール袋に入れてもらい、すべてを抱きかかえるようにして部屋へ戻った。

　借りたカップと皿に料理を移しかえ、ささやかな、一人きりの朝食が始まる。ぼくの一日が始まる。

 [1]

　午前中、日本語クラスの授業がふたつあった。上級コース、初級コース各90分。昨日までとは違い、今日はどちらのクラスでも文法や用法にはいっさい触れることはなかった。日本人の感覚や慣習、ふるまい方や受け止め方について、ぼくなりの思いを伝えた。リスマール先生からそうリクエストがあったからだ。日本人の感じ方について話してあげてほしい、と。

　正直なところ、何を話せばよいのか分からなかった。そもそも『日本人の感じ方』というものがぼくには分からなかったからだ。一般論を語ることはできただろう。でもそれを、ぼく自身の思いとして伝えることはできなかった。

　日本人であるよりも前に、ぼくはひとりの人間だった。それ以上でもそれ以下でもない。

　ぼくもまた、この世界の差異の連鎖の渦の、曖昧なつながり中の諸相のひとつだった。時にあぶなっかしく、時に光へ向かいながら、今というあやふやな足場に立っているだけだ。

　生徒たちにとっては、このぼくがはじめて接する日本人だった。ぼくの一挙手一投足を通して、彼らの中の「日本人」の輪郭が像を結ぶ。それはある意味で仕方のないことだった。

　習慣や文化的な違いから、色々な場面で誤解やすれちがいもあったかもしれない。結果的に、ぼくと彼らの間のギャップを際立たせてしまったことさえも。

　でも、それも仕方のないことなのだろう。ぼく自身にしたところで、彼らのやり方を受け止め、感じ取ろうと努めこそすれ、すべてを理解できたわけではなかった。

　ひとつでも多くを学び取ってもらいたい。あるいはそんな意気込みが、空回りしてしまったこともあったかもしれない。ぼくの解説は時に彼らを混乱させ、不安にさせたこともあっただろう。そのたびにぼくもまた、彼らの戸惑いを通して何かを深く感じ取ろうとしてきた。感じたい、伝わってほしい、と。

　もしかしたら、ぼくらはみな、すれちがいや間違いや失敗からしか学べないのかもしれない。その痛みからでしか、誰かを受け止めたり、深く理解したり、愛したりできないのかもしれない。

　それが、何者でもなく、ぼくらがお互いに人間同士だということの証しなのであれば。

 [2]

　話の最後に、ぼくはホワイトボードにこんな文字を記した。ぼくらは生徒でも教師でもなく、同じ人間だということを彼らに伝えたかったからだ。

　Everybody is different, nobody is perfect.
　We learn through making mistakes and misunderstanding.
　As you know, light doesn't exist without darkness.

　人はみんな違うんだ。完璧な人間なんていない。
　ぼくらはみんな、失敗や誤解から学ぶんだ。
　知ってるはずだよ、闇がなければ光すら存在しないことを。

　そう書き記し、ゆっくりと声に出して読んだあとで、ぼくは彼らにありがとうを言った。心を込めて、出会えたことすべてに感謝の気持ちを伝えた。ありがとう。みんなに出会えて本当に嬉しかった、と。

　一人の少女が突然すすり泣きをはじめた。その途端に、教室中に彼女の涙が伝わっていった。一人のすすり泣きはみんなのすすり泣きになり、やがて、ぼくらを包むすべてが涙の湿り気に変わった。

　両目を潤ませながら、生徒たちは「サビシイ、サビシイ」とこぼした。覚えたての、感情を表す形容詞を使って。そんなつたない彼らの日本語が、他のどんなことばよりもぼくの胸を打った。「タイラさん、サビシイです。サビシイよ、サビシイ」

　彼女たちの涙に包まれ、ぼくも知らずに涙を流していた。ホワイトボードの前に立ち尽くしたまま、涙が、あとからあとから止まらなかった。ごめんなさい。ごめんね。この別れを、今のぼくにはどうすることもできない。

　もう二度と、彼らに出会うことはないだろう。もう二度と彼らとことばを交わすことも、あの笑顔に触れることも。

　ぼくは言い訳のようにこう思ったりもする。彼らの心の中に、ぼくは小さな一歩を残せたのではないかと。もちろん、胸に置かれた足型に自らの足を重ねて歩き出すのは彼ら自身だった。そしてまた、ぼく自身もそんな人間の一人だった。

　彼らからもらった大きな一歩のことを胸に描く。その一歩は、ことばを超えたあたたかみだった。誰かを思うしなやかな強さだった。いつか、その一歩を足がかりに、ぼくもこの足で前に進めたらいい。どうすることもできない別れを背負って、それでも、歩き出すことができるのならば。

　彼らの人生が実り多きものであってほしいと、ぼくは切に願う。誤解や失敗からしか、人は本当のやさしさや悲しみを学べないのかもしれない。そんな予感の中で、それでも、一歩でも前へ。

　Everybody is different, nobody is perfect.

　完璧な人間なんていない。誰もが手探りで、今日を生きていくしかないのならば。がむしゃらにではなく、誰かを思いながら、誰かの笑顔を守りたいと願いながら。

　さよなら。愛を、すべての手のひらに。


[1] http://www.transiency.com/images/57pl.jpg
[2] http://www.transiency.com/images/63pl.jpg]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>ずっと忘れない／ブキティンギ(7)</title>
		<link>http://www.transiency.com/67</link>
		<comments>http://www.transiency.com/67#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 03 Sep 2003 05:15:09 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　授業を終えた午後、すっかり馴染みになったネットカフェへと足を運んだ。
　バリ島でおちあうことになっているバンコク在住の友人から、そろそろメールが届いている頃だ。異国の地で『バリハイ』という名のビール...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　授業を終えた午後、すっかり馴染みになったネットカフェへと足を運んだ。

　バリ島でおちあうことになっているバンコク在住の友人から、そろそろメールが届いている頃だ。異国の地で『バリハイ』という名のビールを飲もうと、そう話していた。

　１９９７年の夏、はじめて彼に出会ったのもバリ島だった。芸術の町、ウブド。

　うだるような熱帯の午後の光の中、オニオンリングをつまみにビールを飲み、若さあふれる文学話に花を咲かせた。村上春樹のこと、神戸の海のこと、早稲田の町並みのこと。

　不思議な色をした時間だった。おだやかな、まるでサークルの溜まり場にでもいるような。

「１件の未読メッセージがあります」

　強調された文字をクリックして、彼からのメールを確認する。…了解。どうにか二日後の土曜日には、バリの海辺で。

　ぼくらはもうお互いに学生ではなくなり、それぞれにとってのささやかな決意を胸に日々を生きていた。でも、難しい理屈や思想など、ぼくらには必要なかったのかもしれない。大仰な言いまわしも、とってつけた理由も。

　「最初に会ったときみたいに、バリでビールを飲もうよ」

　目的は、本当にそれひとつだけ。そして、こんな提案をしてくれる彼の心持ちが好きだった。異国でビール。シンプルで、まっすぐで、様々な期待に満ちあふれている。

　友人の予定を頭に入れ、学校へは戻らず、そのままパサール・アタスにある旅行代理店へと引き返した。前日に予約したチケットを受け取るために。

　店は、丘のてっぺんにある時計塔（ジャム・ガダン）広場の一角にあった。「ここがいちばん親切よ」と、日本語クラスのリスマール先生に教わった業者だった。

　話のとおり、いくつかあるバリ島までのフライトを彼らは根気よくあたってくれた。嫌な顔ひとつせず、むしろ楽しみさえしながら。

　結局、彼らの尽力で、国内線のマンダラ航空を乗り継ぎ、ジャカルタ、スラバヤを経由するフライトを押さえることができた。Rp.888,000（約11,000円）という、驚くほどの安さで。

　デスクに座ったまま、言われたとおり受け取ったチケットを確認した。いちばん最初のフライトは午前８時、パダン発となっている。問題ない。

　ここブキティンギに空港はなく、搭乗するには南へ３時間ほど走ったパダンという町まで行かなければならなかった。それでもバリ島へは同日の午後４時過ぎに到着できる。大丈夫。どうにかなるだろう。

　バリ島の空港から、彼の宿泊するヌサ・ドゥア（ふたつの岩）と呼ばれるエリアまでなら、タクシーで30分もかからない。入島の手続きや何やかやを入れても、１時間で行けるはずだ。なんとかなる。なんとかならなければ、またそこで考えればいい。

　チケットをかばんに詰め込み、ジャラン・ヤニと呼ばれる大通りを戻った。学校で明日の授業の準備をしなければならなかったからだ。この町で過ごしてもう10日。日課となった授業準備に、インドネシア語のおさらい。そして明日また、彼らとの真剣なひとときが待っている。

 [1]

　郵便局の前にさしかかったあたりで、通りの反対側から名前を呼ばれた。最初はひとつだったその声は、ふたつになり、みっつになり、通りの向こうに目を向けたときには、何人もの生徒たちが手を振りながらぼくの名前を叫んでいた。

　行き交うクルマの列を気にしながら車道を横切り、彼女たちのもとへと急いだ。総勢７名の女子生徒たちは、これから揃ってパサール・アタスへ買い物に行くという。

「タイラさん、もし予定がなかったら一緒にどう？」彼女たちは口をそろえて言った。「でも、これから学校？　今は？　どこ行ってたんですか？」

「パサール・アタス。ほら、チケット取りに。」ぼくはかばんからチケットを取り出して言った。

「えー、私たちも買い物なんですけど、もう一回行きません？」

「いや、実はね、もう今日だけで２回も行ってるんだ」

「なーんだ。じゃあ、おんなじだから３回目も行きましょうよ！　決まり！」

　まただ、と改めてぼくは思ったりもする。また、このインドネシアのノリに押されてしまっている。彼女たちにわさわさと両手を引かれ、なかば連行されるようにして、たった今降りてきたばかりの階段へ向かった。今日３度目の、あの長い階段を。

　歩きながら、ふと思いついて、生徒のひとりにカメラを預けることにした。目についたものをなんでも好きに撮っていいよ、と。

　そう伝えたところで、カメラ用の電池を買い足すつもりだったことを思い出し、ぼくはひとりで苦笑いを浮かべた。結局、もう一度あの階段を昇らねばならないことに変わりはなかったのだ。

　「電池、途中でなくなるかもしれないから言ってね。パサールで買うから大丈夫、安心して」そう付け足したぼくの声に、彼女は少しほっとした表情を見せた。

　操作の仕方を教えると、彼女はおそるおそるシャッターを切りはじめた。最初はぼくたちの姿ばかりを被写体にしていたが、やがて時計塔や町の姿、市場の中や風景などもすすんで撮るようになった。時に笑顔のまま、時に真剣なまなざしで。

　そんな彼女の姿を見ていたら、不意に心が震えた。彼女のそのまなざしの奥に、何か、忘れてはいけない大切なものが含まれているような気がしたからだ。

 [2]

　パサールの中を、遠足の子供たちみたいにひとかたまりになって歩いた。はしゃぎながら、手を叩いて笑いながら。何度歩いても、この空間の匂いや光が好きだった。角を曲がるたびに新しい温かみが待っていてくれる。ぼくにとってこの空間は、そんなふくよかな思いに満ちた場所だった。

　ビーズのネックレスがずらりと並んでいたり、子どもたちが使うのだろう可愛らしいイラストの付いた文房具が山と積まれている。また別の店では、干した川ウナギやタナゴに似た銀色の魚の干物が、俵ほどの大きな麻袋に詰め込まれて並んでいる。

　どこからか漂う揚げ菓子の匂いや、香ばしいスパイスの匂いや、鉄板を叩く金ベラの音。

　町の息遣いがうねるように市場全体にあふれ、傍らには、店番をしながら赤ん坊に乳を与える若い母親の姿や、一家総出で果物を売る小さなスタンド。そんな光景のすぐ隣りには、生徒たちがブキティンギ名物と笑う「かりんとう」や「キャッサバチップス」の問屋が幾重にも軒を連ねていた。

　「がまの油」のようなたたき売りのパフォーマンスを眺め、キャッサバチップスをひと包み買ってみんなで分け合い、時に笑いころげながら、ぼくたちは賑やかに市場を歩きまわった。授業のこと、この旅のこと、友達のこと、みんなの未来のこと。

　途中、何人かの生徒が昼食をとっていない事を知り、ぼくはみんなで食事をしようと提案した。どこへ行くかは彼女たちに任せることにして、ただ、どんな形であれ、何かをご馳走したいとぼくは思っていた。

　入ったのは市場の奥にひっそりと佇む小さな店だった。看板もメニューなく、カウンターについた瞬間に調理が開始されるような場所だ。けれども店はそれなりに繁盛していて、こんな多人数で押しかけてはと躊躇したが、忙しく動き回る店主はさっとぼくらの姿を認めると、白い歯を見せて笑いながら席をつくってくれた。

　わいわいとカウンターを囲み、おしゃべりをしながら料理が運ばれるのを待った。こんな放課後を味わうのなんて、いったい何年ぶりだっただろう。

　カウンター越しに手渡された料理は、まるであんかけそばのような見た目をしていた。皿のいちばん下に、全粥を寒天のようなもので固めたロントンと呼ばれる名物料理が並び、その上にゆでた焼きそばの麺、たっぷりのもやし、仕上げには、これまたたっぷりの甘辛いピーナッツソースが掛けられていた。

　ため息が出るほどおいしい、というわけではなかったが、それでもシャキシャキとしたもやしの歯触りや、全粥ゼリー「ロントン」のほのかな甘みがやさしくて、こうしてみんなで食べるのに相応しい料理だった。

　食事をしながらも、カメラを預けた生徒はうれしそうにシャッターを切っていた。他の生徒たちも、店員たちとミナンカバウ語で何やら楽しそうにことばを交わし、こうしてぼくらが食べにきていることなどを話していた。

　そんな光景を目にしながら、ぼんやりと、これまでの旅を心に思い浮かべた。10週間。日本を出て、既に10週間が過ぎようとしていた。

　様々な出会いがあり、別れがあった。深い悲しみがあり、止まらぬ涙があり、心を包む音楽があった。でも、ぼくはそのすべてに別れを告げながら、新たな町を目指してきた。

　ひとつの場所に留まることがない以上、別れは、いつだってぼくの進む道の先に待ち構えていた。やっとの思いでたどり着いても、別れはまた、そうすることが宿命であるかのように、ぼくの身体から何かを無情にさらっていく。

　別れたくない。

　不意に、そんな思いがぼくを鷲掴みにした。別れてはいけない、ここに留まるんだ、と。それは、旅に出てはじめての感情だった。そして、そんな自分の感情に気付いたとき、両目から思わず涙が滲んだ。

　慌てて涙をぬぐい、小さくため息をついた。そんな必要はなかったのに、思いを悟られまいと横にいた生徒にこう話しかけていた。「ねえ、これちょっと辛いね」「やだ。タイラさん泣いてるの？」「あはは。ちょっと辛くて」

　生徒たちの何人かは、これから家へ戻って手伝いをしなければならなかった。他の生徒たちもまた「授業の復習をしなきゃ」と恥ずかしそうに笑った。ともに歩き回り、食事をし、おしゃべりをして、気付けばかれこれ２時間以上もはしゃぎまわっていた。

「タイラさん、パサール・アタスの奥にあるパサール・プティ（白の市場）まで行きましょう」と、生徒のひとりが言った。衣類や布地だけを専門に扱う市場なのだと、別の生徒がことばを足した。そして、今日はそこでおひらきにしましょう、と。

　２階建ての布地問屋の通路に並んで、最後に、集合写真を撮ることにした。カメラを預けた生徒はまた、ぼくにその真剣なまなざしを見せてくれた。小さなモニターを見つめる彼女の瞳に、もういちど胸がふるえた。宝石のようにキラキラとした、黒く、大きな瞳。

 [3]

　一枚撮り終えたあとで、彼女は「チエー・ラギ（もう一枚ね）」とミナンカバウ語で言った。けれど、ぼくは思わず彼女を制し、反射的にこう伝えていた。「ありがとう、今度はぼくが撮ります。さあ、みんなと一緒に並んで」と。

　けれど、彼女が口にしたのは、こんな思いがけない言葉だった。「タイラさん、私たちのこと忘れないでね。私も、タイラさんのカメラでみんなの写真を撮ったこと、ずっと忘れない」

　そう声にする彼女の顔には、こぼれそうな笑顔があった。

　あたたかな気持ちのまま彼女たちと別れ、ひとりで学校までの道を歩いた。いつかまた、パサール・アタスへと続くこの坂道を歩くことがあるかもしれない。けれど、もう二度と、こんなふうにこの道を帰ることはない。

　すっかり見慣れてしまった町並みを、ひとつひとつ、なぞるように見つめた。

　別れたくない。そんな思いを代弁するように、舗道にこすれる自分のサンダルの音が、背中から追いかけるみたいに響いた。

　明日の朝、ぼくの最後の授業がはじまる。そして、この町を離れていく。

[1] http://www.transiency.com/images/62pl.jpg
[2] http://www.transiency.com/images/55pl.jpg
[3] http://www.transiency.com/images/56pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>風、ふたたび／ブキティンギ(6)</title>
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		<pubDate>Tue, 02 Sep 2003 01:47:05 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　土曜日の朝、本来なら休みのはずの日本語クラスの生徒たちが、ひとり、またひとりと学校に姿を見せ始めていた。
　おはよう、おはよう。
　始まりの挨拶がぼくの耳にも届く。インドネシア語のやさしい響きが、鼓...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　土曜日の朝、本来なら休みのはずの日本語クラスの生徒たちが、ひとり、またひとりと学校に姿を見せ始めていた。

　おはよう、おはよう。

　始まりの挨拶がぼくの耳にも届く。インドネシア語のやさしい響きが、鼓膜と心の両方を震わせ、そっと、身体の内側を温めていく。生徒たち一人ひとりの笑顔に向かって、心を込めてぼくも「おはよう」を返す。今日という新しい一日に、おはよう、おはよう。

　生徒たちが学校に集まった目的はひとつだった。マニンジャウ湖へぼくを案内すること。昨日の午後、授業が終わったあとでリスマール先生が生徒たちにそう呼びかけてくれていたのだ。

「明日授業はありませんが、一緒にマニンジャウ湖へ行きませんか。そこで、また日本語でお話をしてください。私たちは、タイラさんのことが大好きです。」

　生徒たちは、それぞれに明日の予定を確認しあっていた。授業のない土曜日、彼らの多くは家の手伝いを任されていた。市場でランブータン売りを手伝ったり、父と共に畑へ出たり、あるいは行商の手伝いをしたり。

　ふと、彼らの家族を思うと、言いようのない申し訳なさがよぎったりもした。明日、働き手がひとり減ってしまうことになる。気紛れな旅行者のぼくと、この町にある彼らの日々の暮らしのこと。

　それでも、なんとか都合をつけようとあれこれ相談しあっている生徒たちを、ぼくは見守るようにじっと見つめていた。掛けることばは見つからなかったけれど、でも、視線が合うたびに自然と笑顔がこぼれた。ありがとう。生徒たちもまた、少し恥ずかしそうにして、にっこりと微笑み返してくれた。

「あした一日だけなんとか来られないかな？」「大丈夫だよ、日曜日だったら私も手伝うから」「３時ぐらいまでに戻ってこられたらいいんだけど」「でもタイラさんとおしゃべりしたいよ」「じゃあ先に二人で戻ろうか」「いいよ、今日のうちになんとかしてみるよ」

　彼らのやりとりの断片が、細切れに聞こえてくる。ひとつひとつのことばが胸に沁みた。一人ひとりを、順番に抱きしめたいとさえ思った。

 [1]

　学校を出発したのは、太陽が南中に差し掛かる少し前のことだった。

　生徒の一人がミニバスを１台チャーターしてくれ、彼らに手を引かれるようにして乗り込んだ。ぎゅうぎゅう詰めの車内では、肩を寄せ合いながら過ごした。インドネシア語とミナンカバウ語と英語と日本語が、乱れ飛ぶ矢のように行き交った。おしゃべりの声と、笑い声。遠足みたいだ、と思った。そして、そう思った途端に、なぜだか涙がこぼれそうになった。

　道すがら、生徒からミナンカバウ語の挨拶を教わり、ぼくは何度も何度も復唱した。

「Baa nasip ang yuang?（ご機嫌いかが？）」「Paya kini daa!（元気だよ！）」

　そう繰り返すたびに大きな笑いが起こった。「上手だな、すごい上手だよ！」運転手までもが、運転そっちのけで振り返り、ぼくに向かって「Bagus!（最高!）」と言ってくれた。

　マニンジャウ湖は、ブキティンギの町から南西へ３０キロほど離れた場所に位置している。スマトラ島第２のカルデラ湖。青く湛えた湖水と、周囲をめぐる深緑の木々。生徒たちは、ぼくにマニンジャウ湖について色々と話を聞かせてくれた。

「霧が多くて湖面が隠れてるときもあるんだけれど、もし霧が晴れて湖の姿を見られたら、大切な人に幸せがおとずれる。そう、家族とか、恋人とか、友達とか、大切な人みんなに」

　湖を見た本人ではなくて、その人が大切に思っている人たちに幸せがおとずれる。そんなミナンカバウの言い伝え。とても、とてもすてきだと思った。彼らのやさしさの源泉に触れた気がした。ささやかで、あたたかかなその手ざわりに。

　総勢15名を乗せたミニバスは、途中「Kelok 44 (44の急カーブ)」と呼ばれる過酷な山道をひた走った。それでも笑い声が絶えることはなかった。

　標高が上がるにつれ、あたりに霧が漂い始めた。出発したときはあんなに晴れていたのにだ。けれど、この心の晴れやかさはどうしたことだろうと感じていた。曇りひとつない穏やかな空が、心の内側をやわらかく包んでいた。

　およそ２時間の移動の末にたどり着いた湖は、冷たい霧雨の中にあった。

　美しいと言われる青の湖面も、取り囲む新緑の木々も、今は薄い湿り気の中だ。それでもぼくたちは雨の中を、湖を一望できる突端の東屋へ向かって、長い階段を上ったり下ったりして歩いた。その一歩一歩が、彼らと一緒に踏みしめるその一歩が、かけがえのないものに思えた。

　東屋の下で、たっぷりとおしゃべりをした。授業の続き、といった内容のことから、ぼくの日本での暮らしのこと、この旅のこと、家族のこと、友達のこと、大切な人たちのことを。

　彼らもまた、この同じ空の下で今日を懸命に生きていた。がむしゃらに突き進むというのではなく、だれかを思いながら、だれかの笑顔を守りたいと願いながら。

「ぼくらにはイスラム教っていう信仰があるんだけれど、でもね、それで全部が解決するわけじゃないんだ」

「そう、苦しいことってたくさんある。でもね、受け止めるんだよ、苦しさをね、嘆いたり悲しんだりしないで、受け止めるんだ」

「いつか、その苦しみを許せる日が来るまで、じっと、負けないで生きていくんだ」

　ぼくは、なにひとつ宗教を持たない。

　イスラム教について知っていることも、学生時代にほんの１年間だけ講義を受けた程度のものだ。コーランの教えの中に彼らのことばと同じ意味合いのものが含まれているかどうかさえ、ぼくには分からない。でも、それでいい。それで構わない。こうして、彼らと一緒に過ごすこの時間さえあれば。

　木々の匂いと、雨の匂いを乗せた風が吹く。穏やかな時間が、湖を包む霧のようにゆったりと流れていく。

　以前、授業中に伝えた「ギターを弾いて歌うことが好きだ」というぼくのことばを、生徒たちはずっと覚えてくれていた。そして、二人の生徒が自宅からギターを持参していて、ひとつをぼくに手渡してくれた。

「なにか、日本の曲を聴かせて。」

　しばらく迷って、結局ぼくは自分の曲を歌うことに決めた。七年前の旅の途中、ジャワ島西部・パガンダランという海辺の町で生まれた、ささやかな自分の歌を。

　歌い終わった後、お返しにと、彼らがインドネシア語の歌を歌ってくれた。優しいメロディーで、ぼくにも歌詞の意味がつかめるものを選んでくれた。「cinta（愛）」ということばが何度も繰り返される歌。しばらくの間、そんなふうにしてギターを代わる代わる手にして歌った。

　ふと、ギターの持ち主の生徒が、ポケットから丁寧に折りたたまれたノートの切れ端を取り出した。

「タイラさん、この歌は知っていますか？　もし知っていたら歌ってほしいです」

　差し出された紙には、すべてひらがなで書かれた歌詞がびっしりと書かれていた。彼らにも意味がつかめるように、ことばの区切りには、すこしの空白をあけて。そして、右隅には見慣れた筆跡のアルファベットのサイン。

　KARAKKAZE

　思わずぼくは声をあげた。「知ってるよ、すごい知ってる。いや、でもまだ一回しか聴いたことないから、全部は歌えないんだけど、でもね、この“からっ風”のことはよく知ってるよ。だって、あいつは俺の友達なんだ」

　その紙の持ち主の生徒は頬を高潮させて興奮しながら言った。「すごい！！　彼はね、ぼくたちの音楽の先生なんだ。やさしかった。いろいろと歌ってくれたんです。そう、ブキティンギのカフェで、一緒に」

　そのことばが、自分のことのように嬉しかった。ぼくよりも先にトバ湖を離れた“からっ風”は、この土地でも、そして目の前にいる彼らにも、きちんとその足跡を残していたのだ。

　もう一度、ひらがなだけで書かれた歌詞の文字を見つめた。“からっ風”のやさしさが、そのぶっきらぼうな筆跡に滲んでいた。

　くちなしのことば　ひゃくやっつの どあ あけて
　からっぽで　とうめいで　とてもちっぽけな あのへやに　あなをあける

　『口なしのコトバ』／からっ風

「タイラさん、見て！」

　生徒の一人が、突然そう声を上げた。彼女の指す指先には、さっきよりも少しだけ明るさの増したマニンジャウ湖があった。ぼくらは東屋の囲いに集まって、ゆらゆらと漂う霧の行方を目で追った。太陽の光が、ゆっくりと地上へ降り注ぎ、まるで霧をなだめるようにして、その青の湖面を照らし始めた。

 [2]

「見えたね」「……うん。やっぱり、見えた」

　どこからか、そうことばを交わす声が聴こえた。それは、まるでぼくの心から聞こえてくることばにも思えた。

「大切な人に幸せがおとずれるんだ。そう、家族とか、恋人とか、友達とか、大切な人みんなに」

　もう一度、風が吹いた。それは湖から吹く風だった。

　ふと、“からっ風”の、あの豪快な笑い声を思いだした。彼もきっとまだこの旅の空の下にいるはずだった。「空っぽで 透明で とてもちっぽけな あの部屋に 穴を開け」ながら。

[1] http://www.transiency.com/images/53pl.jpg
[2] http://www.transiency.com/images/54pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>丘に吹く風 後編／ブキティンギ(5)</title>
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		<pubDate>Mon, 01 Sep 2003 00:46:31 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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			<content:encoded><![CDATA[　インドネシア語で「高い丘」を意味するブキティンギの町を、彼女と二人で言葉を交わしながら歩いた。学校から町の中心である「丘のてっぺん」へ続く道は、深緑の木々にあふれ、吹きそよぐ風は一瞬の切実さを内に秘めて頬を過ぎていった。

「タイラさん、タイラさん？」

　そんなふうに名前を呼ぶサンティの声に、いつも、ぼくは少しだけ身体を屈めるように返事をした。ごく自然にそうしていたけれど、隣りにいる誰かとの身長差を意識しながら歩くなんて本当に久しぶりのことだった。

「タイラさん？」

　笑顔のまま、ちょっと見上げるようにして名を呼ぶサンティに、ぼくはまた身体を少し屈めて「Apa？（ん？）」と小さな声で頷く。

「ここまで旅をしてきて、どこがいちばん楽しかった？　メダン？　トバ湖？」

　サンティはまるで体操の選手がするみたいに、指先をすっと伸ばし、跳ねるように舗道の段差を越えた。肩に掛けた小さなバッグの紐を、しっかりと握りしめながら。

「まだ旅の話をしてなかったね。スマトラ島に渡る前、実はマレーシアとタイに行ってたんだ。かれこれ２ヶ月ぐらい」

「２ヶ月も？」

「そう、２ヶ月も。あんな小さなリュックで。今になってみると、どこも同じぐらい楽しかった。だから、一番なんて決められないんだ」

　通り過ぎてきた町の、光の色や、空の青さ。すれちがった人たち。そんな記憶のどれかひとつに、一番なんてつけられなかった。良いこともそうでないことも、全部、ぼく自身の旅なのだから。

「覚えてるのは、空の青さが違うってこと。クアラ・ルンプールの空も、チェラティンの空も、スラタニも、ピピ島も、ブキッラワンの空も、ぜんぶ青さが違うんだよ。そして、どれもがぜんぶ美しい」

「ブキティンギの空も綺麗でしょ？」

　そう言って笑うサンティの笑顔を、ぼくはそっと胸の奥にしまった。「そうだね」と笑顔で頷きながら、何かを振り払うように、８月最後の空に視線を向けた。

　刷毛で引いたような薄い雲が、空に光と影の模様を描き、さらさらと丘の稜線の方へ流れていく。この空を、きっとまた思い出すときが来るのだろう。きっと、いつの日か、この先の未来のどこかで。

「タイラさん。夜はね、ここから星がいっぱい見えるの。月だってすごく綺麗。だから私はこの町が好き」そう言い切るサンティの横顔が、ほんのつかのま、やさしく透き通って見える。一瞬が、まるで永遠みたいに甘く溶けていく。

「私はこの町しか知らないから、いつか、別のところにも行ってみたいって思ってる。だってジャカルタにすら行ったことないんだもの。同じインドネシアなのに。首都なのに。だからもし、いつかどこかに行けるんだったら、私は、いちばん最初にタイラさんが好きだっていう場所に行ってみたい」

　彼女の声が、不意に身体の内側のいちばん深いところへ届く。掛け値なしに、まっすぐの重みで。

　同時にぼくは、数日のうちに確実に訪れるだろう別れのことを思ってしまう。だからこそ、恥かしそうな笑みを向ける彼女に、ぼくは諭すように何度もうなずいてみせる。大丈夫だよ。まだ、ぼくはここにいる。まだここにいるから、と。

　パサール・アタスへ続く長い階段を、追いかけっこをするように登り切り、ぼくたちは息を切らせながら後ろを振り返った。眼下には、彼女の愛する町が広がっている。風が、丘を吹き抜けていく。

「さて、ここから私がタイラさんのガイドをします」

　ぼくとの距離をほんの少しだけ詰めるように足を踏み出して、彼女はそう声高らかに宣言した。面白くてたまらない、とでも言うように。

「まず最初に洋服屋さんに行きます。洋服屋さんは好きですか？　タイラさん。女の子はね、お気に入りの洋服屋さんをふたつぐらい持ってるものなの。知ってた？」

「ふたつぐらい、ってのは知らなかったな」ぼくは笑いながら言葉を返す。「サンティさんにはいくつあるの？　そういう洋服屋さん」

「ん？　ふたつ！」

　迷路のように入り組んだパサール（市場）の中を、二人で宝捜しをするみたいに歩いた。

　日用品を扱う店、貴金属、時計、文房具の店。布地の問屋もあれば、ジーンズだけを扱う店、女性の下着を、まるで刈り取った牧草みたいに山積みにして売っている店もあった。目新しいものがあるわけではなかったけれど、確かにそこは、暮らしという名の息遣いに溢れていた。

　どこかやさしく、懐かしくて、そんな普通の光景がかえって旅の途上にあるぼくの心を温めてくれた。

　途中、小さなスタンドでドーナツを買った。プレーンのものと、ココナツ・フレークが乗ったチョコレートのものを。それぞれを３つずつ計６個でRp.2,000（約28円）という安さだった。

　頑張ればひとくちで食べられそうな大きさのそれらを、歩きながら分け合って食べた。素朴な小麦粉の味がやさしかった。

　彼女のお気に入りの洋服屋さんを回り、その足で、ブンドカンドゥン公園の中にある動物園へと向かった。

「ねえ、サンティさん。でも、どうして動物園なんだろう？　今日のコース」

　恋人たちや家族連れでにぎわう公園を歩きながら、そんな出来の悪い質問をした。もしかしたら心のどこかで、予想通りの答えが返ってくることを期待していたのかもしれない。今日はデートだから、と。

「だってそれは、ここがブキティンギのデートコースだからです！」

　やっぱり、とぼくは心の中で頷き、同時に小さな誓いを立てる。今を、今だけを考えていこう、と。こうやって、二人で同じものを見つめることができる今を。こうやって二人で言葉を重ねられる今を。こうやって偶然のつながりの中で出会えた今を。

「でもね、動物園だけじゃないの、まだまだいっぱいあるから。博物館でしょ、コック要塞でしょ、それから……」

「もしかしたら、今日ぜんぶ回るのかな？」

「タイラさん、だって今日はデートだもの」彼女はちょっと拗ねたような顔で返事をする。そんな彼女の言い方がたまらなく愛しいと思う。

「そっか、だって今日はデートだものね」

 [1]

　丘の上にある動物園は、ぜんぶを回り切るためには坂道や階段を何度も登ったり下ったりしなければならない場所だった。それでもぼくらは、二人でオランウータンを相手ににらめっこをしたり、死んだように身動きひとつしない巨大なアリゲーターに号令を掛けてみたり、ベンチに腰掛けて、近寄ってきた野良猫を膝に抱いてかまったりしながら、ゆったりと時間をかけて過ごした。

　同じ公園の中にあるミナンカバウ博物館にも立ち寄り、続けて、陸橋でつながった対岸のコック要塞へも足を運んだ。

　吹き抜ける風が彼女の髪を揺らした。風は、何かをそこへ留めたいと願うかのように、ささやかな音を立てて通り過ぎていった。

　途中、何度かサンティの知り合いにすれ違ったが、そのたびに、彼女の友人たちは口元をほころばせながら「彼、恋人なの？」と訊いた。照れくささと背中あわせの、あのからかいにも似た笑顔とともに。

　厳格なムスリムであるミナンカバウの人たちにとっては、こうして一緒に歩いているだけで「そういう関係」ということになってしまう。つまり、公認の仲だ、と。

　もしかしたらサンティの心の中には「家族にも挨拶は済ませたし、だからもう私たちは……」という思いがあったのかもしれない。いや、きっとそうだったのだろう。だからこそ、そんな質問をされるたびに現実とのギャップに気付いて、彼女はすっかり戸惑ってしまっていた。

「いまね、彼は日本語を教えてくれててね、そう IBTI でいつも一緒でね。それでその、えっと……」

　ぼくが旅行者であるという事実を誰よりも理解していたのは彼女の方だった。だからこそ余計に、そんなサンティの姿を見るたびに、ぼくは自分がとてつもなくひどいことをしている気分になった。

　彼女の気持ちに応えることはできなかった。ぼくは、ずっとこの町にはいられない。どうしてもここに留まることはできない。

　＊

　最後に向かったのは、シアノッ渓谷を見渡せるパノラマ公園だった。そしてここが、今日のコースの最終目的地。

　折り重なるように葉を茂らせる木々の下を、ぼくたちは無言のまま歩いた。木漏れ日の揺れる公園の舗道には、懐かしいような切ないような、そんな冷やりとした土の匂いがあった。

　渓谷を見渡せる展望台のフェンスに寄りかかりながら、しばらく、何も言わずにその光景を眺めた。切り立った崖が遥か眼下に沈み、深い森が、その鋭さを覆い隠すように幾重にも重なりあっていた。空には一筋の雲もなく、青く透明な空が渓谷のずっと先まで続いていた。

「……帰りましょう」

　そう口を開いたのは彼女の方だった。振り向くと、そこには何かを言いたくて、でもどうしても声に出せずにいる、傷つきやすい19歳の女の子の横顔があった。

　ふと、今ぼくがもし彼女と同じ19歳の男の子だったとしたら、いったいどうだっただろうと思ったりもした。根無し草な旅の途中で、いくつもの偶然が重なり、こんなにも穏やかな時間を過ごせる女の子と出会えていたら、いったいぼくはどうしていただろう？

　答えは明らかだった。100パーセント恋に落ちている。ぼくは彼女を離さないと願うだろう。

　でも、実際にぼくが言葉にできたのは、それとは別のものだった。そして、こう言葉を掛けることしか今のぼくには出来なかった。

「今日、本当に楽しかった。ありがとう。歩きながら景色を見たり、空を見たりするのっていいね。本当に、本当にありがとう。ぼくも、この町が好きになれた気がする」

「私も楽しかった。ううん、ありがとう。本当に、本当に楽しかった」

　彼女はそう言って、ふいに顔を横に反らした。堪えていた涙が、彼女の頬を静かに伝った。零れ落ちる寸前の涙が、彼女の口元で、どこへも行けずにためらっていた。

「サンティさん」ぼくはそう噛み締めるように言った。

「ここからはぼくがサンティさんを案内します。一緒に学校まで帰ろう。ミニバスでもいいけれど、せっかくだから馬車に乗って帰らない？　ほら、入口に何台も待っていたよね？　あれに乗ってみようよ」

　もう一度、ぼくは雲ひとつない青空を見つめた。渓谷から吹き上げる風が耳元で小さく鳴いた。ここにぼくの暮らしはない。でも本当にこの町を好きになれた気がする。サンティの愛するこの町を、このぼくも。

「私、もう少し一緒に歩きたい。学校まででいいから、バスでも馬車でもなくて、一緒に歩いて帰りたい」

　しばらく経ったあとで彼女はそう呟くように言った。小さな声だったけれど、でも彼女の顔には、ほんのわずかな笑顔が戻っていた。

「もちろん」

　そう言って、ぼくはサンティの手を取った。彼女の手はまるで子供みたいに小さなものだった。

　その温もりを感じながら、ぼくは心の中でこう何度も願っていた。

　ずっとじゃなくていい。ほんの少しの時間でもいいから、このぼくの手のひらを覚えていてほしい、と。

[1] http://www.transiency.com/images/51pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>丘に吹く風 前編／ブキティンギ(4)</title>
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		<pubDate>Sun, 31 Aug 2003 23:37:05 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　　誰もいない学校で彼女を待っていた。サンティ。
　彼女もまた、この場所で中国語（マンダリン）クラスのアシスタントをしていた。まだ、19歳の女の子。ベテランの教師たちに混ざって教鞭をとる彼女は、時に友...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　　誰もいない学校で彼女を待っていた。サンティ。

　彼女もまた、この場所で中国語（マンダリン）クラスのアシスタントをしていた。まだ、19歳の女の子。ベテランの教師たちに混ざって教鞭をとる彼女は、時に友人のように生徒たちに慕われ、時に、優しい姉のように愛されていた。

　サンティは、さまざまな言葉を話すことができた。日常語であるミナンカバウ語はもちろん、公用語のインドネシア語、英語、マンダリン、フランス語。そして、ほんの少しの日本語まで。初めて会った時、彼女は満面の笑顔を見せて日本語でこうぼくに言った。

「ハジメマシテ、コンニチハ。タイラサン、ワタシ、ニホンゴワカリマセン！」

　彼女と言葉を交わせるのは、お昼休みか授業後のわずかな時間だけだった。他愛のない話ばかりでせっかくの時間を無駄にしたこともあったけれど、彼女の話すインドネシア語訛りの英語は、いつもぼくの心を優しく撫でてくれた。大きな夜空にささやかな三日月の姿を見つけた時みたいに。

　インドネシア語の響きは、本当に、本当に優しい。

　スハルト政権が崩壊した時、あるイギリスのメディアはその様子をこんな言葉で伝えていた。「優しい言葉のクーデターだ」と。テレビ画面から流れるハビビ新大統領の就任演説を見ながら、ぼくも確かにそう感じていた。これは優しい言葉の革命なんだ、と。

　＊

　昨日の夜、既にサンティの家に招待されていた。いや、無理矢理紹介されに出向いた、と表現した方が正しいかもしれない。

　授業の後、校長先生の車でパサール（市場）まで買出しに行った。帰り際、後ろのシートに座っていたサンティが意を決したようにぼくにこんなことを言った。「あなたを家族に紹介したいの。ちょっとでいいから来てくれる？」と。

　インドネシア流のおもてなしにすっかり慣れてしまったぼくに、大きな躊躇いはなかった。ひとつあるとすれば、ここブキティンギの人々はインドネシアでも指折りの厳格なムスリムだということだけだ。

　未婚の女性が男性を家族に紹介するという行為に、一抹の不安がないではなかった。

　パサール・バワと呼ばれる大きな市場を右へ折れた先に、サンティの住む家はあった。稜線に沿うようにしてかわいらしい住居がいくつも建ち並び、彼女の家は、そのいちばん上。壊滅的なほど雨に濡れた土と泥の坂道を、彼女の背中を追いかけ、這うように歩いた。

　部屋に通されると、サンティは奥から母と妹を連れてにっこりと笑った。彼女はミナンカバウ語で二人に何かを言って聞かせた。「こんにちは、はじめまして」とぼくはインドネシア語で言った。それから、サンティに向かって、かつての彼女と同じフレーズを続けた。「ワタシ、インドネシア語ワカリマセン！」と。

　もちろん、ぼくは笑いを取りたいわけではなかった。こんな場面でおどけてしまうのは、ただただ緊張感に耐えられないだけの話だ。

「タイラさんは IBTI で日本語を教えてくれてるのよ。」サンティは顔いっぱいに笑みを浮かべ、そんなふうにぼくを紹介してくれた。

 [1]

　ゆっくりしたいのは山々だったけれど、あまり長居もしていられなかった。校長先生が待ってくれていたのもあったし、これから一緒に夕食の支度をすることにもなっていた。

　結局、15分もしないうちに彼女たちにいとまを告げた。温かな紅茶を飲み、丁寧にお礼を伝えて席を立った。

　「お気をつけて」と彼女の母は言った。穏やかな眼差しがしんと胸に沁みた。「下まで送るね」と、サンティはやわらかな声で言った。妹も一緒にぼくを見送ってくれるという。

　差し出される厚意にどこかで後ろめたさを感じながら、それでもまた、すっかり甘えてしまう自分がいた。本当は、優しくされることにまだ上手く馴染めてはいない。

　通りへ戻る細道は来た時よりも数倍歩きにくかった。油断をすると簡単に足を取られ、一気に下まで転げ落ちそうになった。本当に笑いを取りたいのであれば、そのまま下まで転がった方がよかったのかもしれない。

　履き心地の柔らかなベトナム製のサンダルにぎゅっと力を込め、大地を足で掴むように歩いた。前を行くサンティは時おり歩みを止め、「ここ、気をつけてね」と笑顔で教えてくれた。事前に言われて用心しなければ本当に下まで転げ落ちそうなほど、ぬかるんだ道はぼくの足からするすると逃げていった。

「ところで、さっきお母さんになんて言ってたのかな？　ミナンカバウ語だったから、ほとんど分からなかったよ」

　ようやく道も落ち着き、話が出来るだけの余裕が生まれたところで、そう試しにサンティに訊いた。彼女の、まるで説得するような口調がずっと気になっていたからだ。

「ううん。大したことじゃないの。明日ね、タイラさんと一緒に動物園に行くからって、そう伝えたの」

　まただ、と思う。こういう展開になるたびにいつも思う。また、ぼくの知らないうちに話が進んでいる。どうやら明日、ぼくはサンティと動物園に行くことになったらしい。その了承を取りに、わざわざお母さんに紹介してくれたのだ。

　あまりにインドネシア的な話の展開に、思わずぼくは心の中で笑った。呆れてしまったわけではなく、こんな演出したサンティが可愛らしく思えたからだ。

　＊

　時計は午前11時を少し回っていた。

　「お昼ぐらいに」と約束をして昨日は別れたはずだったが、階下へ降りるとサンティはすでに来ていて、小さな鏡で前髪を必死に直していた。ぼくにはまだ気付いていない。

　ふと、漫画みたいな展開になるかもしれないなと、馬鹿げたことを思った。突然に声をかけてびっくりさせたらどうなるだろう。彼女はどぎまぎしながら鏡を後ろ手に隠して、きっと恥かしそうな笑顔を向ける。漫画みたい。ラブコメみたいだ。

　唐突に「おはよう！」と声をかけた。案の定、彼女はその声に慌てて立ち上がり、手鏡を後ろに隠しておろおろとした。すごい、本当に漫画みたいだ。

　彼女は顔いっぱいに照れ笑いを浮かべ、「見てたの？」と恥かしそうに言った。あまりに予想通りの展開に感心しながら、ぼくは小さくうなずいて彼女にやさしく言った。

「前髪、直ったね。かわいいよ」と。

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		</item>
		<item>
		<title>食べて、笑って／ブキティンギ(3)</title>
		<link>http://www.transiency.com/63</link>
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		<pubDate>Sat, 30 Aug 2003 21:25:54 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　昨日は結局２つの授業に参加しただけだったが、今日は本格的に教鞭を取ることになった。９０分の日本語クラス２コマに、中学生の英会話クラスにゲストとして。まさに、真剣勝負の１日。
　日本語の授業が行われる...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　昨日は結局２つの授業に参加しただけだったが、今日は本格的に教鞭を取ることになった。９０分の日本語クラス２コマに、中学生の英会話クラスにゲストとして。まさに、真剣勝負の１日。

　日本語の授業が行われる部屋は他の教室とは雰囲気を異にし、生徒たちは、コの字に配置されたテーブルを囲うようにして、直接カーペットの敷かれた床に座っていた。

　教室に招き入れられると、彼らは立ち上がって声を揃え「おはようございます」と頭を下げた。きっとお辞儀が「日本人の仕草」として認知されているのだろう。ぼくも同じように頭をぺこりと下げて「おはようございます」と返した。そして同時に、その紋切り型とでも言いたくなる目の前の光景にささやかな違和感を覚えた。

　「どうしてヴェールを被ったムスリムの少女たちが深々と頭を下げなければならないのだろう。日本語を学んでいるから？　目の前に日本人がいるから？　それが日本式の挨拶だと教わっているから？」と。

　でも、それは仕方のないことだと思う。もし彼らの一人に「だって日本人はこうやって挨拶するんでしょう？」と訊かれたら、きっとぼくはあやふやに頷くしかできない。確かに、実際はそうなんだけれど、と。

　顔をあげた生徒たちの目には、少しの緊張と照れと、これから始まるぼくの授業への期待とが、奇妙なバランスで交じり合っていた。もう少しで泣き出してしまいそうな瞳まであった。イイップの言ったとおり、目の前にいるこのぼくが彼らの接する初めての「日本人」なのだ。

「みなさん、おはようございます」

　ぼくはもう一度笑顔を見せてゆっくりと言った。でも、それでもまだ、言明できない奇妙な違和感を拭うことができなかった。仕方がない。少しずつ時間をかけて接し、いつか彼らにもこの違和感を伝えられたらいい。もう一度ぼくは笑顔を見せて「日本語を楽しみましょう」と声をかけた。生徒たちのまっすぐな瞳に、ほんの少しの後ろめたさを感じながら。

 [1]

　授業は主にインドネシア語で行われた。ぼくに授業を行えるだけのインドネシア語のスキルがあったかどうかは疑問だったけれど、それでも、板書をするときには必ず「ひらがな」「ローマ字」「インドネシア語」「英語」の順で書いた。ひらがなの部分を発音し、読めない生徒のためにローマ字を指しながら繰り返し、対応できる単語があれば、その都度、インドネシア語を指して意味を伝えた。

　ひとつのセンテンスに４種類の表記と発話が必要だったが、インドネシア語の部分では、生徒たちや、１年間、広島大学に留学したことのあるリスマールという名の女性講師の助けを借りた。

　文法的な側面から、あるいは助詞の意味や用法、語形変化から用言の活用まで、ざっくりとした内容ではあったけれど、クラスごとの習熟度に合わせた内容を伝えることに努めた。満足なテキストもなく、すべて手探りで日本語を教えるということに何度もくじけそうになった。日本語ということばを、ぼくは本当は何も分かっていないのではないか、と。

　外国人向けの「日本語」教授法として印象的だったのは、用言の活用に独特の考え方があることだった。五段活用や上一段活用なんてどこ吹く風だ。ことばの変化を、構造的な側面ではなくセンテンスの中で捉える意図があったのだろう。動詞はこんな分類がなされていた。

「辞書型」：食べる　笑う
「ない型」：食べない　笑わない
「ます型」：食べます　笑います
「 た 型」：食べた　笑った
「 て 型」：食べて　笑って

　形容詞、形容動詞についても様々な工夫がなされていた。当然のことながら、リスマール先生もこの型をもとにぼくへの質問や確認をすることになる。それは初めのうち、インドネシア語をマスターするよりも難しい考え方に思えた。

「タイラ先生、『食べて、笑って』は、『食べる、そして、笑う』、ちがうですか、同じですか？」

　アドバンスクラスの生徒の一人が、ふとそんな質問を投げかけた。「『て型』は、うしろへ続く、できます。」と。

　洞察力のある鋭い質問だった。彼女が問題にしているのは「て型」と呼ばれる分類に含まれる、接続助詞「て」についてだった。ある意味これほど答えに窮する質問もないかもしれない。多くの日本人にとっても、前提の違う文法環境で学んだ彼らに満足な解説をするのは至難の業だろう。

　ぼくはまず、彼女にこう答えた。「とてもいい質問です」と。そして、板書した「食べて　笑って」の下に「食べる　そして　笑う」と書き加えた。

「答えから先に言いますと、このふたつの表現は違います。もちろん『て型』はうしろに続くことができますが、それは『そして』を使って続ける場合とは異なる場合があるのです。」

　リスマール先生が、思わずこう言葉を漏らした。「タイラさん、とても難しいです。私にも分かりません」

　そんな彼女の言葉にぼくも微笑んで言った。「リスマール先生、実はぼくも分かりません。これはとても難しい質問です。でも『違う』ということは確かです。同じではありません」

　「でも、きっとこれから日本語を使っていくうえで、この疑問はとても大切なものになると思います。」

　ぼくは質問を投げかけた女生徒に向かって、そうゆっくりと語りかけた。「ぼくらが学んでいるのは、知識ではなく“ことば”なのです」と。

 [2]

「今からぼくが話す内容は、もしかしたら正しい説明ではないかもしれません。でも、皆さんは既にたくさんのことばを学んできているわけですから、今までとは違った側面から“ことば”を捉えてみましょう」

　ぼくはそんなふうに解説を始めた。もちろん、接続助詞「て」の説明をしても埒など明かない。だいいち「原因・理由」だの「継起」だの「完了」だの、そんな知識を彼らは求めているわけではなかったのだ。

「“て型”の“て”について考える前に、まず、変化をしている動詞を考えてみましょう。動詞と呼ばれる言葉には、色々な種類がありますね？　『食べる』『笑う』。それから『遊ぶ』も『見る』も『泣く』なども、すべて動詞です」

　言いながらホワイトボードに大きな円をふたつ描き、ぼくは、それぞれの上に「action」と「feeling」という文字を記した。さらにその文字から虹の形にアーチを引き、その中央を「verb」という文字で結んだ。小さな笑みを浮かべて振り返ると、生徒たちはふたつの大きな円とぼくとを交互に見つめた。中には、ぼくの意図するものを察し、こぼれそうな笑顔を見せる生徒もいた。

　ぼくが伝えたかったのは、つまり、そういうことだった。

　単純に「そして」で動作を並べてみても、そこに、理由や感情は生まれてこない。原因や、動作や、思いや戸惑いまで寄り添い、互いに結びつくことで、ぼくらは本当の意味で“ことば”を理解できるようになるということ。

　彼らが授業を通じて学んだ言葉は、今はまだ、川の流れに点在する岩のようなものだった。「そして」で両者をつなぎ、ふたつの意味が分かれば充分なのも理解できる。でも、ぼくが伝えたかったのは、もっと丸みのある言葉の世界だった。互いが連鎖し、からみあって生まれる、あやふやで柔らかな世界だった。

　スマトラ島の山間の街で、ぼくは彼らの真剣な眼差しに触れながら、ふと自分が学生だったときのことを思い出していた。勉強と名の付くものを悉く毛嫌いし、教師という存在をすら小馬鹿にするような生徒だった自分自身の姿を。

　高校時代、いったいぼくはどれほどの日数を教室で過ごしたというのだろう。３年間かけて出席した日数は、きっと２年分にも満たないはずだ。留年せずに卒業できたこと自体が奇跡だった。

　山ほどの小説を抱えては屋上で読み耽り、すでに常連客となっていた小さな喫茶店の片隅でも、傍らにコーヒーを置いて本のページを繰ってばかりいた。

　その頃のぼくは文字通り本を呼吸していた。真剣に教師の声に耳を傾けたことなど、一度だってなかった。

「感情を伴う動作には、たとえばどんなものがあるでしょう？　同時に、モノの動き、変化や、様子を表すことばにはどんなものがありますか？」

　どれだけの生徒がこの解説を理解できたのだろうかと、ふと思う。厳密に言えば、ぼくの話した内容はすでに語学の枠から外れてしまっていたし、質問への回答というよりも、それを足がかりに言葉の世界を垣間見せようとする試みでさえあった。ある意味で、ぼくは教師ですらなかった。答えのないものを伝えようとしていただけなのだから。

　でも、それでも、とぼくは確かな気持ちで思う。

　偶然と呼ばれる何か大きな力の存在と、この不思議な安寧だけは、まっすぐに信じてもいいのではないかと。

　異国の小さな町の片隅で、ヴェールを纏ったムスリムの少女たちと日本語を学び、ともに笑い、挙句に学校で寝起きをすることなんて、いったい誰が予想できたというのだろう。

　ぼくはただの旅行者のはずではなかったか。何ひとつ残さずに立ち去りたいと願う旅人だったはずなのに。


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		<title>大丈夫、大丈夫／ブキティンギ(2)</title>
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		<pubDate>Fri, 29 Aug 2003 04:52:07 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　目を覚ましたとき、一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。飾りと呼べるようなものが何ひとつない簡素な部屋。枕元には「英語－インドネシア語」対応の工業系の用語辞典が置かれ、脇のテーブルには目覚し時計...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　目を覚ましたとき、一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。飾りと呼べるようなものが何ひとつない簡素な部屋。枕元には「英語－インドネシア語」対応の工業系の用語辞典が置かれ、脇のテーブルには目覚し時計と小さな鏡が並び、数冊の雑誌が几帳面に積み上げられている。

　天井を見る。そして、やっぱりこの天井に見覚えはない、と思う。寝ぼけた頭で、今に至るやりとりを思い出そうと試みる。生徒たちに囲まれ、日本語で一筆書いては意味を伝えていたはずだ。穏やかな笑い声と、はにかんだ笑顔があり、いくつもの真剣な眼差し、そして、それから……。

　身体を起こし、もう一度部屋の中を見回した。ドアのすぐ隣りには、枯れ枝のような形の衣装掛けが置かれ、その足許に寄りそうようにして、南京錠が掛かったままのぼくのリュックがぽつんと置かれていた。ドアの手前には一枚の小さな刺繍布が敷かれ、その上に、きちんと揃えられたぼくのサンダル。

　ここ、どこだっけ。もう一度そう思いながら壁にもたれて、はたと息を呑む。手をついた両方の手のひらに、柔らかく温かな感触が伝わる。ベッドマット。そして、滑らかなシーツの手触り。その感触ではじめて、自分が今の今まで、部屋の片隅に直接敷かれたこのベッドマットの上で熟睡していたことに気が付く。

　立ち上がり、もう一度部屋をぐるりと見回し、仄暗く青い光の零れる窓辺へと足を運んだ。そっと、板ガラスの窓をスライドさせて、窓の外を眺める。そこには、屋根の両端が鋭く天に伸びた風変わりな建物が見える。いや、風変わりだけれど、でもどこか厳粛な趣きを、その青いシルエットから感じ取ることができる。そして、俄かに始まるアザーンの歌声。

 [1]

　しばらくの間、目を閉じてイスラム教の礼拝の時刻を告げる歌声に耳を澄ませた。拡声器から流れる哀愁を帯びた響きに、はるか砂漠の褐色の町並みを思い描きながら。まだ見ぬ砂漠の町、モスクを彩る瑠璃色のタイル、風の音、陽射し、汗の匂い。そんな思いを心の中で遠くに飛ばし、小さく息を吐き出してみる。そしてふと現実に戻って、もう一度こう思う。いったい、ここはどこなんだろう、と。

　窓辺に腰を下ろし、背中で壁にもたれて、結局、最後までアザーンの歌声を聴いた。瞳を閉じ、耳を澄ませ、その音が自分の心臓の音と重なっていくのをイメージしながら。

「インシャラー（神の思し召しのままに）」

　宗教を持たないぼくの胸にも、そんなイスラムの言葉が啓示のように掠めていく。神の思し召しのままに。そうか、そうなのか。胸の奥底から不可思議な確信が沸き起こり、心を埋め尽くした。何が大丈夫なのかは分からない。けれど、もう大丈夫なんだ、と。

　気がつくと、閉じた両目から涙が溢れていた。涙だと気がつくまでしばらくかかるぐらいに、それは自然な涙だった。指先で、そっと頬を伝う涙を拭った。涙は、体温よりもずっと温かく、雨のように優しかった。

 [2]


　その日の夜、朝ぼくに声を掛けてくれたイイップという名の青年の家へ招待された。「一緒に夕食を食べよう。家族にタイラを紹介したいんだ」と。彼は２４歳で、専門学校を出たあとに大学に通い始めたこともあり、肩書きは大学生だった。今はちょうど長期の休みで、帰省も兼ねてブキティンギに戻り、コンピュータークラスのアシスタントとして働いていた。

「ぐっすり眠ってたね、もう平気？」

　二人でブキティンギの夜道を歩きながら、彼はそんな言葉をかけてくれた。「あの部屋、ずっと空いてるから使っていいってボスが言ってたよ」

「ボス？」

「そう、一人だけネクタイしてた人がいたでしょ？　あの人が校長先生」

「まだ若い人だったよね？」

「３５歳ぐらいだったかな。さっき、タイラが垂れ幕書いてたとき言ってたんだ。あとで空いてる部屋に案内してあげなさいって」

「そうだったんだね、知らなかった」

「そりゃそうだよ、だって案内したときは寝てたもの」

「じゃあ、ぼくは寝ながら階段上がったのかな？」

「覚えてない？」

「あんまり」

「すごかったよ。両手ついて階段上がったんだ、こうやって」

　イイップは笑いながら、赤ん坊がハイハイするような仕草をしてみせた。彼のそんな仕草がとても楽しげで、照れくささも多分にあったけれど、つられて自然に笑ってしまった。いったいぼくは何をしでかしたのだろう。

「ボスにお礼言うの、明日でも平気かな？」ぼくはそうイイップに訊いた。

「お礼なんていいよ。垂れ幕書いてくれたし、授業にも出てくれたし。生徒たち、すごく喜んでたでしょう？　だってあの子たち、日本人と話したの初めてだって子も少なくないんだから」

「そっか。でも、本当にありがと。今朝、声かけてくれて、すごく嬉しかったよ」

「ぼくも嬉しかったよ、こんなに仲良くなれて」

　そう言って、イイップは朝と同じような穏やかな笑顔を見せた。

　イイップの自宅は、ブキティンギの丘に広がるパサール・アタスという中心街から、さらに北へ進んだ静かな住宅地にあった。彼に勧められるままドアの内側へ進むと、目元の優しげな、すべてを包み込むような笑顔の彼の母と、恥かしがり屋で、でも芯の強そうな可愛らしい妹が出迎えてくれた。

「お母さん、お会いできて嬉しいです。妹さん、はじめまして」

　咄嗟に、そんなインドネシア語が口をついて出てきた。それは、マラッカの宿で働いていたシティという名のスマトラ出身の女性から教わったフレーズだった。スナン・ブルトゥム・ドゥンガン・イブ、アディッ・プルンプアン。

　突然目の前に現れた日本人がおもむろにそんなインドネシア語を発したからか、ふたりの表情がパッと明るくなるのが分かった。拙い発音だったし、たどたどしいイントネーションなのはぼく自身も理解していた。でも、こうやってインドネシア語できちんと挨拶できたことが嬉しかった。

「今日ね、IBTIで生徒たちに日本語を教えてくれたんだよ。もうすっかり友達なんだ」

　イイップはそんな言い方でぼくを紹介してくれた。「友達なんだ」ということばの温かみが、イイップの穏やかな声に乗って胸に沁みた。

　見知らぬ土地で出会い、ことばを重ね、こうして一緒に居られるという事実が、何よりも嬉しかった。まるで冷たい雨の午後に飲むココアみたいに温かく、甘く、優しいめぐりあわせだった。

　もう一度、ぼくは温められた気持ちのまま「こんばんは、タイラです。日本から来ました」とふたりに笑顔を見せて言った。それからイイップをちらりと見ながら「ぼくのインドネシア語、あってる？」と、小声で冗談めかして訊いた。彼の母と妹の、ふたつの穏やかな笑い声が聴こえた。

「大丈夫、あってるよ」

　イイップはいたずらっぽい笑顔を見せてぼくに言った。


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[2] http://www.transiency.com/images/60pl.jpg]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>惹かれあう／ブキティンギ(1)</title>
		<link>http://www.transiency.com/61</link>
		<comments>http://www.transiency.com/61#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 28 Aug 2003 04:47:46 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　8月28日。どうやらそれは、ぼくの人生にとって特別な日付らしい。
　西暦2000年のその日、拙著『ジムノペディ』という詩集が、七月堂という小さな出版社から刊行された。２年後の同日、まるで熟れすぎた果...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　8月28日。どうやらそれは、ぼくの人生にとって特別な日付らしい。

　西暦2000年のその日、拙著『ジムノペディ』という詩集が、七月堂という小さな出版社から刊行された。２年後の同日、まるで熟れすぎた果実が地面に落ちるかのように、４年間の結婚生活に終止符を打った。離婚届という、向こうが透けて見えるくらい薄っぺらな紙切れ一枚によって。

　妻とぼくは、もう同じものを見つめたり、その先に続くあらゆる出来事を受け止めていくのをやめた。「私たち、でもうまくやってたよね。」提出した後で、妻はぼくにそう言った。「離婚届、まじまじと見ちゃったんだけど。私、思った。あなたの書く字が大好きだったんだ、って」

　それからきっかり１年後の今日、どうしたわけか、ぼくは西スマトラのブキティンギという町で、「ようこそＩＢＴＩへ　一緒に日本語を勉強しましょう」などという垂れ幕を、ペンキと刷毛でデカデカと書き記していた。しかも右隅に“28.8.2003 TAIRA”という署名まで入れて。人生何が起こるか、本当に分からない。

　＊

　その日の朝、リュックを背負いながら文字通りフラフラになってブキティンギの町を歩いていた。

　パラパッからの道のりは、いくら最上位のバスとは言えかなり過酷なものだった。バスはブキティンギまでの15時間、急カーブが続く山道をほぼノンストップで走り抜けた。倒したシートに身を沈みこませ、どうにか眠りに就こうと努めてはいたが、結局、一瞬たりとも眠ることができなかった。

　カーブのたびに、身体が勝手に寝返りを打ってしまうのだ。

　両脚をつっぱり、肘掛けをしっかり握っていないと、遠心力でバスの通路に投げ飛ばされそうになる。そうでなければ、反対側の壁に激しく打ち付けられる始末だった。そんな移動が15時間も続いた。絶望的なほどの吐き気を覚えたが、胃の中のものを吐きだす余裕すら残っていなかった。

　這うようにバスを降り、それでも宿を探さなければと町を歩いた。相変わらず手探りのまま、人の流れに逆らうように。

　いったい自分はどこへ行こうとしているのだろうと、そんな呆れるぐらいに本質的な疑問にぶち当たりながら、でも前に進まなければ、足を動かさなければと、そればかりを考えていた。

　やがてニ叉路にぶつかり、ほとんど無意識に右の道を選んだ。めっきり人通りも途絶え、道幅も心持ち狭くなっている。時計の針は朝７時半過ぎを指していた。ちょうど短針と長針がひとつに重なるぐらいの時刻だ。

　道路脇の建物から一人の青年が飛び出してくるのが分かった。そして、しきりに何かを叫んでいた。でも、まさかそれが自分に向けて発せられている声だとは思わなかった。「ねえ、君だよ！　君のことだよ！　ふらふらじゃないか、こっちで休んでいきなよ！」

　足を止めて青年を振り返ると、彼は道路を突っ切ってぼくのもとに駆け寄り、そのまま手を取って建物へ招き入れてくれた。温和そうな青年だった。「疲れてるでしょう？　ダメだよ、休まなきゃ」と彼は笑顔で言った。その時になって、ようやく彼の発するインドネシア語をつかまえるだけの余裕が生まれた。ごめん、ありがとう。ぼくは溜息まじりにそう答えた。

　中へ通されると、ロビーのような空間に数台のパソコンが置かれ、レセプションのようなカウンターに制服姿の女性が座り、周りには、ブックバンドで結んだ数冊の本を手にした少年や、頭からすっぽり布を被ったムスリムの少女が歩き回っていた。

　招き入れてくれた青年に言われるまま、ひとまず荷物を降ろしてテーブルに座った。「とにかく、休んだ方がいいよ」と、彼はまた人の良さそうな笑顔で言った。

　レセプションの女性も加わり、ひとしきりテーブルで言葉を交わした。インドネシア語と英語をごちゃまぜに使いながら、これまでの旅のことや、いったい自分が何者であるのかについて。

　彼らはぼくに色々な質問をし、それから熱心にこの町についての地図を描き、マーケットの立つ場所や、ネットカフェ、安いゲストハウスや美味しい食堂などをたくさん教えてくれた。

「なにか、温かいものを出してあげなきゃね」

　青年はそう言って立ち上がると、暫くして、奥からコップに入った白い液体を運んできてくれた。直感的にホットミルクだと思ったが、勧められるままひとくち含むと、それは温められた甘い豆乳だった。甘くて暖かかくて、優しい味がした。温もりが身体全体に染み渡っていくようだった。一睡も出来ず、ぼんやりとした頭であっても、彼らのもてなしの温かみは理解できた。ある意味それは夢見心地な瞬間でさえあった。

 [1]

　この建物の正体が何であるかを知ったのは、それから実に１時間以上も経ってからだった。その間、訳も分からず保育所のようなスペースに案内され、子供たちと一緒に歌を歌ったり、一緒に写真に収まったりと、事態を一向に飲み込めないまま、ただ、自分が奇妙なほど彼らに歓迎されていることだけを感じ続けていた。

　結論から言えば、ここは“IBTI（Institute of Business & Technology Indonesia）”という一種の教育施設だった。さっきの子供たちはジュニア英会話クラスの生徒たちだという。パンフレットを一部もらい、カリキュラム表に目を通した。そこには、英語やマンダリンに混ざって、しっかりと「日本語クラス」が設置されていた。

　しかし、ようやく事の状況を把握できた頃には、別の意味で手遅れの状態になっていた。彼らにしてみれば、こんなふうに日本人と接することができる機会をみすみす手放すわけはなかった。ここは豆乳屋でもなんでもなく、れっきとした教育の場なのだから。

　どこまでお人好しなのかと自分でも呆れてしまうのだが、言われるまま飛び入りで英会話クラスの教壇に立ち、日本についての質疑応答を行い、漢字やカタカナ、ひらがなについて伝えてみたり、食文化や習慣、果ては音楽や映画のことまで、それこそ思いつく限りの話を英語とインドネシア語を総動員して伝えた。実に、時間にして１時間半も。

　その後、くだんの垂れ幕を描き、昼食をご馳走になり、よく冷えた紅茶やお菓子までもらい、大勢の生徒たちに囲まれ、日本語で一筆書き入れては意味を伝える、ということを延々と繰り返した。体力的にはぎりぎりの状態ではあったが、せっかく出会えた彼らの、その好奇心の数々を簡単に無碍にすることなどできなかった。

　しかし午後２時を回ったところであっけなく力尽きた。目を開けていることが苦痛に感じら、生徒たちと話をしながら、唐突に、けれど決定的に眠りに落ちた。意識が飛んだと言った方が正しかったかもしれない。

　次の記憶は、おぼろげなものだった。どうにか最後の気力を振り絞り、荷物すら持たず、彼らに支えられながら階段を這うように昇ったところまでは覚えている。けれど、記憶はそこでぷっつりと途切れたままなのだ。

[1] http://www.transiency.com/images/47pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>ティナ 後編／パラパッ(2)</title>
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		<pubDate>Wed, 27 Aug 2003 04:40:50 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　10日ほど前、ブラスタギからこの湖畔の町パラパッへたどり着いた時も、靄のような細かな雨が降っていた。それは例えば、肌を濡らす冷たさではなく、大気に溶けた水滴の匂いで雨だと気づくような、そんな種類の雨...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　10日ほど前、ブラスタギからこの湖畔の町パラパッへたどり着いた時も、靄のような細かな雨が降っていた。それは例えば、肌を濡らす冷たさではなく、大気に溶けた水滴の匂いで雨だと気づくような、そんな種類の雨だった。

　そして今日このパラパッの町を、あの時と同じ雨が包み込んでいた。板ガラスの窓から入り込むすきま風の中や、部屋を一歩出たその先の空気に、あの時と同じ雨の匂いが含まれていた。

　長距離バスの予約がうまく取れず足止めを食っていたが、２日待って、ようやく今日のバスに乗れることになった。最高値の、ほぼ真横にまで倒れるリクライニングシートのバスに。

　「スーパーエグゼクティヴ」と銘打たれたそのバスを選んだのには理由があった。旅の途上で何度も耳にした「スマトラ島は世界三大悪路のひとつ」という言葉を、既に充分すぎるほど味わっていたからだ。

　次の目的地ブキティンギまでは所要15時間と聞いた。その数字だけでうんざりした。硬いシートのバスで15時間も山道を進むなんて、考えるまでもなく耐えられない。確かに値段は張ったが（エコノミークラスの３倍だ）、それよりも快適さを取った。ぼくは苦行をしに来たわけではなかった。

　バスはメダンから発ち、スマトラ島の幾都市かを経由してジャワ島まで行くという。距離にして青森―下関間とほぼ同じぐらいだ。次の目的地をブキティンギと決めていたぼくは、たとえ所要15時間とは言え、その長大なルートのほんの一部分に便乗するに過ぎない。

　＊

　夕方までにはあまりにも時間がありすぎた。本を読もうにも、手許にあるのはどれも最低２回は読んでしまったものばかりだった。

　ふと思いついて、宿のオーナーであるトニーの部屋へ行き、一緒にギターを弾いた。彼は以前「喜多郎」とセッションをしたこともあるという、ちょっとしたギタリストだった。ぼくがバッキングを担当し、トニーがソロを弾いた。すべてがアドリブだった。ぼくの鳴らすコードはどれも思いつきだったが、トニーの弾くフレーズは、そんな素人の出す音の上にあっても自由だった。華やかで、どこか郷愁を誘うフレーズ。この男の身体にもまたバタックの血が流れていた。

　トニーとのセッションは昼前には終わりを告げた。トニーに、シアンタールの町へ行く用事があったからだ。彼に合わせて早めにチェックアウトを済ませたが、出発の５時まで部屋を使っていいと声をかけてくれた。「鍵は妻に渡してくれよ」と。けれど、その顔は少し悲しげだった。

「お前に会えて楽しかったよ、でも見送りが出来なくて」トニーはそこまで言って握手を求めてきた。ささやかな出会いの後の、ささやかな別れ。正直なところ、握手というものは気恥ずかしさが先に立って、あまり好きな行為ではなかったが、差し出されるままぼくはその手を握り返した。彼の手はあの繊細な音色とは裏腹な、しっかりとした父親の手だった。

 [1]

　ティナの働く食堂へ行ったのは、それからしばらくしてからだった。朝から何も食べていなかったことに気づき、数少ない選択肢の中からあの食堂を選んだ。

　そういえば昨日の夜、ティナは勝手にこんな約束を取りつけていた。「明日も来るんでしょ？　だったら続き教えてよ、いいでしょ？　はい、約束ね、約束」と。

　相変わらずのワガママぶりにあてられてはいたが、結局のところ、彼女は甘えたがりなだけだった。かまってあげないとすぐに拗ねる。もしかしたら、こうやって何人もの旅人を見送るだけの今の立場につらさがあったのかもしれない。それは昨日、半日以上ティナのそばにいて感じたものだった。

「あのね、約束ってのはね、お互いの合意の上に成り立つもんだと思うんだけど」

　昨日の夜、ぼくも負けじとそう言い返してはみたものの、予想するまでもなく、そんな言葉がティナに効果を及ぼすはずもなかった。「なに言ってんの、この人」という目つきでぼくを睨むと、「はいはい、またね」と覚えたばかりの日本語で言い捨て、さっさと店の奥に引っ込んでしまった。はいはい、またね。

　食堂に向かうと、ぼくの姿を見つけたティナは両手で「Ｐ」の字を作ってこう言った。「タイラ！　プロミス！」負けずにぼくも片手で「Ｊ」の字を作り「ジャンジ（約束）！」とインドネシア語で返した。昨日よりも、ぐっと距離が縮まった気分だった。

　ティナの作ったミー・ゴレン（焼きそば）を食べながら、結局、出発時間のギリギリまで日本語の勉強に付き合った。もうティナは、ひらがなとカタカナの使い分けまで出来るようになっていた。

「ねえタイラ、もし私が手紙を書くとしてね、例えばね、例えばだよ、もちろん例えばだけど、どんな書き出しだったら嬉しい？」

「あのね、日本語だとね、手紙の書き出しってロマンティックじゃないんだよ。だから、ティナの知ってる英語の書き出しでいいんじゃない？　ハローとかディアとか」

「そういうんじゃなくて。例えばね、例えばだよ。例えば、好きな人に送るときとか」

「ははーん。“からっ風”に送るんだろ？　知ってるよ」

「うるさいな。いいじゃん別に。ほっといてよ」

「アイシテルって書けばいいよ、最初から」

「は？　馬鹿じゃないの？　どんな書き出しだったら嬉しいかって訊いてんの！」

　そんなやりとりが暫く続き、結局ティナがテキストの裏に書いたのは、こんな熱烈なフレーズばかりだった。しかも、各フレーズの最後には、ご丁寧にぼくの名前を添えて。

 [2]

「あのさ、ティナ。ひとつ聞いていい？　頭に“ex”が付いてるけど、これってつまり……」

「だーかーらー。“例えば（example）”って言ってるじゃない、さっきから」

「ねえ、すごく面白いよコレ。“ex. My Sweet darling, Taira”とか、最高」

「あのね、じゃあ言うけどね。あなたは“からっ風”みたいにかっこよくないけど。ねえ、いい？　全然かっこよくないですけど、まあでも、優しいし、親切だし、いい人だしね。まあ、なんて言うか、あなたのことも好きだよ。でも“cinta（love）”じゃなくて“suka（like）”だからね。勘違いしないで。“suka（like）”だから！」

　そんな言葉を聞いて、文字通り腹を抱えて笑ってしまった。面白い、面白すぎる。ある意味正直で、ある意味デリカシーがなくて、そんなところがティナらしくてよかった。こんなに感情がはっきりと顔や言葉に出てしまう人間も珍しい。

　いや、だからこそなのかもしれなかったが、ティナはこうしたやりとりの間じゅう、何度も何度もぼくに「私と一緒にいて退屈しない？　教えるの疲れた？」と訊いた。決して悪い人間ではなかったのだろう。自分の感情はもちろんのこと、相手の感情の動きにも敏感に反応できる人間だった。ただそのやり方が、少しばかりはちゃめちゃなだけで。

　別れ際、何か「記念のもの」が欲しいと言われた。「あなたを覚えてたいから」と。ぼくは財布を取り出して、たまたま入っていた五円玉硬貨をティナに手渡すことにした。「五円ってのは、日本語の“ご縁”って言葉を想起させるいい言葉なんだよ」と。心の中で思わず「お前どこの爺さんだよ」と、自分につっこみを入れたりしながら。

「は？　ゴエン？」

「そうそう、ご縁。なんて説明すればいいかな。インドネシア語だと、ちょっと分からない。でも、そうだね。英語だったら“Something like a chance to fortune（幸運のきっかけみたいなもの）って感じかな」

　ティナはぼくの説明に眉をひそめてうなずき、それから「わたし騙されてるよね？」という不信感ありありの表情を見せた。そんな反応が面白くて、ぼくは半ば無理矢理に五円玉を手に握らせて席を立った。

「ティナ、またね」ぼくはそう彼女に笑顔で言った。

　けれどもティナがぼくに言った最後の言葉は、こんな言葉だった。「さようなら。アイシテル、タイラ」

　＊

　８ヵ月後、ティナから一通の手紙が届いた。あれほど悩んでいた書き出しの部分は、ローマ字でこう書かれていた。「Hi...Ogenki...？」と。そして、彼女の手紙に書かれていたこんな一文が、ぼくの胸を打った。このワガママで気紛れな少女の心の内側を、以前よりもっと身近なものとして理解できたような気がした。

“Love is beauty but not every beauty have love.（原文のまま）”
「愛は美しさ。だけどすべての美しさに、愛があるわけじゃない」

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[2] http://www.transiency.com/images/46pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>ティナ 前編／パラパッ(1)</title>
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		<pubDate>Tue, 26 Aug 2003 04:32:33 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　パラパッという、特に見所のない湖畔の町で、すっかり足止めを食っていた。次の目的地ブキティンギへ向かうバスの予約が、あまりスムーズにいかなかったからだ。
　宿の屋上に登っては空を眺め、やる気のない食堂...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　パラパッという、特に見所のない湖畔の町で、すっかり足止めを食っていた。次の目的地ブキティンギへ向かうバスの予約が、あまりスムーズにいかなかったからだ。

　宿の屋上に登っては空を眺め、やる気のない食堂でまったくやる気のない食事をし、土産物屋をひやかし、あとは部屋で本を読んで過ごしていた。

　「からっ風」の知名度は、ここパラパッでも絶大なものだった。

　パラパッの町でも何度かギターを弾く機会があったが、そのたびにいつも「日本人のギター弾きを知ってるか？」と声をかけられた。そして、そう声をかけてくる男たちはみな、口を揃えて「あいつは俺の友だちでさ」と自慢気に言葉を付け加えた。それだけ「からっ風」の歌や笑顔の虜になっていたのだろう。

「俺の友だちでさ」と言い聞かせる彼らの言葉を耳にするたびに、ぼくはぼくで同じぐらい誇らしげな気持ちになっていた。「それって“からっ風”のことでしょう？　もちろん知ってるよ、俺もあいつの友だちなんだ」と。

 [1]

　まだ陽の高い時分に、ふらりとパラパッの小さな町を歩いた。土産物屋や食堂や、ゲストハウス、旅行代理店、雑貨屋などが、わずか２００ｍほどの通りにひしめいている場所だ。

　目についた一軒でビーズのアクセサリーでも探そうかと立ち止まったとき、背後から「こんにちは！」と日本語で声をかけられた。はっきりとした日本語だったが、その声は、かすれ気味の、まだ少女のものだった。振り返る間もなく彼女の口から続けて発せられたのは、こんな言葉だった。

「Are you Japanese? Do you know Japanese boy “Karakkaze” ?」

　いささか面食らいながらも、振り返って声の主を確かめた。小さな食堂の入口で、いたずらっぽい笑顔を浮かべている一人の少女の姿。ぼくと目が合うと、彼女は文字通り「へへへ」と笑った。

「今、“からっ風” って言ったよね？　もちろん知ってるよ」ぼくは島の男たちの真似をして、そう自慢気に彼女に言った。「アイツは俺の友だちなんだよ」と。

「あ、そう。ところでお腹すいてない？　うち寄ってけば？」

　とんだ肩すかしだった。昔の４コマ漫画だったら確実にずっこけているところだ。彼女はぼくの言葉にほとんど興味を示さず、さっとぼくの腕を引っ張って小さな食堂に入っていった。「寄ってけば？」なんてものではない。軽い拉致だ。

　突然の出来事に抵抗を示すぼくに、彼女は「まあまあ、いいじゃない」と、そんな目つきで一蹴し、ぼくを隅のテーブルに押しやり、インドネシア語で事務的にこう言った。

「お腹すいてるんでしょ？　で？　なに食べるの？　ご飯？　麺？」

　その時になって、かつて「からっ風」がぼくに話していた「パラパッのハスキーボイスの女の子」のことを思い出した。もしかしたら彼が言っていたのは、この少女のことかもしれない。「ハスキーボイス、背が低い、すぐ拗ねたようなふくれつらをする。」

　これが「からっ風」から聞いていた情報だった。やはり、彼女のことなのかもしれない。強引に食堂に連れ込み、事務的にメニューを取り、気紛れに笑顔を見せるこの目の前の少女は、その特徴すべてに当てはまるような気がした。

「ねえ、なに食べるの？　早く言ってよ、ナシゴレンでいい？」

「いや、ミーアヤム（鶏肉入りラーメン）ひとつ」

　ぼくは笑いを抑えながら、そう彼女に告げた。「ミーアヤム。美味しくなかったら帰るよ」と冗談を付け加えて。

　驚いたことに、彼女は日本の女の子が言うのとまったく同じ口調で「はいはい」と日本語でめんどくさそうに呟くと、店先のガスコンロの方へ向かった。面白い、と思った。こんなユニークなインドネシア人に出会うのは初めてだった。

　ミーアヤムを待つ間、彼女が果たして「からっ風」の言っていた食堂の娘と同一人物なのかどうか、何か決定的な決め手はないかと考えた。しばらく経って思い出したのは「からっ風」のこんな言葉だった。

「俺がね、I love you は日本語だと“愛してる”って言うんだって、そう教えてしまったわけですよ」

　ぼくはガスコンロの前で忙しく調理をしている少女に向かって、試しにこう叫んでみた。「“愛してる”ってどんな意味か知ってる？　もし知ってるんだったら、その言葉を教えてくれたのは誰？」と。

　予想していた通り、返ってきた言葉は「Japanese boy, Karakkaze !!」だった。ビンゴ。思わずぼくは声に出して笑った。そうか、そうだったか。彼が言っていたのはこの少女のことだったのか。「いや、俺がね、教えてしまったわけですよ」そう言いながら頭を掻く「からっ風」の困った表情が目に浮かんだ。また笑いが込み上げてきた。

　彼女の名はティナと言った。正確には「マルティナ・シライッ」という名前だった。「からっ風」の言っていた通り、表情が豊かで、ユーモアがあり、すぐに拗ね、時おり人を小馬鹿にしたようにフフンと鼻で笑ってみせたりと、なかなか飽きのこない可愛らしい少女だった。

　ミーアヤムを食べている間、ティナはぼくの隣りに座って「美味しい？　ねえ、なんか言ってよ、美味しいの？　美味しくないの？　どっち？」と何度も訊ねた。そんなしつこさが逆に可愛くて、ぼくは敢えて無言のまま黙々と麺をすすった。「ねえ、どっちなの？　食べてるんだから美味しいんだよね？　なんか言ってよ、ねえ、美味しいんでしょ？」

　実際のところ、そのミーアヤムはこれまでで一番「まともな味のする」ミーアヤムだったし、「どっち？」と訊かれたら、まず間違いなく「美味しい」の部類に入るものだった。でも、簡単に「美味しい」と答えてしまうのはもったいない気がした。ぼくは相変わらずだんまりを決め込んで、フフンと鼻で笑ったりしながら、きれいにミーアヤムをたいらげてみせた。

　どんぶりをテーブルに置き、煙草に火を点けてゆっくりとくゆらし、それからおもむろに「美味しかったよ」とティナに言った。「美味しかったよ、すごく」

　ティナは一瞬だけホッした表情を浮かべたが、次の瞬間には「まあね、当たり前じゃない」とでも言いたげな目線でフフンと笑った。もう一度「面白い」と思った。ちょっとの間で表情がくるくると変わる。見ていて本当に飽きないと思った。

 [2]

　食器を片付けた後で、代わりにティナが持ってきたのは日本語のテキストだった。高校で日本語コースの授業を受けていたという。しかも、３年間も。テキストを開くと、あちこちにインドネシア語でメモが書き加えてあった。そして、もう一度ぼくにその意味や用法を訊ねてきた。「これ、教えてよ、何なのコレ？」と。

　印象的、と言うよりも、むしろ翻訳の難しさを切に感じたのは「さようなら」の用法だった。

　学校では "Sampai jumpa lagi" の意味で「さようなら」という言葉を教わったという。もちろんそれで間違いなかったけれど、その訳出はどうにも適切ではないとぼくは思った。

　さようならには別離の意味合いが多く含まれてしまう。つかのまの別れ、あるいは永遠の別れとして。

　でもインドネシア語のそれには「またね」「じゃあね」ぐらいの意味しかないはずだった。英語にそのまま置き換えれば「Still meet again」となる。本当にさようならを告げたいのであれば、"Selamat jalan / tinggal" の方が相応しいはずだ。

　ぼくはその違いをインドネシア語と英語を交えてティナに説明した。間違っても、日本人旅行者に「またね」のつもりで「さようなら」と言わないように、と。

　ティナは、ぼくのそんな説明をこまめにテキストの余白にメモした。“matane = sampai jumpa lagi”“sayounara = selamat jalan / tinngal”

　語学を学ぶ上で、いちばん難しいのがこういったニュアンスの問題だと思った。学校の勉強ではとかく意味に偏ってしまいがちだし、そのニュアンスを伝えられる教師の数そのものが絶対的に少ないのだろう。もちろん、ぼくのインドネシア語にしても同じことだった。こうやってティナと話をしながら、少しずつ修正を繰り返していく必要があった。

　そんなこんなで、結局ティナにつきっきりでテキストの大半をおさらいする羽目になった。昼過ぎに食堂に入ったはずだったのに、呆れたことに、時計はすでに夜11時を回っていた。

　途中で何度も眠くなり席を立とうとしたが、そのたびにティナに「えー、帰っちゃうの？」という顔をされ、同時に「えー、帰っちゃうの？」とインドネシア語で本当に言われた。眠い眠いと何度伝えても、あと30分、あと15分、あと１分とせがまれ、結局宿に戻れたのは日付が変わる頃だった。

　実に８時間以上もティナの勉強に付き合ったことになる。

　それでも、この疲労感は心地良いものだった。今日一日、それなりに充実していたと思った。長い旅の中で、たまにはこんな一日があっても良いとさえ。

　その時はまだ、まさか次の日もまた同じ光景が繰り返されることなど、思ってもみなかったけれど。

[1] http://www.transiency.com/images/59pl.jpg
[2] http://www.transiency.com/images/45pl.jpg]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>See you next life／トゥットゥッ(6)</title>
		<link>http://www.transiency.com/58</link>
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		<pubDate>Mon, 25 Aug 2003 05:22:34 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　結局、以前の宿へ戻ることにした。「Bagus Bay」で過ごした時間が、あんなにも荒んだ気持ちを柔らかく包んでくれていたからだ。音楽に浸り、彼らと心を通わせたことで、心の内側にあったぎこちなさやわだ...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　結局、以前の宿へ戻ることにした。「Bagus Bay」で過ごした時間が、あんなにも荒んだ気持ちを柔らかく包んでくれていたからだ。音楽に浸り、彼らと心を通わせたことで、心の内側にあったぎこちなさやわだかまりが嘘のようにほろほろと解けていった。

　もう一度、あの場所へ帰ろうと思った。それはまるで「回復」という言葉そのものみたいな感情だった。

　「Merlyn Blues Cafe」へは１kmほどの山道を歩かなければならなかった。戻るのではなく「あの場所に帰るんだ」と思うと、くすぐったいような、照れくさいような気分になった。滔々と水をたたえる雄大なカルデラ湖の姿を、何度も何度も噛み締めるように見つめた。本当にさよならを告げるのは、まだ先でいい、と。

　宿にオーナーのリオの姿はなかった。残念ながらドクラスの姿も見当たらなかった。

　リュックを担いだぼくを迎えてくれたのは、ヤンティとシスカの二人の少女だった。二人はぼくの姿を見つけると揃って声をあげた。大声で何度もぼくの名前を叫び、満面の笑みで駆け寄ってくれた。嬉しさと照れくささがないまぜになって、ぼくはただ笑顔でうなずくしかなかった。

「もうとっくにトゥットゥッを離れたと思ってたのに」

　両手を腰に当て、ヤンティはふてくされた顔で言った。そしてすぐに茶目っ気たっぷりの笑顔を見せ、いたずらっぽく、ぼくの腕を叩くしぐさをした。そんなヤンティに、ぼくは照れ隠しみたいに言った。「二人の作るアヤム・カリ（チキンカレー）が食べたくなったんだよ」と。

　＊

　それからの数日は、まるで陽だまりで過ごすみたいな安らぎの中にあった。

　日がな一日ぼんやりと湖を眺め、気まぐれにギターを弾き、小さなノートに文字を記し、宿のスタッフ達と他愛もない話題で笑い合い、夜になれば、湖から吹く風の音に耳を澄ませ、その安らぎに包まれて眠った。

　ある日の午後、ヤンティとシスカに、ペナン島のナイトマーケットで買ったビーズのアクセサリーを１本ずつあげた。本来はネックレスだったが、ペナン島で買って以来、二重にして左の手首に巻きつけていたものだった。緑のビーズをヤンティに、赤い方をシスカにあげた。それぞれの手首に、ぼく自身の手で。

　彼女たちはこの安物のビーズをとても大切にしてくれた。そんな姿が妙にいじらしく、かわいらしかった。彼女達は、たとえば洗濯のたびに、湖に流してはいけないと取り外して棚に仕舞い、料理の時どこかに引っ掛けやしないかと、また外して棚に仕舞った。そして、ひとつの仕事が終わるたびに棚から取り出して首につけてみたり、「もう一度手首に巻いて」と、わざわざぼくの元へやってきては、そのビーズの小さな光を嬉しそうに眺めていた。

　一度、戯れで、ヤンティがぼくに対する愛情の深さをパーセンテージで示し、それを紙に書いて見せてくれた。メモ帳を受け取って中を覗くと、そこには小さな文字で「My love is ... 85％」と書かれていた。85パーセント。ヤンティは恥かしそうに肩をすくめ、そっとぼくの名前を呼んだ。

　その様子を見ていたシスカもまた、メモ帳を奪うように取ると小さな声でこう呟いた。タイラ、私の愛情はね……。差し出されたメモ帳には、ヤンティの字よりももっと小さな文字で「86％」と書かれていた。そんな彼女のいじらしさに頬が緩んだ。シスカは顔を赤らめて、もじもじとシャツの裾をつかんでいた。

 [1]

　しばしの沈黙があったあとで、ヤンティがシスカを見つめながら言った。「ねえタイラ、あなたの愛情は何パーセントなの？」と。それぞれの数字の横に、それぞれに対する愛情のパーセンテージを書いて、と。

　正直、どんな数字を書けばよいか分からなかった。冗談とはいえ、彼女たちをがっかりさせる訳にはいかなかった。しばらく迷った挙句、ぼくが書いたのは、その数字を足し算した合計の数字だった。ちょうど、こんな具合に。

My love is ...85％＋)86％
171％

　無茶苦茶な答えなのは分かっていた。でも他にどうすればいい？　片手でメモ帳を隠し、そう書き加えたところでメモ帳を裏に返した。「愛情を数字でなんて言えないよ」と、そんな下手な言い訳を口にした。

「いい？　ぼくが席を外すまで裏返しちゃだめだよ」

　そう言い残し、ぼくは煙草やらサングラスやら読みかけの小説やらを手に立ち上がって、レストランを出た。そのすぐ後ろで、メモ帳を裏返したのであろう二人の声が聴こえた。笑いと、若干の不満の混じった声。

　それからすぐに耳に飛び込んできたのは、ふたつの「I love you, Taira」という声だった。ヤンティの声は大きく、シスカの声は小さく戸惑っていた。なんだか二人の兄貴にでもなった気分だった。彼女たちの思いが、たまらなく愛しかった。

　＊

　最後の晩には、キャムと美鈴がお別れの宴を開いてくれた。酒を持ち寄り、いっぱいの料理を並べ、夜が更けるまで一緒に歌い、踊った。あちらこちらからバタックの男たちが集まり、笑顔のジャックも加わり、この土地での最後の夜を分け合った。もう、涙はなかった。この瞬間をずっと覚えていようと思った。それだけで、もう充分なのだと。

　翌朝、オーナーのリオと一緒にトゥットゥッを離れることにした。対岸のパラパッまで４５分の船旅だ。感謝の気持ちを述べようとしたが、思いは上手く言葉にならなかった。

　チェックアウトを済ませ、鍵を返し、清算を終え、ボートが来るまでの時間をレストランのテーブルで過ごした。ヤンティとシスカの二人に、きちんとさよならを告げなければならなかった。

「あのね、おとといの夜、夢のなかにタイラが出てきたの」とヤンティは言った。そして、昨日の夜には、今度はシスカの夢の中にぼくが出てきたという。彼女たちの夢の中で、いったいぼくはどんな言葉を発したのかを知りたかったが、何度訊ねても彼女たちは「忘れちゃった」と繰り返すばかりだった。

　ヤンティは、ぼくへの愛情はもう95％を越えたと言った。日ごとに好きになっていくの、と。そして、その言葉を耳にしていたシスカもまた、ぼくに向かってこんなことを言った。「私の愛情は、もうとっくに100％なんだから」そう告げるシスカの声は、今まで聞いたことがないくらいに大きく、切ないものだった。ぼくは二人の言葉にどう答えてよいか分からず、唇を噛み締めたまま二人の姿を見つめた。

　ボートの時間をもう一度訊ねた。時間通りならば、あと数分で到着するという。ヤンティもシスカも、もう何も言わなかった。こんな陽だまりのようなやりとりが何処へも行かないことを、誰よりも理解していたのは彼女たちの方だった。

　二人はもう、ぼくの愛情がどれくらいなのかを問うことはなかった。あと数分もしないうちにぼくはこの町を離れていく。きっともう二度と会うことはないのだろう。その意味と、その事実を、彼女たちは……。

　リュックを担ぎ、船着場へ向かうべく立ち上がったぼくに、ヤンティは目に涙をためて絞り出すように言った。

「I love you, Taira. See you next life.」（タイラ、愛してる。来世で会いましょう。）

　それは、実際の声として、生身の一人の少女の声として聞くには、余りにも物哀しく切ないものだった。視線をずらすと、シスカも目にいっぱいの涙をためて、ふてくされたように床の一点を睨みつけていた。

　さよなら、と思った。さよならヤンティ、さよならシスカ。

　See you next life.

　もしも叶うのなら、いつかまた、この未来のどこかで。

[1] http://www.transiency.com/images/44pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>調子はどうだい？／トゥットゥッ(5)</title>
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		<pubDate>Fri, 22 Aug 2003 05:21:28 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　「からっ風」が去った「Bagus Bay」というコテージに、ぼくはまだ居残っていた。
　実質、彼と過ごした時間は１日にも満たないものだった。でも、あの嵐のような一夜は残影のようにぼくを捉えていた。そ...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　「からっ風」が去った「Bagus Bay」というコテージに、ぼくはまだ居残っていた。

　実質、彼と過ごした時間は１日にも満たないものだった。でも、あの嵐のような一夜は残影のようにぼくを捉えていた。それは間違いなく、ぼくの人生にとって決定的な何かだった。音楽の生まれる瞬間に立ち会えたこと。あの瞬間、彼らと同じ空気を呼吸していたこと。

　「Bagus Bay」に併設されたレストランでは、週に何度か、バタック舞踊と音楽のステージが開催されていた。その日、開演までまだ時間があったから、ぼくは部屋の前のテーブルでチーズクラッカーをつまみにビンタンビールを飲み、フランツ・カフカの『アメリカ』という小説のページを繰って時間を潰していた。

　文字を読み進めながら、ふと「再会」という言葉の意味を思った。再会。もう一度、出会うということ。

　旅の途上で、たとえ一瞬であれ心を通わせた人々は数え切れなかった。その土地の人間はもちろんのこと、旅行者という同じ立場の人間に限ってみてもそれは変わらない。

　クアラ・ルンプールのドミトリーで出会った、ジェニーという名の韓国の大学生。トレンガヌの宿で三日間ともに寝起きし、二人で町中のベーカリーを回って最高のドーナツ探しをしたオーストリア人のマイケル。ぼくにピピ島行きを薦めたイギリス人のアレックス。コタ・バルのあの屋上で、得ることではなくお互いを失うことを選んだ日本人の女性。

　雨のチュムポーンの町を、手をつないで歩いたイギリス人のナダ。ピピ島のマッサージ屋で、ドレッドヘアの飾りつけを手伝ったオランダ人のアリス。ペナンの安宿で筆談を繰り返した聾唖の中国人。

　出会いはいつも一瞬の出来事だった。心を通わせた次の瞬間には、もうぼくらはお互いに別の場所へ歩き出していた。引き合うように出会い、ほんのつかのま同じものを見つめ、同じ時を過ごし、いくつもの思いを重ねて。

　出会いは、同時に別れの始まりでもあった。

　ペナンの安宿で、カナダ人の青年と日本人女性の二人連れと出会っていた。いや、その時は特に会話らしい会話もなかった。

　彼らが宿を決める時にたまたま居合わせ、カナダ人の青年に声をかけられただけだ。バンコクでデング熱にかかってしまい二人で入院したと話す青年に、ぼくは笑顔で「There are not so many mosquitos」と答えた。それが全部だった。

　二度目に出会ったのは、ブキッラワンの吊り橋のたもとだった。先に気付いてくれたのは、たっぷりの髭をたくわえた優しげな眼差しの彼だった。ボホロッ川のせせらぎが響く川べりで、ぼくらは自然に抱き合い、互いの背中をポンポンと叩き合った。

「元気だった？」「スマトラへはいつ？」「あのフェリー大変だったでしょ？」

　ぼくらはこれまでの旅程を確認しあうように、お互いの「今」を確かめあった。ブラスタギという町を教わったのも、実は彼ら二人からだった。

　三度目の再会を果たしたのが、ここトバ湖のトゥットゥッという町だった。おかしなもので、三度目になって初めてお互いの名前を知った。青年はキャメロンといい、キャムと呼んでほしいと彼は言った。隣りにいた日本人の女性は、美鈴という名前だった。いい名前だね、とぼくは言った。ふと、詩人・金子みすずのことを思い浮かべながら。

「でもね、インドネシアでこの名前を言うとみんな笑うのね。ヌードル・ミルクって」そう彼女はおかしそうに言った。

「ヌードル・ミルク」その言葉に、キャムも穏やかな笑顔を見せた。

　マレー語もインドネシア語も等しく、「みすず」という名の「mi」は「noodle」を、「すず」正確には「susu」は「milk」を指す単語だった。彼女は行く先々で「ヌードル・ミルク」と呼ばれてしまったという。

「もうね、先に言われる前に自分から言うことにしてるの。My name is "Noodle Milk"って」

　＊

　「Bagus Bay」のステージは、バタックに伝わる歓迎の舞踊から始まった。キャムと美鈴と、もう一人、この土地で仲良くなったイギリス人のジャックという名の女性と、４人でテーブルを囲んだ。

　ジャックは、少女のような無邪気な笑顔が愛らしい女性だった。周りにいるすべての人間を味方につけてしまう、そんな力を秘めた笑顔の持ち主だった。トゥットゥッ最初の夜、あのレストランで夜更けまで歌った中にもジャックはいた。「からっ風」と過ごしたあの夜にも、彼女はぼくらの傍らにいた。音楽のある場所には、いつもジャックの姿があった。

　観光客向けにアレンジされたバタックの音楽は、それでもなお心に沁み入るものだった。

 [1]

　男たちのコーラスが空気を揺らし、パーカッションの軽快なリズムとギターの音が空間を埋め尽くしていく。郷愁。それはきっと、そんな言葉で語られる震えだった。人種や、肌の色や、言葉の壁を飛び越えて、男たちは天から降り注ぐ光のように音を紡いだ。

　音楽に身を委ね、湖からの夜風に吹かれながら、ぼくはこんな時間がずっと続けばいいと願っていた。

　ステージがはね、観客たちが去ったあとでも、ぼくたち４人だけはレストランに残って男たちと歌った。思い思いのコーラスを重ね、気紛れにパーカッションを叩き、肩を組み、グラスをぶつけ合いながら。

　バタックの歌に始まり、エリック・クラプトン、グリーンデイ、ジプシー・キングス、Ｕ２、ビートルズなど、演奏されたのはどれもが一度は耳にしたことのある曲ばかりだった。リズムに合わせてステップを踏み、ぼくらはもつれ合いながら、ひとつの音楽に思いを溶かしていった。

　最後に演奏されたのは「4 Non Blondes」の「What's Up?」だった。94年、ビルボードチャートの１位を飾ったあの曲。当時、ぼくはこの曲が大好きだった。この曲のメロディ、歌詞、どれもが思い出深かった。学生の頃、この曲を元にして小説やシナリオを書いたほどだった。

　愛の再生、自立、別れ、旅立ち。20歳のぼくのすべてを託した物語たち。

　"Then I start feeling a little peculiar. So I wake in the morning and I step outside. I take a deep breath and I get real high. Then I scream from the top of my lungs. What's going on ? And I say, hey hey hey hey. I say hey, what's going on ?" ― 4 Non Blondes "What's Up ?"

　心は、否応なく20歳の頃に引き戻されていた。そしてもう何度目か分からないぐらいに、あの温もりを、あの手触りを、ぼくは失ってしまったのだと思った。もう二度と言葉を交わすことも、すれちがうことも、同じ景色を眺めることも出来ない。

　それは旅そのものだった。出会いと別れを繰り返しながら、今を、ただ今として生きていくだけなのだ。

　いくつ国境を越えようと、いくつ海峡を渡ろうと。

　彼らの温もりを抱きとめられず、もう二度と出会うこともすれ違うこともできなくとも。

「不思議な気持ちを感じ始めている。朝、目を覚まして、外へ踏み出す。大きく息を吸い込んで最高の気分になる。そして声の限りに叫ぶんだ。調子はどうだい？　ヘイ、調子はどうだい？」

　きっと、歩き続けていくしかないのだろう。ぼくが連れていけるのは、ぼくの人生そのものしかないのだから。

　たとえ、こんな不器用な歩き方のままであっても。

[1] http://www.transiency.com/images/43pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>からっ風／トゥットゥッ(4)</title>
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		<pubDate>Tue, 19 Aug 2003 08:43:05 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　荒れた気持ちのまま、トゥットゥッの町を歩いた。
　バンコクにいる友人にメールを送ろうと思い、「きちんと動く」パソコンを求めて数軒のゲストハウスを回った。島内の通信事情はあまりに貧弱で、ちょっとの加減...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　荒れた気持ちのまま、トゥットゥッの町を歩いた。

　バンコクにいる友人にメールを送ろうと思い、「きちんと動く」パソコンを求めて数軒のゲストハウスを回った。島内の通信事情はあまりに貧弱で、ちょっとの加減ですぐに不通になった。至るところにパソコンはあれど、ネットに繋がるものは皆無だった。

「インドサット（インドネシア国営電話局）が怠けてるんだ、諦めてくれ」

　繋がらない理由をいくら訊ねても、返ってくるのはこんな返事ばかりだった。もちろん無料というわけではない。ネット接続を「試みた」ことへの料金を請求された。微々たる金額ではあったけれど、いつも釈然としない思いが残った。

　唯一「メールができるかもしれない」と教わった「Bagus Bay」というコテージへ出かけた。もちろん、ひとかけらの期待も持たずに。目についた宿のスタッフに声をかけ、ネット接続が可能かどうかを試しに訊いた。いや、一方的に捲くし立てたと言った方が正しいかもしれない。

　対応してくれたのは温和そうなバタックの青年だった。

「ネットはできないんだ」と彼はすまなそうに言った。「昨日も試したんだけど」

　傍らには、この宿に泊まっているのだろう旅行者の姿があった。一見して日本人であることが判ったが、どこか場馴れした雰囲気が漂っていた。何か言いたげな感じだったが、次の瞬間、ぼくはサングラス越しに目を反らして、その存在を忘れることにした。「めんどくさい」ただ、そう思った。日本人旅行者というだけで気持ちが萎えた。日本語でなんて話をしたくなかった。

　結局、ひとことも日本語で彼に話しかけることなく、スタッフの青年とだけでやりとりを終えた。要するに、何をどうしようとネットには繋がらない。そういうことなのだ。

　投げやりに礼だけは述べたが、それでこのささくれ立った気持ちが紛れることはなかった。よっぽど悪態のひとつでもついて出て行こうかと思った。「出来ない出来ないって簡単に人のせいにするなよ。お前ら、少しでも繋がるように努力したのかよ」と。

　もう、何もかもがうんざりだった。

　旅なんて楽しいものではない。旅人なんて、鎖につながれたままどこへも行けない猟犬のようなものだ。駆けることも、高く跳ね上がることもできない。何かに届くわけでも、牙を立てられるわけでも。

　抵抗することも、もがくことも咬みつくことも諦め、やがて吠えることさえ止めてしまう。結局はその程度のものなのだ。

 [1]

　荒んだ気持ちの次に繋がっている記憶は、けれども、なぜかまったく別の場面だった。

　正直なところ、こうして日本に帰ってきた今でも、その直後に何が起こりどんなやりとりがあったのかを思い出せずにいる。あの瞬間あの場所で、いったい何があったのだろう。可能性はきっとゼロだったはずだ。それなのに、気が付くとぼくはその日本人の青年とコテージのレストランでかなり本気で話し込んでいた。ナシゴレンを口に運び、温かい紅茶を胃に収めながら。

　彼はぼくよりも２歳若く「からっ風」という名でライヴをやっている青年だった。人懐こく、それでいて豪快な笑いを見せた。言葉を交わしている間じゅう、何度となくこう思った。なんて気持ちのいい笑い方をするんだ、と。そこには、この沈み切った気持ちを一段上に引っ張りあげてくれる力強さがあった。

　偶然はどこにでも転がっているもので、話が進むにつれ、お互いの間にある奇妙な共通点にぼくらは驚き、唖然とした。

　同じ大学の人間だった。早稲田の、あのグランド坂やキャンパスの景色をぼくらは共有していた。ぼくに限って言えば、決して楽しい思い出ばかりではなかった。けれど、ぼくの人生と彼の人生のある一時期が、確かに、互いに、あの場所に含まれていた。こんなスマトラの山奥で出会えることなど、想像すら出来ない。

　それ以上に驚いたのは日本での住所だった。呆れたことに、二人とも同じ市に住んでいた。東京都下、三多摩、まるで東京都であることさえ言い憚れるような、あの「お荷物」みたいな市に。

　ぼくらは大学どころか、人生の大部分を占める「場所の記憶」まで共有していた。ありえない話だった。もし仮に前もって約束をしていたとしても、こんなタイミングで出会うことなどなかっただろう。驚きを超えて、ただただ呆れるしかなかった。

「近えよ、近すぎだよ」

　そんな彼のことばに、もうそれ以外のリアクションも思いつかず、二人で笑い転げた。

　＊

　夜、「からっ風」の案内でバタックの男たちが集う居酒屋へ向かった。トゥアックと呼ばれる椰子酒を飲みながら、男たちがバタックに伝わる歌を大合唱するという。

　この島の男たちの歌声、いや、音そのものが持つ強さに、すっかりぼくも魅せられていた。パラパッの船着場で、併設されたあのレストランで、ぼくはもう既にあの音の海を泳いでいたからだ。

　店は居酒屋というよりも「隠れ家」と表現した方が相応しい場所だった。一人だったらまず入らない。そんな店だ。無造作に置かれたテーブルに、たばこのヤニで黄色く変色した壁。仄暗い照明の中にあって、なぜか鋭さばかりが強調された男たちの目線。

　旅行者向けの小洒落た店ばかりに慣れていたぼくにとって、それは一瞬の恐怖であり、同時に好奇心が揺さぶられる空間でもあった。

　音楽は、唐突に始まった。男たちの中の一人が、この旅のために「からっ風」が日本から携えたギターをむんずと手に取ると、その瞬間、すべてが一気に音楽へと走り始めた。

　男が、力強くコードをかき鳴らす。Ａマイナーだ。

　シンプルで、優しく、掛け値無しでまっすぐな響き。それはまるで、音そのものが「ここに在る」という事実をグサリと胸へ突き刺してくる音だった。突如、男の澄んだ歌声が、天を切り裂くように放たれていく。力強く、前へ、前へと。

　バタック語で歌われる言葉などひとつも分からない。けれど、意味が分からないからこそ、その意味を超えて迫り来る強さがそこにはあった。鼓膜で感じればいい。ただ、肌で感じればいい。男たちの歌声は確かにぼくにそう告げていた。

　メロディが進むにつれ、テーブルのあちらこちらから３度５度のコーラスが重なっていった。男たちは瞳を閉じ、腹の底からありったけの声をしぼりだす。それは、幻でも夢でもなく、紛れもない現実だった。実際に今、目の前で起こっている出来事だった。

　信じられなかった。

　その光景は、音楽が生まれる瞬間そのものだった。歌うことの原点がそこにあった。ぼくは今、音楽が生まれる瞬間に立ち会っている。そう思うと、全身に鳥肌が立つような寒気を覚えた。男たちの声が皮膚を通して体中に染み通っていった。鼓膜で感じればいい、肌で感じればいい。

　ぼくは両手を一気に離して、その音楽の海へ全身で飛び込んでいった。

　音楽は止むことがなかった。次から次へとギターの弾き手が入れ替わり、リードとコーラスが自在に絡み合い、音がひとつの塊になって空を突き抜けていった。

　でも、それ以上に驚いたのは、「からっ風」自身もまた、このバタックのメロディを圧倒的な確かさで歌い上げていたことだった。バタックの言葉で、バタックの魂で。それは、この一人の青年の持つ強さであり、痛みであり、その先にある新たな決意であり、喜びだった。そうとしか思えなかった。

　あの瞬間、確かに「からっ風」は音楽そのものだった。音楽が彼と共に在った。見分けが付かないくらいに、その二つは等価に溶け合っていた。

　ここに音楽がある。彼らの身体を流れるバタックの血の中に、音楽がある。

　もちろん、この極東の青年に流れる血の中にも。

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		<title>リセット・ミー／トゥットゥッ(3)</title>
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		<pubDate>Mon, 18 Aug 2003 08:35:56 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　午前中、ブラスタギの古書店で買ったハリー・クレッシングの『料理人』という小説を読んで過ごした。300ページ近い本だったが、あまりに冗長で面白味に欠けるものだった。レストランの長椅子に寝そべり、続けて...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　午前中、ブラスタギの古書店で買ったハリー・クレッシングの『料理人』という小説を読んで過ごした。300ページ近い本だったが、あまりに冗長で面白味に欠けるものだった。レストランの長椅子に寝そべり、続けてサガンを読み返した。ページを繰るのは、クラビで買って以来もう４度目だった。

　活字を追うのに疲れると、目を閉じて風の音に耳を澄ませた。軒に吊るされた竹の風鈴がカラコロと乾いた音を立てた。

　胸の中に去来するのは、去ってしまった誰かの面影であり、仕草であり、切れ切れになった言葉の断片だった。ある者は溜め息をこぼし、ある者は背を向け、ある者は別れを告げ、ぼくの前から去っていった。

　どれもこれも既に起こってしまったことだ。やり直すなんてできない。もうすべて起こってしまったのだ。

 [1]

　ドクラスとの件が理由ではなかったが、いっそ、宿を替えてみようかと思った。確かに居心地のいい場所ではあったけれど、心のどこかで、こんなふうに誰かと親しくなりすぎることに抵抗を感じていた。

　心を開くことは、そこから受ける痛みに耐えることと同義だ。いや、それは単に、ぼくが心の開き方を知らないだけかもしれない。

　翌朝、朝食を終えたタイミングでチェックアウトの旨を伝えた。オーナーのリオもスタッフたちも、その突然の言葉に明らかな戸惑いを見せた。「何が気に障ったのか？」「どの人間に問題があったのか？」リオはそう矢継ぎ早に訊いた。ドクラスは既に客引きのためにパラパッへ出ていたが、住み込みで働くヤンティとシスカの二人の少女は、泣き出しそうな眼差しでぼくを見つめた。

「何も問題はない。ただ別の場所にも泊まってみたいから」快活な声でぼくは嘘をついた。

　もちろん、そんな言葉が通用するわけはなかった。でも、今はそうとしか言えなかった。

　シスカがふと片手で目元を覆い、小走りにどこかへ駆けていった。リオは何度も何度もぼくを引き止めようとした。「タイラ、好きな絵はがきをどれでも取っていい。プレゼントなんだ。どれか１枚選んでくれないか」リオは哀願するような眼差しで言った。ぼくが１枚を選べば、すべてが丸く収まるんだと言うように。

「今夜また一緒にギターを弾こう。日本の歌を教えてほしい」と。

　リオの気持ちは痛いほど理解できた。けれど、まさかこんな人肌の温もりがぼくを辛くさせていることなど、どうやっても説明などできるわけがなかった。いったい今のぼくに何が言えるというのだろう。

　「また、いつか会いに来て」

　そうヤンティは言った。その瞳は既に涙で滲んでいた。つらい気持ちになった。「また、必ず、いつか会いに来て」

　彼女の思いに、どうしても言葉を返すことができなかった。

　結局のところ、ぼくは誰かの厚意や親切をいとも簡単に踏みにじることができる人間だった。涙を必死に隠し、駆けていったシスカの気持ちは、ぼくが癒すことのできる種類のものではなかった。何もできない。気まぐれな自分の思いに酔い、引き換えに誰かを傷つけ悲しませること以外は。

　自分の存在を消してしまいたいと思うのは、いつもこんな瞬間だった。何もかも、すべておしまいにしたい。

　ロウソクの炎をふっと吹き消してしまうみたいに。


[1] http://www.transiency.com/images/41pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>我まどひの子／トゥットゥッ(2)</title>
		<link>http://www.transiency.com/54</link>
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		<pubDate>Sun, 17 Aug 2003 08:30:33 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　― Indonesia Raya, Merdeka, Merdeka.（偉大なるインドネシア、独立、独立）
　８月１７日、インドネシア独立記念日。
　通りには紅白の国旗がたなびき、祖国インドネシアを...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　― Indonesia Raya, Merdeka, Merdeka.（偉大なるインドネシア、独立、独立）

　８月１７日、インドネシア独立記念日。

　通りには紅白の国旗がたなびき、祖国インドネシアを讃える歌が鳴り響いている。

　本当ならば今頃、ドクラスのバイクに乗ってサモシール島をぐるりと回っているはずだった。けれど、今朝になってそんな気持ちは跡形もなく消え失せてしまっていた。ドクラスは全周100kmを超える島をRp.100,000（約1,400円）で回ってくれるという。決して高い値段ではなかった。けれど、どうしても気分が乗らなかった。

　昨夜、併設されたレストランのテーブルを囲んで夜中までギターを弾いた。思いつくまま日本の曲ばかりを歌った。あの食堂で言葉を交わしたポーランド人も加わり、通りかかった他の旅行者までもが輪に入った。宿の主人リオがバタックに伝わる歌を歌い上げ、ぼくが日本語でがなり立て、テーブルはまるで、即席のライブステージのような熱気に溢れた。

　荒々しいギターの音が夜に響く。その音色は、貧しさや肌の色や言葉の壁や、そんな一切をまっすぐに引き受けてぼくらを包み込んだ。声を合わせ、テーブルや椅子や、空いたボトルで思い思いにリズムを取り、誰もがひとつの音の海を泳いだ。心に巣食っていたしこりやわだかまりが、まるで顕微鏡の先でほどけていく細胞のように、その絡み合った鎖を自ら解き放っていった。

　けれど、そんな柔らかな高揚感の中で、ふと、これまでの人生で失ったものの数々が脳裏をかすめた。若くして死に、あるいは自ら命を絶った知人、友人、愛した人。そしてまた、残された者たち、生きている者たち、けれどもう二度と言葉を交わすこともすれちがうことも出来ない多くの温もりたちが、ぼくの肌をそっと撫でていった。

　彼らはみな、ぼくに向かってこう告げていた。「何もかも許す」と。

　部屋に戻ったとき、身体がバラバラに砕けてしまいそうなほどの喪失感を覚えた。しっかりと膝を抱えていなければ乗り越えられないほどの。

　彼らは死に、ぼくはまだ生きていた。彼らを失い、それでもぼくは生きていた。遠く離れ、隔たれてしまった彼らのしぐさや息遣いが、まるですぐそばに居た時のように甦った。

　旅に出て、初めて声をあげて泣いた。枕に顔をうずめ、大声で泣いた。どこにこれほどの涙があるのかと思うぐらいに涙は溢れ、止まらなかった。

 [1]

　今朝、目覚めたとき、どうしても島をめぐる気持ちになれなかった。心のどこかで旅そのものを楽しめていない自分に気付いていた。いや、そもそも楽しもうとすら思っていなかった。バカンスでもレジャーでもホリデーでもない。この旅は、どんなものでもなかった。

　ドクラスに島巡りをキャンセルする旨を伝えた。もちろん彼は理解しなかった。今朝になって予定を覆したことに、彼は戸惑いと落胆を見せた。「もう今日の分のガソリンを入れてしまった」そう彼は言った。「その代金だけでも払ってくれないと困る」と。

　おかしな理屈だった。他の旅行者をつかまえればそれで済むだけの話だ。けれど、話の途中で何もかもが面倒になった。金が欲しいのなら、そのガソリン代は支払うとぼくは言った。提示されたのはRp.30,000だったが、Rp.40,000（約560円）を無理矢理ドクラスの手に握らせた。560円を失うことで、同時に島めぐりの機会をも手放したことになる。

　でも、それで良かった。ぼくはもっと大きなものを失ってきたのだから。そしてきっと、この先もっと多くの大切なものを失っていくのだろう。前に進むたびに。

　旅なんて究極的に楽しいものではなかった。ただ、逃げているだけだ。そしていくら遠くへ逃げたと思い込んだところで、現実はすぐにぼくを召し抱えに来る。逃げることなどできない。逃げ切ることなど出来るわけがない。

”水の淵に投げし聖書を又も拾ひ 空仰ぎ泣く我まどひの子”― 与謝野晶子

　そんな一首を思い浮かべた。目の前に広がる湖は、何かの終わりを告げるように、深く、その水を湛えていた。


[1] http://www.transiency.com/images/40pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>終わり良ければ／トゥットゥッ(1)</title>
		<link>http://www.transiency.com/53</link>
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		<pubDate>Sat, 16 Aug 2003 12:19:53 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　対岸に見えるサモシール島へ渡るには、午後７時半発の最終便のボートまで待たなければならなかった。
　ミニバスの到着した旅行代理店にそのままリュックを預け、灰色の雲に覆われたパラパッの町を歩いた。一通り...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　対岸に見えるサモシール島へ渡るには、午後７時半発の最終便のボートまで待たなければならなかった。

　ミニバスの到着した旅行代理店にそのままリュックを預け、灰色の雲に覆われたパラパッの町を歩いた。一通り歩いた後で零れたのは深い溜め息だった。町と呼ぶには余りにも貧相で、余りにも見窄らしく、余りにも活気が無かった。町そのものがまるで捨てられた仔犬みたいだった。

　時間潰しも兼ねて入った船着場の食堂で、ナシ・チャンプルを頼んだ。閉店間近だったからか、副菜は痩せた魚のカレー煮と茹でた青菜しか残っていなかった。サンバルと呼ばれる唐辛子ソースを多めにかけてもらい、コップに注がれた湯冷ましを飲みながら食べた。あまり美味しいものでも、心が浮き立つものでもなかった。

　別のテーブルでは、サモシール島のゲストハウスの客引きたちが初老の旅行者を囲んで酒盛りをしていた。様子を伺っていたわけではなかったが、ひとりの青年に目敏く声をかけられた。ドクラスという名のバタック人だった。

　ひとしきり宿の説明を受けたが、こういった勧誘に心の底からうんざりしていた。誰が悪いというわけではない。異国の空の下にあっては、ぼくもまた金を落とす旅行者の一人としてカウントされてしまう。そんな現実に嫌気がさしていただけだ。気の抜けた味しかしない魚のカレー煮をほおばり、「へえ」「ふーん」などと適当に相槌を打って彼の勧誘をやり過ごした。

「あのさ、宿のことはよく分かったから、別の話しようよ」

　打つ手なし、という段階まで彼に喋らせたあとで、ぼくはこう切り出した。島へ渡るボートが出るまでの時間潰しに付き合わせようと思ったのだ。どうせ暇なんだろう？　そんな高飛車な気持ちも多分に含まれていた。

「オー、ヤクザネー、アブナイネー」そうドクラスはニヤけて言った。「ハッパ、ハッパネー、オンナ好キネー。キャハハハハッ！」

　またそんな下らないニホンゴかよ、と思った。またハッパとオンナかよ、と。一瞬にして気持ちが萎えるのが分かった。メダンで味わったあのきな臭い欲望と頽廃が、また鋭い刃のように頭をよぎった。

「話したくないなら別にいいよ、ボート待ってるだけだし」そうぼくは言い、コップに残っていた湯冷ましを一気に飲み干した。「それで？　まだ何か用あんの？」あからさまな拒絶を示す態度だった。

　もちろん、ドクラスの言葉が罪のない冗談なのは理解していた。これを真に受けるほどバカじゃない。けれど、どうしてもこんな種類の冗談に素直に笑えない自分がいた。彼らの連発する下らないニホンゴを耳にするのが厭だった。そして、彼らに使い道のない言葉を教えたであろう「かつての日本人旅行者」にも無性に腹が立った。いや、本当に腹を立てていたのは、そんな日本人に対してだった。

　大きく溜め息をついて視線を反らした。こんな思いはもうたくさんだ。さっさと島へ渡ってしまいたい。心からそう思った。いや、そう思っていたはずだった。けれど、口をついて出たのは意外な言葉だった。視線の先にあったのは古ぼけたギターだった。

「ドクラス、あのギター借りていい？」ギターに目をやったまま言った。

「え？　ああ、もちろんだよ。あれ、俺のだから」

　ドクラスは一瞬あっけに取られたようだったが、そそくさとテーブルを離れるとギターを手に戻ってきた。「ずっと使っていいよ」そんな気前の良いことまで彼は言った。見ると、顔にはホッとした笑顔がこぼれていた。さっきまでは気付かなかったが、彼の笑顔は子供みたいに無邪気だった。

　手渡されたギターを受け取り、試しに幾つかのコードを鳴らした。困ったことにチューニングがまったく合っていなかった。思わず笑いながらドクラスに訊いた。「どうなってんの？　これ全部ズレてるじゃん」

「だって、よく分かんないんだよ」ドクラスは当たり前のように言った。分かんなくて当然じゃないか、と開き直っているみたいに。そんな言い方が可笑しくて、思わず声に出して笑った。

　チューニングを済ませ、弦をはじくように鳴らしながら小さな声で歌った。これを歌うと決めていたわけではなかったが、口をついて出たのは山崎まさよしの「Passage」だった。少しのコードで弾ける曲だ。ひと通り歌い終えて目を開けると、ドクラスが小さく拍手をした。「いい声だ、他には？　他には何か歌える？」

　気が付くと、酒盛りをしていた彼らまでがぼくに視線を注いでいた。彼らの顔はどれもが笑顔だった。「君の声が好きだ。もっと歌ってくれないか？」そう声に出したのは初老の旅行者だった。ナチスの残党のような風貌だったが、声は陽気そのものだった。ぼくは英語できちんと礼を述べ、簡単に自分のことを話した。彼は、自分はポーランドからだと答えた。

　リクエストを募るのも手だったが、敢えて日本語の歌だけを歌うことに決めた。言葉なんてどうだっていい。思いつくままギターを掻き鳴らし、立て続けに日本語の歌を歌った。いつの間にか、彼らはスプーンでグラスやテーブルを叩いてリズムを合わせ、耳に飛び込んだフレーズをさっと掴まえてはすぐにハーモニーを重ねた。センス。そう言い切って構わないほど、彼らの即興のコーラスは秀逸だった。

　ボートに乗り込み、サモシール島トゥットゥッへたどり着いたのはすっかり日も暮れた時分だった。結局、ドクラスの働くゲストハウスに泊まることに決めた。この暗がりを歩き回ることが躊躇われたからだ。

 [1]

　ホットシャワー付きでRp.15000（約210円）とドクラスは言った。サービスだよ、安くしとくよ、と。たいした期待はしていなかったが、ひとまず彼に任せるのも悪くないと思い始めていた。あの無邪気な笑顔のせいかもしれなかった。

　実際に中を覗いて驚いたのは、予想をはるかに越えた環境の良さだった。目の前には一面の湖が広がり、清潔で小洒落たレストランが併設され、部屋は広くスタッフは親切だった。おまけに、ドクラスの言葉の通りギターは借りたままでいいとのことだった。

　ひとまず荷を降ろし、長い移動の疲れを癒そうとホットシャワーを浴びた。考えてみれば、旅に出てホットシャワーを浴びるのはこれが初めてだった。肌を打つ湯の温もりが、ささくれ立った気持ちまで和らげてくれた。

　悪くない。そう思った。

[1] http://www.transiency.com/images/39pl.jpg]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>太陽待ち／ブラスタギ(2)</title>
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		<pubDate>Fri, 15 Aug 2003 02:37:42 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　今朝も冷たい雨が降っていた。ブラスタギ４日目の朝。
　この、あまりぱっとしない高原の町に居続けている理由はひとつだった。北にシバヤッという名の活火山がある。その山に登ってみたいと思った。でも、雨のお...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　今朝も冷たい雨が降っていた。ブラスタギ４日目の朝。

　この、あまりぱっとしない高原の町に居続けている理由はひとつだった。北にシバヤッという名の活火山がある。その山に登ってみたいと思った。でも、雨のおかげでもう４日も足止めを食っていた。

　そろそろ潮時だった。いくら待ち続けても太陽は姿を見せない。この厚い雲の向こうで、太陽は無為に輝いているだけだ。想いは届かなかった。

　この町を抜け、一気にトバ湖へ向かうことに決めた。最終目的地はサモシール島トゥットゥッだ。ひとまず湖畔にあるパラパッまでバスで行き、そこから更にフェリーボートに乗る。所要５時間と聞いた。また窓の外を眺めて過ごす５時間になると思った。

　チケットは本来Rp.65000（約910円）だったが、窓口にいた女性とのやりとりの中でRp.50000（約700円）で手に入れることができた。「あなたにとっても私にとっても、今日は特別な日よね？」

　彼女はぼくにそう言った。特別な日。カウンターの脇にあったカレンダーに目をやった。今日は８月１５日だった。

 [1]

「日本に原爆が落とされたのって今日でしょ？　ねえ、一緒にアメリカ人を殺しに行きましょうよ」チケット代を支払い、礼を述べて立ち去ろうとするぼくに、彼女はそう声をかけた。

「殺しに行きましょう」

　そんな言い方がぼくの耳をかきむしった。現実の声として聞くには、あまりに生々しい言葉だった。

「いえ、今日は終戦の日です。８月６日に広島、９日に長崎、原爆が落とされたのはこの二日です。」彼女にそう丁寧に答えた。そして、今もまだその傷が癒えたわけではないんだ、と。

　世界最大のイスラム国家であるインドネシアには、アメリカに対するネガティブで複雑な感情があった。旅のあちこちでその空気を感じていた。彼女の気持ちは、分からないでもなかった。

　折りしも、今日はイスラムの休日である金曜日にあたり、あさって８月１７日はインドネシアの独立記念日だった。中学生の鼓笛隊がフェテラン通りで行進の練習をし、町中に国旗が翻っていた。

　でも、ぼくが感じたのは祝賀ムードではなかった。アメリカ、もっと言えば白人に対する怒りが、彼らの中に渦巻いている。明らかにテロを感じさせる何かがこの町にも潜んでいた。

 [2]

　午後３時にブラスタギを発ったミニバスは、途中シピソピソの滝やトバ湖を見渡せるビューポイントに立ち寄った。すべてが煙雨の中にあった。肌を濡らす雨は結局一度も降り止まなかった。

　バスの中で言葉を交わしたドイツ人が、途中、一冊の本をぼくに差し出した。「この本知ってる？　書いてるの日本人なんだけど、面白いんだ」と。

　カバーには「HARUKI MURAKAMI」の文字があった。けれど肝心のタイトルはドイツ語表記で皆目見当がつかなかった。「この作家は日本でも有名だけど、本のタイトルが分からない」そうぼくは答えた。

　ドイツ人は肩をすくめると、いきなり両手をばたつかせ、カクカクとした動作で歩き出した。「ギー、ギー」という声まで出した。雨の中、いったいこの男は何をやっているのだろう？　でも、こういう種類の出来事はぼくは嫌いではなかった。笑いながら言った。「どうした？　変なモンでも食ったか？」

「違うよ、よく見てくれよ。分かるかい？　これが本のタイトルなんだ」笑いながら彼は答え、ミニバスの前をカクカクと歩き回った。ギー、ギー。

「……？　……あ、ああ！」

　ぼくは大声を出した。彼が差し出したあの本は、おそらく「ねじまき鳥クロニクル」に違いない。そうか、ねじまき鳥か。両手をばたつかせて、彼はねじまき鳥の真似をしていたんだ。ギー、ギー。

「分かった？」

「任せてよ、その本は『ねじまき鳥クロニクル』だ」

「ネ、ネジマ……？」

「The Clockwork Bird Chronicle. But I don't know this name in English.」

「そうだ、それだよ！　クロニクルだ。君は読んだことある？」

「頬に大きな痣のある男の話だろ？」

　ドイツ人は片手を上げてハイタッチの仕草をした。ぼくは思い切り彼の右手に自分の手のひらを打ちつけた。まるで大きな困難を二人して打開したかのように。おかしなものだ、こんな場所で村上春樹の本の話をするなんて。でも彼の笑顔が、ぼくの気持ちを少しだけ上に引っ張りあげてくれた。

「今なんか読んでる本ある？」ドイツ人は言った。「他にもたくさん本持ってるから、よかったら交換しようよ」

「いいね。でも嬉しいけど、ドイツ語分かんないよ。それにぼくが持ってるのは日本語の本ばかりだから」そう言ってジーンズの後ろのポケットにねじ込んであった一冊の文庫本を彼に見せた。中沢新一の『虹の理論』だった。

「何？」

「Theorie de L'arc-en-ciel」ぼくはカバーに付記されたフランス語のタイトルを読んだ。虹の理論。

「どんな本？　何が書いてある？」彼は本を手に取り、興味深そうに聞いた。カバーにはペーパークロマトグラフィーのような、濾紙にインクの成分を滲ませたかたちの絵がデザインされていた。

「簡単なことだよ、こいつは『虹の理論』なんだ」そう言って、ぼくは厚く垂れ込めた頭上の雲を見上げた。「どうやったらこの雲が晴れて虹が出るかってことさ」

　細かな雨が頬を濡らした。ここに来て、もうずっとこんな空ばかり見ていた。

「そいつはいい、俺も太陽を待ってるんだ」ドイツ人は笑顔になって言った。「もう雨はうんざりだよ、雨宿りしに旅行に来たわけじゃないからね」

　そんな彼に向かって笑顔でこう返した。「ぼくもずっと待ってるんだよ、太陽を」

　出発を告げる運転手の声が、遠くから聞こえた。振り返ると、運転手は大きく伸びをするように手招きをしていた。

「行こう」

　そう言って、二人で雨の中を走った。


[1] http://www.transiency.com/images/37pl.jpg
[2] http://www.transiency.com/images/38pl.jpg]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>停滞／ブラスタギ(1)</title>
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		<pubDate>Wed, 13 Aug 2003 02:34:18 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　５時間ほどバスに揺られてたどり着いたブラスタギという町も、冷たい雨の中にあった。
　手許に97年版の「歩き方」があったが、インドネシア入国以来一度も開くことはなかった。
　旅行者が口にし、代理店のス...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　５時間ほどバスに揺られてたどり着いたブラスタギという町も、冷たい雨の中にあった。

　手許に97年版の「歩き方」があったが、インドネシア入国以来一度も開くことはなかった。

　旅行者が口にし、代理店のスタッフが口にする地名には、たいていゲストハウスやツーリスト・インフォメーションがあるはずだった。地図上で東西南北のどちらに向かっているのかさえ分かれば、取り立ててガイドブックは必要なかった。

　バスを降り、ひとまず大通りらしき道を進んだ。

　通行人に声をかけながら郵便局やＴＩＣの位置を確かめ、あとはひたすらゲストハウスを探すために歩いた。大通りより一本奥に入った路地にゲストハウスが点在していた。一軒ずつしらみつぶしに当たった。予想していたよりも値段は高く、相場はRp.30000～Rp.50000（約420円～700円）だった。

　結局、７軒目に訪ねた宿に決めた。それなりに小奇麗で静かな立地にあり、何より１泊Rp.20000（約280円）なのがよかった。シャワーもトイレも共同だったが、かえってその方が落ち着くことができた。

　不思議なものだ。不便なぐらいの方が居心地がいい。

　チェックインを済ませ荷物をベッドの脇に放り投げると、早速シャワーを浴びた。標高1400ｍと言われる通り、吹きつける風はひやりと冷たく、肌に当たる水シャワーの冷たさもまた酷なものだった。冷たさをきちんと冷たさとして感じられたのは旅に出てこれが最初だろうと思った。

 [1]

　一枚だけバックパックに詰めてきていた長袖のシャツを着込み、靴下を二枚重ね、もう一度、小雨の降る高原の町を歩いた。

　唯一、一軒だけあると教わったネットカフェに入り、たっぷり１時間かけて（ダイアルアップ接続だ）日本語ＩＭＥをインストールし、日本語で何人かの友人にメールを送った。かといって特別伝えたいと思う事柄はなかった。今はまだ無事だということ以外に、いったい何を伝えればいいのだろう。

　メールを打ち終えてしまうと、あとはニュースサイトの文字を追い、冷夏の日本を思い浮かべ、頬杖をついて煙草に火を点けた。溜め息の代わりに煙を吐き出している、そんな気分だった。２時間が過ぎ、Rp.7500（約90円）を支払って宿に戻った。

　夕暮れ時、目についた食堂でナシ・チャンプルを食べた。蒸したライスに好みの副菜を選んで乗せてもらう簡単な食事。アジのような青魚のフライに茹でたほうれん草とポテトと２種類のカレーをかけてもらい、生水を煮沸した飲み水が付いてRp.4000（約56円）という安さだった。

　添えられたフィンガーボウルで指を洗い、舗道にできた水溜りを見ながら右手で食べた。本当に、こんな所で何をしているのだろう。何もかもがよく分からなかった。移動することに嫌気がさしているのかもしれない。ただ単に疲れているだけかもしれない。もしかしたら、旅そのものに飽きてしまっているのかもしれない。

　心に浮かぶ思いのどれもに「かもしれない」という語尾がついた。本当はどこへも行けやしない。そんな事実を知ることが、旅という行為の本質なのかもしれない。かもしれない、かもしれない。

　グラスに注がれた生温い水を飲んだ。ふと旅に出ていったい何日が過ぎたのだろうと思った。通り過ぎてきた町の姿を順番に思い浮かべた。クアラ・ルンプール、マラッカ、メルシン……。

　今日で、ちょうど４５日目だった。その日数が短いのか長いのかさえ、ぼくにはもうよく分からなかった。

[1] http://www.transiency.com/images/36pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>一瞬の夏／ブキッラワン(2)</title>
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		<pubDate>Tue, 12 Aug 2003 02:33:37 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　ボホロッ川に沿って続くブキッラワンという町、いや、その小さな集落は、確かに居心地のいい場所だった。昨夜はゲストハウスのすぐ脇を流れる川の音を聞きながら眠った。間断無く響く川の流れに、気持ちのすべてを...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　ボホロッ川に沿って続くブキッラワンという町、いや、その小さな集落は、確かに居心地のいい場所だった。昨夜はゲストハウスのすぐ脇を流れる川の音を聞きながら眠った。間断無く響く川の流れに、気持ちのすべてを投げ出せる気がした。それだけで、ここまで来た甲斐があると思った。

　翌日、カメラを首から提げ、雑貨屋や食堂やカフェが連なる川べりの道を歩いた。照りつける陽射しには遠い記憶の中にある空き地の匂いがした。夏休みの匂い、そんな懐かしさがあった。

　吊り橋を５つ数えたあたりで、屈強なムスリムの男に声を掛けられた。「暑いから休んでいけよ」と。傍らには男の家族が同じようにくつろいでいた。子供たちの恥かしそうな笑顔に、思わず頬を緩めた。

「どっから来たんだ？　マレーシアか？　シンガプラ（シンガポール）か？」

　またいつもの質問か、と思った。けれど、そう訊かれてしまう理由も分からなくはなかった。メダンのゲストハウスにチェックインしたときのことが思い浮かんだ。苦笑いと共に。

　……そうそう、ここにな、名前とかな、そうだ、ここ、ナショナリティの欄、マレーシアンって書いてくれよ。
　……いや、俺、日本人なんだけど。
　……なんだよ先に言ってくれよ。お前が喋ってんの、だってマレー語だろう？

　すっかり日焼けし、不精ヒゲを生やし、旅行者以外とはなるべく英語を使わずに旅をしていた。理由なんて分からない。ただ、そうしたかっただけだ。インドネシア語のつもりで声にしていたものは、けれど、彼らにはマレー語に聞こえてしまったのだろう。

「まあね、マレーシアだよ。ペナン島から来たんだ」

　冗談だよ、という顔で男に答えた。こんなマレー語の下手なマレーシア人なんているわけないじゃないか、と。

「そうか、おかしいな。俺は日本人かと思ってたんだけどな」

　男のそんな言い草に、腹の底から大声で笑った。だったら最初からそう訊いてくれよ。男とのふざけたやりとりが可笑しくて、言われるまま隣りに腰を下ろした。男は続けざまに言った。

「ところでお前のそのヒゲ、ちょっとかっこいいぞ。テロリストの仲間か？」

「なんで知ってんの？　あのさ、ブッシュには黙っててくれよな」

「もちろんだよ、ビン・ラディンにも黙っててやるさ」

　旅先で言う冗談はどれも他愛の無いものだった。けれど、不思議と打ち解けた気分になれるのがよかった。少なくとも「敵ではない」「危害を与えたりしない」ということを互いに確認し合うことができたからだ。

 [1]

　彼らの写真を数枚撮り、子供たちと遊び、たいして発展しそうもない話題を繰り返した。男の興味の中心は「モノの値段」だった。日本人は金持ちだという迷信は、そう簡単に払拭できるものではない。誤解されずに、どうにか煙に巻いてみようかと思った。きっと、それだけこの男に親しみを抱いていたのだろう。

「日本で食うナシ・ゴレンはRp.70000（約1000円）ぐらいなんだよ、どうする？」

「そんなの食えるわけないじゃないか」

「食わなきゃ生きてけないだろ、だから日本で暮らすのも大変なんだよ」

「でも待てよ、だったらこのデジカメは、もしかしたら安い（ナシ・ゴレン20皿分だ）んじゃないか？」「メシに比べたらね。こっちだったら20皿で何が買える？」

「電池も買えないね」

「嘘だろ？」

「ウソだよ当たり前だろ、だって２本でRp.10000（約140円）ぐらいじゃないか」

　そうやって、男と二人で笑い合った。彼の二人の妻（第１婦人、第２婦人）も、そんなやりとりを楽しげに眺めていた。この一瞬が、たまらなく平和だと思った。たまらなく幸福だと思った。

　決して楽な暮らしではないだろう。でもこの温かさだけは、ずっと続いてほしいと思った。

　＊

　ボホロッ川が氾濫し、ブキッラワンが集落ごと飲み込まれてしまったニュースを知ったのは、帰国して随分経った頃だった。高さ10ｍを超える土石流が家屋もゲストハウスも吊り橋も、そして多くの人命をも一瞬のうちに奪ってしまった。男の名前も、写真に収めた子供たちの名前も、ぼくは何ひとつ知らないままだった。

　死者、不明者を合わせると300人近くにのぼる。倒壊家屋450棟以上。

　あの、一瞬の夏を。


[1] http://www.transiency.com/images/35pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>あきらめ／ブキッラワン(1)</title>
		<link>http://www.transiency.com/49</link>
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		<pubDate>Sun, 10 Aug 2003 01:36:13 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　天気はあいにくの雨だった。
　早朝、激しい雷鳴で目を覚ました。収容所のようなドミトリーで迎えるメダン２日目の朝。この世の矛盾や齟齬を引き伸ばしたような暗雲から、稲妻が地上めがけて振り下ろされていく。...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　天気はあいにくの雨だった。

　早朝、激しい雷鳴で目を覚ました。収容所のようなドミトリーで迎えるメダン２日目の朝。この世の矛盾や齟齬を引き伸ばしたような暗雲から、稲妻が地上めがけて振り下ろされていく。

　ブキッラワンと呼ばれる山間の渓流地へ向かうことに決めた。きっかけは一人の友だ。1997年の夏、バリ島で出会った男。旅先から交わしたメールの中に、この地を薦める彼の言葉があった。（「啓旅社」 [1]）

　旅行代理店から直行便のツーリストバスが出ていた。所要３時間。日本円で２００円程度のものだ。宿の前でピックアップまでしてくれるという。快適さと安全性を優先するのであれば選択肢はこれしかなかった。けれど、同乗するであろう各国の旅行者たちを思うと気が引けた。下らないおしゃべりなんてしたくなかった。

　ツーリストバスを選ばず、路線バスを乗り継いで向かうことに決めた。そのためには、ひとまず中継地点ピナン・バリスのターミナルへ向かう必要があるという。

　雨の中を王宮前の通りまで歩き、傘も差さずに６４番のミニバスを待った。「ピナン・バリス、王宮前、６４番」。その情報を得るためだけに重い荷物を背負い、雨の中を歩き回り、声をかけて回っていた。これは誰のものでもなく、ぼく自身の旅なのだと、そう言い聞かせながら。

　ミニバスとは言え、実態はただのバンだった。座席をベンチのような硬いシートに差し替えただけの窮屈きわまりない乗り物。「市民の足」と言えば確かに聞こえはいいし、事実その通りだったが、もしここでスリや強盗に遭ったらまず間違いなく「終わる」。ミニバスの車内は、そんな絶望が住まう空間だった。

　バスターミナルから更に「Pemb.Semusta」という会社のローカルバスを捜し、ブキッラワンへ向かった。１０時ちょうどに発車したはずだったが、到着した時にはすでに午後１時を回っていた。

　道は所々で大きくカーヴを繰り返し、陥没したり剥がれ落ちたりしたアスファルトのおかげで、バスは何度もバウンドした。

　車内はすし詰めで、２人掛けのシートに３人座るのが普通だった。窓際のシートで身を折るようにしながら快適とは程遠い道のりを耐えた。

　宙には甘いガラム煙草の煙が漂い、ギターを抱えた少年たちの歌が鳴り響き、あちこちで赤ん坊が泣き出し、悪路に酔いバスの床へ吐いてしまう子供たちが続出した。ツーリストバスではなくローカルバスを選んだ結果がこれだ。車内に、旅行者の姿は見当たらなかった。

　隣り合わせた老婦人と、お互いに持っていたクラッカーやらキャンディーやらを交換して食べた。たいした会話もなかったが、言葉を越えて通じるものがあった。

　途中、隣りで床に吐いてしまった少女の口元を、持っていたタオルで拭った。水を与え、自分の膝に少女の頭を乗せた。小さな吐息を繰り返す彼女の体温や重みが、なぜか胸をぎゅっと締め付けた。父性。そう呼ばれる何かだったのかもしれない。若い母親の、困ったような、申し訳ないような笑顔に、「大丈夫、気にしないで」と声をかけた。

　こうしたやりとりに出会いの妙や旅情を感じるのはたやすいことかもしれない。けれど、現実はそんなに甘いものではなかった。ブキッラワンに着いた頃には、予想を遥かに越えた疲労に打ちのめされ、関節を伸ばすたびに鈍い痛みが走るほどだった。

 [2]

　川べりの道を進み、大きく深呼吸をした。吸い込んだ空気には湿った木々の匂いがあった。清らかな水の流れが涼しげな音を立て、ヤギの親子が家々の隙間で草を食んでいた。

　でも、ぼくを待ち受けていたのはそれだけではなかった。またしてもマリファナのプッシャー（売人）がどこからともなく現れ、きっぱりと断ると、途端に彼らはしつこいトレッキング・ツアーの勧誘員に変貌した。彼らの目は少しも笑ってはいなかった。

　あるのは、深いあきらめだけだ。


[1] http://k-ryosha.jp
[2] http://www.transiency.com/images/34pl.jpg]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>月へのチケット／メダン</title>
		<link>http://www.transiency.com/48</link>
		<comments>http://www.transiency.com/48#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 09 Aug 2003 01:25:20 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　インドネシア、北スマトラの玄関口ブラワン港へ着いたのは現地時間の午後２時だった。またここでマイナス１時間の時差を修正しなければならない。
　こうした少しのズレがかえって体力的にキツイ時もあった。１日...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　インドネシア、北スマトラの玄関口ブラワン港へ着いたのは現地時間の午後２時だった。またここでマイナス１時間の時差を修正しなければならない。

　こうした少しのズレがかえって体力的にキツイ時もあった。１日が２３時間になったり２５時間になったりする。慢性的な疲労の、要因のひとつがこれかもしれなかった。

　マレーシア、タイと通り抜けてきて思うのは、何よりもインドネシアの貧しさだった。港から市内へ向かうバスの窓から見えたのは、崩れかけたバラック小屋と、時代から取り残された朽ちた廃屋だった。貧しい、とひとつの確かな手応えのように思った。それは、取り出して目の前に差し出せるぐらいの貧しさだった。

　大モスク「Mesjid Raya」のすぐ南にあるゲストハウスにチェックインした。名前は分からない。バスに居合わせた素性のよく分からない青年が吐き捨てるように言ったのだ。「ここで降りろ。あの道に入れば宿がある」と。

　宿のスタッフに案内されたのは６ベッドのドミトリーだった。薄汚れた床の中央に、荷物を保管するための木箱がごろりと置かれている。窓やドアにはこじ開けられた跡が生々しく残っていた。身を切るような現実がここにあった。

　ゲストハウスの前にたむろする人力車（ベチャ）を１台雇い、ひと通りの町案内を頼んだ。インドネシア語が通じたことで交渉はスムーズに運んだ。

　ショッピングモールで水が最も安く買えることを教わり、両替所や雑貨屋、食堂や観光名所、電話局などを回ってもらった。途中、両替所でインドネシア通貨のルピアを手に入れ、文具店に寄って絵はがきを買った。水を買い、タバコを買い、石鹸と蚊取り線香を買い、食堂の前で別れた。

　ベチャの親父は、しきりに明日以降の予定を知りたがった。けれど、そんなものはぼくにだって分からなかった。ここに飽きたら次の場所へ行く。ただ、それだけだ。言葉に出来るような予定など何ひとつなかった。

 [1]

　食堂でたいして旨くもないナシ・ゴレンをかきこみ、景気付けにビンタンという銘柄のビールを飲んだ。遠くから聞こえるアザーンの乾いた声さえも、どこか虚ろで投げやりに聞こえた。

　ゲストハウスに戻ってシャワーを浴びた。頭のどこかで、トラブルに巻き込まれた際の対処をシミュレートしていた。結局ぼくにできるのは「受け入れること」だけなのかもしれない。そう思うと、ひどく虚しい気分になった。

　敷地内には、所在の分からない青年たちが何をするわけでもなく座り込み、旅行者をつかまえては下らない戯言を繰り返していた。「オンナ好キカ？」「マリファナ吸ウカ？」結局、すべての話が収束する場所はそこだった。

「ニホンジン、オンナネ、ミキサン、ハッパ好キネ、セックス好キネ」

　彼らが話していたのは旅先で大麻や買春に溺れる日本人の男のことではなかった。ミキサン。かつてこの宿でガンジャをきめ、彼らを相手に乱交騒ぎをしたミキという名の２０歳の女子大生のことだった。

　彼らはひとしきりミキについて話をした。時には耳を覆いたくなるような単語や、彼女の真似だろう卑屈なあえぎ声を織り交ぜて。まだ昼間の光が残っている時分だったが、彼らはみな既にガンジャできまっていた。

「ミキサンネ、ワカラナイヨ、シラナイヨ」

　その言葉が意図するものがつかめず、インドネシア語で、彼らの拙いニホンゴが指し示すものを訊き直した。彼らは顔を見合わせて下卑た笑い声をあげた。彼女のその後なんて、誰ひとり知らない。そういうことだった。「ミキサン、ハッパ好キネ、セックス好キネ」彼らが知っているのはそれだけだった。

「コレやってると、お腹が空かないんだ、何も食べなくたって生きていける」

　彼らのうちのひとりが、へらへらと笑いながら楽しそうに言った。「お腹空いたら声かけてよ、お前だったらタダで分けてやるから」と。

　遠目から見たら、彼らはみな陽気で楽しげな仲間に映っただろう。けれど、実際はそうではなかった。ろくに仕事もなく、食事にもありつけず、昼間からガンジャをきめて笑い呆けているだけだ。これが現実だった。人間の尊厳だの何だのと、そんなものはどこにも見当たらない。あるのは救いのない頽廃と、きな臭い欲望だけだ。

「Ada karcis ke bulan. (I have a ticket to the moon.)」

　一人の青年が薄ら笑いを浮かべながらポツリとそう言った。「月へのチケットを持ってるんだ」。彼の右手には、小さなビニール袋に入った薄茶色の草が握られていた。

　大きくため息をついた。

　インドネシア。お前はいったい何処へ行こうとしている？


[1] http://www.transiency.com/images/33pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>生きること、逃げること／ペナン島(2)</title>
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		<pubDate>Fri, 08 Aug 2003 22:24:38 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>マレーシア編</category>

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		<description><![CDATA[　数日前、南ジャカルタの高級ホテルで自爆テロが発生していた。
　毎朝ゲストハウスに届けられる新聞でニュースを知った。「ＪＷマリオット・ホテルにて爆発」「死傷者７０名以上」「国際テロ組織ジュマア・イスラ...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　数日前、南ジャカルタの高級ホテルで自爆テロが発生していた。

　毎朝ゲストハウスに届けられる新聞でニュースを知った。「ＪＷマリオット・ホテルにて爆発」「死傷者７０名以上」「国際テロ組織ジュマア・イスラミア関与か」

　ペナン島からマラッカ海峡を越えてインドネシアへ入国するつもりでいた。スマトラ島メダンへ。旅の途上で出会った何人もの旅行者が、この町の治安の悪さを口にしていた。強盗、暴行、殺傷、大麻、詐欺……。

　インドネシアへ入国することに迷いはあった。圧倒的な力の渦に巻き込まれてしまうかもしれない。そんな漠然とした不安。息苦しさを覚えるような得体の知れない恐怖が、重く、胸の底にあった。

　出来る限りの注意は払っていく。そう言明することはたやすい。けれど、もし自分の力ではどうしようもない事態に巻き込まれてしまったら……。

　＊

　朝６時半に目を覚まし、そのままスウェッテナム埠頭へと向かった。出国手続きや手荷物検査を受けるために、出航の１時間前には出向かなければならなかった。

停泊していた「kenangan」号は、本当にこれでマラッカ海峡を渡り切れるのかと訝りたくなるほど小さな代物だった。どう贔屓目に見ても客船などではない。島を周遊する観光用のスピードボート、そんな感じだった。

　出航までのあいだ、船体の屋根のような部分によじのぼり、琥珀色の朝陽を浴びながら過ごした。船腹を打つさざなみの音が聴こえ、荷を積み込む男たちの掛け声が響いた。まだ朝だったけれど、すでに肌に刺さるほどの熱を含んだ朝の陽射しが、海と、空と、その間にあるすべてのものを均等に照らした。

 [1]

　不安とも緊張とも恐怖とも違う何かが胸を支配し、やがてそれは、ボートの揺れに合わせるようにして大きくなっていった。

　「ミニバスには絶対に乗っちゃダメだ。それから、夜間にひとりで出歩くなんてとんでもない。そうだ、君にひとつ忠告しておくよ。もしトラブルに巻き込まれたとしても絶対に抵抗しちゃいけない。奴らはナイフを持ってるんだ。抵抗しても負けは見えてる。最初から、もう決まってるんだ」

　宿のドミトリーで言葉を交わしたドイツ人の、そんな言葉が浮かんだ。インドネシアの政情はいまだ不安定なままだ。果たしてバリ島まで、いや、できればもっとその先まで、バスとフェリーだけで渡って行けるのだろうか。

　いくら考えても、判断などできなかった。嗅覚と、タイミングと、直感で、そんな……。

　圧倒的な何かに呑まれてしまった時、そこで人は、人間の無力さというものを思い知るしかないのだろう。人間は無力だ。いや、経験的に言って「ぼくは」無力だ。この危うさと脆さの上に、二本の足で不器用に立っているにすぎない。いや、傍目から見たら、ただ途方に暮れて立ち尽くしているだけかもしれないのだ。

　責任、という言葉の意味を思う。すべて自分の責任で、と。

　スマトラ島へ向かうボートの上で感じたのは、その言い方が持つ「ひとりよがり」で「身勝手」なニュアンスだった。責任。そんな、キレイゴト。もし何か良からぬことが身に降りかかり、それもまた「自分の責任」で片付けられると言うのなら、ぼくは無責任で構わないとさえ思った。

　無責任だって構わない。逃げ切れるものなら、どんな手を使ってでも逃げ切ってみせる。

　生きたい。ただ、それだけだった。

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		<title>行ってきます／ペナン島(1)</title>
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		<pubDate>Mon, 04 Aug 2003 23:42:09 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>マレーシア編</category>

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		<description><![CDATA[　マレーシアに再入国して嬉しいのは、初見でも凡その意味が取れるマレー語の看板だった。３週間ほど前に食べていた馴染深いメニューの文字を見て、それだけで心が浮き立つ気分だった。
　午前11時にクラビを発っ...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　マレーシアに再入国して嬉しいのは、初見でも凡その意味が取れるマレー語の看板だった。３週間ほど前に食べていた馴染深いメニューの文字を見て、それだけで心が浮き立つ気分だった。

　午前11時にクラビを発ったミニバスは、ハジャイを経由し、国境を越え、９時間かけてペナン島ジョージタウンに到着した。ここでまたプラス１時間の時差があった。マレーシア時間21時。むせるような熱帯の夜気に、わずかな海の涼しさが混ざっている。

　バスを降り、最初に通りの名前を尋ねた。路線バスを待っていたらしいインド系の青年は、破裂音の強いマレー語でぶっきらぼうにこう答えた。ルボ・チュリア。

「ホテルならたくさんあるぜ。ここにも、あの角を曲がったとこにも」

　彼があごで示した先には「セブン・イレブン」があった。その角を曲がればいいのかと思った。

　「どうも」そう告げて立ち去ろうとしたぼくに、いきなり彼は右手を出して握手を求めてきた。顔に満面の笑みを浮かべて。さっきまでのそっけない態度と、この友好的な態度の落差はなんだろう。

　ブロンクスあたりで交わされるような、ちょっと下卑たやり方でぼくは応じた。差し出された手のひらに勢いよく自分の手のひらをぶつけ、そのまま握りこぶしに変えて相手の胸にまっすぐ当てた。

「ところで、お前が話してるのはインドネシア語みたいだな。どっから来たんだ？」

「日本」

「へえ、スマトラの人間かと思ったよ」

　教わった通りにセブン・イレブンの横の角を曲がった。途中「Love Lane Inn」という小奇麗なゲストハウスがあった。ドミトリー、８リンギット（≒256円）。そう書かれていた。

　レセプションに立ち寄り、部屋が空いているかを訊ねた。「もし空いてたら見せてもらえないだろうか。それから、共同バスとトイレも」そう宿の主人に丁寧に告げた。宿を決めるときはいつだってこうだった。判断を他人任せにしたくない。ただそれだけのこと。けれど、くわえ煙草の中年の男は唇のすみを曲げ、見下したような顔つきで一気にこう捲くし立てた。

「とにかく清潔にしてあるから泊まれよ、いますぐチェックインしたらどうだ。お前はいったい何がそんなに気に入らない？」

「決めるのはこっちだよ、あんたじゃない」ぼくは負けずに返した。

「こんな安くてキレイな部屋はないぜ。さっさと決めてシャワーでも浴びろよ」

「まず部屋を見せてくれって、そう言ってるんだ。ぼくの言ってることが分からないのか？」

　男は煙草のけむりを口の隅から細く吐き出し、品定めをするようにぼくの顔を見据えて言った。

「だったら向かいのきたねえゲストハウスに行きな。７リンギットだ。いますぐ出ていけ」

　腹立たしさも憤りもなかった。ただ、主人のそんな態度に虚しさを覚えた。ぼくはわざと笑顔を見せて失礼を詫び、言われた通り向かいのゲストハウスに向かった。あんたの言う、きたねえゲストハウスに。

　「環海旅社（Wan Hai Hotel）」と書かれた宿は、確かに、お世辞にも綺麗とは言えなかった。けれど、それはイコール不潔ということではなく、ただ単に建物自体が古いだけだった。それもそのはずだ。もう１００年以上も前に建てられたという。これだけの年月を耐えてきた事実に、かえって安らぎさえ覚えた。

 [1]

　宿は老夫婦がのんびりと経営しており、その眼差しの柔らかさと声のぬくもりは、そのまま宿の居心地の良さを示していた。

　ドミトリーを案内され、屋上に設えられた共同バスとトイレを教わり、蛍光灯のスイッチの場所からチェックアウトの時間、宿の門限（深夜０時半に入口は閉まる）、朝食はトーストを用意してあるから朝１１時までに声を掛けてほしいこと、冷蔵庫は好きに使っていいこと（ビールを買って冷やしておける）、ベッドマットは１枚で足りるか、必要なものがあったら何でも言ってほしいなどなど、些細な、ありとあらゆることにまで、婦人は丁寧に慈しむように教えてくれた。まるで久しぶりに孫が遊びに来たかのように。

　チェックインを済ませた後、婦人が笑顔でぼくに言ったのは、こんな言葉だった。

「さあさあ、何よりもまずごはん食べてらっしゃい。この道をね、まっすぐ行って左側に安くて美味しい屋台がいっぱい並んでるから」

　そのまま、よしよしと頭を撫でられてしまいそうなほどだった。

　ぼくは素直に頷いて、婦人に元気よく日本語でこう答えた。「行ってきます」

[1] http://www.transiency.com/images/31pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>最後の夜／クラビ(3)</title>
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		<pubDate>Sun, 03 Aug 2003 22:53:19 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>タイ編</category>

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		<description><![CDATA[　窓の外は土砂降りで、漏れ来る光にも暗い湿り気が混ざっていた。クラビ、４日目の朝。結局、ほとんど何もせずこの町に停滞していた。
　クラビに何があるかと訊かれたら、いったい、ぼくには何と答えられただろう...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　窓の外は土砂降りで、漏れ来る光にも暗い湿り気が混ざっていた。クラビ、４日目の朝。結局、ほとんど何もせずこの町に停滞していた。

　クラビに何があるかと訊かれたら、いったい、ぼくには何と答えられただろう。美しい白砂のビーチ、岩を穿った仏教寺院。幽谷に落ちる静謐な滝や、奇怪な岩礁の群れ。沖に出れば宝石のような島々が連なり、シュノーケリングのポイントにも事欠かない。

　けれど今、そのどれもがぼくには縁遠いものだった。遠くを思うほど、気持ちは心の内をさまよった。螺旋状のわだかまりの真下でじっと息を潜めるしかなかった。

　一日中部屋に閉じこもり、窓ガラスを伝う雨の模様を眺め、ベッドに横になっては本のページをめくった。気分転換にと日に何度もシャワーを浴び、生乾きのシャツを恨めしげに広げ、読む本がなくなると日本人女性の経営する食堂『さくら』まで返しに行った。そこでまた20バーツ（≒64円）のバナナシェイクを飲み、新たな本の１ページを。

　サガンを１冊、宮本輝を２冊、伊集院静を３冊、既に読み終えていた。選んだ作家に偏りがあるのは、この食堂兼貸し本屋の蔵書では仕方のないことだった。

　そんな状態だったから、『さくら』のオーナーにさえ「このお兄ちゃん何しにクラビに来てはるか分からへんな」と笑われた。ぼくも笑いながら「読書の夏」と答え、ストローを噛みながら再び読みかけの一行に視線を戻した。

＊

　泊まっていたゲストハウスは奇妙な空間で、１階が美容室になっていた。２階の客室に戻る際には、髪を結う客の後ろをこそこそと通らなければならなかった。鏡越しに、店主や客からよく声を掛けられた。「元気？　どこ行ってたの？　本屋さん？」そんな言葉に笑顔で応えながら、ふと、自分が親戚の子にでもなったような気分になった。

　美容室の入口には簡素なテーブルが置かれ、順番を待つ客や近所の老人たちがコーヒーや紅茶を飲みに訪れた。テーブルの一角は長距離バスの代理デスクになっていて、ひがな一日、実直そうな老人がのんびりと寛いでいた。

　老人にペナン島までのチケットを頼むと、550バーツ（≒1,760円）と表記されたものを、何も言わずに420バーツ（≒1,344円）まで下げてくれた。理由は分からなかった。けれど、老人は慈しむように何度も頷き、満足そうにゆっくりと目を細めた。ぼくにできるのは、その厚意を受け止めることだけだった。

　この出来事を『さくら』のオーナーに話すと、「えっらいやっすいな」と本気で驚かれた。普通、どんなに頑張って値切っても、500バーツ（≒1,600円）が最低ラインなのだという。現に「さくら」でアレンジした場合は550バーツだった。もちろん、それとてべらぼうに高いわけではなかった。

＊

　夕暮れを過ぎても、雨は一向に降り止まなかった。しばらく美容室の前のテーブルで空と睨み合ったが、いくら待っても埒が明かなかった。意を決して歩き出そうとすると、チケットを切ってくれた老人が微笑みながら傘を差し出してくれた。それは老人の傘であって、自宅へ戻るのに必要なものだった。

　戸惑いながらも傘を受け取り、「すぐ戻ってきます」と英語で伝えてナイト・マーケットへ急いだ。この町に来て以来、このマーケットに立ち寄らない日はなかったから、軒を連ねた屋台のいくつかにはすっかり顔なじみも出来ていた。

　串焼き屋で、いつものように４本の串（鶏、腸詰、魚のすり身、衣で包んだうずらの玉子）を買い、また別の屋台でドライカレーの弁当を買った。しめて30バーツ（≒96円）という安さだった。

　帰りがけにスーパーに立ち寄ってチャーン・ビールを１本だけ買い、宿のテーブルで雨を見ながら食べた。老人に傘を返すと、また小さく首を横に振り、「明日、ピックアップのバンが来るからね」と笑顔で言った。飄々と去っていく老人の背中をしばらく見つめていたら、ふと、涙がこぼれそうになった。

　雨垂れに耳を澄まし、点りはじめた町のあかりを見つめた。今日でタイは最後なのだと思った。明日はもうマレーシアだ。そして、インドネシアが待っている。最後の夜には、きっと、こんな土砂降りが相応しいのだろう。

＊

　借りていた本を返しに、再び『さくら』へ向かった。せっかくだからとビールを注文し、途中になっていた本をここで読みきろうとページを繰った。片隅に置かれたテレビでは２時間遅れのＮＨＫニュースが流れ、４日前にバンコクで起きた脱北者による日本大使館駆け込み事件が、この日もトップニュース扱いで報じられていた。

　海外渡航者向けに編集されているらしく、番組は時折、英語のみのニュースになった。その音声をＢＧＭにしながらビールを飲み、もう何度となく読み返したはずの小説の文字を追った。

　文章に集中しているはずだったが、ふとテレビの音に耳を奪われた。いったい何の番組だったかは分からない。テレビからは BEGIN が歌う『島人ぬ宝』という歌が流れていた。

　三線の甘い音色に乗せて、彼らは変わってしまう沖縄を歌っていた。テレビでは映せない、ラジオでも流せない、大切なものがきっとここにある。それが島人ぬ宝だ、と。

　不意に、テレビの映像が水あめのようにぐにゃりと歪んだ。両目に涙が溢れていた。理由なんて分からない。けれど、それは今ぼくの内側を揺さぶるのには充分だった。彼らの言葉や、三線の音色が、ぼくの弱さや未熟さを鷲掴みにした。

　旅に出て、初めて涙をこぼした。泣くことすら、ぼくは忘れていたのかもしれない。

　彼らの歌が終わったあとでも、しばらく身体の震えが止まらなかった。どうしてだろう。どうして、ぼくは泣いているのだろう。残っていたビールをグラスに注ぎ、一気に飲み干した。小さくため息をつくと、少しだけ気分が楽になったような気がした。

　ふと、日本語なのだと思った。どう転んでも、ぼくの身体を流れているのは日本語でしかなかった。]]></content:encoded>
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		<title>藍を奪いに／クラビ(2)</title>
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		<pubDate>Sat, 02 Aug 2003 23:01:05 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>タイ編</category>

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		<description><![CDATA[　６日ぶりに雨が降った。カーテンコールの喝采にも似た、狂おしいほどの雨。
　その時間ちょうど部屋にいて、伊集院静の『乳房』を読んでいた。あかり採りの窓から零れる光が急に萎え、空の青が瞬く間に深縹色へと...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　６日ぶりに雨が降った。カーテンコールの喝采にも似た、狂おしいほどの雨。

　その時間ちょうど部屋にいて、伊集院静の『乳房』を読んでいた。あかり採りの窓から零れる光が急に萎え、空の青が瞬く間に深縹色へと変わった。小説の文字が暗い影に紛れ込んでいく。雨粒が落ちてくるまでに、そう時間は掛からなかった。

　隣家のトタン屋根を叩く雨音までが、いつまでも鳴り止まない観客の手拍子に聴こえた。下ろされた幕が再び上がるのはきっと時間の問題だろう。華やかな衣装をまとった役者たちがステージに現れ、手渡された花束を高々と掲げる。二言三言ささいな挨拶をし、少しのステップを踏んだり、小さな笑いを取ったりしながら、観客の思いに応えている。

　喝采という名の、雨粒の音。

　そんな莫迦げた空想をしながら、読みかけの小説を閉じて耳を澄ませた。雨はぼくの内側にも降りこめ、様々な想いのつまった記憶の引き出しを濡らしていく。雨が、ぼくを叩く。その先でひとつ、またひとつ言葉が生まれる。

 [1]


　雨が去ったのは、夕暮れも間近の時分だった。おかげで食事に出かけることもままならずにいた。そろそろナイト・マーケットが立ち始める頃だ。サンダルをつっかけ、テーブルにばらまいてあった紙幣や硬貨をポケットにねじ込み、濡れて消炭色になったアスファルトの舗道を進んだ。

　郵便局の前の坂を下り、馴染みになったベーカリーや洋書店を通り過ぎ、ほんの少しだけ胸を張って夕暮れの町を歩いた。クラビという、何もかもがごちゃ混ぜになったこの街並みが好きになり始めていた。

　唯一のショッピングモール「Vogue」の影に隠れるようにして、勤めを終えた太陽が沈んでいく。西の空が水差しの中の浅緋のように淡く滲む。街の輪郭が、逆光の中で鋭角の影を作り出す。

　空にはまだ水気をたっぷりと含んだ切れ切れの雲がたなびいていた。手にとって握りしめたら、そのまま夕焼けの光が滴り落ちて来そうなほどの。

　旅に出て、もう何度夕陽を見つめただろう。落日に託すようにして、何度、胸のつかえを沈めてきただろう。そこに教訓めいたものはなかった。浄化さえなかった。来し方を嘆き、行く末を憂う、そんな抜け道のない愚かな自己愛があっただけだ。

　もう一度、ほんの少しだけ胸を張った。そして、夕焼けが徐々に夜の闇に侵食されていく、そのぎりぎりの光の色を見つめた。夕焼けの色とも夜の色とも違う、あの一瞬の光の帯を。

　そうだ、そうだった。ふと湧き上がるように心を埋め尽くしたのは、あの日、陽子から贈られたひとつの句だった。

「紫陽花の　藍を奪いに　闇迫り来る」

　陽子、とぼくは思った。ほとんどその場で泣き崩れてしまいそうなほどに。

　あの冬、ぼくらは共に２１歳だった。同じ大学で文章を学び、互いの習作を批評しあい、時に励まし、最後は決まって二人で酔いつぶれていた。

　あの、透明な時間。

　あれからぼくは大学で一人の友人も作ろうとは思わなかった。陽子だけでもう充分だとさえ思っていた。だから、どんなことがあっても陽子を守らなければならなかった。

　忘れない。５月５日を。自らの命を絶ってしまった、あの初夏のよく晴れた日を。

　ぼくはもう２８歳になっていた。そして、陽子は永遠に２１歳のままだ。

　夕焼けを背にして東の空を見上げた。「紫陽花の　藍を奪いに　闇迫り来る」。その言葉の指し示すものを、ぼくはやっと自分のものにできた気がした。空には、三日月とも半月とも違う今夜限りの月が輝いていた。

　強く。

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		</item>
		<item>
		<title>はじまりはいつも／クラビ(1)</title>
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		<pubDate>Fri, 01 Aug 2003 18:33:07 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>タイ編</category>

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		<description><![CDATA[　ゲストハウスの隣りに、日本人女性の経営する小さなネットカフェがあった。カフェ・タワン。「TAWAN」はタイ語で太陽を意味すると聞いた。声に出してみると、それはとてもやさしい響きだった。
　予定も目的...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　ゲストハウスの隣りに、日本人女性の経営する小さなネットカフェがあった。カフェ・タワン。「TAWAN」はタイ語で太陽を意味すると聞いた。声に出してみると、それはとてもやさしい響きだった。

　予定も目的もなく、クラビという町についての情報すら持たないぼくに、経営者の女性はいつも親切に、そしていつも少しはにかみながら、名所やマーケットの立つ場所、ローカルバスの乗り方などを教えてくれた。

　在住５年目ということだったが、無理に何かを押し付けたり、わけ知り顔で接するということは一度もなかった。そんな照れや控えめな仕草が素敵だと思った。

「息子の幼稚園へのお迎えのついでに」

　そう言って、彼女はぼくを「Tigar Cave Temple」というタイ仏教の聖地まで車で連れていってくれた。観光というものになかなか食指の動かないぼくを、彼女は少しからかってみたかったのかもしれない。

「タイラくん、帰りは自力でがんばって戻ってきてね。だなんて、ちょっと私もヒドイかな？」

　彼女は笑いながらぼくに言った。そんな言い方が好きだと思った。そんな言い方のほうが、ずっと優しくて居心地がいい。甘えすぎてしまえば先が辛い。きっと、彼女はその痛みを知っていたのだろう。

　きちんと礼を述べ、少し迷いながら、ぼくはこう彼女に告げてから寺院の門をくぐった。

「ちゃんと戻ってきたらご褒美くださいね」

「あめ玉でいい？」

　厳粛な空気がぴんと張りつめた中で、彼女の楽しそうな笑い声が響いた。なんて気持ちのいい笑い方をするのだろう。そう思った。

 [1]

　たっぷり１時間ほどかけて、仏像や僧房や展示室や、さまざまな「いわれ」を持つポイントをぐるりとめぐり、数枚の景色をカメラに収めた。

　ひと通り見てしまった後で思わずこぼれたのは深いため息だった。やはり熱心な観光客にはなれない。やっぱり、観光なんてぼくには向かない。そう思いながらもう一度ため息をつくと、今度は笑いが込み上げてきた。

　どうしようもない。お前は観光客にすらなれないじゃないか、と。

　敷地内の木陰に腰を下ろし、フランソワーズ・サガンの『悲しみよ　こんにちは』を読み耽った。読み返すのは高校生のとき以来だった。焦げつくような熱帯の空の下で、５０年も前に書かれた小説のページを繰っていることに不思議な胸の震えがあった。こんな瞬間のほうが、旅の中にいる自分を見つけられる気がした。

　小説は、こんな言葉で始まっている。

“ものうさと甘さがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しい、りっぱな名をつけようか、私は迷う。”　（フランソワーズ・サガン／朝吹登水子＝訳）

　サガンの文章は美しく、そして切なく儚い。一瞬をつなぎとめるために、いや、もう戻ることのない今のために、彼女の言葉は綴られていく。まるで、思い出に変わってしまうのを拒むみたいに。

　思わず心の中でこう叫んでいた。旅だ、と。

[1] http://www.transiency.com/images/29pl.jpg]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>火を抱かず行け／ピピ島(6)</title>
		<link>http://www.transiency.com/42</link>
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		<pubDate>Thu, 31 Jul 2003 17:51:12 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>タイ編</category>

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		<description><![CDATA[　島を離れるボートは午後１時３０分に出航した。
　　チケットは通常２００バーツだったが、マッサージ屋のオーナー夫人の計らいで１５０バーツで手に入れていた。「良い思い出を作ってもらいたかったから」チケッ...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　島を離れるボートは午後１時３０分に出航した。

　　チケットは通常２００バーツだったが、マッサージ屋のオーナー夫人の計らいで１５０バーツで手に入れていた。「良い思い出を作ってもらいたかったから」チケットを手渡しながら、彼女は包み込むような声でぼくに言った。

　彼女たちと過ごした３日間を、まだ振り返ることはできなかった。親切でおせっかいで人懐こくて、いつも陽気な笑顔を見せ、時に気まぐれで寂しがり屋で、本当に猫みたいな女たちのことを。

　夫と別れ、ハジャイという町から単身でこの島にやってきた女。マレーシア人と結婚したものの、すぐに韓国人の邸へ住み込みで働きに行かされ、結局何もかもを捨てて逃げてきた女。

　恋に破れ、傷心のままソンクラーから来ている女。彼女はぼくにウインクをしながら言った。「きっと今ごろ、私は行方不明になってるわ」

 [1]

　だれもが皆、それぞれに何かを抱え、この島で身を寄せ合うように暮らしていた。決して楽な暮らしではない。にもかかわらず、ただの旅行者に過ぎないぼくに対して、色々と世話を焼いてくれた。

　何度、店のまかないをご馳走してもらっただろう。海へ向かうぼくの背中に、何度、売り物のアロマオイルを塗ってくれただろう。いったい何本のビールをともに空け、道端にしゃがんで夜遅くまで笑いあっただろう。

　マッサージと称して店先のベッドにぼくを寝かせ、そのまま添い寝をしてしまう無邪気な女たち。熱帯の陽射しのもとで「寒い寒い」と冗談を言っては、すぐに抱きついてくる女たち。

　そんな女たちの温もりに、正直、辟易することもあった。けれど結局はいつも、彼女たちの振る舞いに苦笑いを浮かべ、差し出される気持ちの熱に甘えていた。

　そんなに親切で優しすぎるから幸せになれないんだよ。そんなに無邪気でお人好しだから哀しい目に遭うんだよ。部屋に戻り、ひとり大きなベッドに寝転がっていると、いつもそんな思いが頭をかすめていった。

　滑らかに海を行くボートの甲板に立ち、遠ざかる島の姿を見つめた。あの島にあったのは笑顔だった。悲しみの先に見える、温もりという名の笑顔だった。

　肌の温度と、まっすぐな瞳がもたらす暖かな気持ち。けれどその熱を、ぼくは一度だってしっかり受け止めることができなかった。一度だって、正面からきちんと抱きとめることができなかった。

　旅について思いをめぐらせるのは、いつもこんな瞬間だ。この旅がいったいどこへ向かおうとしているのか、ぼくには分からない。旅を人生に喩えることはたやすい。けれど、人生というものすら分からない人間にとって、旅について語ることなどできやしない。

　島を離れる時、最後に彼女たちに会って出発を告げようと思った。けれど、彼女たちは決してぼくと目を合わせようとはせず、うつむきながら次々に店の奥に引っ込んでいってしまった。

　何度か声を掛けた。けれど、とうとう彼女たちは出てこなかった。出航の時刻が迫っていた。このまま島を離れていくことに躊躇いがあった。何かを伝えなければならない。今ここで言わなければ、永遠に失われてしまう。そんな予感に似た思いが、ぼくの内側で渦を巻いた。

　ありがとう。口を突いて出たのは、そんな言葉だった。ありがとう。ぼくは小さな声で、店の奥の暗がりに向かって言った。ありがとう、と。

　心の中には、確かに別れの言葉があった。その言葉を、ぼくはぐっと胸の奥にしまって歩き出した。さよならは言わない。さよならなんて言葉にできない。ぼくは、彼女たちの温もりを抱きとめることができなかったのだから。

　火を抱かず行け。

　ふと、そんな言葉が浮かんだ。目を閉じると、そこには彼女たちの陽気な笑顔があった。

[1] http://www.transiency.com/images/28pl.jpg]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>空へ続く／ピピ島(5)</title>
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		<pubDate>Wed, 30 Jul 2003 21:04:24 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>タイ編</category>

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		<description><![CDATA[　翡翠色に輝く海。朝の陽射しが、水面に光のドレープを描いている。
　柔らかな砂底を蹴って、光の中で何度もストロークを繰り返した。身体の輪郭が曖昧になり、呼吸のたびに何かが身体から抜け落ちていく。やがて...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　翡翠色に輝く海。朝の陽射しが、水面に光のドレープを描いている。

　柔らかな砂底を蹴って、光の中で何度もストロークを繰り返した。身体の輪郭が曖昧になり、呼吸のたびに何かが身体から抜け落ちていく。やがて、意識は海の中へ。一瞬の忘我。

　泳ぐという行為には、いつも不思議な感情がつきまとった。根源を揺さぶる回帰の念のような。

　いつの日か白い灰になって、ぼくらもまた海へ帰る時が来るのだろう。その瞬間を迎えるための準備を、こうして今、ひとり繰り返していた。

　太陽の脚がすっかり海面から離れてしまうまで泳ぎ続けた。満ち足りて陸に上がると、皮膚のあちこちから潮の香りが立った。心地良い疲労と空腹感が身体を満たし、その気だるさの中で安堵のため息をひとつ。

　持参したミネラル・ウォーターで喉を潤して、もう一度、太陽を内に抱く海の姿を眺めた。

　それは、長く不確かな一瞬の連なりだった。

＊

　ゲストハウスに戻る途中、マッサージ屋の女たちが揃ってぼくの名を呼んだ。用事なんて何ひとつない。ぼくをかまって遊びたいだけなのだ。

　仕方なく近付くと、それ来たとばかりに両腕を引っ張り、無理矢理にぼくを座らせた。それから女たちはぴったりと身体を寄せて次々と頬にキスをした。ぼくのくせっ毛の髪を愛しそうに撫でまわし、頼みもしないマッサージを手にひらに施した。くすぐられて身をよじると、女たちは子供のようにはしゃいで何度も何度もぼくの身体を触った。

　昼の盛りの島には出歩く人の姿さえなかった。マッサージ屋は開店休業中で、ぼくはまさに暇つぶし要員だ。

「ねえ、マッサージしてほしい？」「そうねそうね、お金はいらないわ。ねえこれ特別よ」

　女たちに罪状宣告みたいなことを言われ、連行されるようにベッドに転がされると、二人が両脇から強引にぼくの腕を広げて押さえつけた。抵抗する間もなく、女たちはごろりと横になってぼくの両腕に頭を乗せ、これでもかというぐらいに両足を絡めた。じゃれあうにもほどがある。これじゃまるで人間抱き枕じゃないか。

　苦笑いを浮かべ、女たちにも聴こえるようにため息をついた。でも、ぼくに出来るのはそこまでだ。こういう扱いにすっかり慣れっこになっていたし、異常なほど可愛いがられている、という奇妙な居心地の悪さも、もうあまり気にならなくなっていた。

　どれだけ相手をしても終わりはなかったから、ぼくは適当にその「おもてなし」を切り上げ、部屋に戻ってゆっくりとシャワーを浴びた。

　もう一度、ため息をひとつ。

　この島の水には海のにおいが混ざっていて、水そのものにもわずかな硬さがあった。石鹸は上手に泡立たず、シャンプーは白い塊になって髪に絡んだ。汚れを洗い流しているのか固まったシャンプーを取り除いているのか分からなかった。

　それでも勢いよく噴き出すシャワーの音が好きだった。水の音がぼくの耳から聴覚を奪っていく。生存を確認する儀式にも似た、そんな密やかな時間。

　部屋のカーテンを閉め、しばらく午睡をした。火照った肌の熱さえ今は心地良かった。

　天井で緩慢に回るファンの羽音を聴きながら目を閉じた。いつもそうするように、両手両足を投げ出して、このまま深い海の底にゆっくりと沈んでいくさまをイメージした。眠りが淡い光源となってぼくを包む。

＊

　喉の渇きに目を覚ますと、カーテンの隙間から外の光が細く差していた。いったいどのくらい眠っていたのだろう。この島に来てからというもの、時間を気にすることがなかった。光の移り変わりに寄り添っていればそれだけでよかった。

　上半身は裸のまま、サンダルに短パンだけの格好で表に出た。肌はすっかり日に灼け、面白いほどつるりと光っていた。

　マッサージ屋の女たちに声を掛け、ビューポイントまでの道のりを確認した。頑張れば20分、遅くても40分あれば着けるという。だったら30分なのだろうと思ったが、それは敢えて口にしなかった。

　延々と続く山道を歩いた。軽いトレッキングと言ってもいいかもしれない。傾きかけた陽射しは木立の下までは届かず、柔らかく湿った土の匂いがあたりをそっと包んでいた。ここは海と山をつなぐ道なのだ。そう思うと、畏れにも似た感情が心に生まれた。

　鳥の鳴き声や虫たちの声が雨のように天から降り注ぐ。目に付いた切り株に腰掛け、そっと目を閉じて息を吐いた。自分の鼓動がすぐそばにあった。

　頂上には小さな雑貨屋とトイレが設けられ、切り立った崖の手前には剥き出しの岩がごろごろと転がっていた。雑貨屋でチョコレートのアイスバーを買い、巨岩に腰掛けて齧りながら、眼下に広がる砂州の町とその先の海の果てを眺めた。

　木立を揺らす風がぼくの肌をも掠め、反対側の空へ流れていく。刷毛で引いたような雲が、空の高いところで躊躇っている。

　この場所からの夕陽を眺めようと、他の旅行者たちも徐々に集まってきていた。彼らの何人かと言葉を交わし、これまでの旅のことや次の行き先のことを話した。

「帰国はあと２ヶ月後。たぶんバリ島から」そう答えると、フィンランドから来ていた女性は楽しそうに笑った。「うらやましい。これからまだ、たくさんの夕陽に出会えるのね？」

 [1]

　アンダマン海に沈む夕陽は、これまで見たどの夕陽よりも力強いものだった。

　圧倒的な光が海を射抜き、水面にくっきりと琥珀色の街道を描いた。空へ続くこの道を辿れば、きっとあの水平線の果てまで歩いて行ける。そんな空想すら現実になってしまいそうなほど、目の前の夕陽は絶対で揺るぎないものだった。

　眩しさに目を細め、それでもまだ眩しすぎて、サングラス越しに夕陽を見つめた。光の粒は次々と色を変え、幾重にも重なりながら飛び散っていった。

　この光を、きっと忘れることはないだろうと思った。

[1] http://www.transiency.com/images/27pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>青と碧／ピピ島(4)</title>
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		<pubDate>Tue, 29 Jul 2003 16:03:20 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>タイ編</category>

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		<description><![CDATA[　ピピ島、天気晴れ。昨日とは打って変わり、抜けるような青空が広がっている。朝９時に目覚め、そのまま朝食も摂らずに海へ向かった。
　水はどこまでも澄み渡り、銀色の鱗をした小魚の群れが目の前で何度も弾けて...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　ピピ島、天気晴れ。昨日とは打って変わり、抜けるような青空が広がっている。朝９時に目覚め、そのまま朝食も摂らずに海へ向かった。

　水はどこまでも澄み渡り、銀色の鱗をした小魚の群れが目の前で何度も弾けていった。裸足に触れる砂底の柔らかさが心地良かった。波の揺りかごに身をゆだね、両手を遠くへ伸ばすようにして水を掻いた。

　沖へ出て仰向けに浮かぶと、目の前には澄んだ空と圧倒的な太陽があった。耳まで海に浸かってそんな空を眺めた。手が届きそうなほどすべてが目の前にあった。まぶたを狭めると、その向こうにあるものまでが見える気がした。

 [1]

　白砂のビーチには、砂遊びをする家族連れの姿や、椰子の木陰に寝そべって読書を楽しむ旅行者の姿があった。

　時間はガラスの管を伝う砂粒のようにさらさらと流れていった。打ち寄せる波の音を聴きながら、忘れていた手触りを探すようにじっと海の姿を見つめた。

　太陽が南中に近くなると、沖の方が深い碧色の光を放った。そんな海の美しさに言葉を失い、時を忘れ、今すぐ誰かにこの情景を伝えたいと思った。すぐそばで、ぼくの隣りで。

　語らう相手もなく、この瞬間を共有する相手も言葉もなかった。灼けつくような孤独だけがぼくの手のなかで膝を抱えていた。

　すべてがブーメランのように心の内側にはねかえってくる。そんな痛みをどうすることもできずに、ただ、今という瞬間だけを受け止めようと努めた。砂浜にたたずみ、天と地のあいだに存在するあらゆるものに思いをめぐらせながら。

　今日という日はいつでも一度きりだ。いつだって、それは。

　どこへ行こうと、どれだけ遠くへ離れようと、悲しみが癒えることはないのだろう。それは解っていたことだった。悲しみを悲しみとして受け止められるだけの強さを持ちたい。そう願った。

　沖に小さなボートが浮かんでいた。砂浜からざっと１００メートルほどの距離があった。あのボートまで泳いでみようと、そんな単純な思いで海へ入った。

　何かを振り払うように、何度も何度もクロールのストロークを繰り返した。

[1] http://www.transiency.com/images/26pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>猫と女たち 後編／ピピ島(3)</title>
		<link>http://www.transiency.com/39</link>
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		<pubDate>Mon, 28 Jul 2003 22:02:26 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>タイ編</category>

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		<description><![CDATA[　先が思いやられるとは、きっとこういう状況を言うのだろう。文字通り「先が思いやられる」と激しく思った。
　女たちは屈託のない笑顔で、きゃあきゃあ笑いながらセクシーポーズを決めている。まるで２０年後の峰...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　先が思いやられるとは、きっとこういう状況を言うのだろう。文字通り「先が思いやられる」と激しく思った。

　女たちは屈託のない笑顔で、きゃあきゃあ笑いながらセクシーポーズを決めている。まるで２０年後の峰不二子の残念な姿を見せられている気分だ。それも実写で。三人も。

　困ったことになった。落ち着け。なんだこの冗談みたいな展開は…...。

　現況があまりにも可笑しすぎて、ぼくはもう力無い笑いを返すことしか出来なかった。

　シャワーは諦め、ひとまず腹ごしらえをしようと思い直した。いや、この状況を打開するにはとにかくこの部屋から出ること以外にない。

　特別お腹が減っているわけでもなかったが、彼女たちに手近な食堂の場所を訊ねることにした。まるで何かを思い出したかのように。

「えー？　シャワー浴びないの？　どうして？　気にしないで浴びればいいのに。ねえ？」「そうそう恥かしがってちゃダメよ。脱がせちゃおうかしら？」「ねえあのコ照れちゃってるのよ。かわいいわ」

　聞こえないフリを決め込み、どうにか彼女たちを部屋から追い出すと、慌てて鍵を閉めた。彼女たちは妙に拗ね、ふてくされ、不満げな顔を見せたが、なんとかマッサージ屋の三軒隣にある食堂まで案内してもらえることになった。

　もちろん先に入っていったのは彼女たちだ。

　奥から出てきたのは、やはり同じような年回りのお茶目な女店主（いきなり「アイ・ラブ・ユー！」と声をかけてきた）だった。もう笑うしかない。底無し沼に足を踏み入れた気分だ。

　壁際のテーブルの隅に座らされ、挽き肉とバジルの炒め物とライスを頼み（いや、これがオススメだからと勝手に注文された）、シンハビールを飲みながら料理を待った。

　食堂のテレビではタイ版「アタック・ナンバーワン」とでも表現できそうな、奇妙なスポ根バレーボールドラマが流れていた。何もかも漫画みたいだ。もう、どうにでもなれ。

　運ばれてきたビールを一息に飲み、無理矢理ため息をついた。困ったことに、女たちはそんなぼくの姿を愛しそうに見つめている。ここで負けてはいけない。どうにか自分のペースを保たなくては。

　わざと目を閉じ、ビールに満足しているような顔をしてうつむいた。

　心の中で「いち、に、さん」と数えて満足そうに目を開けると、どうやら彼女たちは「親切なおもてなし」の答えを見つけたようだった。

　ニコニコと笑い合うと「じゃ、そろそろ戻る？」「そうねそうね、仕事しなきゃね！」「あらやだ忘れてたわ、あははは！」と言い、実にあっさりとマッサージ屋へ戻っていった。宿の目の前の、魔界の入り口のようなマッサージ屋へ。

　もちろん、別れ際に彼女たち３人からそれぞれ熱烈な投げキスを頂戴して。

　やっと、やっと一人になれた。

　途端に、想像以上の疲労感が大波のように打ち寄せた。打ちのめした、と言ってもいいかもしれない。思わずテーブルに突っ伏し、声にならないうめき声を上げた。身体の芯から生気をすっかり奪われた気分だった。

　困ったことになった。もう笑って済ますしかない。

　注文してしまったのなら文句も言えない。きちんと食べ、きちんと休み、それからシャワーを浴びることにしよう。浴びたっていいじゃないか。そうだそうだ、前向きに行こう。前向きに行こうじゃないか。

　なんとか自分を励まし、運ばれてきた料理の匂いをかいだ。香ばしいナンプラーの匂いが鼻をついた。

　大して期待はしていなかったが、オススメの言葉の通り、バジル炒めはびっくりするほど美味しかった。本当に、本当に美味しい。ライスと混ぜながら食べると、それだけで自然に笑顔になってしまう。この調子だ。とにかく自分のペースを取り戻さなくては。

　けれど、事はそう簡単には運ばなかった。

　無邪気な女たちの次にぼくを取り囲んだのは、これまた無邪気な猫たちだった。ニャーゴニャーゴとテーブルの周りに集まっては、もの欲しそうな目でぼくを見上げる。一匹がぼくの膝の上に陣取り、頬を寄せ、つぶらな瞳でぼくを見上げ、甘えた声を出した。

 [1]

　ニャーゴ、ニャーゴ。両手にスプーンとフォークを持ったまま、すっかり身動きが取れなくなってしまった。手を動かすたびに甘えた声が聞こえる。視線を膝に落とすと、いじらしいまでにまっすぐな瞳がぼくを見つめ返している。

　待て待て、ちょっと待て。ゆっくり食事もさせてくれないのか？　ニャーゴ、ニャーゴ。

　一本に伸ばしたらそのまま地球をぐるりと一周してしまいそうなほど長いため息をついた。この島は一体どうなっているんだ？　面白すぎる。

　ねえ神様。あと三日、このぼくにどうしろと？

[1] http://www.transiency.com/images/25pl.jpg]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>猫と女たち 前編／ピピ島(2)</title>
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		<pubDate>Mon, 28 Jul 2003 20:33:22 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>タイ編</category>

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		<description><![CDATA[　リゾートアイランドの類に漏れず、ピピ島もまたハイコストな島だった。
　ビーチ沿いの瀟洒なコテージの中には１泊3,000バーツ（≒9,600円）を超えるものもあった。かといって巨大な資本を投じたホテル...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　リゾートアイランドの類に漏れず、ピピ島もまたハイコストな島だった。

　ビーチ沿いの瀟洒なコテージの中には１泊3,000バーツ（≒9,600円）を超えるものもあった。かといって巨大な資本を投じたホテルが建ち並ぶわけでもなく、長閑な島の暮らしもわずかに残っていた。

　船着場からかなり歩いた山間の宿に決めた。ツーリスト向けのレストランとローカル向けの食堂がほぼ同じ割合で寄り添っているような場所だ。

　目の前の道を更に登ればビューポイントに着く。海までは距離があったが、静けさに価値を置くのであればこれといった不満は無かった。

 [1]

　とはいえ、ぼく自身がこの宿を決めたわけではない。結果的にそうなってしまったのだ。

　重い荷物を背負いながら初めての土地を歩くという行為は、自分で思っている以上に体力を消耗してしまう。歩くことに嫌気がさし始めた頃、タイミングよくタイ・マッサージ屋の女性に呼び止められた。「ねえ、そこのかわいい子」と。

　ぼくのどこらへんが「ラブリー・ボーイ」なのかは分からなかったが、そのまま勢いに任せて荷物を預かってもらうように頼んだ。「休んでいきなさいよ」そう彼女は言った。

　マッサージ屋には３人の女性がいた。もうとっくに旬は過ぎてしまったような、けれど人懐こくて陽気な愛らしい女たちばかりだった。

　彼女たちのブロークンな英語を何とかつかまえながら、どこの土地でも繰り返されるやり取りを続けた。

　「どこから来たの？」「日本人？」「一人なの？」「寂しいわねえ」云々。

　ぼくが宿を探していることを知ると、彼女たちは何の躊躇いもなくこぞって向かいの宿に押しかけていった。タイ語はまるで分からなかったが、仕草や口ぶりから、どうやら「あの日本人を泊めてあげなさいよ。ねえ、もうちょっと安くならないの？」といった内容を伝えていることは明らかだった。

　一人ぽつんとマッサージ屋の店先に取り残され、そんな彼女たちの姿を見ていた。

　いや、違う。おかしなことになった。何かが根本的に間違っている。

　確かにタイ語は分からなかったが、ぼく自身が英語で交渉すれば足りることだ。だいいち、向かいの宿に泊まりたいだなんて一言も言っていない。

　ひとしきり交渉を終え、妙に満足気に戻ってきた彼女たちが口にしたのは、ちょっと耳を疑うようなものだった。

「あのね、３泊で３９０バーツになったから。どう？　たいしたもんでしょ？」「そうそう、あの２階の角部屋よ。ファンもあるしシャワーもあるしベッドも大きいし。」「ねえ早く荷物置いてきちゃいなさいよ。あ、それとも私が持ってあげよっか？」

　３泊？　角部屋？　大きなベッド？

　あっけに取られるぼくにはいっさい構わず、いつのまにか二人にぴったりと腕を絡められ、荷物を抱えられ、ほとんど拉致される格好で部屋へ連れ込まれた。待て待て、ちょっと待て。３泊って何？　お金は後でいい？　いや、それより、どうして腕を絡めてるの？

　連れてこられた部屋は、けれど、思いのほか清潔で広々としており、水シャワーの勢いもよく、テーブルや簡素な衣装掛け、枕元には小さなスタンドまでがあった。

　まったく問題ない。というより一人身のぼくにとっては充分すぎるほどだ。

　ひとまず荷物をテーブルの下に放り込み、ほっとため息をついた。いささか強引ではあったが、とにかくこの部屋に決めてもいい。３泊？　それも仕方がない。不快な汗をさっぱりと洗い流して、ふたたび島を歩いてみよう。そうだそうだ、前向きに行こうじゃないか。

　そうと決まれば、さっそくシャワーを浴びて出掛ける準備をしたい。もう一度、心の中で繰り返す。よし、これからシャワーを浴びよう。ぼくはシャワーを浴びる。さあ皆さん、出て行ってもらえないでしょうか？

　背後から女たちの陽気な笑い声が聞こえた。見ると、大きなベッドの上で三人が見事に川の字になって寝そべっていた。子供のような無邪気な笑い声をあげながら。

　ちょっと待て。どうしてベッドに寝てんの？　そのセクシーポーズは何？　いやいや「カモ～ン！」って、そんな。

　丁重にお引き取り願おうと思い、ぼくは冷汗をかきながらこんなことを言った。「あのね、汗かいたからシャワー浴びたいんだけど」

「？？？」

「いや、だからシャワーを浴びようかなって。そう、今から、こう……」

　ある程度は予想していたが、返ってきた言葉はやはりこんな感じだった。

「じゃあ一緒に入りましょうよ。ね？　みんなで！」「そうよそうよ！　私たちが洗ってあげちゃうわよ。みんなで、ね？」「あらやだ照れてるの？　かわいいわ」

[1] http://www.transiency.com/images/24pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>嵐の中を／ピピ島(1)</title>
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		<pubDate>Mon, 28 Jul 2003 19:55:53 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>タイ編</category>

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		<description><![CDATA[「ただ、砂浜に寝転ぶだけでいい」
　クアラ・トレンガヌの宿で言葉を交わした英国人のアレックスは、そう言って片目をつぶった。ピピ島。映画『ザ・ビーチ』の舞台になった島だという。憧れや期待があったわけでは...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[「ただ、砂浜に寝転ぶだけでいい」

　クアラ・トレンガヌの宿で言葉を交わした英国人のアレックスは、そう言って片目をつぶった。ピピ島。映画『ザ・ビーチ』の舞台になった島だという。憧れや期待があったわけではなかった。だれもが美しいと謳う景色であっても、それはいつだって個人的で、もっと密やかなものだと思うからだ。アレックスの感じたきらめき、熱、匂い。

　「寝転ぶだけでいいんだ」とアレックスは繰り返した。「何も要らないよ、ただ寝転んで空を見上げる。こんな素晴らしいことってないだろう？」

　クラビ行きのバスが目指したのは、町の中心地ではなく、ピピ島行きのボートが出る船着場だった。アスファルトに降り立ったとき、足許の影があまりに短かった。見上げると、断定的な熱帯の陽射しが大地を照らしていた。サングラスを掛け、もう一度太陽を見上げた。ぼくのかたちを切り抜こうとする、その光の粒を思った。

　迷う間もなくチケットを求め、スピードボートに乗り込んだ。当たり前のようにピピ島へ向かおうとしている自分が可笑しかった。行こうだなんて気持ちは、さらさらなかったはずなのに。ふと、アレックスの言葉が蘇った。ただ砂浜に寝転ぶだけでいい。そうかもしれない。自然と笑いがこみあげてきた。

 [1]

　順調に滑り出したはずのスピードボートは、けれど、途中で激しいスコールに見舞われた。面白いようにボートは揺れ、高くせりあがった波涛が船腹を強く打った。客室に異様なざわめきが起こり、苛立たしげな声や不安のかたまりが薄い煙のように船内を覆った。

　バシッ。不審な衝撃音とともに悲鳴が上がった。声のした方を見遣ると、窓ガラスに大きなヒビが走っていた。バシッ、バシッ。音は鳴り止まなかった。左右の窓という窓のほとんどに次々とヒビが入った。空は濃い灰汁色の雲に包まれ、鋭い稲妻の閃光が絶え間なく海面を叩きつけていた。

　「ライフジャケット！」そう叫ぶ女の声が聞こえた。船内は一時パニック状態に陥る寸前にまでなった。許容を遥かに超えた横波に襲われたからだ。乗客の多くは立ち上がり、我先にと後部出口へ集まり始めた。ボートはいまだ激しく揺れている。

　二人の子供を抱きかかえながら、精悍な顔つきの若い父親が大声で何かを言った。それは多分ドイツ語だったのだろうと思う。子供たちは目をきつく閉じ、父親の胸にぎゅっとしがみついていた。もう、状況はそんな段階にまで達しているのかと思った。ふと、腕に冷たいものが当たった。すぐ横の窓ガラスから海水が流れ込み、ぼくの荷物を水浸しにしていた。

　こんな状況の中にあって、でも、どうしても彼らのようには深刻になれない自分がいた。不思議なくらいに冷静な気持ちだった。運命を弄んでいる。そんな、冷めた絶望があったのかもしれない。客室に置かれたモニターで、ＭＴＶのビデオが流されている。ぼんやりと、エミネムの歌う姿を見つめた。

　嵐を抜けて島の姿が見えた時には、もう雨は小降りになっていた。着岸間近になって、ようやくそのヒビ割れた窓ガラスを開けて海の色を見ることができた。これまでに見たことのない、深い深い海の色をしていた。ずいぶんと遠くまで来てしまったのだと思った。

　ボートを降りる頃になって、なんとなく、自然に、視線の合った乗客と目だけで笑いあった。そこには難を逃れた者同士の、言い知れぬ親近感があったのかもしれない。

　桟橋に降り立ち、熱心な客引きたちに囲まれながら前に進んだ。奇しくも、最初に目に飛び込んできたのは「セブンイレブン」の看板だった。再び笑いがこみあげてきた。何も考えずにとにかくビールを飲もう、それも今すぐ。熱心にピピ島行きを勧めたアレックスの顔を思い浮かべた。

「なあ、アレックス。君はひとつ言い忘れていたみたいだよ。ただ砂浜に寝転べばいいってわけじゃない。冷えたビールを持って、だろ？」

　旅に出て、心の底から笑えたのはこれが初めてだった。

[1] http://www.transiency.com/images/23pl.jpg]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>君に会いに行く／スラー・ターニー(2)</title>
		<link>http://www.transiency.com/36</link>
		<comments>http://www.transiency.com/36#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 27 Jul 2003 21:11:00 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>タイ編</category>

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		<description><![CDATA[　手元に数枚のスナップ写真があった。
　まっすぐに伸びる線路の上を軽やかに歩き、ふと後ろを振り返る小さな女の子。大きな洗面器に水が張られ、その中にぽつねんと座る男の子。光が、斜めになって男の子の肌に降...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　手元に数枚のスナップ写真があった。

　まっすぐに伸びる線路の上を軽やかに歩き、ふと後ろを振り返る小さな女の子。大きな洗面器に水が張られ、その中にぽつねんと座る男の子。光が、斜めになって男の子の肌に降り注いでいる。

　写真には一通の手紙が添えられていた。送り主は２０歳の日本人の青年だ。そして今、ぼくは彼に託された写真と手紙を、この子供たちのもとへ届けに行こうとしていた。

 [1]

　青年と最初に出会ったのはマレーシアのマラッカだった。大阪港から新鑑真に乗って旅を始め、すでに３ヶ月が経っていた。若さの中に、包み込むような優しさと静かな強さがあった。写真を撮りため、詩を書きためていた。町の息遣いと確かな足取りが、そこには溢れていた。

　彼は時計回りにマレーシアを回り、このまま北を目指すと言った。ちょうどぼくと反対のルートだった。けれどこの時点で、ぼくにタイを回る予定はなかった。ペナン島からフェリーでインドネシアのスマトラ島へ渡る。そればかりを考えていた。

　２度目に出会ったのはバンコクの雑踏の中だった。約束したわけでもなく、そもそもぼくがバンコクにいることすら予定外の話だったが、偶然の重なりの中で再び言葉を交わすことができた。まるで昨日の続きみたいに。

　そして、彼の意思を届けに、南を目指すことにした。写真の中の子供たちはスラー・ターニーという町にいる。それだけを胸に、この町を目指した。

　チュムポーンから乗り合いバスでスラー・ターニーに着いた。鉄道駅近くのゲストハウスと教わっていたが、バスが向かったのはスラー・ターニーの中心にあるバスターミナルだった。ひとまず宿を決め、駅までの道のりを訊ねた。２０キロほど離れた場所にある、それが答えだった。

　翌朝、スラー・ターニー駅へ向かうバスに乗った。運賃１０バーツ。開け放された窓から、埃っぽい、けれどじっとりと湿気を含んだ熱風が吹きつけてくる。肌に残るざらついた感触に耐えながら、窓の外を眺めて過ごした。

　宿はすぐに見つかった。二人の子供の写真を手に尋ねて回ったからだ。

　「SABAI SABAI」という名のゲストハウスには、確かに写真の中の子供たちがいた。母親に数枚の写真を手渡し、青年の手紙を広げて見せた。バンコクで出会って、ここまで届けに来たんです、と。

　母親は驚いたように声をあげ、くしゃくしゃの笑顔を見せた。心の底から喜んでくれたようだった。その足で、写真立てを買いにいかなきゃ、とまで言った。そして青年のことをとてもよく覚えてくれていた。

「背が高くて、ほっそりした子だったよね、そうそう、何枚も写真を撮ってくれてたの、優しい子だった」母親は流暢な英語でそう言った。想いをつなげられたことが、自分のことのように嬉しかった。

　上の女の子を抱き上げ、「君に会いたかったんだよ」とぼくは日本語で言った。彼女はぼくの頬に手を伸ばし、にっこりと笑った。

[1] http://www.transiency.com/images/22pl.jpg]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>一人の儀式／スラー・ターニー(1)</title>
		<link>http://www.transiency.com/35</link>
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		<pubDate>Sat, 26 Jul 2003 23:32:00 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>タイ編</category>

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		<description><![CDATA[　チュムポーンからミニバスに乗ってスラー・ターニーへ着いた。ほんの、２時間の道のり。
　見知らぬ町へ降り立つことへの不安は、もうあまり感じなくなっていた。右も左も分からぬまま町を歩き、建物の形や交差点...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　チュムポーンからミニバスに乗ってスラー・ターニーへ着いた。ほんの、２時間の道のり。

　見知らぬ町へ降り立つことへの不安は、もうあまり感じなくなっていた。右も左も分からぬまま町を歩き、建物の形や交差点の風景を、頭の中で重ねていく。今日の宿を決め、手ごろな食堂を見つけて空腹を満たす。そんな行為を通して作り上げた地図には、空と、雲が、動作する模様として描かれ、ぼくもまた動く点となって存在する。

　スラー・ターニーの町は、これまで訪れたどの町よりも雑然とした印象を受けた。道幅はそれほど広くなく、ひしめきあうように連なる商店の足元には、光と影の強烈な陰影が染み付いていた。感じたのは不思議な懐かしさだった。世界がまだ自分の歩ける範囲でしかなかった頃、誰かに手を引かれて歩いた遠くの町は、たしか、こんな場所ではなかったか。

 [1]

　通りの向こうにタイ仏教の寺院が見えた。美しくも厳しいその佇まいに、改めて異国にいることを知った。どこまで行っても、すれ違う人々や見慣れぬ看板の文字に、ぼくの記憶と重なるものはない。それでも今、ぼくはこの町に含まれている。

　強烈な陽射しを受けながら、宿を探すために歩いた。しばらく歩いた後で分かったのは、ぼくのような旅行者が泊まれるゲストハウスは存在しないということだった。何人もの人に英語で問いかけ、タピー川の川べりに一軒だけゲストハウスがあることを知ったが、残念なことに改装工事中で泊まれる部屋はなかった。

　途中、一軒の旅社に足を運んだ。レセプションにいた女性は親切で、この町の宿について色々と教えてくれた。ゲストハウスがないこと、100バーツ以下で泊まれる部屋なんて耳にしたこともないこと、だいたいどの旅社も最安値が180バーツになっていること。

　旅社の間にも小さなルールがあるのよと、女性はまるで子供に言い聞かせるみたいに言った。

　ぼくがほとんどタイ語を解さないことが分かると、女性はいくつかのタイ語のフレーズを教えてくれた。不器用に発音を繰り返すたびに、彼女の笑顔はいっそう温かなものに変わった。

　それでも、どうしても提示された値段に躊躇してしまい、ぼくはもう少しだけ宿探しをしたい旨を伝えた。駄々っ子みたいな申し出に、女性は困ったような表情を見せた。けれど、彼女の口から発せられたのは、ぼくを引き止める言葉ではなかった。デスクの脇に山積みにされたランブータンを袋に詰めると、女性は笑顔で言った。「喉が渇いたら食べなさいね」と。突然の出来事に戸惑っていると、女性はまた言い聞かせるように言った。「いいから持って行きなさい。どうか、いい宿が見つかりますように」。

　言われるまま、優に１ｋｇはあるランブータン入りの袋を手渡され、教わったばかりのタイ語で感謝の意を伝え、その足で再び宿探しに向かった。１時間ほどかけて数件の旅社を回ったが、彼女の言うとおり、どこも180バーツが最安値だった。通りを歩く人々にも尋ねて回ったが、ゲストハウスという言葉すら解さない人もいた。旅行者を相手にしているだろうタクシーやバイタクの青年たちも、皆一様に首を振るだけだった。

　結局、ランブータンをくれた女性の旅社に戻った。ぼくが再び顔を出すと、女性は満面の笑みで迎えてくれた。思わずぼくは日本語で「ただいま」と言った。彼女の笑顔は、子供の帰りを待つ母のようであった。

　通された部屋は、きちんと値段に見合った部屋だった。シャワールームには石鹸もバスタオルもあり、ベッドのシーツは清潔でシワひとつなく、片隅には小さな鏡台と書き物机まで用意されていた。こんな部屋らしい部屋に泊まるのは、旅に出て初めてだった。

　温かなシャワーを存分に浴び、柔らかなバスタオルで身体を拭いた。ランブータンをひとつ口に入れ、すっかり生温くなったミネラル・ウォーターを一気に飲み干した。ふうっと息をこぼすと、肩の荷が下りたかのように全身が軽くなった。

　生乾きの髪のまま夕暮れ時の町をぶらついた。冷房設備のない寂れたスーパーマーケットを歩き、ちらほらと立ちはじめた夜市の露店を眺め、目についた食堂で、家族連れに混じりながら小皿のグリーンカレーを食べた。湿った髪が夕暮れ時の風に触れ、さらりと額に落ちた。その髪をかきあげもせず、黙々とスプーンを動かし続けた。やわらかな風の中で食べる食事は、そのまま心に沁みていくような、そんな優しさに満ちていた。

　気持ちは、すっかり穏やかなものになっていた。温かな笑顔に触れ、懐かしさに満ちた町を歩き、家族連れに混じって食事をしたこと。頬に触れる風はどこまでも親密で優しかった。もし今日で世界が終わるのなら喜んでそれを受け入れようと、そんな気分にさえなりそうだった。

　ふと、この町で儀式めいたことをしようかと思った。ぼくだけの、ひとりきりの。

　通り沿いの小さなコンビニに立ち寄ってチャーン・ビールを２缶買い、そばの屋台で、熱々の鶏の串焼き、手羽、腸詰、小イカを買った。ビニール袋に無造作に入れられたそれらは、上からたっぷりと唐辛子ソースが掛けられ、生のキャベツがどっさり添えられていた。

　部屋に戻り、書き物机にそれらを並べ、目を閉じて小さく祈りの言葉を呟いた。宗教を持たないぼくにとっては、祈りの言葉に神の名が登場することはなかった。いや、本当の意味では祈りの言葉ですらなかった。自分の好きなものを、ひとつひとつ、順番に並べていくだけだ。

　最初に、青空、と言った。次に、雨。それから、雲、風、太陽。海に、砂浜に、土の匂い。もう一度、今度は、夕焼け空、と呟き、続けて、笑顔、人、温もり。そこまで言ってしまってから、ぼくは最後にこう付け加えた。異国で飲むビール、と。

　両目を開け、小さく両手を合わせて「いただきます」とつぶやいてから、既にうっすらと表面に汗をかいた缶ビールを勢いよく喉の奥に放り込んだ。喉をすべる苦味と炭酸が、暴力的なほどに心地良い。深く、ゆっくりと息を吐き出し、もう一度ぼくは目を閉じた。

　やっぱり、旅に出て良かったのかもしれない。今のぼくなら、本当に自分が好きなものを、こうやって取り出して誰かの目の前に差し出せる。

　それは、ぼくにとっては大きな一歩だった。

[1] http://www.transiency.com/images/21pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>何者でもなく／チュムポーン</title>
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		<pubDate>Fri, 25 Jul 2003 23:26:26 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>タイ編</category>

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		<description><![CDATA[　午後１時発の長距離列車に乗った。行き先はチュムポーンという町だ。この町に何か目的があるわけではなかった。到着時間が午後９時過ぎだということをファランポーン駅の時刻表で知った。この時間ならまだ宿探しも...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　午後１時発の長距離列車に乗った。行き先はチュムポーンという町だ。この町に何か目的があるわけではなかった。到着時間が午後９時過ぎだということをファランポーン駅の時刻表で知った。この時間ならまだ宿探しもできるだろう。ただ、それだけの理由だった。

　車内で隣り合わせたのはイギリス出身のナダという女性で、彼女の行き先もまたチュムポーンだった。それほど熱心に言葉を交わしたわけではない。ぼくは与謝野晶子の『みだれ髪』を、彼女はユン・チャンの『ワイルド・スワン』を読んでいた。時折、ページをめくる彼女の肩がぼくに触れた。

 [1]

　列車は定刻よりもだいぶ遅れてチュムポーン駅へ滑り込んだ。時計はすでに夜の１０時。好からぬことの方が往々にして的中するものだ。遅延。

　とにかく、ここから宿を探さなければならない。

　降りる間際になって、彼女に「今夜の宿は決めているの？」と訊かれた。決めてはいなかった。タイに関するガイドブックすらぼくにはない。状況は彼女もほぼ同じで、手許にはバンコクで買い求めたというマレー半島の地図があるだけだった。

　チュムポーンの町は大規模な道路工事が行われており、まともに歩ける部分がほとんどなかった。小雨まで降り出していた。アスファルトの剥がされた瓦礫の道を不器用に歩いた。水たまりとすら呼べないほどの雨水が舗道の窪地に溜まっていた。ふいに伸ばした僕の手を、いつのまにか彼女は強く握り返していた。

「トレッキングに来てるみたいだね」と笑いながら言った。彼女の横顔に柔らかな笑みがこぼれた。

　歩きながらお互いの名前を教え合った。彼女は自分の名前をナダと言った。Nada。アラビア系の褐色の肌に、彫りの深い面差し。ときおり見せる子供のような無邪気な笑顔が印象的だった。私の名前は「Nothing」という意味なの、と彼女は付け加えた。"Nada" means "Nothing" in Spanish.

　彼女の名前を知ったとき、ぼくが咄嗟に思い浮かべたのも、それと同じ内容のものだった。

　Nada means Nothing. 私は「何者でもない」と。

　学生の頃、ヘミングウェイの短編をいくつか翻訳したことがあった。その中のひとつにキーワードとして出てきたのが、このスペイン語の単語だった。ナダ。私は何者でもない。けれど今、こうして彼女の手を握りしめながら、ぼくはその温もりを確かなものとして感じることができた。彼女の黒く大きな瞳は確かにぼくに微笑みかけていた。

　チェックインしたのは「INFINITY」という名前のゲストハウスだった。２ベッド１ルームで１００バーツ。部屋をシェアすることで一人５０バーツになった。そのことで、ふたりで顔を見合わせて笑った。

　荷物を降ろし、交互にシャワーを浴び、ふたたび手を取り合って瓦礫の道を歩いた。ネットカフェを探し、コンビニでビールを買い求め、宿に戻ってナッツと揚げ菓子を分け合って食べた。彼女はいつもぼくのそばに寄り添うようにいた。

　彼女は宿のアレンジでパンガン島へ渡ることを決めた。出発は明日の朝だった。タオ島の南、サムイ島の北に浮かぶ島だということを知った。ダイビングのライセンスを持つ彼女から、一緒に島へ渡ろうと誘われた。あなたと一緒に、と。

　その誘いは嬉しかった。一緒に島へ渡れたらどんなに楽しいだろう。けれど、心のどこかで、その行為の先にある何かに踏め込めない自分がいた。もう別れたくないと思った。旅を続けるのはさよならを言い続けるのに似ていた。まるで区別がつかないぐらいに。出来ることなら、もう誰にもさよならを言いたくないと思っていた。

　身勝手だった。けれどぼくはその誘いを断ることに決めた。きちんと彼女の目を見つめ、思いを言葉に替えた。一緒に島へ渡ることはできない。ぼくはこのまま南へ行く。

　彼女は唇を噛んだ。けれど何も言わなかった。代わりに彼女が言ったのは「朝早くピックアップのバスが来てしまうから、きっとあなたを起こしてしまう」そんな彼女なりの気遣いの言葉だった。

　長い移動の疲れもあり、ビールの程好い酔いを借りてベッドに横になった。灯りを消した部屋の中でも言葉を交わした。彼女はいつでもぼくの拙い英語に熱心に耳を傾け、穏やかな声でゆっくりと話をした。

「あなたと出会って、日本に行ってみたくなった。友達が東京で英会話の講師をしてるから、私もそれで暮らしていけたらって思う」

「列車で私のバックパックを荷棚に上げてくれたでしょう？　とても嬉しかった。少しの間だったけど、一緒に歩いてくれたり話を聞いてくれたり……。私はあなたの優しさが好きだ」

　彼女の声は微かに震えていた。窓の外から、トッケイとヤモリの声が、何かの終わりみたいに激しく聴こえた。

　朝、宿の主人の叩くドアのノックで目を覚ました。まだ彼女は眠っているようだった。彼女を起こさないようにそっとドアを開け、シャワーを浴び、コンタクトレンズを装け、歯を磨いた。ジーンズを穿いただけの格好で外のテーブルに座り、ボトルに残っていた水を一気に飲み干した。

　部屋へ戻ると彼女はちょうど荷造りを終え、バックパックを背負うところだった。彼女はぼくに微笑み「またいつか、どこかで会えたら」と言った。その言葉とほとんど同時に、彼女に強く抱きしめられた。裸の背中に彼女の手のひらの熱が伝わった。悲しい温もりだった。彼女はぼくの胸に耳を当て、そっと目を閉じて「さようなら」と言った。

　腕の中で、彼女の身体が小さく震えているのが分かった。

[1] http://www.transiency.com/images/20pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>流れ星／バンコク(5)</title>
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		<pubDate>Wed, 23 Jul 2003 22:15:10 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>タイ編</category>

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		<description><![CDATA[　初めて声を交わしたとき、彼女は左手首につけたリストバンドをしきりと気にしていた。それだけで、ぼくは彼女の抱える何かを感じ取ってしまった。彼女はリストカットを繰り返す人間だった。
　最初に話をしたその...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　初めて声を交わしたとき、彼女は左手首につけたリストバンドをしきりと気にしていた。それだけで、ぼくは彼女の抱える何かを感じ取ってしまった。彼女はリストカットを繰り返す人間だった。

　最初に話をしたその何十分後かに、彼女はぼくの前で声を上げて泣いた。ぼくを優しいと言い、こうして隣りに居てくれるだけで涙が止まらない、と。

 [1]

　誰かの痛みを受け止めるだけの器はぼくにはなかった。受け止めるなんてできない。けれど、彼女の苦しみや痛みを感じることはできると思った。自分を責めることでしか乗り越えていけない。そんな人間同士だったからだ。

　雨宿りを兼ねて入った食堂でも、返せる言葉はほとんどなかった。じっと耳を傾け、ぽつり、ぽつりと回り道をしながら語られる彼女の話を自分自身に重ねた。上手に重なった部分だけを自分のものとして受け止めようとした。彼女の感じる痛みは、ある意味でぼく自身の痛みでもあった。

　二人で安物のアクセサリー屋をいくつも回った。そういった店を見つけては立ち止まり、値段を訊ね、時には値引き交渉をし、また歩き始めた。どんな店でも、ひとつよりふたつ買うことを前提で交渉する方が楽だった。２軒の店でネックレスとブレスを２つずつ買った。ブレスは二人で同じものを選んだ。買ったその場ですぐに身につけ、また雨宿りをしながら、そっと、途切れ途切れに言葉を交わした。

　旅の途上にあるぼくにとって、できることは限られていた。いや、彼女のためにできることは何ひとつなかった。抱きしめることも、与えることも、何かをもたらすことも。だからこそ、自分自身のために、彼女と揃いのブレスをして残りの旅をしようと思った。そうすることで、彼女をずっと先まで覚えていよう、と。思いを残したまま立ち去ることの方が、そうせずに突き進むよりもつらいだろう。だからこそつらい方を、思いを残したまま立ち去る方を選ぼうと思った。

　彼女はあさっての夜に空港へ向かう。その前にここを離れることに決めた。ひとりぼっちの旅に戻らなければならない。

　＊

　バンコクで丸一日を過ごす最後の日は、朝から雨が降っていた。止む気配のない本格的な雨だ。バンコクの雨の匂いには、日本のどの町でも嗅いだことのない寂しさがあった。奇妙な熱気を帯びた冷ややかな雨。その雨の向こうに、貧しさと豊かさが隣り合わせている。

　一日のほとんどを彼女と共に過ごした。旅を終える彼女の買い物にずっと付き添っていた。海賊版のＤＶＤやＣＤを見て回り、アクセサリー屋をのぞき、バスに乗って伊勢丹へも足を伸ばした。

　彼女の左手首にあるリストバンドはバンコクで買ったものだった。その同じ店で、ぼくは自分のために同じものを買うことにした。揃いのブレスと、リストバンド。その場で封を開け、右の手首につけた。そして昨日どうしても言えなかった言葉を彼女に伝えた。

　残りの旅、このふたつを連れて進んでいく。今日を、ずっと覚えていようって思う、それがぼくにできることだと思うから。

　小さな声で、彼女は「ありがと」と言った。もう、それだけで充分だった。

　最後に入ったＣＤ屋で、彼女はぼくに何か１枚選んでほしいと言った。「洋楽、分からへんから」。所狭しと並べられたカラーコピーのＣＤジャケットをめくりながら、彼女のために一枚を選んだ。ミッシェル・ブランチの『The Spirit Room』というアルバム。その中の３つの曲を指差し、覚えていてほしいと伝えた。

　『Everywhere』『All You Wanted』『Goodbye To You』

　ぼくらがバンコクで出会ったこと、明日の朝、また別の方向へ歩き出すということ、もう二度と会うことはないだろうということ、そのすべてをこの３曲のタイトルに込めた。彼女になら伝わるだろうと思った。

　Goodbye to you, goodbye to everything that I knew.

　あなたにさようなら、私の中にあるすべてにさようなら。

　そして曲は、こんな囁き声で終わっている。

　You're my shooting star. あなたは私の流れ星だ、と。

　きっと、そうなのだろう。ぼくらは誰も、一瞬で消えるあの流れ星のような存在に過ぎない。願いを託し、そしていつか願いを託したことすら忘れてしまう、そんな存在に過ぎない。天を渡るあの光ひとつひとつが持っているのは、「今」という、ほんのつかのまのきらめきだけだ。

　これからも、きっと、この先もずっと。

[1] http://www.transiency.com/images/19pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>眼差しの先に／バンコク(4)</title>
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		<pubDate>Tue, 22 Jul 2003 21:42:14 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>タイ編</category>

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		<description><![CDATA[　カオサン通りを歩いていた。目的は、バンコク発の航空券を見て回るため。
　ふと、この街に着いた時から、バングラデシュへ飛ぼうかという思いがあった。なぜ脈略もなくバングラデシュなのか。理由は自分でもよく...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　カオサン通りを歩いていた。目的は、バンコク発の航空券を見て回るため。

　ふと、この街に着いた時から、バングラデシュへ飛ぼうかという思いがあった。なぜ脈略もなくバングラデシュなのか。理由は自分でもよく分からなかった。呼ばれている。ただ、そんなふうに感じた。その直感を大切にしたいと思った。

　旅行代理店の看板に目を遣りながら、これまでに仕入れた航空券の金額を反芻した。ビーマン・バングラデシュ航空の11,600バーツ（≒37,120円）が現時点での最安値。空港使用税と保険料が付加されて、およそ４万円といったところだろう。

　意識がバングラデシュに集中していたからか、右目が代理店のガラスに記された「DHAKA」（ダッカ：バングラデシュの首都）の文字を認識した瞬間、身体はすでに店内へ向いていた。でも、それと同時に、左目がかすかに何かを捉えた。その何かは一瞬でぼくの横を通り過ぎ、不確かな残像だけが網膜に沈んだ。

　とっさに振り返り、ぼくはその背中へ向けて叫んだ。マラッカで同宿だった、あの二十歳の青年の名を。

　＊

　ほぼ同時にマラッカを離れたぼくたちは、今後の大まかな旅のルートについても話していた。彼はこのまま、時計回りにマレー半島を北上する。ぼくは反時計回りにマレー半島を回り、タイ南部の町を経由して再度マレーシアのペナン島へ。そこからフェリーでマラッカ海峡を越えて、インドネシアのスマトラ島に向かう予定だった。

　日程を考えてみても、ぼくらがもう一度どこかで出会えそうな感じはなかった。彼が通り過ぎた町を数日遅れで訪れ、ぼくはそのまま南を目指す。

　所持していたマレーシア航空のチケットは90日のオープンジョーで、クアラ・ルンプールIN、バリ島デンパサールOUTとなっていた。観光ビザを取得せずにインドネシアに滞在できるのは60日間だったから、逆算するまでもなく、インドネシアに入国するのは８月以降でなければならなかった。

　それがぼくの、この旅の唯一の予定だった。

　しかし、思惑よりも随分早くマレーシアを抜けてしまったぼくには、どこか別の場所での足踏みを必要としていた。例えば、バンコク。例えば、ここから更に南に位置するタイの諸都市。あるいは、バングラデシュ。

　＊

　再会を喜び、そのまま青年の泊まっているドミトリーへ案内された。彼の取りためた写真を見せてもらうためだ。マラッカで出会ったとき、彼は確かこう言っていた。「バンコクまで行ったら安く現像できるかもしれない。いつか写真を見せられたら」と。

　カンボジア、ベトナムで撮った写真の束を、一枚一枚、確かめるように見つめた。ぼくが、ほとんどと言っていいほど人物を写せずにいるのとは逆に、彼の写真には人の姿が多く写っていた。その眼差しはまっすぐで、温かなものだった。

　思いつめるたような視線を投げる少女。岩陰で崩れるように佇む老人。孫を抱き上げ、慈しむような眼差しでその姿を見守る老婆。盲目の楽団。

　その中の一枚を、まるでお守りのようにぼくにくれた。二人の少女が並んで立ち、一人はカメラを睨みつけ、もう一人は彼女にやさしく微笑みかけている。その眼差しと、いま、ここにいる、という喜び。セピアのフィルムで撮影されたその写真は、まるで記憶の奥底に漂う遠い日の憧憬のようであった。

「揺るぎなき透徹　衒いなき友愛」

　彼は、写真の裏にそう記してくれた。日付と、彼の名前とともに。しなるように描かれた、彼の力強い筆跡には、まっすぐに何かを見つめるのだという、そんな、静かな決意が滲んでいた。]]></content:encoded>
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		<title>旅する本／バンコク(3)</title>
		<link>http://www.transiency.com/31</link>
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		<pubDate>Mon, 21 Jul 2003 22:04:27 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>タイ編</category>

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		<description><![CDATA[　雨季のはずが、タイ人に言わせても異常なほどの晴天が続いた。
　バンコクに入って以来、観光地らしき場所にはひとつも行っていなかった。煌びやかな寺院も、水上マーケットも、ムエタイ観戦も、今は熱い湿り気の...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　雨季のはずが、タイ人に言わせても異常なほどの晴天が続いた。

　バンコクに入って以来、観光地らしき場所にはひとつも行っていなかった。煌びやかな寺院も、水上マーケットも、ムエタイ観戦も、今は熱い湿り気の先に霞むばかりだ。

　日中の大半を宿の敷地内にこもって過ごした。半ズボンにサンダルという格好でのんびり洗濯をしたり、天井に取り付けられたファンを「強」にして、その下でうとうとと午睡をしたり。

　部屋の中にあってさえミネラル・ウォーターの水はぬるま湯ほどの温度にまで上がった。誰かと抱き合っていた方がよっぽど涼しいのではないかと、そんな馬鹿げたことさえ思った。

　煙草を吸いに共用のテーブルへ行くと、多くの日本人旅行者たちも暑さに喘いでいた。「こんな日は何もしない方がいいですよ。熱射病、脱水症状、どっちも罹る人が多いですから」。くたびれた様子で一人の日本人がそんな助言をくれた。確かにその通りだろうと妙に納得した。ぼく自身も含めて、その場に居合わせた誰の声にも覇気がなかった。

　結局、夕暮れ時になっても暑さは変わらなかった。摂氏35度は優に超えていただろう。それでも直射日光がないだけまだ楽だった。宿を出てカオサン通りをゆっくりと歩いた。無駄な体力消費を極力抑えるために、出来るだけゆっくりと。

　暑さで食欲が沸かず、今日一日まだ何も食べていなかったことを不意に思い出し、屋台で大振りなサンドイッチを買った。

　数あるメニューの中から「たまごサンド」を選んだ。ここは屋台版『サブウェイ』のような業態で、注文後に目の前でサンドイッチを作ってくれる。長さ30センチはあるだろう白パンにナイフが入り、様々な野菜と、スライスしたゆで卵が２個分。その上からたっぷりのマヨネーズ。食べきれるだろうかと思うほどのボリュームだ。それでも値段は僅かに40バーツ（≒128円）だった。

　コンビニに立ち寄ってチャーン・ビールを一缶買い、銀行の階段の隅に腰を下ろして食べた。カオサン通りを行き交う各国の旅行者達の姿を眺めながら、たまごサンドを齧り、ビールをあおり、それから、いつもと変わらぬ空想の世界を漂泊した。例えばもしここにヘミングウェイが居たとしたら、彼はいったいどんな言葉でこの街を表現しただろうか、と。

　彼は、その当時のパリを「移動祝祭日」と表現した。それならばこの、2003年というあまりにリアリティの浅薄な時代において、カオサン通りはいったいどんな場所だというのだろう。しばらく思いを巡らせたが何も思いつかなかった。

　地べたに置いたビールを一口含んで、小さなため息をひとつ。

　開封したばかりのビールがもうすでに生温かった。あるいはその熱の確かさだけが、この街の基底を成すものかもしれなかった。

　すっかり食べ終え、目に付いたゴミ箱に缶やら包装紙やらを放り投げてしまうと、また、ゆっくりとカオサン通りを歩いた。見るべきものは特に無く、すれ違う人々の輪郭は曖昧で、それなのにこの得体の知れない空騒ぎのような混沌が、すっぽりと通りすべてを包んでいた。ふと、埋没することへの安堵感が心の内に芽生えた。「少」ではなく「多」に紛れ込むということ。そこでぼくは旅行者という名の一枚の影だ。

　通りの中ほどにある古本屋に入り、しばらく時間を潰した。多くの旅行者が残した文庫本の背表紙を目で追い、いくつかを手に取って中をめくった。読みたい本があるわけではなかったが、こんなふうにして書棚の前で過ごすのは嫌いではなかった。

　ページを開く。小さな書き込みや三角の折り跡。日付が記されているものもあれば、どこかの街のスタンプが押されているものも。これらの文庫本が歩んできた道のりに思いを馳せ、そっと、心の中で耳を澄ませた。

　誰かから誰かの手に渡り、それをまた誰かが別の土地で手にし、海峡を越え、いくつもの国境を越え、めぐりめぐって今、ぼくの手の中にある。破れたカバーや色あせたタイトルから、かつての持ち主たちの息遣いが聴こえる気がした。

　１冊だけそんな文庫本を持って帰ろうと、改めて背表紙を目で追った。手を伸ばしたのは与謝野晶子の『みだれ髪』だった。ページはすっかり茶色く変色し、カバーも無ければ栞の紐も途中で千切れていた。奥付を見るとこの版は第６版で、発行年度は昭和49年となっていた。

　ぼくの生まれる少し前に出された本だ。

　与謝野晶子という名前もその生涯についても、文学史という枠の中での知識しか持ち合わせていなかった。読みたいとも思わなかったし、気に留めたことすらなかった。だから今この場所でぼくはこの本に出会えたのだと思った。

　カオサン通りの道端に腰を下ろし、すぐ後ろのカフェから漏れる淡い光を頼りに文字を追った。深く、息を吸い込むように。ページを繰るごとに何か強い力で魂そのものを揺り動かされる気がした。それはきっと震えと呼ばれる何かだった。

“そのはてに のこるは何と 問ふな説くな 友よ歌あれ 終（つひ）の十字架”
（与謝野晶子『春思／みだれ髪』）]]></content:encoded>
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		<title>つなぐ、つながる／バンコク(2)</title>
		<link>http://www.transiency.com/30</link>
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		<pubDate>Sun, 20 Jul 2003 23:40:16 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>タイ編</category>

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		<description><![CDATA[　人が誰かと知り合うきっかけに「間違い電話」という選択肢があったとして、それは一体どういう間違いたりうるのだろう。会話なんて、まず成り立たない。
　親しげな言葉を交わすなんて無理だ。「すみません、間違...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　人が誰かと知り合うきっかけに「間違い電話」という選択肢があったとして、それは一体どういう間違いたりうるのだろう。会話なんて、まず成り立たない。

　親しげな言葉を交わすなんて無理だ。「すみません、間違えました」で終わる。つながったばかりの回線は、ザラリとした不信感を残して断絶する。それ以上の何かが起こるなんて、まずあり得ない。

　遡ること数ヶ月、ぼくはタイの国立大学に留学したばかりの友人に、ふと、自室から国際電話をかけた。その頃彼はアパートメントホテルに居を構えており、通話は、フロントに部屋番号を伝えた上でのことだった。不便というわけではなく、海外からしばらく遠ざかっていたぼくにとっては、そんなプロセスにさえ心が躍った。フロント係の英語や、その向こうにかすかに響く異国の物音に、じっと耳を澄ませた。

　その夜も、前回と同じように彼の苗字と部屋番号をフロントに告げた。待つこと数秒。第一声は何にしようかと、そんな戯れに胸を弾ませたりした。トゥー、トゥー、トゥル……。保留音が途切れたそのタイミングで、ぼくは陽気にこんなことを言った。「やあやあ、久しぶり。元気？」と。

　返ってきたのは彼の声ではなかった。不審そうな、けれども丁寧にコントロールされた声。女性は「どちらさまですか？」と簡潔に言った。

　事態を飲み込めないまま、それでもぼくは自分の名をきっぱりと告げ、友人に代わってもらえるようお願いした。お願いしながら、ふと、今のこの状況が意図するものに気付いて頬が緩んだ。「あいつ、もう彼女ができて一緒に暮らしてるんじゃないのか」と。

　勘違いも甚だしい。間違い電話なのだ。純度100パーセントの。

　事情を説明するも何も、前提からしてもう訳が分からなかった。ホテルの名も部屋番号も間違っていない。彼のメールに記された通りにダイアルしたはずだったし、前回もそれで通じていたのだ。そう、前回も。……いや、違う。何かが違う。思い出せ。あれから、もう一通メールが来ていなかったか。

「あっ」と、思わずぼくは女性に向かって叫んでいた。前回も、ではない。前回は、なのだ。

「すみません、間違えました。……ええ、その、ぼくの友人なんですが、数日前に別の階の部屋に移ったって。……はい、そうなんです。……はい、ええ。その番号の部屋に、数日前まで彼が暮らしていて……」

　ぼくはこの失礼をきちんと詫びた。女性は「お気になさらず」と言ってくれた。事情もはっきりしたからだろう、彼女の声音からは強張った何かが消えていた。そう、和やかに電話を切るのには、絶好のタイミング。「それでは失礼します」と言って、受話器を静かに置けばいい。

　けれど、電話はそこでは終わらなかった。

　どちらが次の会話の口火を切ったのかは分からなかったが、気がつくとぼくらは２時間の時差を越えて話し込んでいた。改めて互いに名を名乗り、仕事のことや、彼女のタイでの暮らしのこと、友人とぼくとのつながりについて。果ては気候やら食べ物やら排気ガスのことにまで話は及んだ。優に15分は話していたと思う。

　電話を切るとき、彼女は実に朗らかな声で言った。「それではまたね。おやすみなさい」と。間違い電話の相手が、いまや古くからの友人であった気さえした。礼を言い、もう一度この失礼を詫び、少し迷ってから、ぼくも「おやすみなさい」と告げて受話器を置いた。ミラクル、と思った。こんなことが現実に起こるなんて。

　すぐにメールボックスをソートし、友人のメッセージだけを順に再読した。やはり、部屋の番号が変わる旨が記されていた。小さくため息をつき、しばし自分の粗忽さを憂え、それから再度受話器を持ち上げた。当たり前だ。本来の目的は彼と話すことだったのだから。

　間違い電話の一件を伝え、アフターフォローのお願いをした。彼の力で、この間違いを笑い話にしてもらえたら、と。

　後日談はメールに乗ってやって来た。アパートメントホテルのフィットネスフロアで、二人で夢中になって卓球をやったこと。その後、一緒にぐでぐでになるまでビールを飲んだこと。その女性が実にいい飲みっぷりだったこと、云々。

　新しい飲み友達ができて良かった、サンキュ。そう締め括られた彼のメールには、不思議な可笑しさが溢れていた。それはまるで、平和そのものみたいな情景だった。

　＊

　公衆電話から彼女に電話を掛けると、本当に嬉しそうな声で笑ってくれた。「ついに来たのね、飲みましょう」と。会うのはもちろん初めてだったが、その心配は彼女の一言ですぐに杞憂となった。「身長ね、173センチ。で、6センチのヒール履いてくから、絶対すぐに見つかると思う」。

　そうか、足して179センチ。ぼくとまったく同じ高さになるじゃないか。

　その言葉の通り、待ち合わせたＭＢＫというショッピング・モールで、彼女の姿は目立っていた。背筋をまっすぐに伸ばし、けれど実にリラックスした立ち方で、彼女はぼくを待っていてくれた。小走りに近付いて声を掛け、挨拶をし、それからしっかりと握手を交わした。間違い電話を掛けた相手が、今こうしてぼくの目の前にいて、こうして笑顔を見せてくれている事実が、本当に奇跡のように思えた。

　手始めにＭＢＫの５階のフードコートに入り、氷入りのシンハー・ビールで乾杯をした。現実にこうして会えたことと、あの奇妙な間違い電話の夜に。飲み始めて間もなく、友人も合流してくれ、もう一度お互いにグラスをぶつけた。笑顔に囲まれてビールを飲むことの嬉しさを、旅に出て初めて知った。

　一度その場でお開きにし、友人とぼくとで、今夜のメイン会場へ先に乗り込むことにした。今夜は、激辛で有名なチムチュムという鍋を囲むことになっていた。タイ東北部、イサーン地方の名物料理だという。

　ぽつりぽつりと人が集まり始めた国道沿いの屋台で、間違い電話の彼女と、知り合いの知り合いだという同宿の日本人を待ちながら、改めて友人とビールで乾杯した。６年前の夏も、こんなふうにして彼とビールを飲んだ。互いにまだ学生で、どちらも初めてのインドネシアで、ぼくらは昼間からビールを開けては、尽きせぬ思いに花を咲かせた。

　結局、夜11時頃まで４人でビールを飲み続け、テーブルに乗り切らないほどの料理を食べた。それで一人300バーツ（≒960円）にも満たない金額。もう、値段の感覚がよく分からなかった。

　激辛だというチムチュムのつけダレは、想像以上の代物で、舌が認識するのは辛みより痛みの方だった。それでも、なぜか止まらない。辛い、痛いを繰り返し、大汗をかきながら、また箸が自然に鍋の中へ伸びた。

　途中、家路へ向かう帰りなのか、国道を悠然と歩く子供のゾウが屋台のすぐ横を通りかかった。友人に促されるまま、ゾウ使いからサトウキビを買って与えた。思わず手を伸ばして頭を撫でてやると、ゾウはその優しげな目元を心地良さそうに細めた。笑っているのかもしれない。そんな人間本位の勝手な思い込みすらも、なぜか今は真実のような気がした。

　同宿の彼と連れ立って、ローカルバスに乗ってカオサン通りまで戻った。それぞれの部屋へ戻る際、当たり前のように彼が「おやすみ」と言った。そんな当たり前の言葉が、たまらなく温かかった。今日までずっと、ぼくはこの旅の空で、自分自身に向かってだけおやすみを言い続けてきたからだ。

　おやすみなさい、とぼくも返した。今日という一日が、まるで完全な球体になるかのように。

　安宿のへたったベッドにごろりと横になり、ぼんやりと天井を見上げた。心の中で、何かがカタンと小さな音を立てた。]]></content:encoded>
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		<title>ミラーボール／バンコク(1)</title>
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		<pubDate>Sat, 19 Jul 2003 23:54:15 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>タイ編</category>

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			<content:encoded><![CDATA[　翌朝、ファランポーン駅で無事に友人と落ち合い、そのままタクシーでカオサン通りへ向かった。バックパッカーの聖地として栄えたのは、もうどれくらい前のことなのだろう。きっと、70年代ぐらいまで遡れるはずだ。訪れるのは初めてだったが、通りの名前だけは何度も耳にしたことがあった。

　バックパックではなく、くたびれたリュックひとつだけで旅に出てしまったぼくに、名立たるホテルに泊まれる余裕などなかった。友人は彼が初めてバンコクで泊まったというゲストハウス（残念ながら、既に取り壊されていた）の近くにある宿に案内してくれた。そこに、共通の知り合いの、そのまた知り合いが長逗留しているという。宿代は個室にも拘らず、僅か80バーツ(≒256円)。もはや、値段ではなかった。

　レセプションとも呼べない簡素なテーブルの前で、友人の操るタイ語を初めて聞いた。どうやら「君も泊まるのかい？」という問い掛けに「違う違う」と答えているようだった。促されるまま宿帳に名前を記し、パスポートを取り出そうとしたところで、その必要はないとあしらわれた。つまり、そういう種類の、すれすれの宿だった。

　それでもここはいわゆる「日本人宿」で、これでもか、というほどの日本人で溢れていた。共用スペースは、まるで運動部の部室のような雑多な雰囲気に満ち、耳に飛び込んでくる言葉の切れ端は、どれも日本語だった。旅に出て初めて「自分は今、日本に含まれている」という感情を覚えた。それは、懐かしさや安堵感ではなく、同族嫌悪にも似た奇妙なねじれだった。

　オフとはいえ色々と多忙な友人を見送り、ひとまず荷物を下ろしてシャワーを浴びた。丁寧に石鹸を泡立て、太陽の熱で温められた水で、身体中のべたつきを丹念に洗い流した。シャンプーが切れてしまっていたから、そのまま石鹸を髪になすりつけて洗った。軋んで指に絡みつく髪の感触は、海辺で過ごした夏の日の手触りに似ていた。

　コミュニティと呼べるほど確固とした枠は無かったのだろうが、この宿をめぐる旅行者たちのつながりの糸は、ぼくには到底把握できないものだった。その糸は時に複雑に絡み合い、もつれ、まるで獲物を待つ蜘蛛の巣のようでさえあった。未だ、その糸の一部を成さないぼくという存在は、端的に言えば、彼らの暇つぶしの慰み程度のものだったのだろう。

　二階の廊下に無造作に置かれたテーブルで休んでいると、この宿に泊まる誰かを訪ねてきたらしい日本人の青年と出会った。幾つかの言葉を交わし、年齢を問われ、28歳だと答えると彼は唇をゆがめて笑った。そして、自分は27歳だと告げると、とたんに言葉遣いが横柄なものに変わった。その豹変振りにいささか言葉を失った。

　これまでの旅のことを、彼は大袈裟な手振りをまじえて話した。「ずっと旅の中にいたいんだよね、分かる？」と。正直、何と答えてよいか分からなかった。ぼくに言えるのは「旅なんていつか終わる」という醒めた思いだけだった。でも、それを口になんて出来なかった。

　期待通りの反応を示さないぼくに、彼は苛立たしげに言葉をつないだ。「何を見てきた？　何を知ってるんだ」と。でも、そんなふうに言葉をつなぐ彼の眼差しには、言いようのない翳りがあった。まるで暗闇に怯える子供のような。

「ずっと旅の中にいたい。旅なんだよ、旅」

　彼は、そう何度も繰り返した。きっと今、その行為がもたらす胸の震えのようなものを、彼は見失っていたのだろう。悲しみとも焦りとも諦めともつかない感情が、彼の眼差しをすっかり支配していた。だからこそ、そのもどかしさをこうやって言葉に変え、会って間もない旅行者のぼくに対してまで、こんな振舞いをしてみせたのだろう。

　言明できない恐れを、彼は何とか振り払おうと藻掻いていた。いや、きっと、「もう戻れない」ということを、彼は既に知ってしまっていたのかもしれない。

　今日は、とことん彼に付き合ってみたいと思った。決して、憐れみなどではなかった。感情がいびつな形にねじれたまま昂ぶってしまうことは、ぼくにだってあった。彼の姿に、何週間か先の自分の姿を重ねた。

　夕暮れまで、近くの食堂でビールをあおった。からのジョッキを手渡され、店の片隅のクーラーボックスからクラッシュアイスを直接ジョッキに詰め込み、冷蔵庫のビールを勝手に開けて注いだ。テーブルにあいたボトルを並べておけば、それで会計が出来るという。それが、この店のルールだった。

　何本のビールを開けたかも分からぬほど、ぼくらは飲み続けた。店にあったピーナツや豚の皮のフライの小袋を勝手に開け、テーブルにばら撒いては貪るように食べた。彼の言葉はいよいよ熱を増し、「お前はどうしてこんなところにいるんだ」と叱責される始末だった。でも、今のぼくにできるのは、この瞬間を受け止めることだけだった。よく見ろ、目の前にいるのは他人なんかじゃない、お前自身なんだ、と。

　店を変えるという彼に従い、ふらふらと通りへ出てタクシーを拾った。彼もまた、それなりに流暢にタイ語を操っていた。どこへ向かうかさえぼくは気に留めなかった。何も求めず、何も指定せず、このまま彼とともに暗い闇の深みに入り込んでしまってもいいとさえ思った。

　結局、彼が３時間もかけて延々とぼくを連れ回したのは、市内に点在する有名な歓楽街だった。ゴーゴーバーと呼ばれる、半裸や全裸の女たちが踊る店を、文字通りはしごをするようにいくつも回った。

　こういった店はもちろん、踊りを眺めることがメインではなかった。店の外へ連れ出し、今夜の相手となる女を品定めするために、男たちは狭苦しい空間で息を潜めている。彼の進むまま、それこそ何百という数の女の裸体を見た。欲望というものを何ひとつ感じることが出来なかった。それらはまるで、ブロイラー工場のラインのひとつのようだった。

　ふと、別のシートに目を遣ると、そこには必ずと言っていいほど日本人の姿があった。目をぎらつかせ、舐めるような視線で女たちの身体をなぞっている。でも、そんな姿にさえ、ぼくは憤りも恥ずかしさも感じることはなかった。彼女たちからすれば、ぼくもきっと、そんな日本人の一人にすぎなかった。

　気の抜けたコーラを飲み、シートに背中を密着させて煙草を吸った。店内に響く凄まじいビートの音さえも、どこか遠い国の出来事のように思えた。

　青年に目を遣って、ぼくは思わず息を呑んだ。彼は、思いつめた表情で天井の一点を睨みつけていた。光も音も、女たちの嬌声も、彼にはいっさい届いていなかった。

　視線の先には、いびつな形にゆがんだミラーボールが、まるで何かの終わりを愉しむかのように、くるくる、くるくると回っていた。]]></content:encoded>
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		<title>一粒の砂／スンガイ・コーロク(2)</title>
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		<pubDate>Fri, 18 Jul 2003 16:33:00 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>タイ編</category>

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		<description><![CDATA[　学生時代にインドネシアのバリ島で出会い、オニオンリングをあてにビールを飲んだ友人がいた。その後、しばらく音信は続いていたのだが、いくつかの食い違いがあり、隔たりがあり、もう半年近くも、互いに連絡を取...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　学生時代にインドネシアのバリ島で出会い、オニオンリングをあてにビールを飲んだ友人がいた。その後、しばらく音信は続いていたのだが、いくつかの食い違いがあり、隔たりがあり、もう半年近くも、互いに連絡を取りあぐねていた。

　ふと立ち寄ったネットカフェでアカウントを叩くと、偶然にも彼からのメールが届いていた。タイムスタンプは前日の夜だ。「そのうち、タイに遊びにおいでよ」と。彼は今、およそ１年のタイ留学を修了し、バンコクでつかのまのオフを過ごしていた。

　今ぼくがタイにいるとは思ってもみないだろうと、思わず頬を緩ませてこんな返事を書いた。「今、実はスンガイ・コーロクにいます。早ければ、明日にでもバンコクまで北上できると思う」。まさか「そのうち」が明日になるなんて、いったい誰が想像できるだろう。

　ネットカフェを離れたその足で、スンガイ・コーロクの駅へ向かった。ここはバンコクへ向かう鉄道の東ルートの最南端の駅だ。窓口へ向かい、少しだけ迷ってから、英語で座席の空き具合を訊いた。「バンコクに一番早く着ける列車を」と訊ねたが、列車は午前と午後の２本だけだという。購入したチケットには、可愛らしいカーブを描くタイ文字と「14：05」という発車時刻が印字されていた。到着は明日の朝「10：35」。ざっと20時間、約1300ｋｍの道のりだ。

　シートには１等個室・２等寝台・２等客車があったが、ぼくの選んだのは最安値の２等客車だった。節約をしたくて選んだわけではなかった。快適とは言い難い移動になることは目に見えていたが、それさえも、今なら受け止められるような気がしたからだ。

 [1]

　翌朝は、厚い雲に覆われた熱帯の空の溜まりだった。宿のそばの食堂でエビ入りの麺をすすりながら、いつものようにぼんやりと通りを眺めた。地上には、まったくといっていいほど影がない。それなのに異様なほどの蒸し暑さが全身を覆い、ただ座っているだけで全身から汗が滲み、しずくとなって肌を伝った。自分は今タイにいるのだと強く思った。タイにいるのだ、と。

　長時間の移動に備え、１リットルのミネラル・ウォーターと豆菓子を買い、バンコク行きの列車に乗り込んだ。シートはため息が出るほど硬く、へたっていて、体育館の床で膝を抱えるような気分になった。

　窓際に席を取り、水と豆菓子の入ったビニール袋を足元に放り投げ、しばらく車窓を眺めて過ごした。後方へ次々とめくれていく風景に飽きてしまうと、今度はポケットから文庫本を取り出して読み進めた。列車の揺れの中で活字を追うのに疲れると、今度はまた視線を窓の外に移した。そんなことを交互に繰り返し、次第に傾いてゆく太陽の光に思いを重ねた。列車はまるで、夜へ向けて疾走しているかのようだった。

　夕方５時半に列車はハジャイの駅へ着いた。10分ほどの停車時間に、弁当や惣菜を抱えた売り子たちが声を一斉に張り上げてホームを行き来した。列車の窓から手を伸ばし、発泡容器に入った弁当と焼いたチキンを、それぞれ別の売り子から買った。全部で35バーツ(≒112円)という安さだった。

　駅弁と呼べるほど旅情を誘うものではなかったが、発泡容器の弁当には、蒸したライスの上に、ひき肉とバジルの炒め物が豪勢に乗り、目玉焼きが添えてあった。一緒に手渡されたプラスチックのレンゲで、ぽろぽろとこぼれるタイ米に手こずりながら口に運んだ。まだほんのりとした温かみがあり、味は決して不味いものではなかった。

　合間にチキンにかぶりつき、ミネラル・ウォーターで喉を潤し、また炒め物と一緒にライスを頬張った。初めて食べたはずの料理だったが、噛み締めたライスの甘みが不思議と懐かしかった。

　日没間近の、茜色に染まる大地を見つめながら、いつのまにか小さな声で歌のフレーズを口ずさんでいた。轟音を響かせ、レールの継ぎ目を越えていく車内では、きっと、ぼくの声など誰の耳にも届かなかっただろう。窓枠に頬杖をつき、ため息のように繰り返し歌った。Simply Red の『Say you love me』。

Being one of those grains of sand
I get blown all around the world
And what I make of it
Oh I don't know
What's the meaning of it
Oh I don't know

1998 &#169; Mick Hucknall

　あの砂屑のひとつになって、ぼくは世界へ吹き飛ばされていく。そんな言葉で始まるこの曲を、まさかバンコク行きの列車の中で思い出すとは思わなかった。

　列車が、夜へ向けて疾走する。

[1] http://www.transiency.com/images/18pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>枕の熱／スンガイ・コーロク(1)</title>
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		<pubDate>Thu, 17 Jul 2003 19:14:03 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>タイ編</category>

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		<description><![CDATA[　タイ国境に近いランタウ・パンジャンという町へ向かった。今日でマレーシアを抜ける。わずか３週間たらずのマレーシアだった。身体のあちこちには、まだ日灼けの痛みが残っていた。現実の痛み。現実の火照り。肌を...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　タイ国境に近いランタウ・パンジャンという町へ向かった。今日でマレーシアを抜ける。わずか３週間たらずのマレーシアだった。身体のあちこちには、まだ日灼けの痛みが残っていた。現実の痛み。現実の火照り。肌を刺すその確かさを、ずっと先まで覚えていようと思った。

　バスは１時間あまりでイミグレーションに到着した。車窓から空色の建物が見えた。国境。初めて目にする国境だ。誰かにとっての入口であり、出口でもある場所。ぼくにとってあの建物は、一体そのどちらなのだろう。

　荷物を抱え、シートから這い出すように降車口へ向かった。立ち上がる際、隣り合わせた老婦人から、そっとミントキャンディーを手渡された。戸惑うぼくに、彼女は笑顔で「スラマッ・ジャラン（いってらっしゃい）」と言った。さりげない優しさが胸に沁みた。

 [1]

　国境を抜けた先はタイだ。これから国境を歩いて越える。心のどこかでそんな気持ちの高鳴りを期待していた。けれど、何ひとつぼくの内側を震わせ、揺り動かすものはなかった。

　入国してすぐにツーリスト・インフォメーションがあった。タイ文字に懐かしさを覚えたが、この国も人もみな初めてだった。北へ向かう列車の時間を訊ねたところで時差に気付いた。２５時間の、今日。

　タイ側の国境の町、スンガイ・コーロクまで歩いた。１キロ程度だ、と教わっていた。途中、何度かバイタクに声を掛けられたが、歩きたいと伝えると誰もが笑顔でうなずき、それ以上しつこく誘うことはなかった。

　町を歩き、目についた銀行でバーツを手に入れ、その足で宿を探した。タイ語を解さないことに不安があったが、マレー語がいくらか通じた。結局、４件目にくぐった旅社に決めた。板ガラスの窓から、工事の途中で放り出された瓦礫の山が見えた。もし記憶に墓場があるとしたら、きっとこんな光景なのかもしれない。両手にはいつも、すり抜けていったものたちの手触りだけが残る。瓦礫の山は、そんな痛みの姿に似ていた。

　夜の訪れを待って再び通りへ出た。夜風に吹かれながらビールを飲みたいと思った。向かい合う象が描かれたビールを買い、道端に座って飲んだ。思いのほか度数の高いその液体は、けれど、まっすぐ胃の中へ下りていった。安堵にも似た溜息がこぼれた。

　町には肌を露出させた女たちが溢れ、彼女たちの身体を求める男たちの姿もまた、後を絶たなかった。明らかに「買った」としか表現できない奇妙な組み合わせの男女をいくつも目にした。男の多くは華人で、皆なぜか同じような小太りな体型をしていた。そんな彼らに肩や腰を抱かれ、女たちはホテルへ消えてゆく。次から次へと、そんな光景が目の前で繰り返されていった。見続ければ見続けるほど、ぼくの中で、言明できない茫漠とした虚しさが広がっていった。

　舗道の片隅には盲目の老婆がうずくまり、僅かばかりの施しを乞うていた。重ねた両手を額に当て、しきりと何かを呟いている。その傍らを、切り花を抱えた少年が通り過ぎていく。言葉は分からない。女たちの嬌声が闇に響き、その声を掻き消すかのように強いビートが夜を這いまわっている。

　そんな夜の一点で、ぼくは現実がふと遠退いていくような錯覚をおぼえた。ここはどこだ、と。けれど、その戸惑いの底にあるものを、何か具体的な形に変えることができなかった。悲しみとも切なさとも違う何か別の感情、それも、どこか硬直したまま身動きが取れずにいるような感情が、ぼくの内側で出口を求めるように渦を巻き、次第にそのスピードを速めていった。

　結局、なにひとつ掴み取れないまま宿へ戻った。声にならない幾つもの感情は、ぼくの中で既にその流れを見失っていた。どこへも行けない。本当は、どこへも行けやしない。まるで、旅そのものみたいに。

　閉塞した気持ちを抱え、持て余しながら、昼間の熱をたっぷりと吸った暖かい枕に顔をうずめた。息を深く吸い込むと太陽の匂いがした。その温もりがなぜか、無性に哀しかった。

[1] http://www.transiency.com/images/17pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>併走／コタ・バル(2)</title>
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		<pubDate>Wed, 16 Jul 2003 16:55:58 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>マレーシア編</category>

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		<description><![CDATA[　朝、彼女の掛けた目覚ましの音で起きた。彼女は今日、国内線でクアラ・ルンプールに戻ることになっていた。コタ・バルに滞在する日数は、あらかじめ日本で決められていたものだ。彼女がこの町にいられるのも、あと...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　朝、彼女の掛けた目覚ましの音で起きた。彼女は今日、国内線でクアラ・ルンプールに戻ることになっていた。コタ・バルに滞在する日数は、あらかじめ日本で決められていたものだ。彼女がこの町にいられるのも、あと数時間だった。

　寝ぼけた耳に彼女の「おはよう」の声が届く。ぼくも「おはよう」と返そうとするが、返事なのか欠伸なのか区別できない息がもれた。時計は７時１５分を回っていた。

 [1]

　彼女が荷造りをしている間にシャワーを浴びた。午前７時２５分。荷造りの途中で彼女がぼくにこう声を掛ける。「バスタオル、ここに掛けておけば少しは乾くかな……」ベッドの柵に視線をやり、しわを伸ばすようにしてタオルが掛けられる。一晩中開け放された窓から、鳥たちの鳴き声が細く聴こえる。

　今朝はお互いに視線を合わせようとしない。それは昨日の夜、二人で決めた結論のせいだったのかもしれない。

　７時５０分。宿の隣りの食堂で、二人で食べる最後の食事を済ませた。ライスに幾種類かの副菜が盛られただけのものに、冷えたミルクティーを頼み、言葉もろくに交わさずに口を動かし続けた。

　８時３０分に宿を出てバスターミナルへ向かった。彼女のバックパックを代わりに背負い、いつの間にか二人で歩き慣れてしまった道を北へ進んだ。

　彼女と過ごした時間はわずか２日にも満たないものだった。ツーリスト・インフォメーションで見掛け、その数時間後に入った宿で再会した。彼女とぼく以外に誰もいないドミトリーで寝起きし、町へ出かけ、屋上にあがっては二人で飽きもせずに言葉を交わした。ぼくは彼女のことを少しずつ理解しはじめ、彼女もまた少しずつぼくについて理解しはじめていた。

　昨夜、二人で屋上にのぼり、奇蹟のように美しく輝く月を眺めながら話をした。互いに感じてはいるが声にしてはいけない、言葉にしてはいけない種類の感情をあてもなく抱え、ふと言葉に詰まり、またその何かについて感じ続けては迷っていた。

　気持ちのどこかに、それを何か形のある行為なり言葉なりに変えてしまうことは間違ったことだという思いがあった。そして彼女の中にも同じ思いがあることを、ぼくは強く感じ取っていた。

　会話はいつの間にか回り道を繰り返し、どうしても言葉にできない想いに突き当たって、ため息に消えた。もうずっと、そんなことを繰り返していた。

　やっとの思いでぼくらが下すことのできた結論は、こういうものだった。「このままお互いの連絡先を教えずに明日を迎えよう」と。

　そして今ぼくは彼女のバックパックの重みを感じながらバスターミナルを目指していた。彼女もまた、ときおり何かを言いかけて、そのまま言葉にならずに小さな吐息をこぼした。まだ朝だったけれど、熱帯の陽射しはくっきりと町の形を切り抜いて、地面に濃い影を落としていた。

　空港でも、あまり会話らしい会話は無かった。お互いに何かを言いかけてはふと言葉に迷い、すぐに自分自身でけりをつけてしまう、そんな沈黙の中にいた。空港内のカフェに席を取り温かい紅茶を飲んだときも、向かい合うようには座らず、隣り合わせになって黙々と甘い液体を胃に収めていた。

　離陸する４５分前に彼女は搭乗口へと向かった。何かを言った気もしたが、それは上手く声にはならなかった。ぼくの隣りを離れ、彼女は振り返らずにまっすぐと入口へ向かった。それでも一瞬だけ立ち止まると、振り返って小さな声で「ありがとう」と言った。そしてまた歩き出し、視界から消える寸前でもういちど立ち止まって、笑顔を見せて手を振った。その仕草のまま、彼女はぼくの視界から消えた。ほんの一瞬だけ、正面に向き直る彼女の横顔が見えた気がした。そして、それが最後だった。

　空港から市内へ戻るバスが動き始めたのと、彼女の乗った飛行機が滑走を始めたのはほぼ同じ時刻だった。飛行機と併走するかたちで、バスは滑走路のフェンスの脇を西へ向けて進んだ。シートに身を沈め、薄汚れた窓から離陸を見つめた。飛行機はすぐにバスを追い越し、轟音を響かせて浮き上がる機体の姿が、視線の先に揺れた。バスは南へ向けて左折し、反対側の空の向こうに、遠去かっていく銀色の翼が見えた。しばらくその姿を目で追っていたが、急に息苦しさを覚えて目を反らした。

　昨日の夜、ぼくらが選んだのは失うことの方だった。失うことを選んだ。そう、何度も自分に言い聞かせた。得ることではなく、失うことをぼくらは選んだ。失うことを選んだんだ、と。

[1] http://www.transiency.com/images/16pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>胸の震え／コタ・バル(1)</title>
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		<pubDate>Mon, 14 Jul 2003 23:33:03 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>マレーシア編</category>

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		<description><![CDATA[　正午過ぎの長距離バスでコタ・バルの街へ向かった。車窓を流れる風景をぼんやりと眺めて過ごした。ふと、白く輝くこの陽射しを、いつの日かぼくは思い出すのだろうかと思った。その時、ぼくはどんな思いでこの記憶...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　正午過ぎの長距離バスでコタ・バルの街へ向かった。車窓を流れる風景をぼんやりと眺めて過ごした。ふと、白く輝くこの陽射しを、いつの日かぼくは思い出すのだろうかと思った。その時、ぼくはどんな思いでこの記憶の底を泳ぐのだろうかと。

　宿探しも兼ね、重い荷物を背負ったまま街を歩いた。道端で客を待つタクシーの運転手に次々と声を掛けられたが、そのたびに「Baru datang, ya（着いたばかりだよ）！」と叫び返した。親指を上げて笑顔を返す運転手たちに、ぼくも手を上げて応えた。

　何かしら宿の情報を得ようとＴＩＣ（観光案内所）へ向かうと、すでに日本人の旅行者が二人いた。どちらも一人旅の男女だった。声を掛けられ、久しぶりに日本語を使って話をしたが、自分でも驚くほど言葉がうまく出てこなかった。自分の口から出たはずの日本語が、どれもこれも嘘くさく聴こえた。こんな戸惑いは初めてのことだった。

　窓口で受け取った地図を手に、彼らに別れを告げてＴＩＣを後にした。ジリジリと焦げ付くような陽射しが容赦なく肌に突き刺さり、せっかく治まりつつあった日灼けの痛みがぶり返した。

　途中、日陰を見つけては何度も休憩を入れ、その度に、地図に描かれた線と実際の街の姿とを頭の中で重ねた。それでも、どこへ向かうべきかはどこにも書かれてはいなかった。

　２時間以上歩いただろうか、見て回った幾つかの宿はどこもパッとせず、手に入れたのは遣り場のない疲労感だけだった。汗ですっかり萎れた地図を手に、川べりの道を歩いてみようかと思った。せめて水の気配があればと、そんな気分になっていた。

　ひっそりと息を潜めたような通りに、小さなゲストハウスの看板を見つけた。いずれにせよ、どこかで今日の宿を取らなければならなかった。その看板に気付けたことだけでも良しとしようと、そう自分に言い聞かせた。

　埃っぽい空気の充満した階段を昇り、呼び鈴代わりに置かれた自転車のホーンを鳴らした。パーンと間の抜けた音が響いたが、その音が誰かに届いたような気配はなかった。もう一度ホーンを鳴らし、これで誰も出てこなければ立ち去ろうと思った時、ひとりの女性がひょいと顔を覗かせた。驚いたことに、彼女は数時間前にＴＩＣで言葉を交わした日本人だった。

　外出中のオーナーに代わって、彼女から宿代などを教わった。ドミトリーが僅かに６リンギット（≒192円）だということ。気持ちのいい屋上があること。そして、「いま、私ひとりだけだから、よかったら一緒に」という彼女の言葉に、強く背中を押された。

　部屋は特別きれいというわけではなかったが、今夜の寝床を確保できたことと、その安さとに安堵のため息を零した。時計を見ると既に午後６時を回っていた。コタ・バルのバス・ターミナルに降り立って、実に４時間後のことだった。

　夕食は、同宿の彼女と昼間ＴＩＣに居合わせた日本人の青年の３人で、中華食堂へ出かけた。旅に出て、久しぶりにビールを飲んだ。宗教上アルコールの摂取が禁じられているイスラム国家にあって、食事をしながら飲めるのは中華食堂だけだった。肉骨茶の鍋を三人で囲み、ハイネケンの小瓶を２本ずつ飲んだ。それで、一人あたり15リンギット（≒480円）。今夜の夕食が宿代の2.5倍だということに気付いて、なぜか痛快な気持ちになったりした。

　柔らかく喉を落ちていくビールの余韻に浸りながら、彼らの話に耳を傾けた。それぞれに何かを抱え、何かを捨て、何かを見つける旅だった。彼らの過ごしてきた日々が、きらきらしたものに思えた。たいした目的もなく、日々、空ばかり見て過ごしているぼくの旅について、二人に話せることは何もないように思えた。

　それでも、こうやって旅の途上で出会えたということに、小さく胸が震えた。本当はもうそれだけで充分なのかもしれなかった。]]></content:encoded>
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		<title>淡泊之人／クアラ・トレンガヌ(5)</title>
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		<pubDate>Sun, 13 Jul 2003 11:44:03 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>マレーシア編</category>

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		<description><![CDATA[　ひとまず今日までの宿代は支払っていたが、明日以降どうするかはまったく決めていなかった。
　「意志がある限り道は拓ける」と言ったのは、いったい、どこの誰だっただろう。今のぼくには、その意志すらも無かっ...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　ひとまず今日までの宿代は支払っていたが、明日以降どうするかはまったく決めていなかった。

　「意志がある限り道は拓ける」と言ったのは、いったい、どこの誰だっただろう。今のぼくには、その意志すらも無かった。ここを離れようが、留まろうが、何ひとつ変わらない。そんな予感だけが、一枚の暗い幕となって目の前を塞いでいた。

　午後２時を回っても食欲がなかった。いや、むしろ空腹感そのものを失っていた。

　青ざめた空にようやく雲が現れ、きつい陽射しが和らいだ頃、ためしに近くのベーカリーに立ち寄った。それとなくドーナツを眺めたりしたが、結局、買ったのはミネラル・ウォーター１本だけだった。

　特にすることもなく、時間つぶしにシャワーを浴び、Ｔシャツを洗い、屋上に出ては風に吹かれて文字を記した。そういえば、今朝になってようやく鼻の頭の皮が剥けはじめた。肩の皮も、白く浮きはじめている。痛みが治まりつつあるのだと思った。

　＊

　日没の礼拝が済んでしまった後、夜を謳うようにスコールが降った。そして雨は、小降りになったまま一向に降り止まなかった。じっとりと肌を濡らす雨の中を歩き、バス・ターミナルのそばの食堂まで出かけた。今日、初めての食事だった。

　ナシ・ゴレンを注文すると一緒にスープが出てくることが多かったが、今夜の食堂で出されたものは揚げた玉ねぎと干しえびと、刻んだセロリの葉が入ったものだった。ベースはおそらく鶏肉なのだろう。ほのかな塩味の先に、ほっくりとした鶏の油の甘みがあった。

　相席をお願いされ、ムスリムの一家と肩を寄せ合うようにして食べた。会話はなかったが、ふと視線が重なったときには自然と笑みがこぼれた。ただ、それだけのことが、何よりも温かかった。

　食堂に置かれたテレビではＣＮＮが流れ、ウクライナの大臣が何かを熱っぽく訴えていた。音は消されていて、話の内容までは分からなかった。時折、ぷつりと黙り込んでしまう大臣の眼差しに、ぼくの知らない国が抱える、悲しみの地平のようなものが見えた気がした。

　＊

　宿に戻り、屋上でまたマイケルの話を聴いた。オーストリアの短い夏について、長い長い冬について。日本についてぼくも何かを伝えようとしたが、ぼくの思い出と切り離して伝えられるものは、あまり多くはなかった。

　始めに、四季について話した。それから、美しい花のこと、山の稜線のこと、街の灯りのこと。生まれた土地の匂いや、帰り道に見えた夕焼けのこと、真冬の澄んだ空気のこと。そこでぼくは育って、恋をして、勉強をして、仕事に就き、そして今こうやって旅に出て、と伝えたところで、その先の言葉に詰まった。

　やっとのことで言えたのは、こんな後ろ向きな言葉だった。「でも、きっと、悲しみや痛みは世界中のどこにいても感じるものだ」と。その言葉にマイケルはにっこりと笑い、小さく頷きながらこう答えた。「そうだね、分かるよ。歩き続けるのと同じように」

　＊

　翌日は朝８時に目覚め、郵便番号も住所も曖昧なままに記した絵葉書を出しに郵便局へ行った。朝の陽射しは柔らかく、頬を過ぎる風も心地良いものだった。

　日本までの切手代は、僅か0.5リンギット（≒16円）という安さだった。１週間もあれば届くとのこと。鮮やかな色彩でパイナップルがデザインされた切手が妙に嬉しかった。

　その足で Old China Town と呼ばれる通りをぐるりと歩き、「鶏包(大)」と表記された蒸し饅頭を買った。豚まんならぬ鶏まんということなのだろう。熱々の鶏包を両手で包むように持ち、さらに宿へ戻る途中で、パンケーキの屋台にも寄った。ささやかだけれど、楽しい朝食になるだろうと思った。

　けれど、ひとつ1.2リンギット（≒38円）と書かれていたパンケーキは、ぼくのマレー語が上手でなかったからか、外国人にはこの値段では売れないと言われた。屋台の売り子に提示されたのは1.5リンギット（≒48円）という値段だった。もちろん納得なんて出来なかったし、そんな馬鹿な話などないと思った。でも、ぼくは何も言わずにその値段を支払い、ありがとうと笑顔で言った。この国は、どれだけ意見を述べたところで、ぼく自身の国ではなかった。

　枕元に置いたミネラル・ウォーターを手にし、屋上のテーブルで鶏包とパンケーキを広げた。鶏包は、包丁で叩いたような粗いミンチの鶏肉に、たけのこ、しいたけ、長ねぎ、ゆでたまごがみっちりと詰まった重厚なものだった。ひとくち頬張ると、肉汁が滴るように溢れ、思わず言葉を失いそうになるぐらいに美味しかった。

　パンケーキといってもお馴染みの円形のものではなく、直径20センチはあるだろうフカフカの生地に、蜂蜜と砕いたピーナツとスイートコーンを敷き詰め、半分に折りたたんだものだった。そこに乱雑にナイフが入れられ、小分けにして食べられるようになっていた。予想通り強烈な甘さだったが、口中に広がるピーナツの香ばしさだけは好きになれた。

　パンケーキを包んでいた新聞紙は、華人向けのものだった。食事をしながら、いくつかの記事を拾い読みしたが、思ったよりも意味が取れそうなものが多かった。

　記事の中に「靜思小語」と題されたものがあった。さしずめ「今日のひとこと」といった内容のものなのだろう。釋證嚴という名の僧侶の言葉が紹介されていた。

「淡泊之人，並不感到自己有所欠缺，所以是心靈最富有，最快樂的人」

　正しい意味は分からなかったが、きっとこんな意味なのではないかと思った。「私利私欲の無い人、あるいは自分に欠点があると認め、気にしなくなれた人こそ、誰よりも心が豊かであり、喜びを感じられる人である。」

　すっかり食べ終わった後でも、しばらくその文章について思いを巡らせた。自分に欠点があることを認め、気にしなくなれるまで、いったい人はどれほどの時間を必要とするのだろうか。

　しばし迷った後、油の染み付いた新聞のその記事の部分だけを指先でちぎり、４つに折りたたんで財布の奥に仕舞った。ふと、この街を離れてしまおうと思った。

　たとえ、どこまで行っても代わり映えのしない街が、執拗にぼくの前に広がっていたとしても。]]></content:encoded>
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		<title>心の月／クアラ・トレンガヌ(4)</title>
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		<pubDate>Sat, 12 Jul 2003 23:21:27 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>マレーシア編</category>

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		<description><![CDATA[　ツーリスト・インフォメーション・センターの並びにあった郵便局で、数枚の絵葉書を買った。南国の果実たちが、まるで咲きこぼれるように写った葉書だった。
　宿に戻り、屋上のテーブルで書こうとリュックから手...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　ツーリスト・インフォメーション・センターの並びにあった郵便局で、数枚の絵葉書を買った。南国の果実たちが、まるで咲きこぼれるように写った葉書だった。

　宿に戻り、屋上のテーブルで書こうとリュックから手帳を取り出そうとして、あっと声を上げた。あるはずの手帳が、どこにも見当たらなかった。

　リュックをすべて開けて念入りに調べてみたが、やはり紛失したことに間違いないようだった。更に悪いのは、どこで失くしたのかさえ見当がつかないことだった。もしかしたら、二日前に公衆電話から実家へ電話を掛けた際、そのまま電話機の上に置き忘れたのかもしれない。そんな思いが、淡い煙のように心を覆った。

　見つかる見込みはないと知りながらも、その公衆電話まで足を運び辺りを見て回った。やはり、見つからない。近くに並んでいた果物屋台の売り子達にも、手帳を見なかったか訊ねて回った。誰もが「見ていない」という返事を繰り返すばかりだった。考えるまでもなく、あたり前のことだった。

　それでもなお、どうにかして見つけたいという思いを振り払うことが出来なかった。彼らに、もう一度今度は警察署の場所を訊ねた。ここから１ｋｍ以上も離れた場所にあるとのことだった。ふと、拾得物の中に手帳が紛れ込んでいないかと思った。確かめてみるだけの価値はあるのではないのかと。ほんの少しの可能性に掛けてみたい、そんな気分だった。けれど、この判断が大きく間違っていた。

　やっとの思いで辿りついた警察署には、そもそも「拾得物預り」などというものがなかった。警官たちはぼくの状況説明にいっさい興味を示さず、矢継ぎ早に質問を投げ返す始末だった。

「お前、日本人か？　なんだ、マレーシア人じゃないのか。で、何だ？　アドレスを書いた手帳を失くした？　分からないね。それよりお前、どうしてマレーシアに来てる？　こっちに友達はいるのか？　いない？　おかしいじゃないか、お前ここに何しに来たんだよ。学生か？　仕事してるのか？　で、どこに泊まってる。１泊いくら？　まさかドミトリーじゃないよな？」

　そんな質問にいちいち熱くなっては埒が明かないと、そう何度も自分に言い聞かせた。冷静に、ひとつひとつの質問に答えながら、今ここにいる理由は手帳が届いていないかの確認のためだということを根気良く伝えた。しかし、彼らが寄ってたかって言い返すのは「それで？」という冷たい響きの単語だけだった。

　すべてを諦め、丁寧に礼を述べた。勧められたパイプ椅子をさも大事そうに戻し、薄笑いを浮かべ「ありがとう」と日本語で言った。彼らも瞬時に笑顔を見せてくれたが、その瞳はまったく笑ってはいなかった。

　警察なんてどこも大差ないのだと思うと、なぜだか暗い気持ちになった。

　＊

　宿に戻り、気分転換にシャワーを浴び、屋上へ昇って風に吹かれた。テーブルには既に先客がいて、その彼としばらく言葉を交わした。イギリス人のアレックスという青年だった。

　旅に出て初めて言われたのは、君の英語は理解しやすい、という言葉だった。お世辞に似たニュアンスがないではなかったが、それでも理解しやすいと言われたことで、気持ちが少し軽くなった気がした。

　アレックスもまたタイから旅を始め、ちょうど１ヶ月を過ぎたあたりだった。その土地の言葉をひとつでもふたつでも覚えて使いたいと、彼は少しバツの悪そうな笑顔で言った。

　ふと、胸ポケットから出された紙切れには、マレー語の挨拶と簡単な会話の例文が丸っこい文字で書かれていた。「プルフンティアン島で知り合ったマレーシア人に書いてもらったんだよ。これ、ぼくのテキストブック」

　そう言って目を細めるアレックスもまた、一人で旅をしてきた人間なのだと思った。

「日本語のも必要かな？」

　笑いながらそんなことを言うと、彼も本当に楽しそうに笑ってくれた。「大丈夫だよ、ぼくの知ってる日本人は英語を話してくれるからね」

　悲しみをくれるのも喜びをくれるのも、結局、どっちも人間なのだと思った。マレーシアという名の「彼ら」の国で、ぼくはこんなにも疲弊し、こんなにも気持ちが荒れてしまっていた。でも、同時に、こうやって同じ旅行者という立場の人間から、ぼくは息継ぎの仕方を教わることができていた。もしかしたら、少しだけ何かを信じてもいいと、そんな気持ちになってさえいた。

　夕方から再び降りだした雨の切れ間に、不思議と月が輝いていた。満月になり切れない13日目の月を、ぼくは心の中で満月にして眺めた。くよくよするなよと、遠くで笑う誰かの日本語が聞こえた気がした。]]></content:encoded>
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		<title>憧れの所在／クアラ・トレンガヌ(3)</title>
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		<pubDate>Sat, 12 Jul 2003 16:35:30 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>マレーシア編</category>

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		<description><![CDATA[　昨日あんなことがあったせいか、宿に戻っても気持ちがざわついて落ち着かなかった。すっかり陽は暮れていたが、支払い済みの宿代を捨て、思い切って宿を換えることに決めた。どうにか気持ちを切り替えたかった。
...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　昨日あんなことがあったせいか、宿に戻っても気持ちがざわついて落ち着かなかった。すっかり陽は暮れていたが、支払い済みの宿代を捨て、思い切って宿を換えることに決めた。どうにか気持ちを切り替えたかった。

　あてはなかったが、モスクから東へだいぶ歩いたところに「Ping Anchorage Travellers Inn」という看板を見つけた。階下が瀟洒なバティック（ジャワ更紗）のショールームで、３階から上がゲストルームになっていた。外観から予想していた値段とは裏腹に、ドミトリー１ベッドで、８リンギット（≒256円）。とにかく、破格の値段と言うしかなかった。

　屋上にはレストランの名残りのテーブルセットが並び、さらに奥まった場所に物干し場があった。壁も床もコンクリート打ちっぱなしのものだったが、共用のトイレやシャワー室は清潔そのもので、まるでどこかの社員寮にでもいる感じだった。

　10畳はあるだろうドミトリーの部屋は、左右の壁際にベッドが２つしか置かれていない不思議な空間だった。間延びした部屋の傍らに小さなタオル掛けがふたつ、ゴミ箱がふたつ。天井の大きなファンは誰もいない空っぽの床に向けて、大仰にぐるぐると回っていた。

　シャワーを浴び、すっかり洗濯も済ませ、一人きりのドミトリーでしばらく目を閉じた。それから、ベッドの上で小さなノートに文字を記し、読みかけの文庫本を読んだ。うまく眠れるだろうかと、そんなことばかりを思った。

　自覚している以上に、日灼けの痛みはひどくなっていた。荷物を背負うだけで両肩に激痛が走るほどだった。痛みが治まるまで、もうしばらくここでじっとしていようと決めた。壁の向こうからかすかに響くアザーンの声に耳を澄ませ、本のページを繰り、痛みを気にしながら簡素なベッドの上でおそるおそる寝返りを打つ。そんな非生産的な時間が、今は何よりも大切なものに思えた。

　＊

　翌日は朝から激しい雨だった。しばらく空の様子を伺ったが、一向に止む気配はなかった。諦めて雨に打たれながら銀行へ向かった。手持ちのリンギットが心細くなり、トラベラーズ・チェックを両替する必要があったからだ。

　雨に濡れることにネガティブな気持ちがあったが、いったん濡れてしまうと途端に心地よい気分になった。飛び出してしまえば、後は身を任せるだけでよかった。こんな単純な事実に気付いて、少しだけ気持ちが楽になった。

　目に付いた銀行で日本円のＴ／Ｃを見せると、ここでは扱っていない、ＵＳドルならＯＫだとあしらわれた。国営のマレーシア銀行に行けとつっけんどんに言われ、礼もそこそこに雨の中を歩きまわった。やっとの思いでカウンターに着くと、今度はＴ／Ｃの両替には手数料が余計にかかる旨を伝えられた。両替１回につき10リンギット（≒320円）。更にＴ／Ｃ１枚あたり0.15リンギット（≒５円）が上乗せされる。

　それがこの国のルールだと頭では理解できたが、１泊８リンギット（≒256円）の部屋に泊まっている人間にとっては、その手数料だって馬鹿にならない金額だった。感情から言えば、とうてい納得なんて出来るわけがなかった。

　仕方なく現金で5000円分を両替することにした。レート3.17で157リンギット。これまでで一番良いレートではあったが、どこかで素直に喜べない自分がいた。日本円とドルで、ましてや現金とＴ／Ｃとで、これほどまでに扱いが違うものかと複雑な気分になった。

　＊

　宿のそばのベーカリーで焼き立ての惣菜パンを３つ買い、昼食にした。全部で2.3リンギット（≒74円）という安さだった。ソーセージロールとリングドーナツは、表面が日本で食べるものよりもずっとカリカリとしていて、思わず顔がほころんでしまうほど美味しかった。

　もうひとつ「SARDIN BAN」というパンも買っていたが、これは中にイワシとタマネギがトマトソースで煮込まれたものがみっちりと詰まったものだった。予想以上にパンとイワシの相性が良く、トマトソースも味わい深かった。河口の街らしいパンなのだと思うと、余計に美味しく感じられた。

　＊

　昼過ぎ、ベッドが２つしかないドミトリーに一人の青年がチェックインした。オーストリアのウィーン出身で、自分はマイケルという名だと言った。24才ということだったが、まるで高校生のような素朴な笑顔が印象的だった。

　二人で屋上にあがり、色々な話をした。彼はすでに半年近く旅を続けているとのことだった。タイ、カンボジア、ベトナム、ミャンマーと移動をし、空路でマレーシアに入ってからは、東海岸の沖に浮かぶ島々を巡っているという。コタ・バル沖のプルフンティアン島はそこそこ安く泊まれ、レダン島も美しくはあったが、安いゲストハウスは皆無だったよ。云々。

「おかしいよね、最後には全部値段の話になってる」

　そう言って子供みたいに笑うマイケルは、本当に無邪気で人懐こかった。「この先は？」と問いかけるぼくに、彼は肩をすくめ、いたずらっ子のような笑顔で答えた。「カパス島かな。もうね、全部の島を渡ってやろうと思ってるんだ」

　リゾート・アイランドへ向かうことに、ぼく自身はあまり気が進まなかった。いや、正直なところ、何よりもこの日灼けの痛みが治まらない限りは、どこかへ移動すること自体が億劫だった。

「行かないの？」

「うーん。痛いんだよね、肩も、背中も、脚も。しばらく太陽から隠れていたい」

　マイケルは「ぱちん」と指を鳴らして楽しそうに笑った。「そういうことか、今日の雨も。じゃあ、タイラが島に渡ると雨になっちゃうね。それは困るな、せっかく島に行ったってのに」

　そんな言い方が楽しくて、嬉しくて、彼につられてぼくも笑った。出会ってから何分も経っていないはずだったが、この青年とならきっと仲良くなれるだろうと思った。彼の笑顔には一片の濁りもなかった。とっておきの贈り物のような、そんな笑顔だった。

　うだるようなあの夏の午後、川底で見つけたサイダーの壜の欠片のことを不意に思い出した。青く透き通ったあの輝きは、幼い頃のある時期まで、何よりも確かなぼくの希望ではなかったか。そうだった。どんなものも喜びに変える魔法を、ぼくもちゃんと知っていたのだ。

　マイケルが教えてくれたのは、そんなキラキラと眩しい憧れの所在だった。]]></content:encoded>
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		<title>冷えた刃／クアラ・トレンガヌ(2)</title>
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		<pubDate>Fri, 11 Jul 2003 20:18:04 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>マレーシア編</category>

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　食事をしにゲストハウスを出たものの、目に映るものすべてに気持ちが萎えた。特別そこに何かがあったわけではない。いや、あるのは彼らの暮らしだけだ。揺るがし難...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　イライラが頂点に達していたのかもしれない。

　食事をしにゲストハウスを出たものの、目に映るものすべてに気持ちが萎えた。特別そこに何かがあったわけではない。いや、あるのは彼らの暮らしだけだ。揺るがし難い彼らの暮らし。そして、いくら旅を続けても、ぼくが身体のすべてを投げ出せる場所など何処にもないということは、もうとっくに理解していたつもりだった。

　長距離バスターミナルに足を踏み入れたところで、バスのチケットを買わないかと声を掛けられた。インド系マレーシア人だった。無視を決めて通り過ぎようとしたが、男は右手に握りしめたチケットの台紙を振りかざし、執拗にまとわりついて来た。「要らない」ぼくはそう呟いた。要らない、向こうに行ってくれないか。

 [1]

　いつもなら口元に笑みを浮かべて、必要ないという意志を何度でも伝えることができた。けれど、今日はだめだった。シャツの袖を乱暴につかまれ、台紙を目の前に突き出され、「おまえ、なんで買わないんだ？」と繰り返す男のしつこさに我慢ができなかった。歩みを止め、男の目をギュッと睨みつけ、気がつくと腹の底から大声でこう怒鳴っていた。

  「要らないって言ってるのが分からないのか？　今すぐ向こうへ行ってくれ、ぼくに触るな」

　口を突いて出たのはインドネシア語だった。マレーシアに在りながら、マレー語でも英語でも日本語でもなく、インドネシア語で相手をなじっていた。けれど、男は声の大きさに怯むでもなく、かえって激しく逆上したようだった。

　男はぼくの首に掴みかかると、声を荒げて「謝れよ」と言った。ぼくは怒り狂う男の両腕を力任せに振りほどき、背中を向けて歩き出した。男は諦めなかった。立ち去ろうとするぼくの前に立ちはだかり、何度も何度も「俺に謝れ」と怒鳴った。血走った男の目は、本物だった。

　ぼくは大きく肩で息を吐き、男の顔を睨み返した。静かな口調で「お前が謝れ」と告げながら。一瞬の沈黙のあと、ぼくはきつく握りしめた右手のこぶしを振りあげ、殴りつけるポーズを男に見せた。

「いいか、謝るのはおまえだ」

　相手の目を睨みつけながら言い捨て、ゆっくりと、ぼくは再び歩き出した。口の中に泥を詰め込まれたような嫌な気分だった。数歩歩いたところで振り返ると、男は尻のポケットから何かを取り出すところだった。不審に思い、足を動かしたまま男の手許を見つめた。

　手に握られていたのはナイフだった。細身の、フルーツナイフのような。

　男は、ぼくの背中にそれを突き立てるつもりだったのかもしれない。けれど、それ以上男がぼくを追いかけてくる気配はなかった。握りしめられたナイフの冷えた輝きが、暮れかけた光の中で眩しかった。その光だけで、もう充分にぼくの中の何かを斬りつけていた。

　トレンガヌ川のほとりに、対岸へ渡るボートを待つ人々が集まっていた。川が眠りに就く時間が迫っている。川べりの道に腰を下ろし、夕陽に照り返る琥珀色の水面を眺めた。折り重なるように浮かんでは消える光の連なりを、ひとつひとつ胸にしまった。

　どこからかドリアンの悪臭が漂い、すえた干し魚の匂いと混ざって、街をひどくみすぼらしいものに変えた。そして今、その真下にしがみついているのが自分なのだと思った。

[1] http://www.transiency.com/images/15pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>我も他者とて／クアラ・トレンガヌ(1)</title>
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		<pubDate>Thu, 10 Jul 2003 21:53:48 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>マレーシア編</category>

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		<description><![CDATA[　赤道直下ゆえ、マレーシア半島は１年を通じて昼夜の長さがほとんど変わらないと聞いた。朝７時ごろに日が昇り、日没もまた午後７時過ぎだ。
　バスが来るまでの間、コテージのテラスに座って海を眺めた。眠る前に...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　赤道直下ゆえ、マレーシア半島は１年を通じて昼夜の長さがほとんど変わらないと聞いた。朝７時ごろに日が昇り、日没もまた午後７時過ぎだ。

　バスが来るまでの間、コテージのテラスに座って海を眺めた。眠る前に服用した鎮痛剤はさっぱり効いておらず、陽に灼かれ爛れた肌の痛みはひどくなる一方だった。

　特に、ふくらはぎと胸の痛みがきつかった。シャツやジーンズが触れるだけで、刺すような痛みが走る。立ち上がるその動作だけで皮膚が突っ張り、今にも肉が裂けてしまいそうだった。

　改めて化膿止めと鎮痛剤を飲んだ。痛みが改善するようには思えなかった。薬なんて、気休め以外の何物でもなかった。

　＊

　11時半に来るはずの長距離バスは、予想通り、定刻になっても姿を見せなかった。結局、乗り込めたのは12時過ぎ。この程度のことで腹を立てるようなことは、もう今のぼくにはなかった。

　チケットには「８Ｃ」と書かれていたが、もちろんそんなシートは存在しなかった。目に付いたシートに身を投げ、膝の上でリュックを抱えてため息をついた。いつ着くとも分からない移動の繰り返しに、どこか新鮮味を失いかけていた。そんな自分の在り方に気付いて、心底うんざりした。

　いい意味でも悪い意味でも「慣れつつある」ということなのだろう。痛みも震えも、繰り返せばいつか慣れてしまう。旅の高揚感と呼ばれる何かを日ごとに失っていた。いや、そもそも僕自身がこの旅に何を求めていたのかさえ、実際にはよく分かっていなかった。

　本当に、こんな所で何をしているのだろうと思った。どこにも、ぼくの居場所なんてなかった。これ以上、何かを先延ばしにするなんて出来ないのかもしれない。

　わずか２週間かそこらで、旅という名の迷路にすっかり入り込んでしまっていた。そして、抜け出すのは思うよりずっと困難だということも同時に分かっていた。

　＊

　クアラ・トレンガヌの街についたのは午後３時過ぎのことだった。変わり映えのしないデジャヴのような街並みが、騙し絵のように何層も続いていた。宿探しを兼ね、目に付いた通りを気まぐれに歩いた。至る所にモスクがあることに気付き、そういう意味においては、他の都市よりもイスラム色が強いような気がした。

　それなりに大きな、けれども古ぼけたモスクの先に「Pasar Besar（大きな市場）」と呼ばれる布地の問屋街があった。傍らに、カフェオレ色の大きな川。クアラはマレー語で「河口」を意味したから、この川はきっとトレンガヌ川という名前なのだろう。

　布地問屋の向かいには闇市のようなマーケットが広がり、香辛料・野菜・果物といった食材がいっしょくたに売られていた。通りにはドリアンの異臭があふれ、思わず口を覆いたくなるほどだった。何度嗅いでも絶対に好きになれない匂い。生ゴミが発酵したような匂いのそれを、きっと、ぼくは口には出来ないだろう。

　アザーンの歌声を聴きたいばかりに、モスクに程近いゲストハウスにチェックインした。シングルで15リンギット（≒480円）だった。おかしなもので、首都クアラ・ルンプールを離れるに従って宿代は高くなっていた。

　レセプションにいたのは高校生ぐらいのムスリムの少女だったが、まったく英語が通じず、頼みのマレー語でさえ独特の訛りがきつくて聞き取れなかった。言葉の通じないもどかしさを、この旅でおそらく初めて痛感した。

　近くに日用品を売る店があり、そういえば、と思い立って中に入った。チェラティンで、持参していた鏡を落として割ってしまっていたからだ。けれど、ここでもまた、店員のマレー語がさっぱり分からず、ぼくの発するマレー語もうまく通じてくれなかった。いったい何語でコミュニケーションを取ればよいのか、しばし途方に暮れた。

　冷静さを、少し失いかけていたのだろう。通じないもどかしさが、やがて苛立ちになり、気がつくと大声で言い直したりしていた。こんな滑稽な旅行者なんていない。大声で「鏡が欲しい」とわめき散らす外国人だなんて。もちろんそれで物事が好転するわけではなかったし、ささくれ立った気持ちが収まるわけでもなかった。たかが買い物ひとつでこれほど神経をすり減らしてしまったのは、他でもなく、すべてぼくの幼さだった。

 [1]

　トレンガヌ川のほとりに出て、対岸に沈む夕陽をぼんやりと眺めた。結局、いちばん心が落ち着くのはこういう瞬間なのだと思うと、ひどく寒々しい気持ちになった。膝を抱えながら風に吹かれ、気まぐれに煙草をふかし、ペットボトルの水を口に含んでは、また、ため息をひとつ。

　考えてみれば、夕陽ばかりを見て旅をしているような気がした。自分の位置を、そうやって確かめようとしていた。結局、ぼくはこの国を通り過ぎる人間でしかなかった。どこにも、居場所なんてなかった。永遠の他者として、このまま旅を続けるしかないのだろう。

　それは、この異国の空に広がる琥珀色の光のように、果てしなく、空虚な諦めだった。

[1] http://www.transiency.com/images/14pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>一度きりの空に／チェラティン(3)</title>
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		<pubDate>Wed, 09 Jul 2003 23:42:23 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>マレーシア編</category>

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		<description><![CDATA[　昨夜、11時頃になってから、月明かりにぼんやりと浮かぶ砂浜を歩いた。水平線のすぐ上に、弱々しい光で南斗六星が輝いていた。
　岩陰に腰を下ろし、もう一度、自分が失ってしまったものたちに思いを巡らせた。...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　昨夜、11時頃になってから、月明かりにぼんやりと浮かぶ砂浜を歩いた。水平線のすぐ上に、弱々しい光で南斗六星が輝いていた。

　岩陰に腰を下ろし、もう一度、自分が失ってしまったものたちに思いを巡らせた。人が思うよりも、ずいぶん年を取ってしまったのだと思った。いや、正確に数えてみる。28歳と、３ヶ月と、16日。この世に生を受けて、すでに１万日を越えていた。１万日だ。

　海の営みに比べたら、それもまたちっぽけで一瞬の出来事だった。

　＊

　今朝、レセプションの女性に声を掛けられ、最安値の部屋に移ることができると伝えられた。昨日、ぼくに手持ちのリンギットが少ないことを覚えてくれていたのだろう。オーシャン・ビューではなくなったが、宿代は20リンギット（≒640円）になった。ありがたく、その誘いに乗ることにした。もうしばらくここに留まろうと思った。

　長距離の移動の疲れが、ここにきてボディ・ブローのようにじわじわと効いていた。一昨日は、６時間かけて約200ｋｍの移動だった。それも、バスの狭いシートで身を折るようにして。クアラ・ルンプール、マラッカ、メルシン、チェラティンと、あまりに慌しく移動しすぎたように思った。時間だけはあった。少なくとも、あと80日間はこの旅の中にいるはずだ。移動のペースを、もう少し落とすべきなのかもしれなかった。

　＊

　今日は、必ずしも快晴というわけではなかった。太陽は厚い雲に遮られ、突き抜けるように青いあの空を見ることはできなかった。砂浜に腰を下ろし、膝を抱え、海と空と、目の前に続く砂のかたちを飽きもせず眺めた。風が砂に描く模様は、刻一刻とかたちを変え、二度と同じ姿を見せることはなかった。

　俯きながら歩くのに、海辺ほど都合のいい場所はないのかもしれない。帰り道みたいな気分で浜辺を歩いた。貝殻のかけらを探すように、干乾びた藻をサンダルの先で蹴り上げるように。

　波が洗い去った後の砂には小さな穴が点在し、時折、透き通るように白い蟹が顔を覗かせた。浅瀬ではハゼに似た魚や黒い縦縞の魚たちが、わずかな水を求めて泳ぎ回っていた。

　波打ち際にクラゲが打ち上げられ、捨てられたビニール袋のようになって息絶えていた。その傍らに、犬の亡骸。半分ミイラ化した茶色い毛の犬は、すっかり波に洗われ、奇妙なほどつるりと光っていた。あたりを見回し、目に付いた石ころを重ねて小さな墓標を作った。ぼくにしてやれるのは、これぐらいのことしかなかった。

　さよなら、と思った。海にさらされた綺麗な亡骸に向かって、もう一度、ぼくは心の中でさよならを言った。ごめん。やっぱりぼくらは陸の生き物なんだよ、と。

　＊

　夕方になってようやく晴れ間が差したが、沖からの風は激しく、ほとんど目も開けていられないほどだった。口の中にまで砂が入り込み、その都度吐き出すものだから、口中がひりひりと痛んだ。間違えて噛んでしまった砂は、乾いた海の香りがした。

 [1]

　沖ではこの風を掴まえようとパラセイリングが飛び立ち、勢い良く中空を滑っていた。そんな姿を細目で見やりながら、ペットボトルの水を含み、口中の砂を包んで吐き出した。ふと、何もかもが言葉を越えて目の前にあるような気がした。そんな夕暮れだった。

　＊

　宿の裏手の小さな食堂でナシ・ゴレンを弁当にしてもらった。出来上がるまでの間、昨日ランブータンをくれた老婦人と言葉を交わした。彼女の話すマレー語には独特の訛りがあるような気がしたが、それが世代ゆえなのか土地ゆえなのかは分からなかった。

　途中、何度も聞き返してしまうことがあったが、それでもマレー語を片言でも話すことを喜んでくれた。「みんな英語を使うからね」と、彼女はまるで子供をあやすように言った。

　日本語では何と言うのかと、色々なものを指差して訊かれた。椰子の実の成熟具合で、違った言い方があることなどを知った。ぼくの育った場所ではどちらも椰子の実だったが、もしかしたら沖縄の言葉には違った言い方があるかもしれない。そんなことを思って、暮らしと言葉の多様さのつながりに思いを馳せたりした。

　砂漠の民がラクダの呼称を複数持つように、海の民に何通りもの風の呼び名があるように、日本語にこういった言葉はどれほどあるのだろうと思った。すぐに思い浮かんだのは、雨の呼び名だった。次に、夜空を渡る月の呼び名。そう言えば日本には色彩の呼び名もたくさんあることを思い出した。

　この旅の空は、いったい何色なのだろう。きっと、ぼくの生まれた国には、相応しい呼び名の色があるに違いない。でも、今のぼくの語彙にあてはまる色はなかった。

　それはきっと、どこまで行っても振り返ることのできない一度きりの空の色だった。

[1] http://www.transiency.com/images/13pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>誰かの呼び声／チェラティン(2)</title>
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		<pubDate>Tue, 08 Jul 2003 17:57:42 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>マレーシア編</category>

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		<description><![CDATA[　チェラティンの海は驚くほど遠浅で、行けども行けども足先に砂底が当たった。海は南シナ海だった。振り返ると、砂浜が遠くに見えた。あの場所にぼくではない誰かの暮らしがある。そう思った。

　朝、宿の向かい...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　チェラティンの海は驚くほど遠浅で、行けども行けども足先に砂底が当たった。海は南シナ海だった。振り返ると、砂浜が遠くに見えた。あの場所にぼくではない誰かの暮らしがある。そう思った。

 [1]

　朝、宿の向かいの食堂でロティ・チャナイを食べた。これまで食べたどこよりも生地がサクサクとしていた。ハエを追い払いながら食べるのにも慣れた。温かい紅茶を飲み、動作ひとつひとつに時間をかけ、こうして生きている今を確かめながら食事をした。噛みしめると、口中に香ばしい小麦の味が広がった。好きになれる味だと思った。

　帰り際、店の老婦人から果実をもらった。「海で泳いだ後に食べなさい」と老婦人は言った。その手には、赤い果皮に何本も毛のようなものが生えた色鮮やかな果実が並んでいた。ランブータンだった。老婦人はその場でひとつを割り、白い果肉をぼくの口に入れた。穏やかな甘味が優しかった。

　海から吹きつける風が上空を駆け抜け、椰子の梢がザアッと鳴った。風はいつも何かの姿を借りてそこにある。見えないものを感じるために耳や鼻や皮膚があった。この、ぼくの身体にも。

　適当な岩を見つけ、そこに寝転んで空を見上げた。高く迫り出した積乱雲が東の空に浮かび、ゆっくりと南へ流れていった。目の前には空しかなく、聴こえるのは椰子の葉擦れと、潮騒と、風の音だけだった。

　照りつける陽射しに目を細め、肌の上で蒸発していく海のしずくを感じながら、静かに呼吸を繰り返した。想いがひと連なりの場面となって頭をよぎった。これまでの人生で手に入れたものを思い、失ってしまったものを思った。大切にしていたもの、すべてだと思っていたもの。

　けれど、不思議なことに、失ってしまったという記憶の多くを、ぼくはすでに失っていた。あるのはかすかな痛みと、誰かの呼び声だけだ。

　岩に寝転び、潮風に晒されながら、ちりぢりになった思いを掻き集めてはほどき、またばら撒いては掻き集めた。

　そんな終わりのない戯れを、飽きもせず繰り返した。

[1] http://www.transiency.com/images/12pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>届くだろうか／チェラティン(1)</title>
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		<pubDate>Mon, 07 Jul 2003 23:03:26 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
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		<description><![CDATA[　ティオマン島を諦めたぼくに、宿の主人アンワルが東海岸のビーチを教えてくれた。チェラティンという名の小さな海辺の村で、地元の海水浴客も多く訪れるという。
　何があるのかと尋ねるぼくに、主人は笑顔で言っ...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　ティオマン島を諦めたぼくに、宿の主人アンワルが東海岸のビーチを教えてくれた。チェラティンという名の小さな海辺の村で、地元の海水浴客も多く訪れるという。

　何があるのかと尋ねるぼくに、主人は笑顔で言った。「何もないよ。でも、綺麗なビーチだ」と。

　バスはメルシンの船着場を正午に離れ、約３時間で拠点となるクアンタンに着いた。街歩きもそこそこにバスのターミナルを探し、更に２つ乗り継いだ。移動を重ねることで、何かを振り払おうとしていたのかもしれない。

　チェラティン・ビーチに着いたのは、日暮れも間近の時分だった。

　バスの車掌に言われるまま国道の片隅に降り立ち、海を目指して歩いた。まばらに茂る椰子の林の先から、遠い潮の香りがした。百メートルほど歩いただろうか、不意に視界が開けると、そこは一面に広がる南シナ海だった。

 [1]

　引き潮の砂浜にはいくつも浅瀬が現れ、一日の終わりの陽射しが琥珀色に輝いていた。浜辺を、馬に乗った若者達が通り過ぎていく。聴こえるのは椰子の葉擦れと、潮騒と、吹き惑う風の音だけだった。なんだか、自分が地の果てにでも来てしまった気がした。

　ビーチの外れに、いくつもの簡素なコテージが並ぶゲストハウスがあった。一棟ごと単独の部屋になっており、広さや外観も様々だ。ロケーションの良さと、メルシンの宿の主人が言った「何もない」という事実に、心がぐらりと揺れた。遮るもののない一面の空と海の間で眠りたい。そんな夜を、どこかで強く求めていた。

　レセプションに出向き、宿の値段を訊ねた。あいにく最安値の部屋は塞がっているという。次に安い部屋の値段は30リンギット（≒960円）。これだけで、目安にしていた１日1000円に達してしまうことになる。

　最寄の両替所を訊ねると、ここから１ｋｍ以上離れた場所にあるとのことだった。あまり実用的な距離ではなかった。頭の中で財布の中身を数えた。手持ちのリンギットでは、２泊がギリギリの線。こんなことならメルシンでリンギットに換えておけばと少し悔やんだ。３泊したら、ここを離れるバス代すら無くなってしまう。

　２泊する旨を伝え、宿帳にサインをした。国籍の欄に「Japan」と記すと、レセプションの女性は「あなた、アンディ・ラウに似ているわね」と嬉しそうに言った。「アーモンド・アイが可愛いわ」と。

　たぶん、そのアンディとやらは日本人ではないのだろう。香港だか台湾だかの映画スターかもしれない。そんな発言にどう対処してよいか分からなくて、ぼくは何も言わずにうつむいた。

　夕食は近くの屋台で売られていた「目玉焼きバーガー」にした。目玉焼きに、赤タマネギやきゅうりのスライス、ケチャップ、チリソース、これで全部。鉄板でバンズとたまごが調理され、屋台の青年はそれらを仰々しく重ねた。野菜は好きかと尋ねられて素直に頷くと、バーガーの中身はまるでサラダのような状態になった。わずか1.5リンギット（≒48円）という値段だったが、青年はなぜか恥ずかしそうに金を受け取った。そんな慎ましやかな仕草が、不意に胸の奥を突いた。

　コテージのテラスに置かれたテーブルに腰掛け、ペットボトルの水を飲みながら食べた。なんてことのない味だったが、久しぶりに新鮮な野菜を口にできた喜びがあった。野良猫がまた近寄っておねだりをしたが、今回ばかりは分けてあげられるものはなかった。

　テラスで煙草をふかし、じっと夜の海の音を聴いた。虫たちの声に混じり、「チャッ・チャッ・チャッ」とヤモリが喉を鳴らす音も聴こえた。砂浜の果てのずっと先から、礼拝の時刻を告げるアザーンの声が響いた。遠い、異国の祈り。

　褐色の土地で生まれたイスラムという名の宗教が、こうして今、マレー半島の東の海辺に息付いている。その在り方に、言葉では言い尽くせない感慨を覚えた。宗教を持たないぼくにとって、イスラム教もヒンドゥー教もキリスト教も遠い世界の出来事でしかなかった。それはいつでもあちら側にあって、こちら側で輝く光ではなかった。

　それでもなお、こうして見知らぬ土地でぽつんと取り残された時間にいると、いつのまにかアザーンの声に安らぎを感じている自分を見つけた。アッサラーム・アライクム（汝のもとに平安あれ）。きっと、そういうことなのだろう。

　ふと、自分自身の来し方を思った。これまでの暮らしや、生き方や、選んだもの、選ばなかったものたちのことを。あの頃、ぼくが憧れていたのは、いったい誰だったのだろう。自慢できるような人生ではなかったが、それなりに胸を張って生きてきたつもりだった。でも、そこに立っていたのは大人ではなかった。夢を見失った子供が、うつむき、うなだれているだけだ。

　アザーンの声に耳を澄ませた。祈りは、このぼくの胸にも届くのだろうか、と。

[1] http://www.transiency.com/images/11pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>少しの贅沢／メルシン(2)</title>
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		<pubDate>Sun, 06 Jul 2003 23:11:27 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
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			<content:encoded><![CDATA[　メルシンの町はすでに眠りについた後だった。午前０時。仄暗い町明かりの中を文字通りあてもなく歩いた。ひっそりと静まり返る夜の底で、自分のサンダルの音が背後から追いかけてくるように響いた。それは夏の夜の帰り道に似て、少しだけ甘く切なかった。

　大通りに面した「East Coast Hotel」にチェックインできたのは、すっかり日付が変わった頃だった。１ベッドで10リンギット（≒320円）。そんな、破格のドミトリーに決めた。いや、この状況にあっては、他に選択肢はなかった。

　宿の主人は、陽気で親切な人物だった。宿帳にサインをしていると、主人はふと、脈絡もなくこんなことを言った。「こんばんは。私の名前、アジノモトね」と。

　本当はアンワルという名前だったが、日本人にはいつもそう教えているという。たいして面白くもない冗談だったし、リアクションにも困ってしまったけれど、でも、もちろんそれは、主人なりの気遣いだった。「安心してもらいたいんだよ」と、アンワルは続けてマレー語で言った。

　メルシンという小さな海辺の町は、沖合いに浮かぶリゾート・アイランドの中継基地だった。この町を訪れる観光客の多くが、まさに「中継地点」としてここに立ち寄り、長居もせずに離れていく。そんな場所だったからこそ、まるでコーヒーに砂糖とミルクを添えるように、ぼくもまた当たり前の話として、アンワルからティオマン島へのツアーアレンジを持ちかけられた。

　主人の口ぶりには、それほど熱心なものを感じなかった。でも、それより何より、案内されたパッケージツアーの代金が予想以上に高額だったことで、その島への興味がすっと薄れてしまった。サーフィンもダイビングもやらない人間にとっては、さほど魅力のある島とも思えなかった。

　迷っているぼくに、主人はゲストブックを見せてくれた。日本人の書き込みもあるはずだよ、と。言われるままページを繰って目を通してみると、案の定、と言うべきなのか、ティオマン島についての意見は賛否両論さまざまだった。

　曰く、たいして美しい島ではない。曰く、物価がメルシンの倍以上。曰く、深夜までバーの音楽が鳴り響いている。

　もちろん、これらの言葉はみな、他の旅行者が感じた印象だった。ぼくではない誰かが、あくまで個人的な観点から下した評価であって、そこに賛同や批判を差し挟む余地などなかった。

　ひとつ分かったのは、結局、彼らの満足度が支払った金額に比例しているという、あっけらかんとした事実だった。たかだか３円だの６円だの、その程度の差にも敏感になっているような人間にはお呼びのない島なのだ。

＊

　ベッドに寝そべってそんな日記を書いてしまうと、もう他にすることがなかった。とりたてて特徴のないメルシンの街をもう一度歩き、目に付いた中華食堂に入った。すこし贅沢に食事をしようと思った。看板には「肉骨茶（Bak Kuk Teh）」という文字が描かれていた。

　イスラム国家で豚肉を食すのは華人だけなのだろう。店内には香ばしい漢方の匂いが充満していた。一瞬、食堂ではなく処置室に入ってしまったような気がした。

　看板にあった「肉骨茶」を頼むと、出てきたのは土鍋に入ったスープだった。中に、ぶつ切りにされた豚肉や内臓がわんさと入り、中華湯葉と浅葱が散らしてあった。スープはあっさりとしていたが、複雑な風味の中に、八角の匂いが一本の筋のように際立っていた。

　主人に食べ方を尋ねると、親切に教えてくれた。小皿に醤油を取り、刻んだ青唐辛子を投げ込み、スープから肉をつまんでつけて食べるのだという。マレーシアの醤油は塩気が強かったが、これといった香りはなかった。

　それにライスが付き、中国茶がついて６リンギット(≒192円)だった。宿代と比べると、この料理がどれほど高価なものかが分かった。けれど、期待に違わず実に美味しいものだった。がらんとしたメルシンの通りを眺めながら黙々と食べた。腸の中にすりつぶした肝を詰め込んだものが、特に美味しいと思った。スープをすすり、山盛りのライスを頬張り、また肉をつまんで口に運んだ。

　旅に出て、これほどまっすぐに食事が楽しいと感じたのは、これが初めてのように思えた。]]></content:encoded>
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		<title>ぼくの居ない／メルシン(1)</title>
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		<pubDate>Sun, 06 Jul 2003 11:26:31 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>マレーシア編</category>

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		<description><![CDATA[　簡素なパイプベッドが６つ置かれたドミトリーに旅行者の姿はなかった。窓際のひとつを選び、何もない午後はからだを投げ出して天井を見上げた。
　ときおり、ぐるんぐるんと緩慢に回るファンの羽音が心拍に重なる...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　簡素なパイプベッドが６つ置かれたドミトリーに旅行者の姿はなかった。窓際のひとつを選び、何もない午後はからだを投げ出して天井を見上げた。

　ときおり、ぐるんぐるんと緩慢に回るファンの羽音が心拍に重なることがあった。内と外がひとつのリズムになる。そんな時、現実がふっと揺らいで、虚と実の境目にある薄い膜に届いたような気分になった。今ぼくはそこに横たわっている、と。

 [1]

　旅に出て２度目の日曜日だった。もうすでに、７つの夜と７つの朝を異国で迎えていた。でもそこに旅の高揚感といったものはなかった。奇妙なあきらめと退屈を、砂を噛むような思いで味わっているだけだ。手応え。手応え。そんなものを求めて旅に出たわけではなかった。何かを求めて旅に出たわけでは。

　朝、あてもなくメルシンの町を歩いた。歩くだけで一通りのものは見て回ることができた。名所があるわけではない。他のマレーシアでも見かけた町並みが無造作に転がっているだけ。飲料水を求め、煙草を吸い、空を眺め、少しのやりとりをマレー語で為し、目に付いた食堂で簡素な食事を済ませた。どこへ行ってもひとりだった。どこへ行っても。

　この旅の果てにぼくが手に入れることができるものなど、おそらく何もないのだろう。誰ひとり、自分自身を手に入れることができないのと同じように。

　かつて、心療内科の医師はぼくにこう告げた。自分を大切にすることだけを考えなさい。もっと自分を大切にしなさい、と。けれどぼくはそれを上手に飲み込むことができなかった。頭では理解していた。でも、それだけだ。自分を大切にするだなんて、あまりにも漠然としすぎている。

　窓の外から子供の泣く声が聴こえた。切り裂かれた思い出を必死になって掻き集めるような声。でも、その悲しみの底にあるものを、ぼくは察することすらできない。

　目を閉じると東京の街並みが浮かんで消えた。ぼくの居ない場所で、今、雨が降っているかもしれない。そんな想いに駆られた。

　柔らかく肌を濡らす７月の雨の温もりを思った。

[1] http://www.transiency.com/images/10pl.jpg]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>胸の壁／クルアン</title>
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		<pubDate>Sat, 05 Jul 2003 21:24:55 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>マレーシア編</category>

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		<description><![CDATA[　昨夜の疲れが出たのかもしれない。
　マレー半島の東海岸、メルシンという町へ向かうバスに乗った。１２時４５分発だった。出発してまもなく深い眠りに落ちた。小刻みなバスの揺れが心地良かった。頬に当たる陽射...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　昨夜の疲れが出たのかもしれない。

　マレー半島の東海岸、メルシンという町へ向かうバスに乗った。１２時４５分発だった。出発してまもなく深い眠りに落ちた。小刻みなバスの揺れが心地良かった。頬に当たる陽射しが、誰かの温もりに似ていた。

　気がつくとバスは大きなターミナルに停まっていた。車内に運転士の姿は見当たらず、乗客は誰ひとり残っていなかった。３時４５分。

　何の疑問も抱かずにバスを降り、町をさまよい歩いた。しばらく歩いた後でも、ここがメルシンという町であることを信じて疑わなかった。通行人に何度かツーリスト・インフォメーションの場所を訊ねたが、そんなものはここには無いというのが大方の返事だった。それでもまだ自分はメルシンにいると信じていた。屋台で野菜サンドを求め、水を飲み、煙草を吸い、巨大なデパートの影に腰を下ろして荷物を地面に放り投げた。

 [1]

　町はどことなくよそよそしく、通りを行く人々の目には奇妙な暗さが混ざっていた。道の外れにはコンクリートのベンチが幾つか並び、背後には投げやりな街路樹が手入れもされずに立ち並んでいる。

　ふいに視線を投げた向かいのベンチで、ひとりの少女が泣いていた。まだ１０才にも満たない、煤けた衣類をまとった少女だった。彼女のすすり泣きが、喧騒の隙間で途切れ途切れに聴こえた。それはまるで、ぼく自身の内側から聴こえる涙のようだった。ふと、立ち上がろうと思った。そうすべきだと思った。けれど、立ち上がることができなかった。

　目の前に伸びる大通りには、ひっきりなしに車が行き交っていた。壁にもたれて、しばらくそんな景色を眺めた。みんなどこかへ行こうとしていた。ここではない、どこかへ。遠ざかる自動車の後ろ姿に、行き場のない思いを重ねた。

　車道の脇には通りの名を示す看板があり、別の看板には主要都市までの方向が矢印で示されていた。マラッカ。アイル・ヒタム。メルシンへはこの大通りを左に進めばよかった。そうか、メルシンへは……。

　頭から水を浴びせられたような気分だった。

「なぜメルシンにいて、メルシン行きの表示がある？」

　慌てて立ち上がり、バスターミナルの窓口へ戻って町の名を訊ねた。思った通り、カウンターに居た女性が口にしたのは「メルシン」という響きではなかった。ここは、クルアンという名の町だった。

　マラッカで買ったチケットを見ると、確かにクルアンを経由する旨が書かれていた。間違えて途中下車をしていたことになる。カウンターの女性にメルシンまでのチケットを見せ、この愚かな過ちを伝え、料金を支払っている事実を訴えた。彼女は露骨に呆れた顔を見せたが、このチケットで次のメルシン行きのバスに乗っていいと言った。新たにチケットを買う必要はない、と。

　けれど、礼を言った後で聞かされたのは、次のメルシン行きのバスが午後９時発だという事実だった。時計を見ると、まだ４時半にもなっていなかった。全身の力が抜ける気がした。この場所であと４時間以上も何をしろと言うのだろう。

　チケットカウンターを離れ、道端にしゃがみ込んだ。肌にまとわりつく熱気も、誰かの話し声も、どこからか聴こえる浮ついた英語の歌も、何もかもが疎ましかった。帽子を目深にかぶり、誰とも目を合わせまいと地面に視線を落とした。鼓動が、いつになく速くぼくの胸の壁を打っているのが分かった。

　紙屑の散らばった舗道の縁に、どこからか蜻蛉が飛んできて止まった。両手を祈るように口の前で合わせ、目を細め、薄い蜻蛉の羽根をじっと見つめた。蒸すような熱気が全身を包み、頬を伝う汗がしずくになってあごの先からポトリと落ちた。

　目を閉じて大きく息を吐いた。あと４時間も、ここで何をしろと言うのだ。

[1] http://www.transiency.com/images/09pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>ため息の予感／マラッカ(3)</title>
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		<pubDate>Fri, 04 Jul 2003 20:19:49 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>マレーシア編</category>

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		<description><![CDATA[　９時過ぎに目を覚まして水シャワーを浴びた。欠伸にまで昨夜のビールの味が残っていた。太陽の熱で温められたシャワーの水を全開にして頭からかぶった。髪の毛を伝って落ちる水には遠い夏の香りがした。
　宿のバ...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　９時過ぎに目を覚まして水シャワーを浴びた。欠伸にまで昨夜のビールの味が残っていた。太陽の熱で温められたシャワーの水を全開にして頭からかぶった。髪の毛を伝って落ちる水には遠い夏の香りがした。

　宿のバルコニーで遅めの朝食。宿泊料金に朝食は含まれていなかったが、スタッフのシティがロティ・チャナイを用意して待っていてくれた。こんな扱いを受けてしまうのにはそれなりの理由があったように思う。時折ぼくは彼女と他の旅行者との間に立ってインドネシア語と英語の通訳をした。

 [1]

　彼女はインドネシアから働きに来ていて、まだあまり英語が得意ではなかった。

　彼女はうまく説明できないと決まって「ノー･プロブレム」と言った。そう言ってうやむやにすることで何かをやり過ごそうとしていたのだろう。だからぼくがインドネシア語を解することが分かると、彼女はそういう場面にぼくを呼んだ。腕を引かれ、他の旅行者の前に引っ張り出され、ぼくはいつも少しだけあたふたした。

　実際のところ通訳が勤まるほど両者に堪能だったわけではなかった。あるのは伝えようという気持ちだけだ。表現が正しいかどうかさえ本当はよく分からなかった。

　それでも彼らにとってぼくは都合のいい存在だったのだろう。彼女に代わって道順を教え、彼らの質問をインドネシア語に直し、宿における細々とした「決まり」を伝えたりした。共用の冷蔵庫に何かをしまうときには必ずマジックで名前を書くとか、その程度のことだ。

　シティが朝食を用意して待ってくれている。

　サクサクのロティをちぎり、小皿に入ったカレーに浸して食べた。スパイスの香りとロティの軽い歯ざわりが口いっぱいに広がった。爪の間にカレーが入り込むのも構わずに食べた。そんなぼくの姿をシティが楽しそうに眺めている。

「おいしい？」

「おいしいよ、ありがとう。」

「ううん、いつも手伝ってくれるから」

　彼女はどれほどぼくに助けられているかを訥々と伝えてくれた。インドネシア語を使えないもどかしさが、きっと異国での暮らしの中で大きくなっていたのだろう。もっと一緒にいてくれたら私も英語を覚えられるのに。シティはそんなことを言って寂しそうに笑った。

　ロティを口に運び、何も言わずに小さく頷いた。途切れがちに言葉をつなぐシティの声を、ぼくは小さく折りたたんで胸の奥に仕舞った。

　明日マラッカを発とう。ふとそう思った。いつだって心を残したまま立ち去るべきだ。ここに留まることはできない。また来ると言ったら、それはきっと嘘になってしまう。

　シティがぼくの姿を嬉しそうに眺めている。「おいしい」と伝えるぼくに、彼女はまた恥ずかしげな笑顔で頷く。

　こんな朝が毎日欲しいと思った。

　＊

　夕暮れを過ぎてから屋上に登り、飽きもせずに街の姿を眺めた。時折吹き付ける強い風がマラッカ海峡の潮の香りを運んだ。煙草をふかし、雲を眺め、風の音を聴いた。かつて港町として栄えたこの土地の歴史にとりとめもない思いを馳せたりした。

　昨日の夜、同宿の日本人の青年からこんな言葉を聞いた。街の一角に航海の途中で命を落とした船乗りたちの墓地があり、墓石にはこんな文字が刻まれていたという。死は“gone”でも“dead”でもなく“departed”だったよ、と。

　明日の朝マラッカを発とうと思う。ぼくはこの街を好きになりかけている。雑然とした街に息づく光と影。様々な匂いや音や息遣い。あの慎ましやかな笑顔の奥には、懐かしさとも切なさとも違う何かが溢れていた。

　明日の朝、マラッカを発とうと思う。

　見上げると、雲が西から東へと流れていた。頭上には骨のように白く澄んだ上弦の月が輝いていた。

[1] http://www.transiency.com/images/08pl.jpg]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>夕陽に溶ける／マラッカ(2)</title>
		<link>http://www.transiency.com/12</link>
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		<pubDate>Thu, 03 Jul 2003 22:04:59 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>マレーシア編</category>

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		<description><![CDATA[　行き先も決めずに歩いた。マラッカ川に沿って歩いたりもした。潮の香りが鼻腔の奥をくすぐり、遠くで溜息のような潮騒が聴こえた。マラッカの街は奇妙に入り組み、辿り着けそうでなかなか海に辿り着けない。それで...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　行き先も決めずに歩いた。マラッカ川に沿って歩いたりもした。潮の香りが鼻腔の奥をくすぐり、遠くで溜息のような潮騒が聴こえた。マラッカの街は奇妙に入り組み、辿り着けそうでなかなか海に辿り着けない。それでも、太陽の角度が無くなるまで歩いた。路地を抜け、木立の中を進み、迷いながら。

　草陰の盛土を越えると、鋭角の岩が重なる浜へ出ることができた。

　目の前に広がるのはマラッカ海峡だった。前方にブサル島が霞んでいる。目を凝らすと、はるか沖を行くタンカーの姿が見えた。波に目をやると潮の流れが分かった。海が流れている。海が流れている。こんなにはっきりと流れる海を見たのは初めてだと思った。

　＊

　教会の前を過ぎ、赤壁の続く旧市街を抜け、小さな橋を渡った。対岸は華人の暮らす地区だった。骨董を扱う店が軒を連ね、中国寺院があり、いたるところから線香の甘い香りがした。

　河口近くの土手を下り、小さな舟の停泊する一角に座って膝を抱えた。目の前を腐乱した魚の遺骸が流れていった。もう何も映らない白濁した魚の眼球をじっと見つめた。「もうその目で何も見なくて済むんだ」と思いながら。

　太陽が少しずつ雲に覆われ、ぼく自身の影が薄くなり、やがて消えた。ずっと、遠くの空ばかり見ていた。海峡から吹く風が潮の香りを運んだ。涙がこぼれ落ちそうになるのを、必死にこらえた。

　＊

　夕暮れを待って宿を出た。屋台で温かい紅茶を頼み、グラスを両手で抱えながら、誰にも届けることのできない想いを何度も胸に描いては沈めた。

 [1]

　セント・ポール教会の丘に登り、海峡に沈む夕陽を眺めた。夕暮れの空が美しいのは、それが今日という一日に別れを告げているからかもしれない。夕焼けは美しく、甘く、痛みを喚び起こす。かつて、同じように稲村ヶ崎から見つめた夕陽と、その時ぼくの心にいた女のことを思い出した。胸が締め付けられるような苦しさを覚えた。

　すべてを赤く溶かしながら、太陽は激しく燃え尽きていった。遠くで礼拝の時間を告げるアザーンの声が聴こえた。遠い、異国の祈りを思った。

[1] http://www.transiency.com/images/07pl.jpg]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>この先にいる誰か／マラッカ(1)</title>
		<link>http://www.transiency.com/11</link>
		<comments>http://www.transiency.com/11#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 02 Jul 2003 14:15:53 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>マレーシア編</category>

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		<description><![CDATA[　朝８時に目覚め、宿の近くの屋台で朝粥を食べた。2.3リンギット（≒70円）。その足で、中華街の外れの朝市へ向かった。
　朝市は路地を埋め尽くすように広がっていた。道幅は、人ひとりがすれ違える程度だ。...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　朝８時に目覚め、宿の近くの屋台で朝粥を食べた。2.3リンギット（≒70円）。その足で、中華街の外れの朝市へ向かった。

　朝市は路地を埋め尽くすように広がっていた。道幅は、人ひとりがすれ違える程度だ。鋭角に降り注ぐ朝の陽射しは迫り出した梁にすっかり遮られ、路地はまさに薄暗い迷路だった。

　目の前で、子供の豚が解体されていく。羽をむしられた鶏がナタで半分に割られ、様々な魚があっけないほど簡単に頭を落とされていく。足元には血の滲んだ水たまりが広がり、足を動かすたびにその水がぴちゃぴちゃと音を立てた。生臭さが鼻腔の奥を突き、こめかみに鈍い痛みが走った。

　日々の暮らしと言えばそれまでだったが、こんなふうに、目の前でけものたちの臓物を何種類も見せられてしまうと、奇妙な居心地の悪さが胸を埋め尽した。

殺めることへの罪悪感とか、嫌悪感とか、そんな薄っぺらなものではない。ぼくは、どれほどの期間、処理された「食材」に馴らされてきたのか。解体され洗浄され包装されたけもの達の元の姿を、ぼくはどれほど知っていたのか。

　隠蔽されていたのは解体の現場ではなく、きっと、ぼくの暮らしだったのだろう。

　写真を撮ることも、立ち止まってじっくり手許を見つめることもなかった。ひとつの風景として、この薄暗い解体現場の匂いを受け止めようとした。頬を撫でる冷ややかな空気の、その湿り気を、ずっと先まで覚えていようと。

　朝市は唐突に終わりを告げた。暗がりの迷路の先は、眩いばかりの朝の陽射しに満ちていた。熱を帯びたアスファルト、排気ガスの匂い、自動車やバイクのエンジン音、足早に通り過ぎる勤め人たち。明と暗の強烈なコントラストの中で、街は、朝という名の始まりの鐘を強く打ち鳴らしていた。

　＊

　プドラヤ・バスターミナルを午前10時に発車したバスは、マラッカへ向けてハイウェイを南下した。長距離バスのシートに深く身を沈め、車窓の景色をぼんやりと眺めた。自分は今、点と点を結ぶ一本の線上にいるのだと思った。

　マラッカのバス・ターミナルに降り立つと、数人の客引きに一斉に声をかけられた。全員が宿のスタッフたちだったが、彼らはみな穏やかで、声を荒げたり表情を強張らせることはなかった。クアラ・ルンプールの宿で「Sunny's Inn」という宿が評判だと耳にしたから、その宿のスタッフに会えるかとも思った。しかし、ここにはいないようだった。

　別の宿のスタッフに案内チラシを手渡された。いびつな手書きの文字が優しかった。ひとまず歩きたいと伝えるぼくに、彼は笑顔で裏面の地図を指差した。「分かるかな、今、ここのバスターミナル。」

　コピーを何度も繰り返して掠れてしまった線を、彼の指先が辿っていく。「ここから先が、海。ここが病院で、隣りがショッピング・モール。それから……」

　そのまま頷いていたら、すべての場所を示してくれそうなほどだった。慌ててありがとうを告げ、彼の指が辿った地図上のラインを頭の中でなぞった。「ありがとう。大丈夫だと思う」。そう答えると、彼は満面の笑みを浮かべて言った。「あとでまた、きっと会おう」と。

　結局、宿を決めるまで２時間ほど歩いた。

　マラッカの町は、時代から取り残されたような中華街だった。商店は回廊のようなアーケードでつながり、崩れかけた舗道はしっとりした日蔭の匂いに満ちていた。交差点を横切り、気まぐれにアーケードを行ったり来たりした。すれ違う人々と視線が合うと、彼らはみな静かな微笑を返してくれた。そのたびに、ふっと呼吸が楽になるような気がした。

　視界がぱっと広がった先に、赤壁の建造物があった。周囲にはトライショーの親父たちが、派手なデコレーションを配したシートの中で陽気に寝そべっていた。彼らに倣って、花壇のヘリに横になって空を見上げた。穏やかな風が肌を撫で、自然と眠気に誘われた。空は、突き抜けるように青く澄み、果てがなかった。

　うつらうつらとしていると、トライショーの親父のひとりに声を掛けられた。人懐っこい笑顔がまぶしかった。この建物が「スタダイス」と呼ばれるオランダ様式の建造物であること、隣りのキリスト教会がマレーシア最古の教会だということなどを聞いた。頷きながら、自然と笑顔になっていた。そんな自分に気付いたのは旅に出て初めてだった。

　チェックインした「Shilah's Guesthouse」には日本人の青年が泊まっていた。昨日マラッカに着き、同じようにバス・ターミナルでチラシをもらったという。大阪から新鑑真で上海に入り、インドシナ半島、マレー半島と旅をしていた。旅は既に３ヶ月になっていた。

 [1]

　青年に誘われ、宿の屋上に昇ってマラッカの町を眺めた。共にビールを飲み、煙草をふかし、彼が過ぎてきた町の話に耳を傾けた。彼の心にある静かな強さが好きだった。これほど澄んだ眼差しを見たのは、本当に久しぶりだった。

　彼の話に耳を傾けながら、胸の奥で何かが疼くのに気付いた。いつのまにか固く閉ざしてしまったものや、大切にしたかったのに出来なかった思いや怒り、悲しみの色。そんな何もかもが、異国の空の下ではっきりとした像を結んだ。でも、それを取り出して差し出せる術はなかった。

　暮れていくマラッカの空を見上げながら、心の中で小さく呟いた。この先にいる誰かより、いつか、自分自身に出会いたい、と。

　隣りを向くと、青年はビールの飲み口をぼんやりと見つめていた。

[1] http://www.transiency.com/images/06pl.jpg]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>傷痕／クアラ・ルンプール(5)</title>
		<link>http://www.transiency.com/10</link>
		<comments>http://www.transiency.com/10#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 01 Jul 2003 23:01:23 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>マレーシア編</category>

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		<description><![CDATA[　ローカル・バスは猛スピードで北へ疾走した。行き先は「バトゥ・ケイブ」と呼ばれるヒンドゥー教の聖地だった。
　乗り込む際、バス停で何人かに声を掛けて回った。インド系マレーシア人を選んだからかもしれない...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　ローカル・バスは猛スピードで北へ疾走した。行き先は「バトゥ・ケイブ」と呼ばれるヒンドゥー教の聖地だった。

　乗り込む際、バス停で何人かに声を掛けて回った。インド系マレーシア人を選んだからかもしれないが、彼らはみな穏やかに笑って、期待した以上のこたえを返してくれた。No.69で40分、1.6リンギット（≒52円）。

　バスの車窓には長閑な農村地が広がり、ぽつりぽつりと民家の集まる場所があり、おそらくはスズの採掘場だろう大きなプラントが点在していた。向かいに座った初老の男性に声を掛け、もう一度「バトゥ・ケイブ」に行きたい旨を伝えた。「あと10分ぐらいだよ」と笑う男性の目には、繭のような柔らかな光があった。

　一歩、敷地内に足を踏み入れただけで、もう既に圧倒されている自分がいた。山肌をえぐるように大きな洞窟が口を開け、その喉元へ向かって急峻な階段が続いている。バトゥ・ケイブ。

 [1]

　洞の中は予想以上に広く、天井のあちらこちらから陽光がこぼれ落ちていた。光の羽衣に包まれるようにして、ヒンドゥー教の小さな祭壇が建っている。洞の一番奥には空の見える広間があり、そこにもまた小さな祭壇がひとつ。

　ヒンドゥー教について、ほとんど何も知らなかった。すぐに思い出せるのは、授業で習ったいくつかの神の名前だけだ。シヴァ、ビシュヌ、ラマ……。ドゥルガ、ガネーシャ、クリシュナ……。

　けれども今、高みに昇り、こうやって神々の塑像と向き合っていると、心の内側でひとつのイメージが像を結んだ。静かなたかぶりを見せながら、その断片はやがて確固とした風景をかたちづくっていく。

　茫漠と広がる荒野に置き去りにされた、死。甘い香りがする。それはどこか、安息の地に似ている。

　しばらくバトゥ・ケイブの周囲を歩いたが、何かを直視するのがつらくなっていた。そんな風景が居座ったままでは、何もかもが心を通り過ぎてしまう。暑さに耐えかね、目に付いた木陰に腰を下ろして煙草を吸った。ポケットの奥でくしゃくしゃにねじれた煙草の姿に、また何かを重ねようとして、すぐにやめた。

　空腹を感じていたわけではなかったが、近くの食堂で遅めの昼食にした。オープンエアのテーブルから、通りを行く車のわき腹ばかりを見つめた。通り過ぎるのはスクール・バスばかりで、市内へ戻りそうな路線バスは１台も通らなかった。

　ふと、数十分後に自分が取るであろう行動が頭に浮かび、ひどく寒々しい気分になった。舗道に出て誰かをつかまえ、バス停の位置を尋ね、ペットボトルの水を飲み、空を眺め、待ちくたびれ、どうにかバスに乗り込んだとして、またシートに身を沈めて窓の外を睨みつけるだけ。これが、ぼくだ。こんな行為の中に何があるのか、さっぱり分からなかった。

　冷め切った「ナシ・アヤム」を口に押し込みながら、思いがぐるぐると渦巻くのを野放しにした。食堂には２匹の猫がいて、うち１匹が足に擦り寄って甘えた声を出した。しばらく、それさえもされるがままにした。

　すねのあたりに温かな感触が伝わる。やがてチクリとした痒みが走る。蚤か。慌てて足をずらすと、猫または身体を摺り寄せて甘えた声を出す。再び、チクリ。

　テーブルの下で他愛のない攻防を繰り返したが、結局、折れるのは人間の方だった。食べていたチキンの肋骨の部分を、ごっそりとテーブルの脇に落とした。猫はもう一度甘えた声を出し、美味そうに骨にかぶりついた。薄汚れた、淡い栗色の背中。

　思わずぼくは息を飲んだ。身体を少しねじるようにして骨にかぶりつく猫の身体に、大きな傷痕があったからだ。左脚の付け根から背中にかけ、赤く爛れた傷がジグザグに走っていた。傷がつっぱるのか、時折、猫はバランスを崩しかけ、その度によろめきながら体勢を立て直した。

　小さく溜息をこぼした。こういう場面に出くわしても、ぼくに出来ることは何ひとつない。胸の奥が痛んだが、その痛みを表せる言葉さえなかった。

　結局、きれいに食べつくすまで見届けた。してやれることなんて何もないんだと自分に言い聞かせながら。食べ終えて満足したのか、猫はよろよろとテーブルを離れていった。そんな後ろ姿を見つめて、また、小さな溜息をついた。

　視線をテーブルに戻すと、食べかけの皿の上に無数のハエがたかっていた。本当は食べたくなんてなかった。当たり前だ。それなのに、握りこぶしでテーブルを叩いてハエを追い払い、干乾びたスプーンをライスに滑り込ませた。米粒のひとつひとつが、ぜんぶ蛆虫みたいに思えた。

　目を閉じて米粒を一気に頬張り、何度も噛み締めた。何度も、何度も、確かめるみたいに。


[1] http://www.transiency.com/images/05pl.jpg]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>光の色／クアラ・ルンプール(4)</title>
		<link>http://www.transiency.com/9</link>
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		<pubDate>Tue, 01 Jul 2003 22:48:05 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>マレーシア編</category>

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		<description><![CDATA[　ゲストハウスの出入口は鉄格子で、壁の高いところには監視カメラが設置されていた。スタッフはしきりに「セキュリティ」と口にしたが、正直、あまり気分のいいものではなかった。
　外から戻ってきたときには、格...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　ゲストハウスの出入口は鉄格子で、壁の高いところには監視カメラが設置されていた。スタッフはしきりに「セキュリティ」と口にしたが、正直、あまり気分のいいものではなかった。

　外から戻ってきたときには、格子の脇のブザーを押さなければならなかった。にじり寄るような視線が監視カメラから放たれ、その都度ぼくは不器用に硬直した。

　そして、唐突に開く鉄格子。ガチャリという冷えた金属音には、いつでも審判のような重みがあった。

　それでも宿の居心地は悪くはなかった。収容所のようなドミトリーではあったが、誰かの気配を感じながら眠り、目覚めることに不思議な安らぎがあった。暗黙のうちに交わされた穏やかな無関心さが、かえって心地良かった。

　今朝もまた８時に目を覚まし、寝ぼけ眼のまま熱いシャワーを浴びた。髪をくしゃくしゃに洗い、首筋に湯を当て、目を閉じて丹念に歯を磨いた。弾ける水の音に耳を塞がれ、掴みかけた何かが、また、ふっと遠のいていく。

　シャワーの音の中で「おはよう」と小さく声に出して言った。誰に対してでも、自分自身に対してでもなく。

　濡れた髪のまま外へ出ると、街は既に濃密な湿り気の中にあった。底を這う熱気の中を、泳ぐような気分で歩いた。舗道の脇に小さなインド料理の屋台を見つけ、一番値段の安かった「ロティ・チャナイ」というものを注文した。0.7リンギット（≒23円）。もはや値段ではなかった。

　ロティと呼ばれるサクサクのパンは「ナン」のクリスピーな部分だけを集めたようなものだった。ロティを手でちぎり、さらさらのカレーに浸して食べる。とびきり美味しいわけではなかったが、軽い歯触りがこんな朝に似合っていた。小麦の味を噛み締めながら、今日これからのことを思った。

　捨てられた紙屑が風に弄ばれ、乾いた音を立てて転がっていく。

　今朝は昨日ほど暑くはなかった。身体が暑さに慣れてきたのかもしれない。青く広い空に、ちぎった綿のような雲がひとつ。頬に触れ、髪を揺らす風はなかった。

　相変わらず目的も何もなかったから、中華街へ足を運んでみたり、その一角に脈絡もなく聳え立つヒンドゥー寺院を眺めたりして過ごした。神々が鋳込まれた青い壁を見上げていると、それだけで言葉が奪われていく気がした。

　途中、小さなアクセサリー屋でリングを買った。「MOON RING」と呼ばれるものらしく、温度によって表面の色が変化した。冷たいうちはくすんだエメラルド色で、温まるにつれて瑠璃色が差す。欲しい、というわけではなかった。夏祭りの露店にでも並んでいそうなそのチープさに惹かれた。

　いつクアラ・ルンプールを発とうか迷っていた。次の場所は、北か。それとも、南なのか。泊まっていたゲストハウスはチェックアウトが12時で、連泊するにしても、その時間までに申告して今日の分を支払わなければならなかった。

　リミットまで、あと２時間ほど。

 [1]

　セントラル・マーケットの一角に腰を下ろし、意味もなく人の流れに目をやった。昨日もおとといも、こんなふうにして時を過ごした。気がつくと、いつだって何かを見つめている。位置や、その関係性を把握するためなどではなく、ただそこにあるという事実を確かめるために、視線をどこか適当な場所へと放っていた。

　いや、本当にそうなのだろうか。ぼくが見つめていたのは、眼球と対象とのあいだに漂う、この湿った空気だけではなかったか。

　何度考えても、自分が今マレーシアにいる事実に馴染めなかった。異国にいる、という高揚感さえなかった。マレー語がそこそこ通じてしまうのもあっただろう。インドネシア語をベースに、助動詞や形容詞を替えるだけでことは足りた。商談に来ているわけではなかったし、正確な発音や表現を期待されているわけでもなかった。

　結局、もう１泊することに決めた。

　宿のロビーに座り、連日繰り返されるＣＮＮの対イラク報道を睨みつけながら、それでも12時ぎりぎりまで迷っていた。なぜこの場所に留まるのか、本当のところはよく分からなかった。分からないからこそ、まだここに居続けるべきだと思った。

　祈るように両手を合わせた。

　指先に触れた左手のリングが、ふと、ため息をこぼすみたいに、瑠璃色の小さな光を放った気がした。

[1] http://www.transiency.com/images/04pl.jpg]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>静かな微笑み／クアラ・ルンプール(3)</title>
		<link>http://www.transiency.com/8</link>
		<comments>http://www.transiency.com/8#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 30 Jun 2003 16:29:49 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>マレーシア編</category>

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		<description><![CDATA[　朝８時に起き出して宿の周りをぶらついた。街角から揚げ油の匂いや香ばしいスパイスの匂いがした。勤め人たちも屋台で朝食を摂っているようだった。
　昨夜「Chan Sow Lin」駅から降り立ったのは「M...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　朝８時に起き出して宿の周りをぶらついた。街角から揚げ油の匂いや香ばしいスパイスの匂いがした。勤め人たちも屋台で朝食を摂っているようだった。

　昨夜「Chan Sow Lin」駅から降り立ったのは「Masjid Jamek（ジャメッ・モスク）」という名の駅だった。高架のたもとで二本の川が交差し、その三角形の先端にジャメッ・モスクが建っている。

　入口の門は閉ざされていたが、格子の隙間から管理人らしき老人を見つけ声をかけてみた。「Bolehkah saya masuk ke dalam? Dan pakaianku baik?（中に入ってもいいですか？　それから、この服装でも大丈夫ですか？）」

　ムスリムでなければ礼拝所の中には入れないと言われたが、モスクの敷地内は見学することができた。小ぢんまりとしたモスクではあったが、天井の高い礼拝所が男女それぞれに用意され、脇には身体を清めるための水浴場があり、頭上にはマカロンのような形の屋根が並んでいた。

　モスクの中に入ったのは、これが初めてのことだった。

 [1]

　カフェオレ色の川がモスクの両脇を流れていた。敷地内にぽつんと置かれたベンチに腰を下ろし、川の流れと、風に鳴る椰子の葉擦れに耳を澄ませた。見上げると雲ひとつない青空が広がっていた。これが青なのだろうか、青なのだろうかと、そう思った。

　ジャメッ・モスクからさらに北へと歩いた。金融街なのか、銀行や証券会社の大きなビルが立ち並び、はるか向こうにペトロナスのツイン・タワーが見えた。ジリジリと焦げ付くような陽射しの下、川の流れとは逆の方向へと歩き続けた。

　Tuanku Abdul Rahman 通りに入ると、そこはインド人街だった。宝飾店や布地を扱う店が軒を連ね、屋台から漂うターメリックやカルダモンの匂いがひとつの厚い層になって街の底を流れていた。

　インド人街のはずれで、マレー系の婦人が二人で切り盛りをしている屋台に入った。午前10時の朝食。隣りですでに食べていた青年に尋ね、彼と同じ「Nasi Goreng Ayam」を注文した。山盛りの炒飯にフライドチキンが乗り、鶏の風味の利いた玉ねぎスープが添えられ、わずか３リンギット（≒96円）という安さだった。

　熱々のライスを頬張り、揚げたてのチキンにかぶりついた。決して豪勢な食事ではなかったけれど、生きるという行為の根源に触れたような美味しさだった。

　食事を終えたあとも、特に目的もなくインド人街をさまよい歩いた。歩くのに疲れると、舗道の脇に腰を下ろして煙草を吸った。空はどこまでも青く、行くあてもなく、そして、排気ガスと街の喧騒がこの空と地上の間すべてを覆いつくしていた。まるで濃密なゼリーに沈められた一片の果実にでもなった気分だった。

　交差点の傍らに右足の膝から下を失った物乞いの青年がいた。ぼくと同じぐらいの年齢に思えた。小銭を入れたプラスチックのカップを左手に持ち、右手にサンダルをはめて腰を浮かすように前へ進んでいた。通りを行く何人かが彼にコインや紙幣を手渡していく。無言で小銭を受け取る青年の目には、けれど、どこか思慮深い光が宿っていた。それは「赦し」というものかもしれなかった。

　カップの中の小銭をかき集めると、彼は屋台のくだもの売りからパパイヤを一切れ買い、木陰の中に移動して食べ始めた。何度か彼と目があってしまったが、そのたびに彼は柔らかな笑顔をぼくに向けた。金をせびるわけでも目を反らすわけでもなく、彼はただ、静かな微笑みを浮かべてぼくをまっすぐ見つめていた。

　どうしてそんなことをしたか分からない。けれど、いつの間にか彼と同じように舗道へ直に座り直していた。彼の見る街はいつもこの高さからなのだ。

　「Langitku Rumahku（ぼくの空、ぼくの家）」。

　ぼくはいったいここで何をしているのだろう。ふと後ろを振り返ると、強烈な陽射しが路地の壁に遮られ、舗道の真ん中に大きな鋭角の影を作っていた。

[1] http://www.transiency.com/images/03pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>宙吊りの／クアラ・ルンプール(2)</title>
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		<pubDate>Sun, 29 Jun 2003 23:04:52 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>マレーシア編</category>

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		<description><![CDATA[　チェックインしたのはプドラヤ・バスターミナルのはす向かいにある小さなゲストハウスだった。通された６畳ほどのドミトリーには二段ベッドが無造作にふたつ置かれ、１ベッド１泊、わずか10リンギット（≒320...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　チェックインしたのはプドラヤ・バスターミナルのはす向かいにある小さなゲストハウスだった。通された６畳ほどのドミトリーには二段ベッドが無造作にふたつ置かれ、１ベッド１泊、わずか10リンギット（≒320円）だという。

　４つのベッドのうちの１つには韓国の女子大生が泊まっていた。ジェニー。そう呼ばれている。もうひとつのベッドにはポルトガルの青年が、さらに、ぼくに用意されたベッドの下にはイギリスの初老の男性が泊まっていた。「でも、明日チェックアウトするけど」と。

　そんな説明を耳にしながら、ぼくは天井の四隅のひとつをぼんやりと見ていた。この部屋で寝起きをしてきたかつての旅行者たちの気配が、その場所にぎゅっと凝縮されている気がしたからだ。ため息のように連なる綿ボコリが天井から吐き出されるクーラーの風になびいていた。

　まだ随分と年若い宿のスタッフに「どうする？」と訊かれた。とっさにどう答えてよいか分からず、なんとなく「I try」と口にした。その言葉に彼は頷いただけで、それ以上何も言わなかった。

　荷物をベッドに放り投げ、共用のシャワールームで汗を流した。洗面台のシンクに水をため、汗に濡れたシャツをざぶざぶと洗った。鏡の脇に「drinkable」と書かれたプレートを見つけ、おそるおそる蛇口の下に両手を添えて水道水を飲んだ。たいして美味しい水ではなかった。子供の頃の夏の午後のような味だ。しばらくカランの鳴る音に耳を澄ませた。

　夕食用に宿のそばの屋台で「ナシ・レマッ・ビアサ」という弁当を買い、宿のロビーで黙々と食べた。発砲容器にバナナの葉が敷かれ、その上にライス、炒ったピーナツ、大根の酢漬け、目玉焼きが無造作に載せられ、さらに猛烈な辛さの唐辛子ソースが掛かっていた。わずか２リンギット（≒64円）という安さだった。

　サンバルソースで赤く染まったライスを頬張ると、みるみるうちに汗が噴き出した。種々のスパイスが舌を刺激し、辛いのか痛いのか区別に迷うほどだった。ピーナツを奥歯でゆっくりと噛み砕いだ。口中に広がる香ばしい甘みにふっと救われた気分になった。

　ロビーに置かれたテレビはＣＮＮを流していた。年増の女性キャスターがイラク国内の反フセイン派の情勢を伝えていた。

　洗濯物を吊るしたハンガーをベッドの枠に引っ掛け、コンタクトを外し、歯も磨いてしまうと、もうこれ以上することがなかった。誰一人戻ってこない空っぽのドミトリーのベッドでぼんやりと明日からのことを思った。何ひとつ予定がないということ。この町を何ひとつ知らないということ。

　いったい明日はどうしたものかと、そう頭の中で呟いてみても、浮かんでくるのは漠然とした疑問だけだった。

　目を閉じて眠りに就こうとしたがなかなか寝付けなかった。２段ベッドの「上」という状況が初めてだったのもあるだろう。まるで中途半端な高さに宙吊りにされた気分だった。

　床を意識することもなく、かといって天井に届くわけでもない。天井は目の前に迫っているのに、いくら手を伸ばしても触れることができない。

　そういう場所にいる、という事実にうまく馴染めなかった。お前は今クアラ・ルンプールのドミトリーにいるんだと何度か自分に言い聞かせてはみたが、それさえも出来の悪い嘘に思えた。

　お前は今どこにいるのだ。よく分からない。いったいどこで何をしているのだ。分からない。

　この国でもこの時代でもこの瞬間でもなく、どこにも属さない宙吊りの場所が、きっとこの先もぼくを待っているのだろう。

　天井の四隅のひとつで綿ボコリがなびいている。]]></content:encoded>
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		<title>熱帯の夜の底／クアラ・ルンプール(1)</title>
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		<pubDate>Sun, 29 Jun 2003 07:50:45 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>マレーシア編</category>

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		<description><![CDATA[　いくつもの通りが出会う交差点のたもとで、老人はゴミ箱の脇に腰を降ろし宙を見つめていた。排気ガスの匂い、ねっとりと肌に絡みつく熱帯の夜気、天を切り裂く無数のクラクション。ぼくは重い荷物を背負ったまま、...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　いくつもの通りが出会う交差点のたもとで、老人はゴミ箱の脇に腰を降ろし宙を見つめていた。排気ガスの匂い、ねっとりと肌に絡みつく熱帯の夜気、天を切り裂く無数のクラクション。ぼくは重い荷物を背負ったまま、この熱帯の夜の底をもう１時間以上もさまよっていた。

 [1]

　視線を前方に向けると、束になって先を目指す自動車やバイクの後ろ姿が見えた。光はまるで、目を閉じた時にまぶたの裏に浮かぶもつれた糸のようだった。

「こんなところで、いったい何をしている？」

　もう何度目か分からないぐらいにそう思った。ぼくはいったいここで何をしているのだろう。宿を探さなくてはならなかった。寝床を確保し、不快な汗を一気に洗い流したかった。

　けれど、そのために何をすればよいのかが分からない。気持ちを具体的な動作に結びつけることができない。ただこうして生きて息をしている事実だけが、ひとつの宣告のように胸に刺さっていた。

　老人はシャツのポケットから煙草を取り出すと、何度も風に邪魔されながらマッチの火をともした。一瞬の炎を両手で包み込むようにして。

　口の隅から吐き出された紫煙がふわりと風になびき、湿った熱気の中に溶けていった。交差点の手前に立ち尽くしたまま、そんな老人の姿をぼんやりと見ていた。

　ここから旅が始まる。それは間違いないことだった。もう歩き出してしまった。振り返るわけにはいかない。けれど今目の前に広がるのは、ぼくではない誰かの肌に馴染んだ街の姿だった。

　クアラ・ルンプール。

　ここにぼくの居場所はない。ただ、ほんのつかのまだけこの街で寝起きし、飯を食い、言葉を交わし、立ち去るだけだ。きっともうこの街に戻ることはないだろう。「別れるために出会う」というあの冷たい思想が真実であるのなら。

　信号が赤に変わり、舗道の向かいにたくさんの人間が溜まりはじめていた。肌の色も服装も年齢もさまざまだ。華人がいて、マレー系がいて、インド系がいて。

　彼らはみな信号が変わるのを待ち構え、通りへ溢れ出す瞬間を狙っていた。

　目の前にいるのはおそらくもう二度とすれ違うことのない人々だった。もう二度と見かけることも、出会うことも、すれ違うこともない人。

　そしてぼく自身もまた、誰かにとってのそんな景色の中にある小さな模様のような存在なのだと思った。

[1] http://www.transiency.com/images/01pl.jpg]]></content:encoded>
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		<title>やさしい嘘／タシッマラヤ</title>
		<link>http://www.transiency.com/101</link>
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		<pubDate>Wed, 23 Jul 1997 18:10:08 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　チパナスの山を下り、ガルッのバスターミナルを目指した。歩きながら何度も青いミサンガに目をやり、そのたびに後ろを振り返りたい衝動に駆られた。
　この両足を今すぐ止めて、もう一度きちんとさよならを告げよ...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　チパナスの山を下り、ガルッのバスターミナルを目指した。歩きながら何度も青いミサンガに目をやり、そのたびに後ろを振り返りたい衝動に駆られた。

　この両足を今すぐ止めて、もう一度きちんとさよならを告げよう。振り返って、この道の先にあった光にありがとうと告げなければ。

　けれど、今のぼくに出来るのは次の町を目指すことだけだった。もう歩き出してしまった。旅を続けていく以上、こうしてひとつの場所を離れ次の場所を目指すのは当たり前の出来事なのだ。

　見送る側と見送られる側のどちらが悲しいかなんて分からない。それが何を意味し、どれほどの重みを持つのかさえも。

　＊

　時計はすでに午前１０時を指していた。一秒ごとに熱を増す熱帯の陽射しに肌を焦がしながら、言い知れぬ戸惑いの中を黙々と歩き続けた。

　沿道には小さな標識がぽつりぽつりと立てられていた。でも、どれだけ歩いても目に映るのは「バスターミナルまで２キロ」の文字だけだった。途中、何度か商店の店主や通行人に声を掛けて距離を尋ねたが、笑顔の彼らが返してくれるのは「すぐ近く」という言葉ばかりだった。

　向かっているのは「２キロ先」で「すぐ近く」にあるバスターミナルのはずなのに、いくら歩いてもアスファルトは無表情に続くだけだ。訳が分からない。

　結局１時間以上も歩いてバスターミナルに到着した。どう考えても２キロなわけがなかった。

　窓口でチケットを買い求め、パガンダランへ向かうバスを探し、エアコンなしのオンボロバスの最後列に身体を沈み込ませた。小さく呼吸を繰り返し、頬を伝う汗を何度も拭った。

　いったいこんなところで何をしているのだろうと思った。このバスがいつ動き始めるのかさえぼくには分からない。

　窓ガラスの向こうを照らす澄んだ光を見つめながら、もう一度あのデタラメな標識や返答のことを思い浮かべた。どうして本当のことを伝えてくれなかったのだろう。あの時、彼らがぼくに向けてくれた笑顔の意味は何だ？　なぜ笑顔でデタラメを教えたりしたんだろう。

　そう思った途端、まるで二つの電極が触れ合うみたいに頭の中で何かがパチンと弾けた。

　きっと、かなりの距離があることは誰もが分かっていたはずなのだ。けれど、それがこの国のやさしさなのか、こうして歩いて向かおうとしている日本人に事実を伝えてしまっては酷だと感じたのかもしれない。

　たとえ嘘であっても「すぐ近く」と伝えた方が、この日本人の気持ちも少しは楽になるのではないか、と。

　もちろん勝手な推測だった。むりやり前向きに考えようとしているだけなのかもしれない。

　でも、この方角で正しいのか不安になった時、標識の「２キロ」の文字はたしかにぼくを勇気付けてくれた。「すぐ近く」と笑顔で答えてもらった時、同時に元気まで分けてもらえた気がした。

　最後の標識のすぐ先にターミナルを見つけた時には、こんなに早く着けてよかったとさえ思ったのだ。

　今となっては情報の正しさなんてどうでもいいことだった。今はただ、彼らが向けてくれた笑顔とやさしい嘘を大切にしたいと思った。

　＊

　バスはダイレクトにパガンダランへは向かわず、途中タシッマラヤという町のバスターミナルを経由した。ガルッを発った時、イスラム教の正装に身を包んだ乗客があまりに多いのが気になっていたが、その理由はこの町にあった。

　「（シニ・パガンダラン・ヤ？）ここ、パガンダランですか？」と問いかけるぼくに、車掌は笑顔のまま首を横に振った。

　ここタシッマラヤにはイスラム教の大きなモスクがあるのだという。「マスジッド・アグン（偉大なるモスク）」と車掌は言った。近隣に暮らす敬虔なムスリムたちはみなこのモスクを目指すとの話だった。

　窓の外に目を向けると、全身をすっぽり覆ったムスリムの女性たちの姿が目に入った。これからモスクへ向かうのだろうか、母親に手を引かれ、飛び跳ねるように歩く少女の姿もあった。小さな女の子でさえ服装は大人たちと同じものだった。

　ふと、ここまでの道のりを思い出して奇妙な感慨を覚えた。そこまでしてモスクを目指す彼らの熱意に気持ちが揺れた。タシッマラヤへの道のりは余りにも過酷なものだったからだ。

　ガードレールもなく、舗装さえ崩れかけた急カーブばかりの山道を、バスは大きな賭けにでも出たかのように疾走した。道路の下は恐ろしいほどの崖だ。冗談では済まされないぐらいの。

　道幅はバス２台がやっとすれ違える程度だし、カーブミラーだなんて気の利いたものはひとつもない。今もし向こうからバスが飛び出してきたら、何ひとつ思い出せないぐらい簡単に死んでしまえるだろう。それでもバスは速度を緩めたりしない。ただもう死に物狂いで走り続けるだけなのだ。

　こんな移動が３時間以上も続いた。急なカーブを曲がるたびに強烈な遠心力で身体が引きちぎられ、三半規管は面白いように攪拌され、耐えかねた乗客たちがあちこちで嘔吐を繰り返した。近くに手ごろなビニール袋がある乗客はよかったが、間に合わなかった乗客はそのままバスの床に吐き続けた。

　車内は末期的な悪臭に埋め尽くされ、その匂いでさらに吐いてしまう乗客も一人や二人ではなかった。

　バスの窓から見える平和な光景に戸惑いを隠せなかった。あの時もし大事故に巻き込まれていたとして、それもすべてアッラーの思し召しで片付けてしまえるのだろうか。そもそも悲しみや痛みから完全に開放されるなんてありえないのではないか。

　モスクを目指す彼らの笑顔はどれもまぶしいものだった。信仰と呼ばれるものが本当の意味で我々にもたらすのは、そんな笑顔や強さなのかもしれない。両目を固く閉ざし、ぼくはそっと小さなため息をこぼした。

　何ひとつ信仰を持たないぼくに信じられるのは、いつでだってぼく自身の戸惑いと迷いだけなのだ。]]></content:encoded>
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		<title>約束だからと／チパナス(3)</title>
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		<pubDate>Wed, 23 Jul 1997 06:38:11 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　ブラウンシュガーのたっぷり効いたバナナパンケーキに、一杯の温かな紅茶。これが今日の朝ごはん。
　中庭に腰をおろし、膝の上に大皿を載せてゆっくりと口に運んだ。まるで時間の一粒ひとつぶを噛み締めるように...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　ブラウンシュガーのたっぷり効いたバナナパンケーキに、一杯の温かな紅茶。これが今日の朝ごはん。

　中庭に腰をおろし、膝の上に大皿を載せてゆっくりと口に運んだ。まるで時間の一粒ひとつぶを噛み締めるように。耳を澄ますと地面の底から水のせせらぎが聴こえた。いや、そんな気がしただけかもしれなかった。

　太陽はまだ昇りきってはいなかったが、思い切ってチェックアウトをすることにした。昨日途中だったスケッチの色付けを済ませ、そのまま次の土地へ向かう。行き先はパガンダランという海辺の町に決めた。海が恋しかった。

　山あいを吹き抜けるやわらかな風の中にたたずみ、傍らにリュックを放り投げてスケッチの続きをした。山の稜線は朝もやにかすみ、灰色と青の含みを抱いて空に溶けていた。その色合いをどうにか残せないかと色を重ねた。

　ぼくの描くチパナスには光が足りなかった。ささやかな、風に溶けてしまいそうな、この光が。

　　　＊

　スケッチなんて行為を続けていると、いつのまにか暇を持て余した町の人々に囲まれることが多かった。昨日もそう。観衆と呼ぶには余りにも積極的で、彼らは少しも黙ってはくれなかった。きっと、こんなことをしている酔狂な旅行者が珍しかったのだろう。

　昨日の午後はムディという名の青年がぼくの隣りに陣取った。高校を卒業したものの、特に仕事もなく、ひとまず親戚のゲストハウスを手伝っているとのことだった。落ち着き払った声で語りかけてはいたが、その瞳にはまだ少年らしいすばしこさがあった。

　ムディは、ふっと手を止めたぼくに向かって言った。忘れていた何かを急に思い出したかのように。「日本人がここに来るの、たぶん２年ぶりぐらいだよ」と。

　真偽のほども定かではなかったし、何より、そう言われたところでどんな返事をすればよいのか分からなかった。心のどこかで、こんなふうに「日本人」として括られてしまう現実に寂しさを覚えた。

　あいまいにうなずいて、ぼくは言い訳をするみたいに口を開いた。

「その人とは何か話をした？」

「あんまり覚えてないな。ぼくもたまたま叔父のところに遊びに来てただけだったし。でも、そうだ、ちょっと待っててもらえる？　見せたいものがあるんだ」

　そう言うとムディは向かいのよろず屋へ小走りに駆けていった。店の奥にいた二十歳そこそこの女性は、両手で赤ん坊を抱いたまま何度か大きくうなずいた。

　しばらくしてから戻ってきたムディは、小さなビニール袋に丁寧に仕舞われた一枚のコインをぼくに見せてくれた。「その日本人がくれたんだよ。そうそう、彼女の店で買い物したときに」

　受け取ったビニール袋の中にはきれいに磨かれた一枚の500円硬貨が収められていた。昭和６２年。刻まれた文字が妙に懐かしかった。

「ねえ、これって日本のコインだよね？　いくらぐらいかな？」

　インドネシアにももちろん硬貨はあったが、ぼくの見た限りの最高額はジャカルタでお釣りとして渡されたRp.1,000（約50円）硬貨だった。見た目はこの500円硬貨よりもずっと立派で美しかった。

「待ってね。いま計算するからね」

　そう言ってはみたものの、ルピア換算でいくらなのかはすぐにはじき出せた。そして、なぜかその金額を言うのが躊躇われた。1000ルピア硬貨の10倍もの価値を持つこの硬貨を、ムディも、あのよろず屋の女性も、今まで半信半疑で眺めていたかもしれない。

「１万ルピアだよ、これ１枚で」

「え！？　信じれらない。だって、ぼくが毎月もらってる給料って、これ３枚分だよ」

　ムディの手のひらに硬貨をそっと戻した。彼はもう一度しげしげと見つめると、パタンと両手でふたをするようにして、そのままよろず屋へと戻っていった。赤ん坊を抱えた彼女もムディのことばに驚いているようだった。何度か彼女とも目が合った。その目は「大切にしまっておいてよかったのかしら？」と、そう告げているみたいだった。

　　　＊

　その日の朝、残りの色付けをしていたぼくの隣りに陣取ったのはよろず屋の彼女だった。寝巻き姿のままで、ときおり恥ずかしそうにあくびを飲み込み、眠たげに目をこすったりした。

　まだ眠たいせいもあったのだろうが、彼女はわりと静かにぼくの手元を見守ってくれた。ときおり、ぽつりと「いいわね（バグース）」とつぶやいては、徐々に色味を増していく白い紙の上を、その黒く大きな瞳でなぞっていた。

「あなた、名前はなんて言うの？」ずいぶんと間延びしたペースで、彼女はぼくに声をかけた。

「タイラ。覚えやすいでしょう？　あなたは？」

「エリー。エリー・カルリーヌ」

「きれいな名前だね。まわりに青い鳥がいっぱい飛んでるみたいだよ」

「そう？　ありがとう。そんなふうに言ってくれて嬉しい。私も、自分の名前、好きよ」

　チパナスと彫られたモニュメントに色を入れ、降り注ぐ光を描くために淡い影を描いた。ひとりの女性に見守られながら、彼女の町を描いていた。ふと、胸のふるえにも似た奇妙な戸惑いを覚えた。いったいこれはどういうことなのだろう。描き終えたら次の土地へ向かうと、もう心に決めていたはずなのに。

「ねえタイラ。あなたは画家とか、例えばそういう仕事の人なの？」

「ううん、ちがうよ。ただの大学生」

「美術大学？」

「まさか。文学部」

「分からないんだけど。ねえ、じゃあどうして絵なんて描いてるの？　文学部なんでしょう？」

「そうだね、うん。おかしいよね。でも、たぶん好きなんだ。こうやって絵を描いたりするのが」

「上手よ」

「そう？　ありがと」

「見てるだけで楽しいもの」

「実際に描くと、きっと、もっと楽しいと思うよ。エリーも描いてみる？」

「ううん、ニガテだから」

「うん」

　それからしばらく、ぼくは絵を描くという行為がもたらす、あの無音の世界の中にいた。何かにすっぽりと包まれながら、気持ちだけが外へ外へと広がっていく。

　ぼくの絵には、光が足りない。でも、それでも、やっぱりこうして絵を描くことが好きなんだろうと思った。スケッチブックの２次元と目の前の３次元の狭間で、風の粒子になったみたいにゆらゆらと漂う感覚そのものが。

　一気に色付けを終え、息継ぎをするみたいに日付と名前を入れた。ふう、と細く息を吐き出して隣りを見ると、そこにはにっこりと微笑むエリーの横顔があった。

「できたの？」

「うん、完成だよ」

「見せてもらってもいい？」

「もちろん」

　描き上げたばかりのスケッチブックを彼女に手渡し、ぼくはもう一度、遠くの山々の稜線に視線を戻した。いまだ、山は空と大地のあいだでかすれていた。ここからはその姿をうまく捉えることができない。でも、確かに今、あの山はきちんとそこにあって、もしかしたらぼくを見下ろしてさえいるかもしれない。

　そう思うと、心の内側に不思議な力が満ちていった。大きな何かに含まれた、そんな安らぎに似た何かだった。

「ありがと。ほんとに上手よ、見てて楽しかった」

　のんびりとした口調で、彼女は微笑みながらそう言った。「ねえ、こういうので生活したらどう？　これ、絵はがきでしょう？　きっと買ってくれる人がいると思う」

「ううん、きっと売れないよ。だいいち、いくらで売ればいいかも分からない」

「思い出だから？」

「……うん。そうかな、そうかもしれない。ぼくの思い出にお金払う人なんていないでしょう？」

　そう言って笑うと、彼女もまたにっこりと笑ってくれた。そしてふと、彼女は自らの左手首に手をのばし、つけていたミサンガを外してぼくに差し出した。

「知ってる？　これ」

「知ってるよ、願いが叶うんでしょう？」

「そう。だから、旅のお守りに」

　彼女は満面の笑顔を浮かべ、そのミサンガをぼくの左の手首に巻きつけてくれた。「絵、見せてくれてありがと。私のことも、この場所のことも、ずっと忘れないでね」

「大丈夫だよ。ずっと覚えてる」

「ねえ、約束よ。忘れちゃだめよ」

　小さくうなずいてスケッチブックをリュックに仕舞い、ぼくはゆっくりと立ち上がった。「これ、本当にありがとう。あのね、もう実はチェックアウトしてるから、このまま山を降りるんだ」

「どこに行くの？」

「パガンダラン」

「海ね？」

「そう、海」

「気をつけてね」

「うん」

　時計を見ると、そろそろ午前９時になる頃だった。腕時計のベルトの脇に、彼女のくれた青いミサンガがあった。右手でその紐を時計ごと包み、もう一度、ぼくは笑顔で彼女にありがとうを言った。]]></content:encoded>
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		<title>ワッシャナーム？／チパナス(2)</title>
		<link>http://www.transiency.com/99</link>
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		<pubDate>Tue, 22 Jul 1997 06:37:06 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　宿のスタッフたちと中庭でおしゃべりをしていた。とりとめのない話題で笑っては、代わる代わる肩を叩き合ってみたり。
　粉っぽくて濃厚なインドネシア・コーヒーを飲み、薄暗がりの下で彼らの笑顔を眺めながら、...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　宿のスタッフたちと中庭でおしゃべりをしていた。とりとめのない話題で笑っては、代わる代わる肩を叩き合ってみたり。

　粉っぽくて濃厚なインドネシア・コーヒーを飲み、薄暗がりの下で彼らの笑顔を眺めながら、いつしか安らぎに似た何かを感じていた。それはまるで、闇の力を味方につけて、夢中で夜を駆け抜けた少年時代の夏の夜みたいだった。

　見るからに異質な女たちが宿の敷地へ入り込んできた時も、相変わらずぼくらは笑顔のままだった。スタッフの友達か知り合いか、きっとそんなところだろうと、その程度の認識しか持たなかった。

　結論から言えば、彼女たちは旅行者を相手にする娼婦だった。中にはまだ少女としか呼べないような姿もあった。車座になってはしゃいでいるぼくたちのもとへ近寄り、彼女たちはこぞって精一杯のセクシー・ポーズを決めてみせた。とびきりの笑顔とはいかないまでも、ある意味で親密な笑顔をふりまきながら。

　申し訳ないとは思ったが、その場違いな雰囲気に失笑せざるをえなかった。もんぺみたいなジーンズに、陳腐なアニマルプリントのトレーナー。世界中のあきらめを寄せ集めたような濃い化粧に、安っぽいアクセサリー。そんな格好でシナをつくられたところで、いったいぼくらにどうしろと言うのか。

「ハーイ！　ホードゥッドゥー、ワッシャナーム？」

　ひとりがそう陽気に声をかけた。よく飼い慣らされた笑顔だった。唇をにっこりと弓のかたちにしながらも、決して瞳は笑っていない。彼女の顔を見上げ、ぼくはとりあえず片手をあげて応えた。

「ジャパニス？　チナ？　ホードゥッドゥー、ワッシャナーム？」

　鼓膜にべっとりと絡みつくような媚びた声で、女はもう一度そんなことを言った。ホードゥッドゥー。ワッシャナーム。

　ちょっとだけ肩をすくめてみせ、ぼくは腕組みをしてから日本語で言った。「ところで君は何語で話しているの？」と。

　言うまでもなく、興味の対象は彼女のことばだった。親しげな口調で声をかけられているはずなのに、さっぱり意味が分からない。

　確信はなかったが「ホードゥッドゥー」はぎりぎりで「How do you do」だと理解した。けれど、次がまったく見当がつかない。ワッシャナーム？　きっと英語ではないだろう。インドネシア語かとも思ったが、ぼくの知識でそれに当てはまる単語はなかった。

　ふいに日本語が発せられたからか、きょとんとしている彼女に向けてぼくはインドネシア語で訊いた。

「言ってる意味が分からないよ。インドネシア語で言ってもらえるかな？（ティダッ・ビサ・ムングルティ・マッスッニャ・アンダ・ビチャラ。トロン・ブルカタ・バハサ・インドネシア・ラギ？）」

　女はなぜか露骨にイヤな顔をした。そこには人を見下すようなニュアンスがたっぷりと含まれていた。

「ねえ、英語知らないの？　名前は？って言ってるじゃない（タッ・タウ・バハサ・イングリス？　シアパ・ナマ、ビチャラ・ヤ）」

　そのことばを聞いて、ぼくは声をあげて笑ってしまった。本当に申し訳ないけれど、やっぱりそれはぼくの知ってる英語ではなかった。確かにそんなふうに読めなくもないけれど「What's your name？」は「ワッシャナーム？」ではない。断じて。

　意味がつかめたことで、ようやく自分の名前を伝えてはみたが、女たちはすっかりぼくへの興味を失ったようだった。片手で追い払うような仕草をすると、くるりと踵を返して宿の敷地から出て行った。当然のことながら、それはこちらにとっても好都合なことだった。

　ことの一部始終を見ていたスタッフたちは、ふと堰を切ったように彼女たちの背中へ向けて何かを叫んだ。揶揄や非難の言葉だったのだろう。言いながら、彼らはまたさっきまでの笑顔に戻って愉しそうな笑い声をあげた。

「来るなって言ってるのに来るんだよ。実はすごく困ってるんだ」

　スタッフの一人が、いかにも、というように英語で言った。「ここはそういう宿じゃない。なのに勝手に入ってくるし、何度かトラブルだってあったんだ」

「トラブル？」

「あいつらみんな泥棒なんだ。ゲストの部屋からパスポートとか金とか盗むんだよ」

　別のスタッフもまた、こんなふうにことばをつないだ。「こんなとこまで警察来ないだろう？　だから被害にあっても諦めるしかない」

「ひどいね。立派な犯罪じゃないか」

「まったくさ。でもタイラ、さっきの上手だったよ。あいつら呆れて帰ってくれたしね」

　座が再び笑い声に包まれる。

「いやいや、ほんとに理解できなかったんだよ。だってワッシャナームだよ？　呪文かと思ったもん」

　日付が変わる頃までおしゃべりをし、最後にもう一杯だけコーヒーを飲んでお開きにした。２階の部屋へ戻ろうとするぼくに、スタッフの一人がなにやら可笑しくてたまらないといった顔で「おやすみ（スラマッ・ティドゥール）」と言った。

「なあタイラ。さっきベッドカバー取り替えといたよ。まだ見てないだろ？　日本人だったら気に入ると思うよ」

　意図するところをまるでつかめなかったが、彼の笑顔にはこれっぽちの邪気もなかった。ぼくも「おやすみ」を返し、それから「ありがとう」を告げて部屋のドアを開けた。

　いつの間にか部屋の中は整頓され、ほったらかしにしてたメモ帳やスケッチブックや色鉛筆までが、テーブルにきちんと揃えて置かれていた。冗談ばかりのスタッフたちだったが、こんな気遣いが余計に嬉しかった。

　さて、とぼくは視線をベッドの方へと移した。いったいベッドカバーが何だって言うのだ。

　ベッドをすっぽりと覆った毛布を恐る恐るめくった。その瞬間、予想だにしない光景が暴力的に両目に飛び込み、思わずその場に崩れ落ちてしまいそうになった。

　こんな真夜中でなかったら、ぼくは確実に腹を抱えて笑っていただろう。むりやり声を殺して、それでもしばらく肩を震わせて笑った。

　ベッドカバーにでかでかとプリントされていたのは「ドラえもん」と「のび太くん」だった。あろうことか枕カバーも同じプリントのものだった。

「あいつら、やりやがったな」

　そう思うと、とたんに愉快な気分になった。まったく子供じゃあるまいし。ドラえもん枕でスヤスヤって年でもないだろう。

　それでも少しだけはしゃいで、ごろりとベッドに横になった。ドラえもんの枕をぎゅっと抱え、そっと思い出を閉じ込めるように目を閉じた。

　浴室から、こんこんと湧き出る温泉の湯の音が聞こえた。]]></content:encoded>
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		<title>火山の贈りもの／チパナス(1)</title>
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		<pubDate>Tue, 22 Jul 1997 06:35:17 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　隣り合わせた青年が、代わりに車掌へ声を掛けてくれた。間もなくガルッという町に到着するという。運賃はわずかにRp.1,200（約60円）。事前に予想していたよりも、はるかに短い道のりだった。チチャフウ...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　隣り合わせた青年が、代わりに車掌へ声を掛けてくれた。間もなくガルッという町に到着するという。運賃はわずかにRp.1,200（約60円）。事前に予想していたよりも、はるかに短い道のりだった。チチャフウムのターミナルを出て、ほんの２時間だった。

　運転士も車掌も、この日本人がチパナスへ向かうことをよく理解してくれていた。彼らの合図なのか、車掌が手にしたコインを壁に打ち付けると、運転士はおもむろにスピードを落とし始める。青年が、窓の向こうを指差して言う。

「あの道をまっすぐ行ったらチパナスだよ（トゥルス・サナ、ジャラン・クチル、カム・ダタン・チパナス）」

　窓越しに、はるか向こうの山々へと続く細い土の道が見えた。その先に温泉があるとはにわかに信じ難い。道はまるで、子供のころ夢中で駆けまわった山里の小径みたいだった。

「ありがとう、行ってきます（トゥリマ・カシー、スカラン・サヤ・アカン）」

　それでも笑顔で手を振ってバスを見送り、目の前の大通りを突っ切った。温泉郷チパナス。インドネシア語で「熱い・温かい」は「パナス」という言葉だったから、きっとこの地名ともつながりがあるのだろう。

　小さく息を吐きながら山道を歩いた。サンダルの底で、サクサクと小石が鳴った。歩を進めるたびに、土のにおいと草いきれが濃さを増した。知らずに笑みがこぼれた。緩やかな上り坂を、まるで遠足の続きみたいな気分で歩いた。

　道はところどころで広くなり、かと思えば急に狭くなったりもした。陽の当たらない斜面に生い茂る羊歯の葉や、名も知らぬ草木に何度も手を伸ばし、歩く速度で順番に撫でていった。指先を過ぎるひやりとした感触が、幼い頃の甘い記憶に重なっていく。

　登るにつれ、梢の隙間からこぼれる光の量が増した。もうすぐ着くのかもしれない。尾根に沿って続く右カーブを曲がりきったところで、視界がぐんと開けた。この道の終点であり、そこがまさに温泉郷チパナスだった。

　リュックを背負ったまま、ひとまず目の前の通りをぶらりと歩いた。小石の散らばる道はあちこちが水に濡れ、脇を流れる細い水路からは柔らかな湯気が立ち昇っていた。通りの中心には、不思議なかたちをしたモニュメントがひとつ。

「Cipanas Indah（美しきチパナス）」

　プレートにそんな文字が刻まれている。そう思って、あたりをぐるりと見渡してみるが、そこは温泉郷と呼ぶにはあまりにも閑散とした場所だった。明らかに「町」ではない。無論、村とすら呼べない。

　ホテルや安宿が申し訳程度に建ち並び、食堂も数軒、水や煙草が買えるよろず屋が１件。町は、それで全部だった。通りのはじまりから終わりまで、どう贔屓目に見ても200メートルほどしかない。それはまるで山間に設えられた、ちょっとばかり大きめな「隠れ家」みたいだった。

　よろず屋でミネラルウォーターを買い、向かいの道端に座って飲んだ。喉が潤うと今度は煙草に火をつけ、口にくわえたままパタンと仰向けなった。舗道の上で思い切り両脚を広げ、大の字になって目を閉じた。もちろん、こんなふうに道端に寝転がってしまうのが迷惑な行為なのは分かっていた。でも、一度くらいこういうことをやってみたかったのだ。道端で寝転がる、ということを。それも、大の字になって。

　しばらく工場の煙突のように煙をぷかぷかと吐き出し、通り過ぎていく風のざわめきに耳を澄ませた。空が、高い。烈しいはずの陽射しまでもが、どこか柔らかく肌に落ちた。

　＊

　数えるほどしかない安宿を順番にあたった。とはいえ、２軒目で早々にチェックインを済ませた。朝食つきでRp.14000（約700円）という値段に、異議を唱える方が難しい。この値段で、更に全室バスタブ完備だという。問題なんてあるわけがない。

　フロントの青年に笑顔で応じ、すらすらと宿帳にサインをした。後になって気付いたが、その時はパスポート番号をそらで記していた。記憶という名の大海に、やっとひとつ目印のブイが浮かぶ。そんな嬉しさがあった。

　リュックをベッドに放り投げ、さっそく温泉につかった。バスタブに飛び込む、というぐらいのはしゃぎっぷりで。１畳ほどの大きさの浴槽にはなみなみと湯が張られ、縁から、さらさらと零れ落ちていく。そう、バスタブに蛇口などというケチなものはなかった。壁から無造作に突き出したパイプから、絶え間なく温泉が溢れ出しているのだ。

　身体中の関節に意識をめぐらせ、そこに居座った疲れのもとをひとつひとつ湯に流した。少しぬるめのお湯は、こんなふうにゆっくりと過ごすのにちょうどよかった。ふと思い立って、部屋にあった丸椅子を浴室に持ち込み、その上にミネラルウォーターのボトルと煙草と灰皿、さらに日記帳とボールペンをずらりと並べた。

　タオルを頭に乗せ、時おり水を含み、煙草を吸い、じわりと滲み出す汗もそのままに文字を記した。きりりと冷えたビールでもと思ったが、ビールはおろか、あのよろず屋には冷蔵庫すらなかった。しかたがない。そもそも、ここはイスラム教徒の国なのだから。

　充分すぎるほど温泉を満喫すると、今度はスケッチブックを手に表へ出た。モニュメントを中心に、遥か向こうの山々までを切り取った。一気に描き上げてしまいたい気持ちもあったが、途中で自分でも驚くほどの空腹を覚えた。どうにかラフスケッチだけを終え、色付けは明日に回すことに決めた。

　数少ない選択肢の中から、通りの一番奥の食堂に入った。しかしそこは、さまざまな料理の並ぶ食堂ではなく、サテ・アヤム（焼き鳥）専門の店だった。テーブルにつくと、声を発する前に調理が始まった。小さな戸惑いもあったが、それはあまり気にならなかった。時おり、店の老婦人が笑顔でぼくを振り返ってくれた。「もうちょっと待っててね」と、その笑顔は告げているようだった。

　運ばれてきたのは、山盛りのキャベツの上にずらりと並んだ焼き鳥と、これまた山盛りのライスだった。焼き鳥にはたっぷりとピーナツ・ソースが掛けられ、付け合せに赤い小たまねぎのスライスが添えられていた。確かに空腹ではあったけれど、そのあまりの量にしばし声をなくした。なにせ、焼き鳥が20本も山と積まれているのだから。

「ソースかけてごらん、最高よ（パケ・サウス・ヤ、バグース）！」

　老婦人はライスを指しながら嬉しそうに笑って言った。パケ・サウス・ヤ。けれど、その意味を理解するまでに、実際にはしばらく時間がかかってしまった。素朴な疑問と思い込みが、柔軟な推察と理解を妨げていた。

　「パケ」は「着る」という意味だとばかり思っていた。それ以外に使い方があるなどとは思いつきもしなかった。だから、最初は「ソース着てごらん、似合うわよ」と理解した。すごい冗談を言うものだ、とさえ思った。「こんなの着れないよ（ティダ・ビサ・パケ・イニ）」という返事まで、思わず言ってしまうところだった。

　何ひとつ明確な反応を示さないぼくに、老婦人はソースをすくってライスにかける仕草を繰り返した。「パケ、パケ」と。「パケ？」と、ぼくも同じ仕草を真似て問い返した。「そう、かける。最高よ（ヤ、パケ。バグース）！」そんな老婦人の笑顔で、ようやく真意を理解した。なるほど、ソースをかけて食べると美味しいのか、と。

　言われるままソースをライスにかけ、口いっぱいに頬張ってみた。最初に舌に触れるのはピーナツの甘みだった。けれど、次の瞬間、口中に唐辛子の辛味が広がった。正直に言って、ものすごく美味しい。それ以外にことばが思いつかないぐらいに。

　思わず笑顔になって焼き鳥にも手を伸ばした。椰子の殻で焼き上げた鶏肉は香ばしく、噛み締めると中から濃厚な肉汁があふれた。そしてまた、唐辛子の辛味。

「すごくおいしい（エナッ・スカリ）！」

　そう大きな声で叫ぶと、老婦人はちょっとだけ照れたように笑って頷いてくれた。可愛らしい人だなと思って、その笑顔に向けてもう一度「おいしいです、ありがとうございます（エナッ・サジャ、トゥリマ・カシー・バニャッ）」と告げた。すると彼女は「食べなさい、食べなさい（マカン・マカン）」と、まるで歌うように繰り返した。

　食べきれるかという心配は、すっかりどこかへ吹き飛んでいた。鶏肉を噛み締め、ソースをかけたライスを頬張り、千切りのキャベツと小たまねぎで口をすっきりとさせ、また、鶏肉にかぶりつく。肉そのものの味が良いのか、ソースとの組み合わせが良いのか、いくら食べても飽きのこない味だった。確かにお腹は膨れてはいたが、目が、食べたいとぼくを急かす。

　結局、米粒ひとつ残さずきれいにたいらげた。まるで腹ペコの犬みたいだと自分で呆れてしまうほどに。とうぶん食べ物は要らない。明日の朝まできっと満腹のままだろうと、そんなことさえ思った。

　皿を下げるのと引き換えに、老婦人は今度は温かな紅茶を出してくれた。そこにはまた、包み込むようなやさしい笑顔があった。注文したわけではなかったが、彼女の厚意を素直に受けた。心を込めて、感謝のことばを口にしながら。この食事がこんなにも幸福に満ちたものになったのは、すべて彼女の笑顔のおかげだった。

　でも、何よりもぼくを一番驚かせたのは、老婦人が最後に口にした金額だった。焼き鳥20本、山盛りのライス、温かな紅茶。

　これだけ食べて、わずかRp.3,000（約150円）という安さだった。]]></content:encoded>
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		<title>いつだって、こんなふうに／バンドゥン(4)</title>
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		<pubDate>Mon, 21 Jul 1997 06:34:23 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　昨夜は宿のそばの路上に出ていた屋台で「ミー・バッソ」を食べた。鶏肉だんごの入った塩味のヌードル。小ぶりなどんぶり一杯で、わずかRp.9.000（約45円）という安さだった。
　青いビニールシートを屋...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　昨夜は宿のそばの路上に出ていた屋台で「ミー・バッソ」を食べた。鶏肉だんごの入った塩味のヌードル。小ぶりなどんぶり一杯で、わずかRp.9.000（約45円）という安さだった。

　青いビニールシートを屋根代わりにした即席のテーブルには、すでに数組かの先客がいた。屋台の主人に促され、地元の家族連れに相席をお願いした。「こんばんは（スラマッ・マラム）」とインドネシア語で挨拶をすると、彼らは少し恥ずかしそうに笑い返してくれた。

　できあがるまでのあいだ、父親といくつかのことばを交わした。「どこに泊まってるの？」「日本人？」「インドネシアはどう？」

　ゆっくりとした口調で発せられる問いかけに、けれどぼくは必死になってインドネシア語で答えた。うまく言えなかったこともあったし、どうにか伝えられたと思えるときもあった。でも、全部ひっくるめてみたら思いの半分も伝えられていなかった。

　四人前のヌードルが先に彼らの元へと運ばれた。ごろりと大きな肉だんご、つやのよい青菜、軽やかに立ちのぼるスープの湯気。途端にお腹が鳴りそうになった。思わず、唾をごくりと呑む。

　そんなぼくを察してか父親は笑顔でぼくにこう訊いた。「先に食べてしまって構わないだろうか？」と。ふたりの少女は父親をじっと見つめ、母親は母親で、何やら嬉しそうにぼくに微笑んでいた。

「どうぞ、どうぞ（シラカン、シラカン）」

　ぼくは手振りをまじえて、そんなふうに慌てて答えた。すると父親はフォークとスプーンを手に取り、胸の前で両手を合わせてぺこりと頭を下げた。それを見ていた母親もふたりの娘も、無邪気に同じ仕草をしてにっこりと笑った。日本人の「いただきます」の仕草を、彼らはかつてどこかで見たことがあったのかもしれない。

「どうぞ、めしあがってください（スラマッ・マカン・サジャ）」

　笑いながらそんなことばを返して、ふいに涙がこぼれそうになった。彼らの気遣いが胸に沁みた。

　　　＊

　今朝、８時前に早々とチェック・アウトを済ませると、レセプションの男性に教わったナリパン通りへと向かった。宿から見て、アジア・アフリカ通りの一本手前ということだった。

　昨夜あの後、相席した彼らから「チパナス」という地名を教わっていた。「静かな所だけれど、温泉があるから行ってみてはどう？」父親は控えめな声で言った。「もちろん、あなたに予定というものがなかったら」

　チパナスへ向かうためには、一度この市街地から郊外の長距離バスターミナルへ行く必要があった。ナリパン通りの路肩から市バスに乗り込み、チチャフウムという名のターミナルまで。レセプションの男性からは１時間あれば着くと教わっていた。チチャフウム。そんな耳慣れない響きのことばを、何度も頭の中で復唱した。

　とはいえ、市バスに乗り込むのはたやすいことではなかった。ダムリ社の空港バスとはわけが違う。まず、バス停などはどこにも見当たらない。そして、ひっきりなしに行き交うバスは「停まる」ということを知らなかった。

　開け放された乗車口から車掌らしき青年が身を乗り出し、声高に行き先を連呼する。その声を頼りに、地元の人たちはスピードを緩めたバスにひょいひょいと飛び乗っていく。あれをやるのか、と思うと少しだけ気がひけた。どう考えても背中のリュックが邪魔だったからだ。

　しばらく車道と舗道のあいだを行ったり来たりしたが、なかなかお目当てのバスにあたらなかった。何度か、通り過ぎるバスに向けて「チチャフウム？」と訊ねた。そのたびに車掌たちは首を横に振ったり、あるいは大声で「違うよ」と叫び返してくれたりした。通り過ぎる顔には、いつも柔らかな笑みがあった。

　ようやくにしてお目当てのバスが姿を現したときには、陽射しもすっかり強くなっていた。太陽のにおいをいっぱいに吸い込みながら、スピードを緩めはじめたバスに勇んで駆け寄った。けれども車内は、目を覆うほどの混雑ぶりだった。

　一瞬だけ躊躇いを覚えたが、ぐずぐず迷っている暇はなかった。これを逃したら、次がいつになるのか知れたものではない。現にもう30分以上もこの陽射しの下にいたのだから。

　タイミングを見計らってステップに飛び乗った。しかし、呆れたことに、ちょっとの加減で左足がすべってそのまま車道へ振り落とされそうになった。思わず間の抜けた声をあげた。

　間髪を入れず、目の前から何本もの腕が伸びた。そして、ぼくの肩や腕やリュックの肩紐をむんずと掴んでくれた。身体ごと、がくん、と斜めに持ち上げられるぐらいに。

　速度をグンとあげたバスのステップで、ぼくは縺れながら何とかブーツのかかとを引っ掛けることができた。奇妙にねじれた体勢のまま、それでも思わず安堵の息がこぼれた。目の前の彼らに「ありがとう」を言うと、だれもが白い歯をみせて可笑しそうに笑った。つられて、ぼくも笑った。

　三流のアクション映画みたいな滑稽さで、バスから半身を乗り出したまま移動を続けた。車道にせり出した看板や鉄柱に、何度かぶつかりそうになった。料金を支払う際には、更に何人かの乗客がぼくのリュックや身体を掴んでくれ、宙ぶらりんのままガサゴソとポケットの中身を探りさえした。

　チチャフウムへは１時間もかからずに到着した。でもそこは、バスターミナルというよりも巨大な市場のような空間だった。惣菜も飲みものも売っているのだから、ついでに中古バスも売ってしまえ。例えばそんなあっけらかんとした思い付きが、そのまま現実になってしまっているかのような。そして、当然のことながら、どこにお目当てのバスがあるのかぼくには分からなかった。

　しばらくバスの隙間を縫うように歩いていると、制服を来た威勢のいい男に呼び止められた。「兄ちゃん、どこ行くんだ？」と。ほとんど不随意運動のように「チパナス」と答え、それから慌てて「タシッマラヤ」とことばを足した。チパナスへ向かうにはタシッマラヤ行きのバスで途中下車をしなければならなかった。

　男は唐突に「ヤー！」と声をあげると、満面の笑みを浮かべてぼくの手を取った。まただ、と一瞬だけ身を硬くした。まただ。またこうやって手を引かれてしまう。これじゃまるで迷子そのものじゃないかと、そんな気恥ずかしさを覚えた。でも、それでも結局は素直に手を引かれて歩いた。こういう親切さを無下にする理由は、本当はどこにもなかった。

「すみません、運賃は今すぐ払うんですか（プルミシ、ハルス・バヤール・オンコス・スカラン・ヤ）？」

　乗車口から、タシッマラヤ行きのバスの運転士にそう声をかけた。「チパナスに行きたいんです、タシッマラヤじゃなくて（マウ・ク・チパナス、ティダッ・ク・タシッマラヤ）」

「いやあ、あとでいいよ。乗りな乗りな（ティダッ、ナンティ・サジャ。ナイッ・ナイッ）」

　運転士は、ほっとするほど気さくな笑顔でそう言った。そして、こんなふうに不器用にインドネシア語を口にするぼくに気を利かせてくれたのか、続けて流暢な英語でこう教えてくれた。

「チパナスだろ？　途中のガルッで降りればいい。オレも覚えとくよ。運賃はあとで車掌に渡してくれるかい？」

　降車口に近い最後部のシートに陣取り、リュックを両腕でしっかりと抱えて出発を待った。所要どれくらいなのかは分からなかったが、それはあまり気にならなかった。

　ぼくはまた、新たな土地へ向かう。

　その胸の高鳴りだけで、もう充分な気がした。
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		<title>孤独な手のひら／バンドゥン(3)</title>
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		<pubDate>Sun, 20 Jul 1997 06:33:21 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　選択したインドネシア料理の朝食は、たっぷりと油を吸った山盛りのナシ・ゴレンだった。米粒ひとつひとつが見事なまでにつるりと光っている。その状態を見ただけで胸焼けがした。もうちょっと軽めのメニューを予想...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　選択したインドネシア料理の朝食は、たっぷりと油を吸った山盛りのナシ・ゴレンだった。米粒ひとつひとつが見事なまでにつるりと光っている。その状態を見ただけで胸焼けがした。もうちょっと軽めのメニューを予想していたのだけれど。

　併設された食堂へ出向くまでもなく、スタッフが部屋の前のテーブルまで届けてくれた。笑顔の絶えない物静かな青年だった。「ありがとう」と告げると、彼は少しはにかみながら、当然のようにスプーンやフォークを薄汚れたテーブルにじかに並べ始めた。思わず、声を上げそうになった。でも実際には何も言わなかった。別にそれで死ぬわけじゃない。

　無駄に神経質になっている、と自嘲気味に思う。こんな細かいことを気にしても仕方ないのに。じか置きされた食器を手に取り、何も考えずにナシ・ゴレンを口へ運んだ。スパイスの香り、妙に歯応えのあるチキン、玉ねぎやインゲンの甘み。そして、ギトギトになった米粒。添えられた酢漬けの生の唐辛子をかじって口をすっきりさせ、何度もミネラルウォーターを飲んだ。それでも、半分食べるのがやっとだった。

　皿をテーブルのすみに押しやり、たっぷりと砂糖の溶けた紅茶を飲みながら小さなため息をこぼした。そして、朝靄に煙る高原の町の大気を身にまとうようにして、少しだけ背筋を伸ばした。

　敷地内の梢から愉しげな小鳥たちの声が聴こえた。いちにちのはじまりの歌。ぼくにとってもこの朝が幸福に満ちたものであればいいのに。

　煙草に火を点けてけむりを吐き出してしまうと、もう他にすべきことが見つからなかった。日課となった洗濯もすでに昨日のうちに終えた。ゆうべ眠る前に、すっかり爪も切ってしまった。

　日記帳代わりのメモ帳にこんな文字を記した。「7/20 今日もバンドゥン」。それから日付をぐるりと丸で囲って、今日が日曜日だったというしるしをつけた。旅に出て最初の日曜日だった。

　太陽が高くなるまで部屋の中でぐずぐずと過ごし、気持ちを切り替えるためだけに水浴びをした。インドネシア語ではこうした行水のことをマンディと呼んだ。濡れた髪をタオルでくしゃくしゃに拭き、靴下を履いて編上げのブーツの紐をきちんと締めた。

　スケッチブックやら色鉛筆やらを小さな巾着袋に入れて、ベルトに結わえ付けた。誇れるような格好ではなかったが、そのことはあまり考えないようにした。巾着袋は、正確にはただの靴袋だった。そんなものを腰からぶら下げている人間なんていない。

　レセプションで簡単な地図をもらい、中心街と呼ばれるアジア・アフリカ通りへ向かった。名が示すように、この町の歴史の象徴であり誇りですらあるのだろう。レセプションの男性は嬉しそうに何度も頷いて言った。「ここに行けば何でも揃う」と。インドネシア語訛りの英語に、ぼくも自然に笑顔で応えていた。

　地図に示された大通りには所狭しと即席マーケットが立っていた。両脇の舗道を埋め尽くすようにして、奇怪な柄のＴシャツや極彩色のジュース、味の想像もつかないような食べものが無造作に売られていた。マーケットの長さは優に500ｍはあっただろう。日本の夏祭りにも似た熱気が、どこか空回り気味に漂っていた。

　舗道はすべて露店に占領され、まともに歩けるスペースがなかった。あぶれてしまった人たちがあちこちで車道に溢れ出していた。何軒かの店を眺めただけで、仕方なくぼくも車道を歩くことにした。他に選択肢はなかった。

　こういう状況をまったく理解していないのか、車道は車道で恐ろしいほどの交通量だった。めちゃくちゃなスピードを出してバジャイやら乗用車やらオートバイがひっきりなしに通り過ぎた。排気ガスもすごければクラクションも相当うるさい。

　人波に押され、よろけるように車道へはみ出すと、寸でのところでオートバイや車にぶつかりそうになった。それも一度や二度ではなく。引き返そうとしても、それすらままならない。身の危険を感じながら、まるで満員電車の中をかき分けるように進んだ。クラクションや罵声が止むことはなかった。

　やっとのことで通りを抜けたとき、こぼれたのは長いため息だった。もしぼくが旅行者ではなかったら、もうちょっと違った処し方ができたのかもしれない。そう思うと、少しだけ寂しい気分になった。

　太陽はすっかり天の真ん中に張り付き、町には、潔いまでの陽射しが垂直に振り注いでいた。影が、消える。眩暈のように白く輝く町を、迷い犬のように歩いた。それでもしばらく足を動かしていると、どこかで自分が自由になれた気がした。

「Nowhere man = Now here man」ふと、そんなことばが浮かんだ。ジョン・レノンが自らの曲に込めた、もうひとつの意味。どこにもいない男、いま、ここにいる男。もしかしたらそれは、今のこんな状況に似ているのかもしれないと思った。

　陽射しを避けるように足を踏み入れた先は、アルン・アルンという名の小さな公園だった。けれど、目の前の通りはまだアジア･アフリカ通りとなっていた。どこかで、ぐるりとひとまわりしてしまったのかもしれない。相変わらずどこをどう歩いてきたのか把握できていなかった。

　木陰にたたずみ、昨日と同じようにスケッチブックを開いた。涼しげな音を立てて落ちる噴水を見つめ、伸び上がる幹の妙と葉の緑に透ける光の濃淡、そして地面を斜めに切り裂く影の含みを描いた。

　伝えたいものはもっと他にあるはずだった。けれど、ぼくに描けるのは目の前にある何かだけだった。

　街角の拡声器からズフールのアザーン（正午の礼拝の呼びかけ）が聴こえた。褐色の町で生まれた歌声が、この熱帯の高原の町にもしみわたっていく。そして、ファルセット気味の乾いた高音は、同時にぼくの内側の何かを叩いた。記憶の砂漠を軽々と超えていく力強い矢のように。

　しばらく目を閉じて、アザーンの歌声を聴いた。ぼくにではなく、他の誰かに向けられた歌声。それを今こうして外側から耳にするぼくは、どうしようもなく独りぼっちだった。

　ペンとスケッチブックを傍らに放り投げ、両方の手のひらをじっと見つめた。そこに何かがあるわけではなかった。途切れがちの生命線を確かめるように目でなぞった。

　手放してしまったものたちの手触りを、そっと胸に描いた。
]]></content:encoded>
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		<title>耳からの異国／バンドゥン(2)</title>
		<link>http://www.transiency.com/95</link>
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		<pubDate>Sat, 19 Jul 1997 06:31:53 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　気が付いたときには、どこをどう歩いてきたのかすっかり分からなくなっていた。まるで、夕闇のジャカルタを歩いたときみたいに。
　きっと構造的欠陥なのだろうと、諦めのように思う。普通の人と視野が違ってしま...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　気が付いたときには、どこをどう歩いてきたのかすっかり分からなくなっていた。まるで、夕闇のジャカルタを歩いたときみたいに。

　きっと構造的欠陥なのだろうと、諦めのように思う。普通の人と視野が違ってしまっている。些細なものばかりに目が行き、肝心なものがまったく頭に入らない。迷ったと気付いたところで、来た道を戻ることができない。記憶の断片は、いくら掻き集めても点のままだ。

　イルファンと別れたのあとのバンドゥンの町を、ひとりぼっちで歩いていた。商店が建ち並ぶ通りや、食堂街、緑に包まれた公園や、所狭しと軒を連ねる屋台の姿。そういった情景を胸にしまうたびに、侘しさに似た何かが胸に積もった。

　日常という名の吐息が、町の底を湿らせている。賑やかにも派手にもならず、町はただ慎ましやかな日々の薫りを漂わす。香辛料のかすかな匂いが、風に乗ってぼくの元へも届く。汗の匂いや、煙草の香り、排気ガスの匂いに混じって。

　もしかしたらぼくは、そんな日常に属していない今の自分自身に、寂しさを感じていたのかもしれない。

　照りつける陽射しを避けるようにして、目に付いた車道の脇に腰を降ろした。

　街路樹の木陰の中にたたずみ、浮かんでは消える思いにばかり耳を澄ませた。風が肌を通り過ぎていく。行き交う自動車の後ろ姿をぼんやりと見つめた。不思議なことに、胸を掠めるのはここにいない誰かのことばかりだった。

　頬を伝う汗のしずくも、風の中に消えた。つかみ損ねた思いのいくつかも、そっと風に散った。

　小さくひとつだけ息を吐いて、リュックから葉書サイズのスケッチブックと色鉛筆を取り出した。描きたいものがあったわけではなかったけれど、ただ別の何かに集中することで、ほどけそうな思いをつなぎとめようとした。迷子になるまいと必死になってつかんでいた、あの時の母の指先のように。

　目の前に広がる殺風景な通りの姿を、先の細いボールペンでなぞった。単純に見えるものほど、その対象を結ぶラインはぼくに何かを語りかけた。世界には様々な意匠があり、空はどこまでも青く、舗道には伸びやかな枝ぶりの木々が立ち、そして、その先にある目に見えない何かに、ぼくはじっと目を凝らす。

　何かをまっすぐ見つめることで、いまここにいる自分自身を確かめようとした。町とぼくの距離を少しずつ色鉛筆でうずめていく。時々、書きなぐるように、何度も、何度も色を重ねながら。

　描き終えたスケッチブックをぱたんと閉じたとき、同時に、ぼくの中でも何かが閉じられた気がした。それは迷いや戸惑いにも似た何かだった。

　掛け声とともに立ち上がり、もう一度、前に進むために足を動かした。大通りを横切り、線路をまたぐ歩道橋を越え、民家の路地を文字通り縫うようにして。

　紛れ込んだバンドゥンの裏町は、所狭しと洗濯物が吊るされ、打ち捨てられた自転車が無造作に転がるような場所だった。吐息にも似たかすかな風が、頬を掠めていく。まっすぐに照りつける午後の陽射しと、ぼくのかたちの一枚の影。遠くから子供たちのはしゃぐ声が聴こえ、その隙間を、小鳥たちの啼き声が行き過ぎていく。

　リュックを背負った外国人がこんな細路を歩いている姿など、彼らにとってはあまり日常的なことではないのだろう。時おりすれちがう人や、庭先から顔をのぞかせた人たちに、何度も、無言のままじっと顔を見つめられた。

　頭の中では「スラマッ・シアン（こんにちは）」と声に出していた。けれど、ぼくにできたのはあいまいな笑顔を浮かべることだけだった。

　何軒かの宿をあたり、結局、交差点のひとつをそのまま四角く囲ったようなホテルに決めた。広い庭に、ぽつぽつと数棟の部屋が点在し、そのうちの一棟が食堂になっていた。レセプションにいた男性は物静かな声でチェックインの手続きを行ってくれた。彼は何度も「トゥリマ・カシー（ありがとう）」を繰り返した。

　案内された部屋は、ささやかな衣装掛けとテーブル、それから簡素なシングルベッドがあるだけのものだった。毛布が２枚用意されていたから、きっと朝晩は冷え込むのだろう。高原の町と言われるこの土地の、太陽の消えた時間帯をぼんやりと思った。

　部屋の前はバルコニーのように低い柵で囲われ、傍らにはラタンの小さなテーブルセットまでがあった。バスとトイレは共同だったが、それはあまり気にならなかった。朝食は選択式になっていて、コンチネンタル・ブレックファストかインドネシア料理かを決められるという。これで一泊、Rp.16,000（約800円）だった。

　部屋に荷物を下ろし、さっそく共同バスで汗を流した。バスルームにシャワーなどはなく、タイル張りの小さな水貯めから柄杓で水を掬って身体にかけるものだった。石鹸の泡立ちはあまり良くなかったけれど、ざぶざぶと頭から浴びた冷たい水が、火照った肌に心地よかった。

　ざっとＴシャツを洗って軒先に吊るしてしまうと、あとは部屋のテーブルで日記を書いた。時おり煙草を吸い、途中で買い求めたミネラル・ウォーターを飲み、文字を書くのに疲れると、頬杖をついて遠くの空を見つめた。

　夕暮れまでにはまだ、随分と時間がある。そして今のぼくには、やらなければならないことは何ひとつない。

　強要されることが何もないという今の状況を、どこかで安らぎのように感じていた。大学での生活や、体のいい時間つぶしのようなアルバイトのことを思った。ぼくは、本当の意味では何ひとつ決断なんかせずに毎日を送っていた。迷うことも、ためらうことも、憤ることもなく。それなのに、いつだって何かに追われている気がして、いちにちが３０時間ぐらいあればいいと本気で願ったりしていた。

　今はまるで違うと、そう思う。旅行者という立場ゆえのいくつもの決断を、瞬間瞬間に迫られていた。宿を決めるのも、行き先を決めるのも、その交通手段を選択することも。道を訊ねるのだって、食事をとりに屋台へ足を踏み入れることだって、そこには小さな勇気と決断が要った。大げさな言い方をすれば、それはすべて今日を生きるための決断だった。

　確かに、ぼくは戸惑っていた。常に神経を張り巡らせていなければならないと、まるで強迫観念のように思い続けていた。漠然とした闇のような不安に、心が塗りつぶされてしまいそうな時だってある。そして、すり減らした神経を不器用に晒したまま、いつだって浅い眠りの中で寝返りをうつ。

　けれど、結局のところ、これはぼくの旅でしかなかった。そしてぼくは、ただの旅行者でしかなかった。特別なものなど、何もない。進むのも、やめるのも、決めるのはこの心ひとつだけだ。

　遠くから、礼拝の時刻を告げるアザーンの歌声が響いた。異国にいることを時おりこうやって鼓膜の震えで認識した。ここはぼくの国ではないという事実。そして、そんな事実をどうにか自分のものとして捉えたいと願う、今の自分自身のことを。

　明日は、どこへ行こう。それは、ぼくの心だけが知っている。

　きっと、今はまだ。
]]></content:encoded>
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		<title>ヌルールとイルファン／バンドゥン(1)</title>
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		<pubDate>Sat, 19 Jul 1997 06:30:49 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　バンドゥンへ行こう。目覚めた瞬間から、そう思っていた。ジャカルタの南東に位置する高原の町。42年前、歴史上初めて有色人種のみによる国際会議が開かれた地だ。第１回アジア・アフリカ会議、あるいはバンドゥ...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　バンドゥンへ行こう。目覚めた瞬間から、そう思っていた。ジャカルタの南東に位置する高原の町。42年前、歴史上初めて有色人種のみによる国際会議が開かれた地だ。第１回アジア・アフリカ会議、あるいはバンドゥン会議。そんな呼び名で知られている。

　朝食には、シンガポールの空港で買ったポテトチップスをかじった。別に、とりたてて食べたいわけではなかった。少しでも荷物を軽くしようと、そんな実際的な理由があっただけだ。日本のよりもいくぶん塩味のきついそれを、ただ機械的に口に運んだ。室温になったミネラルウォーターをゴクゴクと飲み、ジーンズに落ちた塩の粒を手で払った。旅の３日目にして、こんな朝を迎えていた。

　チェックアウトを済ませると、ひとまず独立記念塔を目指した。まだ時刻は９時台だったが、照りつける陽射しは鋭角で簡潔なものだった。時折、足元に伸びる自分の影の濃さに立ち止まることもあった。それはあまりにくっきりとしていて、まるで、別の人格を持ったもう一人の誰かのようにも思えた。

　そもそも独立記念塔は「ムルデカ広場」と呼ばれる端整な公園に建てられていた。緑に覆われた台形の敷地の中を、対角線に舗道が貫き、塔はその中心から天へと伸びている。

　手入れされた芝生のへりに腰を下ろし、太陽に目を細めながら塔を見上げた。背後には硫酸銅の結晶のような澄んだ青空が広がってる。ジャカルタ、ジャカルタ。日本からの独立を果たしたのはいつのことだったか。ふと、高校の世界史の授業を思い返した。東京大学をほとんど首席で卒業していた女性教師のことを、当時ぼくはとても好きだった。

「どうしても英会話を学びたくて、高校生のときに米軍基地のフェンスをよじ登ったことがあるんです。もちろん、命懸けでした。」「砂漠は本当は豊かなのかもしれません。それで、娘には砂漠の名前をつけたんです。サハラ。」

　そんな嘘とも冗談とも取れない話も好きだったが、授業の合間に聞かせてくれる旅の話が楽しみだった。彼女は、その頃すでに数十カ国を旅していた。アフリカの熱砂、アジアの匂い、インドの祈り、南米の貧しさ、東欧の慎ましさ。ぼくは彼女の声を頼りに、教室の片隅から世界を夢見ていた。

　ルーマニア史、ポーランド史、ユカタン半島史、ミクロネシア史と続いた各国史は、タイ、ベトナム、カンボジアに続いてインドネシア史にも触れた。授業の初めに彼女が言ったことばを、ぼくはありありと思い出す。客観的事実をあくまで客観的に伝える、その確かな声を。

「ジャカルタに独立記念塔と呼ばれるモニュメントがあります。インドネシア語では“MONAS”という略称もあるようです。もし皆さんがその地へ行く機会がありましたら、ぜひともインドネシアの独立宣言文を見てください。インドネシアは“西暦”で独立宣言をしたわけではないのです。西暦でもヒジュラ暦でもなく、そこには“皇紀”と書かれています。それが何を意味するのか、皆さんにも分かりますね」

　……先生、分かります。ぼくはそっと、胸の中でそうつぶやいてみる。あれから、４年。かつて彼女がその足で立った場所に、今、ぼくがいる。それだけで、何かもう十分な気がした。「独立宣言文を見てください」。でもぼくはそれを、インドネシアの人々の中に見たいと思った。まっすぐ、目を反らさないで。

　ムルデカ広場を横切り、ガンビル駅へと向かった。地元の人々でごった返す窓口でバンドゥン行きのチケットを買った。11時30分発のビスニス（二等席）で、Rp.15,000（≒750円）。ドミトリー１泊の値段と変わらないことに、ささやかな戸惑いがあった。封筒ほどの大きさのそれを手に、吹きっさらしの高架のホームへ向かった。風が音を立てて通り過ぎていく。もう一度チケットを確認した。刻印された到着予定時刻から、所要３時間ということが分かる。

　座席は２号車の8-Bとなっていた。とはいえ、どの列車がバンドゥン行きなのかが分からなかった。日本ではそうするように、乗車口の上部を調べたり、先頭まで回って何か行先が書かれていないかと視線を走らせたりした。けれど、どこにも地名を示す文字はなかった。

　チケットを手にホームをウロウロしていると一人の青年が親切に案内してくれた。さすがに手を引かれることはなかったが、さっとチケットを奪い取るその素早さに気持ちが冷やりとした。にこやかな笑顔の下の、ちいさな罠。そんな心にもないことを思った。正直なところ、まだまだ気持ちは異国に馴染んでいなかった。

「ここ。じゃ、気をつけて（シニ。スラマッ・ジャラン）」

　乗車口の前で、青年はあっけらかんと笑って言った。本当に、ただ親切に案内することだけが目的だったようだ。そんな彼の笑顔に、ぼくは慌ててありがとうを言った。でもそれは、どこか薄っぺらに宙を舞った。

　動き出した車内では、それぞれ一人で乗り込んできた男女と相席になった。青年はイルファンという名の大学生で、これからバンドゥンへ戻ると言った。里帰りとのことだった。頭からすっぽりヴェールを被った女性もまた、里帰りだと言った。ヌルールという名で、ジャカルタの銀行に勤めている。大学生の彼よりもずっときれいな英語を話し、笑顔のとても柔らかな女性だった。美しい。ただ、純粋にそう思った。

　のんびりとした列車の旅だった。車窓に広がる風景は、どこか日本の里山のような懐かしさがあった。時折、線路際で遊んでいた子供たちが乗客へ向けて大きく手を振る姿が見えた。地平線まで続く水田の先に、どっしりとした水牛の姿がかすんでいる。小さな川を渡り、踏み切りではオートバイの前後に４人もの子供を乗せた若い母親と目が合ったりもした。はっきりと相手の顔が確認できるほどの速度で、列車は東を目指す。

「大学では何を勉強してるの？」イルファンは何かの糸口を探るように言った。「ぼくの専攻は建築学なんだ。分かる？　建築学って」

「分かるよ」そう、ぼくは頷く。「ぼくの通ってる大学にも理工学部建築学科ってのがあってね。でも、ぼくの専攻は建築じゃない。文学なんだ。とは言っても、文学そのものを研究するわけじゃなくて、文章の書き方そのものを学んでいる。小説はもちろん、詩や、脚本や、コピーライティング。それから翻訳ってのも課題にはある」

「実践的なんだね？」

「そう、かなり。この旅が終わったら卒業レポートを書かなきゃいけないんだよ。ぼくの場合は小説なんだけれど」

「もう内容は決まってる？」

「ううん、まだ何も。ね、どうしよう？」そう言ってぼくは笑った。

　列車は東へ向けてひた走る。線路の継ぎ目で時おり車体が大きくバウンドしたが、その揺れさえもが心地よかった。肘掛にゆったりともたれかかって、静かに呼吸を繰り返した。心の中の海が、清かに凪いでいった。

「だったら、この旅のことを書いたらいい」しばらく経ったあとで、イルファンは得意気にそう言うと両手をパンと叩いた。

「いい？　まず最初はこうだ。バンドゥンへ向かう列車の中で、親切なジャカルタの大学生と相席になった。目の前には、これまた美しいジャカルタの女性が座っている」

「ちょっと待って、それはイルファンの目線じゃない？」笑いながら、ぼくはそんなふうに口を挟む。「だって、彼女は今ぼくの隣りに座ってるんだから」

　イルファンは楽しそうに大きく頷く。「オーケー、隣りだ。その美しい女性は、今、君の隣りにいる」

　振り向くと、おかしそうに口を両手で押さえて笑うヌルールの姿があった。大きな目が三日月のように細くなっていた。視線を戻すと、イルファンもまた口元を綻ばせ、ぼくの肩のあたりを嬉しそうに何度も小突いたりした。

　日常的な尺度で見れば、それはもしかしたら些細な出来事なのかもしれなかった。たまたま乗り合わせた乗客同士が、たまたまおしゃべりに興じて。でも、ここはインドネシアだった。生まれて初めての、海外。

　通路には飲み物や食事を手に持った売り子たちが行き交っていた。新幹線のような大掛かりなものではなく、売り子一人につき、せいぜい５～６種類程度の商品を扱っているだけだ。きちんと制服を着込み、彼らは絶え間なく笑顔をふりまいていた。中には、たっぷりに盛られた焼き飯を皿ごと乗客へ届ける売り子もいた。

「お腹すいてない？」ふと、イルファンがそんなことを言った。時計を見るとすでに午後１時を回っていた。「そうだね、うん。少しすいてる」そうぼくは素直に頷いた。

　売り子たちの姿を確かめ、何がおすすめかを二人にたずねようとしたところで、イルファンは急に立ち上がり売り子に声をかけた。「大丈夫だよ」イルファンは笑顔のまま穏やかな声で言った。「サンドイッチでいい？　飲み物は？　コーラにする？」

　突然のことで、一瞬、事態が飲み込めなかった。彼はぼくに何を訊いているのだろう。サンドイッチ、コーラ……。違う、とんでもないことだと、頭の中で何かが警笛を鳴らす。ヌルールを振り返ると、彼女もまた笑いながらぼくに頷いてみせる。「ううん、大丈夫よ」と。

「ねえ、ついでにクッキーもお願いしていい？　チョコレートの」ヌルールは紙幣を何枚かイルファンに手渡すと、もう一度ぼくを見てにっこりと笑った。「私もお腹すてるわ、一緒に食べましょう？」

　手渡されたのは、ふわふわの丸いパンにサンバルソースで味付けされた鶏肉と、しゃっきりとしたレタスの挟まれたサンドイッチだった。「ありがとう。なんて言っていいか分からないよ」ぼくはイルファンの厚意に、ただ、胸を震わせていた。

　サンドイッチを頬張り、ヌルールに差し出されたクッキーをつまみながら、また、三人で笑いながらことばを交わした。柔らかな時間だった。せわしない東京での生活の中で、ぼくはいつのまにかこんな温かみを忘れかけていたのかもしれない。パンを噛み締めると、甘い小麦の味が口中に広がった。ただ、嬉しかった。

「そう、さっきの続きね」ぼくはサンドイッチを手にしたまま、そうふたりの顔を交互に見つめて言った。

「しばらく電車の中で楽しくおしゃべりをした。建築学のこと、文学のこと。ぼくたちの脇を売り子が通ったとき、その親切な大学生はサンドイッチをご馳走してくれた。そして、隣りに座る美しい女性はチョコレートのクッキーを勧めてくれた。初めて会ったはずなのに、なんだか、まるでずっと前から友達だったような気分になる。開け放した窓から、土と森の香りが吹き込んでくる。そして、僕の旅はまだ始まったばかりだ」

「いいね、楽しそうだよ」イルファンは、いっぱいの笑顔で頷いてくれる。「そう、ぼくらは偶然に乗り合わせたわけじゃない。一緒に笑うために乗り合わせたんだ。日本語と、英語と、インドネシア語。でも、ことばなんて本当はどうだっていい。だって、何が言いたいのかぼくらには全部分かるんだから」

「ことばなんて本当は関係ないわ」さっきまで笑顔で頷いていたヌルールが、不意にそうことばをつなぐ。「もちろん、話せるに越したことはないけれど。でもね、でも、私にはあなたのことが分かる。一緒に笑える。楽しいって思える。いろんなことを伝えられるって思うの」

　ヌルールの横顔を憧れのように眺めていた。ぼくらよりもいくらか年上の彼女は、そんなふうに、今この瞬間をひとつひとつ閉じ込めてくれる。まるで手のひらに、小さな花の種子を残していくように。イルファンが頷く。ぼくも頷く。そしてまた、三人で顔を見合わせて笑顔になる。

　けれど、そんな幸福な時間が永遠に続くわけではなかった。ヌルールはバンドゥンではなく、このまま東へ向かうと言った。彼女の家族はチレボンという町に暮らしている。列車は乗り換えのためにしばらく停車し、車掌は新たに乗り込んだ乗客ひとりひとりにチケットの提示を促し始めた。

　ヌルールの降りた座席から、イルファンとふたりで彼女を見送った。何度も何度も振り返りながら、彼女は笑顔で大きく手を振ってくれた。その姿に胸を突かれて、熱くなった。

「ねえ、それで、その美しい女性とはどうなるの？」

　ヌルールはふと立ち止まり、思い出したかのようにそう叫んだ。イルファンがぼくを急かす。「ねえ、どうなるの？　彼女、行っちゃうよ」

　ぼくは大きく深呼吸をして、大声でヌルールに返す。「分からない？　もちろんハッピー・エンディングだよ！」イルファンの笑い声が車内に響く。ヌルールは大きく両手を広げて、ぼくたちに向かってこう叫ぶ。

「バグース！（すてき！）」]]></content:encoded>
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		<title>都市の暗闇／ジャカルタ(3)</title>
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		<pubDate>Fri, 18 Jul 1997 06:29:51 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　あまりにも唐突に目覚めた。０か１かの２進数の世界のように。起き抜けの身体に、眠りと目覚めの「あいだ」はなかった。あるのは、ナイフのように鋭利な覚醒だけだ。
　腹筋運動のように上体を起こし、腕に巻きつ...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　あまりにも唐突に目覚めた。０か１かの２進数の世界のように。起き抜けの身体に、眠りと目覚めの「あいだ」はなかった。あるのは、ナイフのように鋭利な覚醒だけだ。

　腹筋運動のように上体を起こし、腕に巻きつけたままの時計に視線を落とした。冗談のような光景が、不意に両目に飛び込む。秒針がみっつ動いたところで、時計はきっかり正午を打った。ジャスト12時。わけが分からない。

　隣りのベッドに目を向けると、既にシーツがきれいに均されていた。ゆうべの彼はもうチェックアウトを済ませたのだろう。

　ベッドから飛び降り、床との隙間に押し込んでいたリュックをひっぱり出した。サイドのポケットに突っ込んでいた宿帳の控えをもそもそと広げ、思わずぼくはため息をついた。チェックアウトのリミットは、午前11時となっていた。

　自動的に、このドミトリーに連泊することになってしまった。仕方がない。

　ハンガーを使って衣装掛けに吊るしていたタオルを手に取り、それならばとシャワールームへ向かった。目を閉じて、ひとしきり顔いっぱいにしぶきを受け止めたあとで、石鹸ひとつで髪から足先まで洗った。きしむ髪の感触さえもが心地よかった。まるで、海の家で過ごした夏の午後のように。

　建設現場の青年よろしくタオルを頭に巻きつけ、歯ブラシをくわえたまま荷造りをした。ドミトリーの他の住人たちと目配せだけで挨拶を交わし、汚れた衣類をくるくると丸めてリュックの底に押し込んだ。

　ジーンズに履きかえ、新しいポロシャツに袖を通し、編み上げのブーツの紐をぎゅっと締めた。勢いよく立ち上がると、もう居ても立ってもいられなくなった。さあ、行こう。この地下室から一歩外へ出れば、インドネシアの風が待っている。排気ガスに汚されていたとしても、それは今日かぎりの異国の風だ。

　階段を駆け上がるようにのぼり、レセプションにいた青年に思わず声をかけた。

「元気かい（アパ・カバール）？」

　そう声に出すだけで、自然と全身に力が満ちていった。軽い足取りのままガラス戸へ向かうと、不意に背後から声がした。「ちょっと待って！」。なにごとかと振り返ると、彼はバツの悪そうな顔でこう続けた。「チェックアウトするかい？」

　手ぶらのまま外へ出ようとする宿泊客に、そんな言葉がかけられるとは思わなかった。咄嗟に頭の中でインドネシア語を組み立て、ぼくは彼にこう返した。

「ごめん。でも、チェックアウトの時間って、もう終わってるよね？（マーフ・ヤ。トゥタピ・ワットゥ・チェッアウ・スダー・スルサイ・ヤ）」

　青年は思いがけないことを言った。この時間でもまだチェックアウトは可能だという。もし連泊するのであれば、今ここでその旨を伝えてほしい、と。

　自動的に連泊せざるをえないと思い込んでいただけに、その突然の選択に気持ちが揺れた。留まったって構わない。けれど、別の宿へ泊まってみてもいいかもしれない。　もちろん、同程度の宿をこの値段で見つけられるかどうかは分からなかった。

　少しだけ迷ったあとで、ぼくはこんなインドネシア語を口にしていた。

「します、チェックアウト。いま荷物を取ってくるから、ちょっと待ってもらえるかな？（チェッアウ・サヤ・アカン。スカラン・ムンバワ・バランク、トゥング・スブンタール）」

　青年は、ほっとした笑顔で頷いてくれた。連泊を強要しないこの宿のあり方や、彼の笑顔が嬉しかった。

　　　＊

　昨夜、オレンジ色の光の中にあったジャクサ通りは、照りつける陽射しの下で白く輝いていた。ほんの少し通りを歩いただけで額にじんわりと汗が滲んだ。リュックの肩紐もたっぷりと熱を吸って、じりじりと身体を締めつけてくるようだった。

　通りの両側には路地のような細道がいくつか走り、足を踏み入れると、とたんに通りの賑やかさが薄れた。日常の残照のような細い光が差し込む場所だった。

　そんな路地を順番に歩き、目に付いた安宿をひとつひとつあたった。学生街の下宿屋のように、入り口に旅行者たちの靴やサンダルが脱ぎ捨ててある宿や、どことなく仮設住宅にも似た趣のところもあった。

　４軒目に入った宿に決めた。「Bloem Steen Hostel」という名の宿は、狭いなりにも個室で、１泊Rp.12,000（約600円）という安さだった。

「悪いね、共用の水シャワーしかないんだ。部屋だってすごく狭い。扇風機はあるけど、もしかしたら夜も暑いかもしれない」

　案内してくれた青年は、たどたどしい英語でそんなことを言った。全部が言い訳みたいで可笑しかった。正直に質の低さをばらしてしまう青年のことを、ぼくはなぜか信じてみようと思った。

「大丈夫、チェックインするよ（ティダッ・アパ・アパ。サヤ・アカン・チェッイン）」

　笑いながら告げるぼくに、青年は歓声を上げてハイタッチの仕草をした。その手のひらに、ぼくは自分の手のひらを勢いよくぶつけた。お互いに、顔いっぱいの笑みを浮かべて。

　重いリュックを床に放り投げ、その足で街歩きに出かけた。地図はない。目的の場所さえない。けれど、そんな「ないない尽くし」の今の状況がたまらなく心地よかった。どこに行ってもいい。どこにも行かなくたっていい。そう思うだけで、自分が少しだけ自由になれたような気がした。

　　　＊

　手始めにサリナ・デパートへと足を運んだ。インドネシア各地の土産が定価で売られているという。交渉しながら買い物をするのが普通のこの国で、定価というものはそのまま適正価格を意味した。昨日の夜、同じドミトリーにいた日本人の青年にそう教わっていたのだ。

「だいたいの値段を頭に入れとくといいよ。インドネシア語で交渉したいんだったら、なおさらだね」

　インドネシア語で交渉することは、きっと今はまだできないだろう。けれど、近い未来に必ずそれを実現しようと心に決めていた。あらかじめ見たい景色があって旅に出たわけではなかった。インドネシアという国に暮らす人々に会いたかった。ただ、それだけだった。

　デパートとは名ばかりの店内は、まるで郊外型の大規模スーパーのような雰囲気だった。はっと目を引くようなものは特にない。やる気のなさそうな店員たちが、ジュースやスチロールの容器に入った焼き飯などを口にしながら、だらだらと退屈そうに店番をしていた。

　エスカレーターに乗って最上階へ向かった。１フロアずつ順に下がりながら見てまわろうという算段だ。昇りながら、素通りできそうなフロアを確認した。婦人服と子供服のフロアや、家具や家電のフロアには用事がない。ひとまず土産物の定価だけ頭に入れられればいい。

　冷房のない巨大な箱の中に含まれて、ぼくは、今を確かめるみたいに湿った空気を吸った。誰もいない夏休みの学校の図書室を思い出した。

　３階から４階へ向かっている途中で、いきなり停電に襲われた。一瞬にして店内は闇に包まれ、唐突に止まったエスカレーターの反動で、思わず前につんのめりそうになった。

　感覚だけを頼りにエスカレーターのステップを昇りきると、フロアのあちこちに朧気な光のゆらめきが見えた。きっと、誰もが慣れっこになっているのだろう。レジのカウンターや商品棚の片隅に、店員たちは小さな蝋燭を置いて回った。

　ほどなく電力は回復し、途切れたままのラジカセから、音楽やラジオのおしゃべりの続きが聴こえた。通電と同時に、世界が日常の色合いを取り戻す。店員たちと目が合うと、彼らは静かに微笑み返してくれた。まるで、何事もなかったかのように。

　蝋燭を消したあとの煙の匂いが、フロア全体に薄く広がった。エスカレーターの脇に立ったまま、しばらくぼんやりとそんな香りを肺の奥に収めた。何かが違ってしまっている。直感にも似た、強い気持ちでそう思った。

　奇妙な浮遊感を覚えながら、ふわふわとフロアを見てまわった。６階はインドネシア各地の名産品を揃えた店が集まる場所だった。バティックと呼ばれるろうけつ染めの布や、イカットという絣のような織物。銀細工や、木彫、ラタンの小物や名も知らぬ陶器の山。定価を知ることが目的だったのに、結局、何を見ても、どれだけ回っても数字は頭に入らなかった。

　すっかりあきらめて、そのまま何も買わずにデパートを出ることに決めた。振り向きもせずに下りのエスカレーターを乗り継ぎ、足を緩めることなく表へ出た。照りつける熱帯の陽射しを浴びながら、ぼくはもう一度あの闇は何だったのだろうと思った。あの闇はいったい何だったのだろう。

　そこには、なぜかあの一瞬の闇に惹きつけられている自分がいた。
]]></content:encoded>
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		<title>オレンジ色の光の中で／ジャカルタ(2)</title>
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		<pubDate>Thu, 17 Jul 1997 06:28:13 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　ガンビル駅に到着したものの、安宿が密集していると聞くジャクサ通りまでは、南に向かうという以外に何も分からなかった。もちろん、すぐにタクシーか何かで行ってしまうこともできた。けれど、自分の足で歩いてた...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　ガンビル駅に到着したものの、安宿が密集していると聞くジャクサ通りまでは、南に向かうという以外に何も分からなかった。もちろん、すぐにタクシーか何かで行ってしまうこともできた。けれど、自分の足で歩いてたどり着きたいと思っていた。

　バスから降りると、一斉にベチャやらバジャイやらタクシーやらの運転士たちがやってきて、怪し気なニホンゴで話しかけてきた。感情のこもっていない記号のような日本語。それを耳にするたびに、かすかな空しさを覚えた。小さな嘘をつかれたあとの寂しさによく似ていた。

「タクシー・ヤスイヨ・ドコイクネ・ノルカ・ニホンジンネ」

　ぼくは彼らに向けて「ティダッ・マウ（要らないよ）」を繰り返した。商売なのは理解していたが、乗りたくないものに乗れるわけがなかった。それでもしつこく食いさがる運転士もいたが、もう声に出すことすら面倒になり、無視を決め込んで通り過ぎた。そんな視線で見つめられても、ぼくにはどうすることもできない。

　夕暮れ間近のジャカルタは、街灯がそうさせるのか、淡いオレンジ色の光の中にあった。空の藍色が、太陽の光を押し遣るように西へ西へと広がっている。むせるような熱気とバイクや大型バスの排気ガスが、街の底で厚い層になって淀んでいた。気温はまだ30度を下回っていないだろう。ひとつ呼吸をするたびに、一歩足を踏み出すたびに、背中に不快な汗が滲んだ。

　駅の西側には「モナス」と呼ばれる独立記念塔が建っていた。ランドマークとしてこれほど分かりやすいものはない。その塔を背にしながら南へ歩けば着くだろうと、そう高をくくって歩き始めた。けれど、いくら歩いてもオレンジ色の光に変化はなかった。急に道が開けることも、賑やかな通りにぶつかることも。

　すっかり陽は西に傾き、通りを歩く人影も途絶え、ただ自分の心臓の音だけが耳の奥を打つ時間が続いた。

　途中、何度か通行人に道を尋ねてはみたが、答えはどれもまちまちで、とにかくこのまま行けば着くといったような口ぶりばかりだった。一度だけ、軍服を着込んだ青年に声を掛けた。ジャカルタの軍事資料館、いや、もしかしたら正真正銘の軍事施設だったのか、その閉ざされた門の向こうにいた青年はライフル銃を右肩に提げて何やら自信に満ちた表情で言った。「それなら、この道を行けばいい」と。

　彼の指差した方向は、これまでさんざん歩いてきた道だった。瀟洒なホテルが何軒かあり、街路樹が立ち並ぶ片道４車線の道路が続いているだけだ。この先にサリナ・デパートがあるとは思えなかった。なかなか歩き出さないぼくに、彼は親切心からか、それとも聞き取れなかったと勘違いしたのか、持ち場を離れてこちら側へとやってきた。そしてまた、自信に満ちた声でひとこと。

「この道を行けばいい」

　青年が身体を反転させて道を示す際に、ライフル銃の銃口がこちら側に向いた。なんとなく従わざるを得ない雰囲気だった。彼が威圧的だったわけではない。自信に満ちた口調と、時折こちらに傾く銃口がそうさせた。ひとまず礼を告げ、言われたとおりに来た道を戻り始めた。本当にこの道でいいという思いなど何ひとつなかった。

　歩き疲れ、交差点のガードレールに腰かけて煙草を吸った。黄色のアメリカンスピリット。けれど、煙草にまですっかり汗の匂いが染み付いていた。視線を上空に向け、何もない夜へ向かって煙を吐いた。ため息の代わりに息を吐き出せる点が、煙草の優れた部分のひとつだった。

　視線を車道に戻し、この交差点のどちらへ向かおうか決めかねていると、前方に大きなイスラム教のモスクが見えた。特徴的な玉ねぎ型の屋根があり、日本武道館を思わせる建造物だった。あらためてインドネシアが世界最大のムスリム国家であることに気付いた。

　無宗教のぼくでさえも、こうした建物を目にしただけで何かが変わることがある。確かに道に迷ってはいたが「それがどうした？」と思った。改めて、歩いて目指すという気持ちに迷いのないことを知った。

　もう一度、仕切り直しの意味をこめて独立記念塔へ向かった。塔はモスクのちょうど反対側にそびえていた。そこからふたたび南へ向けて歩き出せばいい。必ず着ける。そんな根拠のない自信だけがぼくを前へ動かしていた。

　安宿街のあるサリナ・デパート周辺に到着したのは、結局、午後８時過ぎのことだった。ガンビル駅を離れた時点ではまだ６時前だったから、かれこれ２時間以上も歩いたことになる。あとになって地図で確かめれば、たかだか３キロにも満たない距離だったけれど。

　サリナ・デパートの北にある狭い通りが安宿街のジャクサ通りだった。ひとまず場所を確かめたうえで周囲を歩いた。とにかく水が飲みたかった。途中、近くのスーパーマーケットで1.5リットルのミネラル・ウォーターを買った。ゴールデン・トゥルーリーという名の店だ。店内はスーパーと問屋の中間あたりの雰囲気で、日本ほど陳列に気を配っているわけではなかった。品揃えはそれなりに豊富で、衣料品や石鹸、雑貨なども取り揃っていた。旅行者の姿もちらほらあったが、客のほとんどは地元の人たちだった。

　水を両手に抱えながらジャクサ通りでこの旅はじめての宿を捜すことにした。通りの両脇には小さな屋台がいくつも並び、油で何かを揚げる匂いや、インドネシア煙草の甘い香りが充満していた。街灯は決して明るくはなかったが、レストランやホテルから漏れる光のおかげで、通りは暗闇を歩いた目には柔らかかった。

　屋台の中には、ありとあらゆる日用品を扱うものもあった。リヤカーにガラスケースを乗せただけのような棚に、飲み物やスナック菓子、タバコ、石鹸やシャンプーの小袋までが所狭しと並べられていた。道の両端には、くわえ煙草で座りこむ細身の男たちの姿があり、何やら熱心に議論を交わす光景も見られた。

　通りの外れまで歩いたところで、思わず立ち尽くした。どこに泊まればいいのか、いや、そもそもどこに泊まりたいのかさえ考えていなかった。視線の先にはジャクサ通りに突き当たる国道の暗がりがあり、道はそこで終わっていた。

　途方に暮れていると、背後から中学生ぐらいの少年に日本語で声をかけられた。「ホテル、ヤスイヨ」と。白を基調としたスーツに身を包み、少年はまっすぐにぼくを見上げていた。ぴんと背筋を伸ばした姿が眩しかった。

　ダムリ社のバスにいた車掌の少年しかり、目の前の少年しかり、彼らもまたここでは立派な働き手だった。そんな現実にまだうまく馴染めていない自分がいた。少年は親しみのこもった声で、もう一度、きっぱりとこう繰り返した。「グッディーブニン、ジャパニス。ユールッキンフォーホテル？　ヤスイヨ」

　最後の部分だけ、少年はやっぱり日本語で言った。まるで何かの合言葉みたいに。なんだかそれが可笑しくて、知らずに笑顔がこぼれていた。「ありがとう。実はどこに泊まろうか迷っちゃって……。ホテルは、どこにあるの？（マカシー・ヤ。タピ・サヤ・ティダ・タウ・ヤン・ティンガル・マラム・イニ。ディ・マナ・アダ・ホテルム？）」

「サナ、ドゥカッ・ダリ・シニ（あっち、ここからすぐだよ）。」少年は背筋を伸ばしたまま、満面の笑みを浮かべて答えた。

　案内されたのは、小ぢんまりとした、けれどもそれなりに綺麗なホテルだった。ジャクサ通りにあってそこだけ光の量が違っているような場所だ。「Le Margot」。そんな文字が目に入った。

　隣りには、同名のオープンエアのレストランが併設されていた。店内では、シャツを着込みドレスをまとった初老の旅行者たちが、気持ちよさそうに食事をしていた。ぼくのような年代の人間など何処にも見当たらなかった。

　とっさに「高い」という言葉が頭をよぎった。続けて、ふさわしくない、と。ぼくはぼくなりに、自分の身分というものを理解していたつもりだった。ジーンズにＴシャツ、サンダル履きで席に着くことが、彼らにどれほどの不快感を与えてしまうかを想像した。今のぼくがこの場所に落ち着くことはできない。そう思った。

　それでも、少年に促されるままひとまずレセプションまでは出向き、恐る恐る値段を訊いた。「ごめんなさい、一泊いくらですか？」と。「すみません（プルミシ）」ではなく、いきなり「ごめんなさい（マーフカン・サヤ）」という謝罪のことばを使ったぼくに、フロントの男性はいたずらっぽい笑顔で応じてくれた。

　「当ホテルには、シングル、ダブル、スイートとございますが、地下に単身旅行者向けのドミトリーも完備しております。ドミトリーではいかがですか？　１泊Rp.15,000（約750円）になります」

　「はい？」告げられた値段に驚きながら、そんな間の抜けた声を発していた。

　フロントの男性の合図で、少年と同じような制服を着た青年が代わりにぼくのリュックを背負ってくれ、地下のドミトリーまで案内してくれた。

　階段を降りてすぐに簡素なソファとテーブルがあり、やや奥まった所に、共同のホットシャワーと洋式トイレ、よく磨かれた洗面台が設えてあった。部屋は左右にひとつずつあり、その空間に、バティック染めの色鮮やかなシーツが掛けられたベッドがずらりと並んでいた。冷房も程よく効いている。ベッドの脇には小さなスタンドと専用の衣装掛けもある。

　そして何より、すでに泊まっていた旅行者たちが、みなぼくと似たようなバックパッカーだった。

　「大丈夫……だと思います。でも、本当にあの値段でいいんですか？」青年は何も言わず、ただにっこりと笑ってうなずいてくれた。

　チェックインを済ませ、さっそくシャワーを浴びて汗を洗い流した。洗面台でざっと洗濯も済ませ、迷わずベッドに横になった。冷やりとしたシーツが肌に心地よかった。日本を出て以来、きちんと横になるのは久しぶりな気がした。

　浅い眠りと覚醒のあいだをうろうろしていると、またしてもぼくに向けられた声に気がついた。薄目を開け、顔だけを横に向けて見やると、顔中に無精ひげを生やした日本人の青年が「こんばんは」と言って立っていた。どうやら、隣りは彼のベッドのようだった。慌てて身体を起こして挨拶を返した。「ここ、けっこういいドミだよね」彼は確かめるような声で、そんなことを言った。

　彼は28歳だった。一ヶ月前に会社を辞め、旅を続けているという。「なんだか疲れちゃってね」という言葉が、日本での生活のことだったのか、旅そのもののことだったのか、ぼくには分からなかった。ただ静かに頷いて彼のことばに耳を傾けていた。

「まだ、決めてないんだ。どこに行くとか、いつまで旅をするとか。ひとまず今はここにいて、身体を休めてるんだよ。でも目的なんて無いんだな、実は。どこでも良かったんだって思うよ」

　きっと彼はぼくに向かってではなく、自分自身に向かってそう言っていたのだろう。彼はくしゃくしゃになったＴシャツをバックパックに詰め込み、小さくふうと息を吐いた。そんな彼の心のうちに広がるものに思いをめぐらせていた。

「あの、実は」ぼくは、そう声を出した。「実は、ここが旅の最初の宿なんです。昨日の深夜にシンガポールについて、さっきジャカルタに」

「へえ、そう。そっか、でもよかったな、最初がこの宿で。いや、逆かもな。もっとひどい宿なんてザラにあるよ。ここが特別だって思った方がいいね。でもまだ旅は始まったばっかなんだろ？　そっかそっか、いいじゃん。全部でどれくらいまわんの？　学生だろ？」

　少しだけ、彼の中で何かが吹っ切れたのかと思った。声がさっきよりも大きくなり、力強くなっていた。

　「まだ、きちんと決めてないんです。60日以内にバリ島から帰国する以外は」

　青年は声をあげて笑った。「いいじゃん、60日って期限があんだから。でもバリ島か。バリまで行かなきゃ帰れないんだろ？　面白いね、いや、それはそれで面白いよ」

　少しずつではあったけれど、彼とことばを交わしながら、どこかで張り詰めていた気持ちがやわらいでいくのが分かった。もちろん、彼のことばを受け止めるたびに、この旅の先にある漠然とした不安に心を奪われたりもした。

　誘われるまま、ジャクサ通りへ遅い夕食をとりに行った。彼は「ナシ・ソト・アヤム」とよばれる鶏の雑炊に、冷えたビールを１本。ぼくは「アヤム・ゴレン（フライドチキン）」と「ナシ・プティ（白米）」と「エス・テ（アイスティー）」を注文した。初めて食べるインドネシア料理だった。

　運ばれてきたものは、こんがりと揚がった鶏の胸肉にたっぷりのトマトソースが掛けられたものだった。思わず手づかみでほおばると、口いっぱいに肉汁が広がった。ソースは見た目よりもずっとスパイシーで、その独特の香辛料の風味が白米ともよくあった。考えてみれば、機内食以外にまともな食事をとっていなかった。ずっと水ばかりを口にしていた。久しぶりの熱々の食事に意識が飛んでしまいそうなほどだった。

　「うまそうに食うなあ。なんか、見ててうれしくなるよ」彼は、ぼくを見ながら呆れたように言った。

　「いや、うまいですよコレ。ほんとにおいしい。日本で食べてたのって、あれ、実はフライドチキンじゃなかったかもしれない」笑いながらそう返して、ぼくはまた鶏肉にかぶりついた。スパイスの香りと肉汁が口いっぱいに広がる。止まらない。

　これで、Rp.4,600（約230円）という安さだった。

　ちょっと歩いてくるよ。そう言う彼と別れ、ひとりでドミトリーに戻った。ベッドに大の字になって横たわると、瞬く間に眠りがやってきた。目を閉じると、まぶたの裏に色とりどりの線が浮かんだ。光が軽やかに流れていく。

　おやすみ、と思った。誰に向けたものでもなく、ただ、自分自身のために。
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		<title>手をつなごう／ジャカルタ(1)</title>
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		<pubDate>Thu, 17 Jul 1997 06:27:17 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>インドネシア編</category>

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		<description><![CDATA[　シートに落ち着いた乗客たちの耳に、思いがけないアナウンスが流れた。
「午後12時ごろ、バンドゥン発ジャカルタ行きフォッカー機、離陸直後に空港近くに墜落。乗員・乗客のうち20名以上の死亡を確認」
　シ...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　シートに落ち着いた乗客たちの耳に、思いがけないアナウンスが流れた。

「午後12時ごろ、バンドゥン発ジャカルタ行きフォッカー機、離陸直後に空港近くに墜落。乗員・乗客のうち20名以上の死亡を確認」

　シンガポール発ジャカルタ行きSQ158便に、離陸する気配はなかった。スカルノ・ハッタ空港ではまだ混乱が続いているようだ。定刻はとっくに過ぎていたが、乗客を乗せてしまった旅客機は、滑走路の片隅で無為な時間を過ごしていた。

　機内の窓からは、斜めに切り取られた空が遠く霞んで見えた。ぼくは空の一点を見つめ、いつ飛ぶかも分からない鳥の体内で、自分の呼吸の音ばかり数えて過ごした。

　15分、30分、１時間経っても、SQ158便は滑走路に留まったままだった。狭いエコノミーのシートには両脚を投げ出すスペースもなく、窮屈な思いのまま、じっとこの状況を受け入れようとした。

　時折、この旅と、これからぼくの身に起こるであろう様々な出来事に、気持ちのすべてを奪われそうになった。それは死といった具体的なものではなく、もっと別の、得体の知れない深い闇のような何かだった。頭の中がそんな闇で塗り潰されそうになると、違う、これはただの離陸待ちなんだと、無理やり自分に言い聞かせたりもした。

　空はあくまでも遠く霞み、この空の先には暮れかけた町があり、誰かの暮らしがあり、その町の夕暮れはまたどこかの町の朝に続き、今ぼくは霞んだ空の下で身動きが取れないでいる。そう思うことで、今の自分の位置を確かめようとした。

　SQ158便が滑走を始めたのは、定刻より１時間40分も経った後だった。

　機内のアナウンスが、また何かを告げた。内容をきちんと聞き取る気力すら失くしかけていたが、「レディース・エン・ジェントルメン」の声に続けて、インドネシア語で「バパッ・バパッ、イブ・イブ」とあった。その響きの柔らかさだけで、ほんの少し気持ちが和んだ。おとうさん、おかあさん。そう優しく呼びかける島に、ぼくはこれから向かおうとしている。

　ジャカルタでの入国審査は思いのほかあっさりしたものだった。シンガポールのような冷やりとした思いを味わうこともなく、パスポートを手渡した審査官の青年は、にこやかな笑顔で力強く入国スタンプを押してくれた。それでおしまいだった。

　些細な仕草ひとつで、救われた気持ちになることがある。インドストリートで水を買った時もそうだ。そして今ぼくはこの青年の笑顔で、ふっと息継ぎが出来たような気がした。

　ジャカルタ、スカルノ・ハッタ空港は、インドネシア煙草の甘い香りと、むせるような湿気に満たされていた。どこかで嗅いだことがあって、でもぼくの人生のどこを捜しても見当たらない空気が、ターミナルの上空を浮遊していた。

　税関を抜けると、そこは出迎えの人たちがひしめくロビーになっていた。家族を待ち、恋人を出迎え、友人と再会を果たそうと、もどかしさと期待に顔を高潮させた人々の眼差しがあった。

　明らかにお目当ての相手ではないと分かるぼくの顔でさえ、彼らは食い入るように見つめた。視線が交わったときには、恥かしげな笑顔をそっとぼくに向けてくれた。「元気そうだね、やあ、おかえり」彼らの瞳は、そうぼくに語りかけている気がした。

　いくつか目に付いた両替所の中から、日本円20.45という高いレイトの窓口を選んで両替をした。２万円を交換したのだが、手渡されたインドネシア通貨であるルピアはRp.409,000もの額だった。

　事前に頭で計算しておけば、２万円でどれほどの紙幣を渡されるかは容易に理解できた。けれど、逸る気持ちからか、何も考えずに２万円を交換していた。実に旅の資金の４分の１だった。そして、手許には40枚もの１万ルピア札。

　頭をかすめたのは、これほどの大金を手に旅を始めることへの不安だった。何のために小額のトラベラーズチェックを持って来たのだろう。だいいち、この札束をどこにしまえばいいというのか。ポケットに入るわけはない。リュックにしまうとして、それが安全な場所だといえるだろうか。

　リュックに入れておけるのは、盗まれてもいいものだけだと考えていた。首からパスポートケースを提げていたが、その中にすら40枚もの１万ルピア札をしまえるわけはなかった。

　辺りを見回すと、何人かの男たちと目が合った気がした。ぼくがたった今手にした40万ルピアの存在にも、きっと気付いているにちがいない。そんな猜疑心とも妄想ともつかない思いが渦巻き、息を上手に飲み込むことができなかった。次にどんな行動を起こせばよいのかが、分からない。

　しばらく両替所の窓口の脇に突っ立ったまま、手にした札束をカウンターの下に隠して息をひそめた。とにかく何とかしなければ。同時に、こんなことで気持ちがぶれてしまう自分自身に情けなさを覚えた。

　考えた末に取った行動は、10万ルピアずつ４束になった札を、ひとつはブーツ・サイドのポケットに、ひとつをジーンズに、もうひとつをパスポート入れにしまい、残りをリュックの内側にある隠しポケットのような部分に突っ込んで南京錠をかけることだった。

　分散させておけば、どうにかなった時、被害を最小限にできるだろう。ブーツ・サイドがいちばん安全な気もしたが、安全度の高い低いを考える余裕など今はなかった。なるべく背後の人影に悟られず、なるべく誰とも目を合わさず、とにかくこの場から離れてしまおうと思った。

　やっと落ち着くことができたのは、ターミナルビルを出てすぐにあったレンガ色の柱の角だった。柱と壁の直角の部分にリュックを押し込むようにして腰を降ろし、ポケットから煙草を出して吸った。黄色いパッケージに、ネイティブアメリカンのイラストがある「アメリカン・スピリット」。日本から持ってきた煙草だった。

　煙草を吸ったせいか、いくらか気分も落ち着いた気がした。けれど、なかなか立ち上がる気力が湧かなかった。まだ、心臓は激しく胸を打っている。もう夕暮れが近いというのに、体中からじわりと不快な汗が溢れ出した。さっきから駅のキオスクのような売店が目に入ってはいたが、そこまで歩いてミネラル・ウォーターを買うことすら億劫だった。

　どれくらい柱の角に座っていただろう。ただ何もせず、ときおり煙草を吸い、通り過ぎる人々の姿を眺めた。それでも、こうしているうちに少しずつ気持ちにゆとりが出はじめた。「ここがインドネシアなんだ」と、そう繰り返し自分に言い聞かせたのも、わずかながら効果があったのかもしれない。

　心の中で「いち、に、さん」と数えてから立ち上がり、狙いをつけていたスタンドへ行ってミネラル・ウォーターを買った。500のペットボトルで1,500ルピアだった。インドネシア語で値段を聞き、１万ルピア札を出し、おつりをもらい、売り子のおばさんの発音した数字が確かに1,500だったことをつり銭から確かめ、きちんとヒアリングができていた事実に少しだけ気持ちが軽くなった。通学の行き帰りに会話集をめくっていただけのインドネシア語が、生きた言葉として耳に入った最初の瞬間だった。たったそれだけで、なにか特別なものを手にしたような嬉しさがあった。

　その場で封を開け、インドストリートの時と同じように一息で半分ほどを飲んだ。冷やされた水の美味しさに、しばらく声を失くした。もう大丈夫だ、行ける。これから市街地まで行こうと、口を拭いながら思った。

　市街地へ向かうにはダムリ社のバスが便利だと、事前に読んだ旅行案内で知っていた。安全かどうかは定かではなかったが、タクシーで向かうよりも格段に安いことだけは確かだった。

　入国ゲートのフロアからそのまま進んできただけだったから、しばらく歩き回ってもダムリ社のバス乗り場をみつけることができなかった。建物のあちこちにある案内板にも目を凝らした。どこにも「Damri」の文字は見当たらなかった。

　スタンドで水を買えたことで、気持ちはそれでも上向きになっていた。ならば誰かに訊けばいいと、そう何十回か思った。けれど、今度はその相手を誰にするかで躊躇い、二の足を踏むことになった。質問のフレーズを何度も頭の中で反芻しながら、声をかけるタイミングをうかがった。

　やっとのことで声をかけられたのは、空港の警備員らしき中年の男性だった。最初に「すみません」とインドネシア語で告げ、次に「ディ・マナ・アダ・ダムリ・ビス・プルフンティアン（ダムリ社のバス乗り場はどこですか）？」と訊ねた。

　ぼくの発したインドネシア語は、明らかにたどたどしいものだった。それでも警備員の男性は大きく両手を広げ、「バハサ・インドネシア（インドネシア語）！」と満面の笑顔を見せてくれた。

「ダムリはこっちだよ、階段おりて左」

　そう言いながら男性は急にぼくの手を取ると、わざわざ乗り場まで連れていってくれようとした。いきなり手を握られたことで、まるで迷子にでもなった気恥ずかしさがあった。けれど、抵抗する間もなく男性はぼくの手をぐいぐいと引いて、階下のバス乗り場まで案内してくれた。

　照れくさい気持ちのまま「ありがとう」と告げると、男性は「まあ、気にすんなって（ティダッ・アパ・アパ）」と言い残し、いま来た階段をひとり戻っていった。こういう親切の度合いに、かすかな戸惑いもあった。けれど、シンガポールとの違いを味わった瞬間でもあった。

　ダムリ社のバスは、かなり短い間隔で運行しているようだった。男性に案内された乗り場の右手から、観光用ともいえるほどの大きなバスが姿を見せた。徐々にスピードを落とし、乗り場に横付けされた時、バスの側面に大きく「Damri」と書かれたロゴが目に入った。

　バスが停車するかしないかのタイミングで車内から車掌らしき少年が飛び降り、顔をほころばせながら乗客の誘導をはじめていた。全身から喜びが溢れているような身のこなしだった。少年は、きっと生活のために働いているのだろう。どう見ても学校に通う年頃だったからだ。複雑な気持ちで、少年の笑顔を見ていた。

　ジャカルタの中心は国営鉄道のガンビル駅と聞いていたから、ぼくはこの少年に「ク・ガンビル（ガンビル行き）？」と訊ねた。少年は大きくうなずくと、先ほどの男性と同じようにぼくの手を取り、空いている席まで連れて行ってくれた。親切というものなのか、こうやってすぐに手を取って案内されることに、やはり気恥ずかしさと戸惑いがあった。

　少年はぼくが席に着いたのを確認すると、さっそく料金の徴収に来てくれた。ガンビル駅まで所要50分で	Rp.4,000とのことだ。支払いはその場で済み、おつりとチケットの半券を渡された。半券の裏には、何十回もコピーを繰り返したようなざらついた線で、ガンビル駅までの運行ルートが印刷されていた。

　旅行者の姿はぼくの他にフランス語を話す若い男女がいただけで、残りはすべて地元の人間のようだった。隣りのシートには、５才にも満たない男の子がちょこんと座り、ときおりぼくの目をじっと覗き込むように見つめた。こうやってまじまじと子供の瞳を見るのは初めてだったから、そのあまりに澄んだ瞳に、なにもかもを見通されてしまいそうな気がした。この男の子の目に、ぼくは今どんな像として映っているのだろう。

　窓の外を眺めるだけの時間が流れた。バスは薄暗がりの中を南へ向けてひた走っていた。街灯のオレンジ色の光が細い線になって後方へと過ぎ去り、商店やホテルの姿が残像のように網膜に滲んだ。

　気がついたとき、ぼくの右手に温かなものが触れていた。隣りの男の子が、ぼくの小指のあたりをぎゅっと握っていたのだ。温かかった。ぼくは笑いながら手のひらを上に向け、男の子の手をゆっくりと包んだ。隣りにいた父親らしき男性が、すまなそうな顔を見せながらぼくに笑顔を向けた。

「気にしないで（ティダッ・アパ・アパ）」

　ぼくはそう言って、バスが着くまでの間、ずっとその男の子と手をつないでいた。
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		<title>息苦しさのわけを／シンガポール(3)</title>
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		<pubDate>Thu, 17 Jul 1997 06:25:29 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>シンガポール編</category>

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		<description><![CDATA[　運転士は信号のはるか手前でブレーキをかけると、傍らに立っていたぼくに罵声を浴びせかけた。振り上げた両手で、そのまま胸ぐらをつかみそうな勢いで。
「カネ払ってないだろ、さっさと１ドル50セントよこしな...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　運転士は信号のはるか手前でブレーキをかけると、傍らに立っていたぼくに罵声を浴びせかけた。振り上げた両手で、そのまま胸ぐらをつかみそうな勢いで。

「カネ払ってないだろ、さっさと１ドル50セントよこしな、今すぐ降りるんだ」

　朝６時半に空港を発ったバスは、早朝の淡い白みの中を進んでいた。

　ジーンズのポケットを探り、ありったけのシンガポールドルを慌てて手に広げた。どの硬貨が１ドルなのか５０セントなのか、瞬時に見当がつかなかった。刻まれた数字を判読することすらできない。背後から乗客たちの咳払いが聞こえ、車内の空気が硬くなっていくのが分かった。不快や蔑みが、まっすぐぼくの背中に向けられている。粗い感情がこみあげてきた。

　どうにか50セント硬貨とおぼしき金属を見つけたとき、手のひらを乱暴にさらう別の手があった。運転士が、ぼくの手にあった硬貨や紙幣をグシャッとわしづかみにした。

「いいか、乗るときに払ってくれ」

　運転士は取りあげた金から硬貨をふたつ支払いボックスに投げ入れると、残りをさっき以上に乱暴に返してよこした。紙幣は、悲しいまでに握り潰されていた。こんなことが許されるわけはない。そうぼくは強く思った。これは紙クズなんかじゃない。ちゃんとした金なんだ。

「さっさと降りろ」

　もう一度、運転士は声を荒げて吐き捨てた。言われるまでもなく、さっさと降りるつもりだった。これ以上、こんな悲しみにかかわりあいたくなかった。

　くしゃくしゃにされた紙幣をポケットにねじ込み、何も告げずにステップを降りた。振りかえると、乗客たちが一斉にぼくを見下ろしていた。いったいなんて目をしているんだ。身体の内側に、凍えた風が吹いた。どれもみな、からっぽの瞳をしていた。

　降り立った先は、バス停でも何でもないただの大通りの片隅だった。目印になるようなものが何ひとつない。しばらく宙をさまよった視線は、走り去るバスの後部に落ち着いた。それぐらいしか見るものがなかった。

　バスが行ってしまうと、身体中にひどいだるさを覚えた。その場に座りこみ、深く息を吐いた。結局、昨夜はろくに眠ることができなかった。３時過ぎまで記憶があり、寒さに目覚めたのが５時半だった。

　もし不快の渦というものがあるとしたら、今ぼくはまさにその中心に座っていた。東の空が明るみはじめても、出るのは行き場のないため息ばかりだった。

　空港からバスに乗りこんだときのことを順番に思い返した。ぼくは確かにあの運転士と言葉を交わしたはずだった。もうこのバスに乗っても大丈夫か、何分ぐらいで市街へ出られるのか、そして料金はいくらなのか。

　そんなやりとりのうえでシートに腰をおろした。特に見たい景色があるわけではなかったから、しばらくは目を閉じて休んでいた。

　乗客が増えてきたころ、立ち上がって席を空けた。誰かに勧めるわけではなかったけれど、自然にそうしていた。学生鞄を肩にかけた地元の男子高校生が、そこへ飛びつくように身体をおさめた。誰とも目を合わせたくない。そんな瞳をしていた。

　つり革にぶらさがったまましばらく窓の外を眺めた。感慨というものを、何ひとつ感じることができなかった。

　あのとき、運転士はぼくにこう確認さえしたのだ。

「オーチャードでいいんだったら、１ドル５０セントだ」

　市街へ、と言ったぼくの表現が、漠然としすぎていたのもあったのだろう。「それで構わない」とぼくは答えた。本当はどこでも構わなかったが、行き先と運賃がはっきりしたことで気持ちは落ち着いた。運転士はひとこと「そうか」と頷き、エンジンをふかしはじめた。

　やがてバスはたったひとりの客を乗せて走り出した。「運賃を今すぐ支払え」などとは、一度も言われなかった。

　　　＊

　重たいリュックを担いで立ち上がり、行くあてもなく歩いた。まるで、全身に鎖を巻かれたような気分だった。朝靄の大都市の中を、いったいどこへ向かえばいいというのか。分かっていたのは、ここがシンガポールと呼ばれる国の「どこか」であることだけだった。

　それでも半時間ほど歩き回ると、視線の先にひと目でそれと分かるインドストリートが見えた。まだ活動をはじめるには早すぎる時間帯に思えたが、通りを一本挟んだ向かいには、すでにせわしなく動きまわる人々の姿があった。

　足を一歩踏み入れて、はじめに感じたのはその匂いだった。香の匂い、何かが発酵したような匂い、生臭み。それらが太いかたまりになって鼻腔の奥を突いた。いつもなら不快に思う種類の匂いだったが、感じたのはむしろ人の体温に触れたような安らぎだった。

　通りの一角に、開きはじめたばかりの雑誌スタンドがあった。映画スターや歌手たちが表紙で笑う雑誌そのものが、店の装飾にもなっていた。梁に渡したロープに彼らの笑顔が吊り下げられていく。笑顔、笑顔、笑顔。店の奥のラジカセからシタールの音色が流れ、傍らには思慮深い表情をした老人が腰をおろしていた。老人はときおり、雑誌を並べる青年に何かを告げ、人差し指ひとつで配置の修正を促していた。

　大通りの右手から、荷台に若者たちを山ほど乗せたトラックが到着した。この通りのあちこちからも若者たちが駆け寄り、荷台に飛び乗っていった。なかには荷台の上で肩を叩きながら笑いあう姿も見られた。どこへ向かうトラックなのか分からなかったが、彼らが働きに出るということは理解できた。たぶん妻なのだろう、まだ小さな子供を抱えながら立つ女性に向けて、にこやかに手を振る青年もいた。きれいな笑顔だった。

　狭い路地には、長いホウキに振り回されながら熱心に掃除をする少年の姿があった。細く頼りない腕だったが、それでも確かな実感が込められていた。薄い赤のビニール袋を提げた女たち。開店の準備をすすめる男たち。

　日用品を扱うスタンドでミネラルウォーターを買った。店先に立ち止まって目を合わせると、男は大きな声で「おはよう」と声をかけてくれた。沈みかけた気持ちを、何センチか上に引っ張りあげてくれる笑顔だった。値段はバス代と同じ１ドル５０セント。シンガポールの水道水は飲むことができると聞いたことがあったから、その値が高いのか安いのかは判断できなかった。けれども今は、そのどちらでも構わなかった。

　男の見ている前で封を開け、一息に半分ほどを飲み干した。渇いていたのは喉だけではなかったことを知った。くちびるの端からこぼれおちた水が、頬を伝って首筋に流れた。冷たさが心地よかった。男の笑顔に、ぼくも笑顔で応えた。

　目的もなく10時頃まで過ごした。どこかで朝食を摂れるかと思ったが、目についた店はどこも11時以降の開店となっていた。もう、空港に戻ろうと思った。いつまでも、ここにこうしてはいられなかった。

　さっきよりもぐんと熱を増した陽射しを受けながら、ふらふらとバス停を探した。鋭角に削ぎ落とされた陽射しが、街の底をじんわりと溶かしていく。リュックのサイドでミネラルウォーターの水がぱちゃぱちゃと音を立てた。

　瀟洒なホテルの前にバス停を見つけた。時刻表に「16」の数字を探した。バスはあと10分もしないで来ることが分かった。

　やってきたのは観光バスのような大きなものだった。フロントに16という数字が見えたが、すぐに乗り込まず、乗車口から運転士に声をかけた。空港まで行きますか、と。

　運転士は躊躇なく首を縦に振った。どちらにも加担しない中立的な仕草だった。運賃を支払いボックスに入れ、最後列のシートに座った。不思議なことに、もうその運転士の顔を思い出すことができなかった。

　冷房の効きすぎたバスから外を眺めた。本当は、ガラスのほんの少し先を見ていただけかもしれない。ぼくはここで何をしているのだろう。そんな思いばかりが浮かんだ。すっきりした答えも、納得できる理由も見つからなかった。くしゃくしゃになった感情だけが、ゴミ箱からあふれた紙くずのように、心の内側に転がっていた。

　両手でしっかりと肩を抱きかかえた。そうせずにはいられなかった。効きすぎた冷房だけではなく、そうしないと身体がばらばらになってしまいそうだった。

　前のシートの背に目をやると、英語でこんな走り書きがしてあった。それは注意しなければ見落としてしまいそうなほどの、小さく消えかけた文字の連なりだった。

「ここは苦しいから早く火星に帰ろうよ、早く、早く」

　息苦しさを覚えた。今ぼくがいるちょうどこの席に、この文章を書いた人間も座っていたのだ。空港へ向かう、この冷えきったバスに。

　いったい、ここはどんな場所なんだ。

　けれど、その息苦しさのわけを、ぼくはもう知ってしまったように思った。ここはぼくらの暮らせる場所じゃない。あなたも、きっとこのぼくも。

　かすれた文字に、手のひらを当てた。少しでも熱を分けたいと思った。この文章を書いた人間は、もうこの世にいないのかもしれない。そんな思いだけが、深く、心に突き刺さっていった。
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		<title>ここが始まり、ここで終わり／シンガポール(2)</title>
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		<pubDate>Thu, 17 Jul 1997 06:24:49 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>シンガポール編</category>

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		<description><![CDATA[　結局、照明の消えないトランジットロビーで横になった。目を閉じるとまぶたの裏にさまざまな光の糸が浮かんだ。それらは赤くねじれ、黄色くかたむき、薄みどり色に重なりあった。焦点を合わせようとしても光はすぐ...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　結局、照明の消えないトランジットロビーで横になった。目を閉じるとまぶたの裏にさまざまな光の糸が浮かんだ。それらは赤くねじれ、黄色くかたむき、薄みどり色に重なりあった。焦点を合わせようとしても光はすぐに滲んでしまう。眼球の奥が熱くしびれてくる。

　眠りがぼくを包みはじめたからか、それとも意識が散らばりはじめたからなのか、やがて光の糸は目尻の裏側へ帰っていった。身体の内側でなにかが徐々に閉じられていく。眠りに落ちる寸前のこの感覚が好きだった。けだるさと心地よさが足先へ向けて広がる。胸に置いた指先に熱がこもりはじめる。

　自分が何者かによって話しかけられていることに気付いたのはちょうどそんな瞬間だった。一定の間隔を置き、その声は数回にわたって同じ言葉を繰りかえした。エクスキューズ・ミー。声はそう言っているようだった。

　最初はベンチに横になっていたことを咎められたのかと思った。すぐに頭を掠めたのは「面倒だな」という思いだった。仕方なく薄目を開けると、投げ出した足の方向にブラウンの髪の青年が立っていた。バックパッカーだった。

　ぼくは身体を起こし、ひとまず隣のベンチに座るようジェスチャーした。見下ろされたままそこに立っていられたくなかった。

　どちらも名乗るようなことはなかった。青年ははじめに自分はカナダからだと言った。それからこれまでの旅のルートを挙げはじめ、ひとことふたことコメントを加えた。香港、タイ、ベトナム、カンボジア。青年が今回の旅で訪れたのはひとまずその四ヶ国だった。

　話の真意がよくつかめなかった。ときおり話の中に日本語が混ざることもあった。必要以上に不信感を抱くこともなかったが、安易に頷かないようにした。気分もすぐれなかったから熱心な聞き手にはなれなかった。

　青年の話が一区切りついたとき、ぼくは彼に英語で訊ねた。また小さなため息がこぼれた。

「それで、ここにいる目的は何なの？」ぼくの言葉は少し冷たく響きすぎたかもしれない。青年は肩をすくめて言い訳じみた表情を見せた。

「カンボジアで例の戦闘が始まったのは知ってるよね？　巻き込まれるところだったんだ」

　仕方なくぼくは首を縦に振った。アンコールワットが反政府ゲリラによって攻撃を受けたことは出国直前の新聞で目にしていた。

「本当はもうしばらくいるつもりだった。けれど予定を切り上げてバンコクからここに来たってわけさ。戦闘がないからね。でも、物価は恐ろしく高い」青年はシンガポールの物価の高さを「terribly」と表現した。

　彼のことばにあいまいに頷き、ちいさく息を吐いた。戦闘から逃れてきたことは理解した。けれど、彼はまだぼくの問いかけに答えてはいない。知りたいのはそんなことではなかった。こんな夜中に近寄ってきた本当の目的が知りたかった。

　寝際を起こされた不快感が今頃になって明瞭な輪郭を持ち始めた。疲れているから寝させてくれと言おうとした。しかし青年の次の言葉で、ぼくの思いが声に換えられることはなかった。

「ここには叔母が住んでる。もうすぐ迎えに来てくれるんだ。こんな夜中に電話したから怒ってたけどね。でも、予定が変わったんだ。どうしようもなかったんだ。だって他にどうすればいい？　どうしろって言うんだ？　戦闘さえなければ本当はもっと後に寄るはずだったんだ」

　青年は、額に流れた前髪を煩わしそうにかきあげ、口を少しだけ歪めて笑った。疲れているのだと思った。きっと、本当は倒れそうなぐらいに疲れている。それなのに一人きりでいることができない。沈黙に耐えることができない。

　感情がいびつな形にねじれたまま昂ぶってしまうことはぼくにも覚えがあった。青年はただ誰かのそばで落ち着きたかっただけなのだ。ぼくではなく、ただ、誰かのそばで。何週間か先の自分の姿を想像した。同じように、こんな夜中に誰かの寝際をたたき起こさないでいられる自信など、どこにもなかった。

「でも迎えに来てくれるんだよね？」励ますように言った。もし逆の立場だったら確定している事実だけに触れてほしいと思ったからだ。「無事に着いたこと、叔母さんもきっと喜んでくれてるはずだよ」

　青年は肩で息を吐くと、目を細めて小さく何度も頷いた。現実を深く噛みしめるように。ぼくはそんな彼に向かって、さっきまで疑いを抱いていたことを正直に告げた。直感でそうすべきだと思った。

「実はかなり警戒してたんだよ。こんな夜中に話しかけられたから」

　その言葉に青年は一瞬だけ戸惑った表情を見せたが、すぐに表情を崩し、大げさな声で笑った。「まさか、何も持ってないよ。そんなふうに見えた？」

　そう言ってしまって、はじめて彼はほっとした表情をぼくに向けた。思いのほか無邪気な笑顔だった。何も持っていない。刃物も、脅し文句も、あさましい心も。

　しばらく日本の話をした。池袋で英会話の講師をしていたことなどを聞いた。会話のところどころに日本語が混ざる理由はそこにあった。

「半年だったけれど日本は楽しかったよ。もう一度、そう、鯛焼きが食べたいね」

　青年は記憶の糸をたぐるように言った。「タイヤキ」ということばに、ふっと気持ちが和んだ。熱々の鯛焼きをほおばりながら池袋を歩く青年の姿を思い浮かべた。きっといい思い出なのだろう。

「もし市街に出るんだったらナンバー16のバスが便利だって聞いたよ。君に叔母がいなくても市街へ行ける」青年はいたずらっぽくそんなことを言った。あまり気の利いた冗談ではなかったけれど、その気持ちにだけは好感を抱いた。ナンバー16のバス。漠然と市街へ出てみようと思った。

　まもなく彼の叔母だという女性がロビーに姿を現した。小柄な、けれども恰幅のいい女性だった。青年は慌ててバックパックを背負うと、彼女のもとへ駆けていった。その姿に、叔母は両手を広げて何かを叫んだ。それはまるで駆け寄る我が子を受け止める母親の仕草だった。

　青年は走りながら途中一度だけうしろを振りかえり、大きく伸びをするように片手をあげた。おやすみ、とぼくは日本語で返し、同じように片手をあげた。

　後ろ姿がふたつになった。やがてそれらも遠ざかり、視界から消えた。

　でもね、ぼくの始まりは、ここなんだよ。

　誰もいなくなった出口に向け、ぼくはそう小さな声でつぶやいた。]]></content:encoded>
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		<title>冷たい熱帯／シンガポール(1)</title>
		<link>http://www.transiency.com/88</link>
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		<pubDate>Thu, 17 Jul 1997 06:19:53 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>シンガポール編</category>

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		<description><![CDATA[　ターミナルビルのベンチで目覚めたとき、両手で自分の肩を抱きかかえていた。身体中が死体のように冷たかった。
　上空に視線を向けると、はるか先に黒い格子状の天井が見えた。抱きすくめるようにからだを縮こま...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　ターミナルビルのベンチで目覚めたとき、両手で自分の肩を抱きかかえていた。身体中が死体のように冷たかった。

　上空に視線を向けると、はるか先に黒い格子状の天井が見えた。抱きすくめるようにからだを縮こませ、そんな光景をじっと見つめた。天から凍えた風が容赦なく降り注いでくる。格子模様のひとつひとつがすべて冷房の送風口に思えたりもした。錯覚が余計にぼくの背筋を冷やした。

　肌も、そこに触れる光も、吐く息も、すべてが白く凍えている。夜はまだ明けきっていない。静けさだけが、ひたひたと打ち寄せる波のようにぼくを包んでいた。

　シンガポール・チャンギ国際空港へ到着したのは、午前１時を少し回った頃だった。とりたてて眠くはなかったが、身体の芯に何とも言えないしこりのような違和感があった。

　上体を横に倒す。やや遅れて、体内の水平器も同じに傾き、それを知らせる気泡管の小さな泡がだるそうに位置を定めていく。安定するまでのちいさなタイム・ラグ。

　そんな状態のまま飛行機を降り、何も考えずに乗客たちの流れる先へと続いた。歩く、ただそれだけに努めた。途中一度だけめまいを覚えた。立ち止まり、壁に寄りかかって目を閉じた。地上なのだと思った。

　入国審査の順番待ちをしながら、列に並ぶ人々の姿を眺めた。当たり前の話だったけれど、パスポートにもさまざまな色があることを知った。それぞれの肌に、それぞれの色。

　カーマイン、オリーブドラブ、ターコイズ、エボニー。それらは光の加減で、微妙なグラデーションの幅の中を行ったり来たりした。

　色に違いがあるということが、不思議と気分を癒してくれた。取得したばかりの自分のパスポートを取りだし、藍色の表紙を見つめた。まっすぐ前を向こう。こんな気分になるのは初めてだった。

　……ぼくがぼくであること。たとえばその命題を第三者へ向けてプラクティカルに説明しうるものを、ぼくは今このパスポート以外に持っていない。感情や記憶や、悲しみ、苛立ちの底にあるもの。それらをいくら並べたところで、ぼくという人間を証明してはくれないだろう。パスポートがなければ、自分が誰なのかを指し示すことすらできない。

　東京で生まれました。学生です。ギターを弾くのが好きだ。料理も好き。絵を描くことも好きだし、文章を書くことも。映画はあまり観ないけれど、『戀々風塵』という台湾映画だけはよく覚えている。とても静かな映画だった。砂利道を踏む靴音が今も耳から離れない。

　例えばこうして言葉にできる事柄とはいったい何なのだろう。どれもがぼくという人間の属性や傾向を示しているにすぎなかった。熱心に調べあげ、分類し、比較検討をすれば、もしかしたら人格のパターン地図ぐらいは描けるかもしれない。けれど、いくら精度を高めたところで、ぼくという存在そのものに行き着くことはなかった。

　川の水に手を差しこめば、その流れを感じることはできる。けれどもそれで流れの源を知ることはできない。はじまりは雪解けの小さなひとしずくかもしれないし、岩の隙間から染み出す湧水かもしれない。ぼくがぼくであること。その命題を思うことは、それによく似ていた。あいまいな輪郭を持った、あいまいな思いの連鎖。自分はどこかに在るという、そんな気まぐれな予感。

「ジャパン？」一段高くなったボックスの上から、入国審査官の青年が無表情に言った。

　とっさに見つめ返した瞳の中に、どんな感情も見つけることができなかった。パスポートと入国カードを手渡して、そうだ、と首を縦に振った。ジャパン。その言葉に含まれるいくつかのニュアンスは、たぶんこのぼくにも当てはまるだろう。

　パスポートをつまみあげ、青年は面倒くさそうにスタンプを押した。退屈な仕事なのだろうと思った。パスポートをめくる、スタンプを押す。次の人、また次の人。

　彼の口から続いて発せられたのは、あきれるほど見事な日本語だった。「行っていいよ」

　返す言葉はなかった。もう一度首を縦に振り、彼の見ている前で渡されたパスポートのページを繰った。入国スタンプを確認するために。信用していないわけではなかったが、身体が自然にそうしていた。

　日付を示す17が薄くかすれて見づらくなっていた。

「……日付、よく見えないんだけど」

　スタンプを指差して青年に告げた。迷ったが、結局声に出したのは英語だった。英語を使おうとすると決まって小さなため息がこぼれた。わずかこんなフレーズでさえも。苦手以上の何かが心の壁をひっかいていた。

　ため息を含んだぼくの英語に、青年は露骨にうんざりした顔を見せた。奪うようにパスポートを取りあげると、ボールペンで何かを書き込んだ。二度手間になったのは明らかに彼の過失であり、ぼくのせいではない。そう自分に言い聞かせた。

　青年はそのままの表情でパスポートを投げてよこすと、たったひとつ、簡潔な英単語をぼくにぶつけた。罪状を告げるような響きだった。

　行け。その目はすでに後ろの旅行者に向けられていた。

　シンガポール入国がぼくに与えたものは、そんな冷やりとした何かだった。断絶。そう呼ばれる何かだったのかもしれない。かすれたスタンプの上には乱暴な筆跡で17と重ね書きされていた。これで見えるだろう、と言わんばかりに。

　しばらくの間、ロビーに座って目を閉じた。こんな時刻に市街へ出て宿を探そうという気力さえなかった。身体の芯にまだかすかな違和感が残っていた。

　こうやって少しずつ磨り減っていくのかもしれない。自分が老いていくことなど今まで一度だって考えたことはなかったけれど、もしかしたらそれは今のこんな感覚に似ているのかもしれないと思った。

　シンガポールに留まる予定など最初からなかった。トランジット。目的はそれだけだ。空港内にはホテルもあったが、たかが一晩だという思いがあった。明日の午後にはもうジャカルタへ飛び立ってしまうのだから。

　明日の午後には……。

　そう声に出すこと自体はもちろん簡単なことだった。実際にそう声に出して萎えそうな気持ちを奮い立たせたりもした。けれど、それまでの時間がぼくにとって長いものになるか短いものになるのか、まるで見当がつかなかった。残り約十時間。たったひとつ確かなのは、ぼくの人生のなかの十時間を今ここで使おうとしていることだけだった。

　数分もしないうちにロビーから人の姿が消えた。ときおり数えるほどの人影が視線の端を横切っていったが、それらはどれも後ろ姿だった。

　同じ便で到着した旅行者たちは、タクシー乗り場へ向かったようだった。誰ひとり戻ってくる者はない。目を閉じて、夜の底を走るタクシーの光を思った。

　大きな旅行トランクを引きずる旅行者の多くは日本の中年女性だった。彼女たちは決まって小さな集団で歩いていた。二人連れでなければ、必ずそれは三人連れだ。突然、場違いなほどの大きな笑い声がロビーに響くこともあった。背中を見ているだけでその意気込みが伝わった。そうか、そういうことなのかと、ぼくは彼女たちの背中に何かを問いかけようとした。でも何ひとつ言葉にはならなかった。

　バックパッカーの姿もかなりあったが、その多くは欧米人だった。欧米人。そうやってひと括りにしかできないくらい、ぼくは彼らを見慣れてはいなかった。顔つきを見て国籍がわかるほど世界は単純ではない。逆の立場に立ち、いったい何人の外国人がぼくを見て日本人と認識してくれるだろうか。中国、韓国、台湾、香港……。

　そもそもぼくはバックパッカーですらなかった。

　この旅に背負ってきたのは通学に使っていた大きめのリュックだった。側面のベルトには黒い水牛のキーホルダーがつけてある。勇ましい角にはどう見ても釣り合わない、やさしい瞳が気に入っていた。

　通学用のリュックだったから、たいしたものは入らなかった。着替えは三日で使い果たす分量だったし、小説も、ウォークマンも持たなかった。12色のちびた色鉛筆とはがきサイズのスケッチブック。ボールペン。タオル２枚。使い捨てカメラ。長袖として古着屋で買ったインド製の綿シャツが１枚。洗面用具一式。

　それだけ入れてしまうと、もう何も思いつかなかった。必要になったら買い足せばいい。Ｔシャツにしても歯ブラシにしても、爪切りであったとしても。荷物のなかですぐに代わりが手に入らないだろうと思えたのは、使い捨てのコンタクトレンズくらいだった。

　時計はすでに午前２時を回っていた。

　フロアに残っているのは、ぼくとグリーンの制服を着た清掃員たちだけになった。清掃員のひとりが洗剤のボトルを入れたバケツを手に壁際を何度も往復していた。窮屈そうな制服を着こんだ浅黒い肌の中年の女性。ちょうど、さっき見かけた日本の女性たちと同じぐらいの年回りに思えた。ゴム手袋をした手から、雑巾がダラリとぶら下がっている。

　しばらく眺めていたが、彼女が汚れを拭き取る様子は一向になかった。彼女がしていたのは、ふと立ち止まり、壁に向かってブツブツと何かをつぶやき、またおろおろと歩き出すことだけだった。小声ではあったが、その声はどこかで決定的にねじれてしまっていた。そして、彼女の視線は何をも捉えていなかった。

　ひとしきり何かを言い終えると、彼女はまた壁際を行ったり来たりした。立ち止まる、つぶやく、歩き始める。そんな妄信的な繰り返しを、彼女は大切な儀式のように延々と続けていた。まるで、終わりなどはじめから存在しないかのように。冷気とは別の寒さがぼくの背筋を下りていった。

「こんな夜中に何をしているんだ？」

　そう日本語で声に出してしまうと、それは彼女にではなく、自分自身に向けられたことばのようにも思えた。]]></content:encoded>
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		<title>祈り／成田</title>
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		<pubDate>Wed, 16 Jul 1997 05:26:26 +0900</pubDate>
		<dc:creator>TAIRA</dc:creator>
		
		<category>シンガポール編</category>

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		<description><![CDATA[　心の持っていき場所が分からない。
　成田空港46番ゲート前のソファで、さっきから硬くこわばった唾ばかり飲みこんでいる。泣きたいわけではなかった。けれど、その時のぼくは、きっと泣く寸前の顔をしていたに...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[　心の持っていき場所が分からない。

　成田空港46番ゲート前のソファで、さっきから硬くこわばった唾ばかり飲みこんでいる。泣きたいわけではなかった。けれど、その時のぼくは、きっと泣く寸前の顔をしていたにちがいない。恐怖でも、不安でも足りない。その両方を混ぜ合わせて、憧れや悔いや悲しみまで付け足したとしても、この胸の震えを指し示すことはできなかっただろう。

　できることと言えば、こうして誰かの視線を借りて、今の自分を外側から見つめることだけだ。泣く寸前の顔をしている。そう、それが今のおまえ自身なのだと。

　海外に出るのはこれが初めてだった。22年間、ぼくは日本という国の中だけでしか息をしたことがなかった。記憶はすべて日本にある。幼い頃に歩いた玉砂利の道の中や、手の甲に残る小さな傷痕の中に。

　そして、互いに絡み合ったそのすべてが、今、ぼくの輪郭をかたち作っている。

　天井のスピーカーから搭乗を知らせるアナウンスが響いた。ひとことだけ「ルクセンブルク」という音を聞いた気がしたが、気のせいだとも思った。さまざまな単語が、それを必要とする誰かの耳へと放たれていく。

　向かいのソファには、インド人らしき親子の姿があった。母親は深刻な面持ちを崩さず、どこか遠くを見つめたきり動こうとしない。彫りの深い、目元に力強さを宿したその顔を、ぼくはただ美しいとだけ思う。褐色の額のうえで色の付いた小さな石が光っている。ビンディ。

　母親はいったい何を見つめているのだろう。視線の先には、滑走路を移動するノースウェスト航空の旅客機が見える。羽根を休める鳥。白く、大きな鳥。ぼくらはやがて鳥のはらわたに身を横たえ、ものを喰い、様々な思いを掻きあつめて夜を過ごすことになる。

　子供たちはどちらも目を閉じ、母親から少し離れた場所で休んでいる。姉はかばんにひじを乗せ、弟はその姉のひざに頭を乗せて。弟のちいさな指先は胸のうえでひとつに組まれ、寝息に合わせて小さく上下している。

　姉はちょうど中学生になったぐらいの年齢だった。顔つきにまだ幼さはあったが、まっすぐ閉じられたくちびるが母親とよく似ていた。思うことへの一途さが、そのくちびるにはある気がした。ときおり彼女の長いまつ毛が小刻みに震え、そのたびに周囲の空気が氷の破片のように音を立てた。眉間にしわを寄せ、じっと痛みに耐えるように。

　しばらく、そんな彼女の姿を見ていた。

　出発を待つ乗客たちの話し声が耳の奥に広がり、川面に浮かぶ波紋のように流れていった。ひとつの声にだれかの声が絡まり、その上で、ささやく声、増幅された声や、ちいさな笑い声が重なり、宙でもつれ、うねりとなって空間を満たしていく。

　まぶたをきつく閉じ、大きく息をひとつ吐いた。それで胸の震えが癒えるわけではなかったが、自分が今こうしてここにいることを、ひとつの事実として受け止められるような気がした。

　囁き声に満たされた立方体の水の中で、ぼくはふたたび目の前に座るサリー姿の少女を見つめた。彼女の心に降り積もる悲しみに似た何かを、そっと両手で掬うように。

　　　＊

　視線をどこへ向けても瓦礫の山しか見当たらない。商店も学校も友達の家も、すべて取り壊されてしまった。彼女の家だけが、その破壊からは免れたようだった。

　町はずっと遠くまで、地平線が見えるぐらいに遠く、徹底的に破壊されていた。不思議と怖さはなかった。ただ自分の育った町の本当の広さに戸惑うだけだ。

　昨日の夜、いつものように部屋の窓から見たときまでは、何もかもきちんとそこにあった。けれども今、ここは別の土地みたいに変わり果てている。もうそれはわたしの知っている町ではない。もう、わたしの生まれた町では。

　そう感じてふと、別の戸惑いが彼女の内側にもたげていく。

　どこに何が建っていたのか正確に思い出すことができなかった。昨日まで毎日のように見ていた景色なのに、もう思い出すことができない。

　あの十字路、と言いかけて彼女はことばを失くす。その場所が分からないのだ。破壊されたのは、あたかも彼女の内側の風景だったかのように。

　彼女を本当に混乱させたのは、むしろこの事実だった。

　視線を右にそらすと小さな円形の広場が目に入った。記憶のどこを探してもそんな場所はなかったはずなのに。

　瓦礫の山がくるりと円を描く広場には、壊れたブランコが一基、何かの記念碑みたいに取り残されている。一羽のカラスが足元で必死に何かをついばみ、ときおり首を上空へ向けて鳴く。どこにも人の姿はない。

　片方だけ鎖の外れたブランコが、無風の中、キィ、キィと音を立てて揺れている。そんな音を聞きながら、ふと、かつて一緒になって遊んだ友人たちの顔が浮かび、跡形もなく消えていった。バスから見る景色よりも、ずっと、ずっと速いスピードで。

「そうだった。本当に楽しかったんだ。わたしたちはいつも仲良しだった」

　そのとき彼女の心で、何かが音を立てて弾けてしまう。粉々になった思いが彼女の内側に刺さっていく。彼女はその痛みのなかで、必死に自分に問いかけてみる。

　楽しかった。仲良しだった。

　どうしてわたしは過去形を使っているのだろう。どうして、過去形なんだろう。もう一度、壊れたブランコに視線を移した。戻れない、戻れない。無風の中で揺れるブランコは、まるで彼女にそう告げているみたいだった。

　キィ、キィ……。戻れない、戻れない……。カラスはまだ必死になって何かをついばんでいる。そして、いくら耳を澄ませてみても、この空に風の声は聴こえなかった。

　　　＊

　なにもかもぼくの勝手な想像に過ぎなかった。ただのイメージでしかなかった。破壊された町も、カラスも、取り残されたブランコも。そして、彼女の痛みも。

　彼女の心のうちを思い描くことはできても、誰一人それを自分のものとして引き受けることはできない。彼女の姿を通してぼくが感じたのは、そんな事実だった。

　彼女の父親は、いったいどこにいってしまったのだろう。ソファの脇の床には、持ち主のいない大きなバッグがごろりと横たわっている。父親の帰りを本当に待ち望んでいるのは、あるいはそのバッグかもしれない。母親はまだ窓の外を見つめている。夕暮れが近い。旅客機の主翼に、淡い琥珀色の光が降り注いでいる。

　時折、母親と姉の纏うサリーがギラッとした光を放った。鮮やかな黄色と緑と、その色に染められた一筋の光。そのきらめきを、ぼくはそっと胸にしまった。

　　　＊

　シンガポール航空SQ11便。座席34H。

　格安で手に入れた航空券には、しかし、帰国便の名称も日時も記載されていなかった。シンガポール経由ジャカルタ行き。帰国は、バリ島デンパサールからとなっている。

　どうして事前に帰国便の予約をしなかったのか、ぼく自身、本当のところはよく分からなかった。出発する今となってもそれは変わらない。

　旅行代理店のスタッフからは何度も予約を入れるように勧められていた。「変更はいつでもできますから」と。そうした言葉を繰り返されるたびに、ぼくは弁解するようにこう答えるしかなかった。

「行ってみないと分からないんです。いつが、潮時なのか」

　出発する前から潮時なんてことを口にしている自分が可笑しかった。

　窓口になってくれたのは、やわらかな口調の、けれども、ためらいがちに返事をする女性だった。出発までの数週間、何度となく電話で話し、手続きの文書をやりとりした。

　一度として会うことはなかったけれど、電話口で戸惑いを含んだ返事をされるたびに、ぼくは彼女に何かしら好意のようなものを抱くようになっていた。その声のトーンに、ある種のやさしさを感じ取っていたのかもしれない。

「すばらしいご旅行であることをお祈りしています。お気をつけて。」

　やりとりの最後に送られてきた封書の中に、短いメッセージが同封されていた。レモン色の細いストライプの便箋に、彼女の声と同じようなやわらかな筆跡で。

　もし、この旅のどこかでぼくの身に好からぬ出来事が起こったとしたら、彼女はいったいどんな気持ちを抱くだろう。

「どうして忠告を守ってくれなかったんですか？」

　それはきっと、こういうかたちでしか表せない悲しみなのだろうと、今は思う。

　SQ11便が水平飛行に入ったとき、窓の向こうの、そのずっと先に、暮れてゆく地上のあかりを見つけた。こうやって何かを見下ろすことに馴れていないのだと思った。ぼくもまた、見上げてばかりいる地上の動物だった。搭乗口で見かけたあの親子も今、異国の街あかりを見下ろしているのかもしれない。同じ、地上の動物として。

　ふと、あの男の子の姿が浮かんだ。彼の小さな指先は、今も胸の上でひとつに組まれているのだろうか。シートに座ったまま、胸の前で同じように指先を組んだ。

　祈り。

　そんな言葉を、胸に思った。
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